2024 7月25日 (木曜日) ② 猛暑続く!
〇カインズホームに行って草刈り機を買い求めた。
前使っていたものと同じ物にした。
〇ここの地区はもう数日雨らしきものが降っていない。
水分が少なくなってくるとキュウリの実りが悪い
この野菜は殆ど水分で出来ているんだなあ~と思える。
その代わり刈った草がよく萎む。
==============================
毎日新聞 余録に
「これと同じものを作ってほしい」
「もっといいものを作りますよ」。
1978年10月、当時最新鋭の新日本製鉄(現日本製鉄)君津製鉄所(千葉県)を
視察した中国の鄧小平氏に斎藤英四郎社長が答えたという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲上海宝山製鉄所の起工式はその2カ月後。
4000億円の巨大プロジェクトは順調には進まず、
中国の財政難や権力闘争の影響で何度も中止寸前に追い込まれた。
その内幕と絡め中国残留日本人孤児の苦悩を描いたのが
山崎豊子さんの「大地の子」だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲第1高炉の火入れは85年。
契約条件の変更を受け入れ、技術指導など全面的な協力を進めた斎藤氏は
「日中友好のシンボルともいうべき宝山の計画を頓挫させてはならないと思った」
と振り返っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲そんな歴史を持つ日本製鉄が宝山鋼鉄との合弁事業を解消するという。
今や宝山を中核とする中国の鉄鋼生産は日本の10倍以上で世界一。
技術力も向上し、
日鉄が特許侵害で宝山を提訴するなどライバル関係にある。
~~~~~~~~~~~~~~~~
▲世界の産業地図が半世紀足らずで様変わりすることに改めて気づかされる。
もっとも米中対立下、米USスチールの買収を進める日鉄には
中国との関係清算にメリットもあるらしい。
▲「偉大な日本人民に学びたい」
「まず自分が遅れていることを認める必要がある」。
46年前、鄧氏の謙虚な姿勢に日本人の多くが好印象を抱いた。
「井戸を掘った人を忘れない」も
決まり文句だったが、
今の指導部は日本の支援が中国経済発展の契機になったことをお忘れだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇聞き飽きた中国の”「井戸を掘った人を忘れない」”
=====================================
★中国は恩義なんて常に忘れて無視してくる民族なんだなあ~
こういった記事でも多くのことを知りうるが・・・
随分変わってしまった中国の民族意識。
欧米の旅行者が中国・韓国・日本を同じだと思ってくると
違いにびっくりしている。特にトイレやマナーだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の常識は、かの地では非常識である。
当時勤めていた会社も中国に3つの生産工場があって
何回も出張した。そんな行き来で
こちらが常識と思って行動すると問題になる。
例えば
〇おばあさんが両手で荷物を持って大変そうだと思って
自分の荷物を置いて手伝っている間にみな持っていかれる。グルだ・・
〇渡船に乗る階段で前のおばさん転んで小銭をばらまく・・
おもわず拾って渡してやると”足らない”と言う、
まるでこちらが盗んだかのように・・
当時、同期生のH君が台湾から中国の社長に異動した時、行き来が多くなって
現地での危ないことをたくさん聞いた。
本人も4回ほどパスポートの盗難にあっていたが・・せいせいした感じで話していた。
度胸がある奴で毎年同期会で一度行き会う。当時の話を時折話して話題にする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ツアーの旅行では全く感じられないが
ビジネスや個人で行くときは要注意だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇業務上では部品や材料は総て税関で留められてし まい
後で資材部長や社長が出向いて。何らかの処置をして貰ってくる
と言ったことは現地の常識であった。従って現地出向社員には大き目の肩書が必須であった。
どういう世界だ! まあ当たり前の事なんだ・・・なあ・真面目な私には面食らう事ばかり
〇中国に限らずベトナムの税関もあれこれ難癖をつけて現金を渡すまで
通してくれなかった。、入国審査カードの文字が悪いと言ってるんだがそんなの関係ない!
〇欧米の税関だったが、開けては困る資料を開けろ。開けろとうるさい
当初困ることをいくら言っても通じない・・・さてこれは
50ドル札を手の掌に持って握手したら即OK・やっぱり
〇フィリピンは十数回入国したが税関の服装を着た担当が
銃を買わないか!いらないというと警察手帳を買えと・・
わかりやすいウソ。でも明るい騙し方だった。
他にもたくさんの逸話が自分内に残ったが話せないことも多い。
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〇カインズホームに行って草刈り機を買い求めた。
前使っていたものと同じ物にした。
〇ここの地区はもう数日雨らしきものが降っていない。
水分が少なくなってくるとキュウリの実りが悪い
この野菜は殆ど水分で出来ているんだなあ~と思える。
その代わり刈った草がよく萎む。
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毎日新聞 余録に
「これと同じものを作ってほしい」
「もっといいものを作りますよ」。
1978年10月、当時最新鋭の新日本製鉄(現日本製鉄)君津製鉄所(千葉県)を
視察した中国の鄧小平氏に斎藤英四郎社長が答えたという。
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▲上海宝山製鉄所の起工式はその2カ月後。
4000億円の巨大プロジェクトは順調には進まず、
中国の財政難や権力闘争の影響で何度も中止寸前に追い込まれた。
その内幕と絡め中国残留日本人孤児の苦悩を描いたのが
山崎豊子さんの「大地の子」だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲第1高炉の火入れは85年。
契約条件の変更を受け入れ、技術指導など全面的な協力を進めた斎藤氏は
「日中友好のシンボルともいうべき宝山の計画を頓挫させてはならないと思った」
と振り返っている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲そんな歴史を持つ日本製鉄が宝山鋼鉄との合弁事業を解消するという。
今や宝山を中核とする中国の鉄鋼生産は日本の10倍以上で世界一。
技術力も向上し、
日鉄が特許侵害で宝山を提訴するなどライバル関係にある。
~~~~~~~~~~~~~~~~
▲世界の産業地図が半世紀足らずで様変わりすることに改めて気づかされる。
もっとも米中対立下、米USスチールの買収を進める日鉄には
中国との関係清算にメリットもあるらしい。
▲「偉大な日本人民に学びたい」
「まず自分が遅れていることを認める必要がある」。
46年前、鄧氏の謙虚な姿勢に日本人の多くが好印象を抱いた。
「井戸を掘った人を忘れない」も
決まり文句だったが、
今の指導部は日本の支援が中国経済発展の契機になったことをお忘れだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇聞き飽きた中国の”「井戸を掘った人を忘れない」”
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★中国は恩義なんて常に忘れて無視してくる民族なんだなあ~
こういった記事でも多くのことを知りうるが・・・
随分変わってしまった中国の民族意識。
欧米の旅行者が中国・韓国・日本を同じだと思ってくると
違いにびっくりしている。特にトイレやマナーだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の常識は、かの地では非常識である。
当時勤めていた会社も中国に3つの生産工場があって
何回も出張した。そんな行き来で
こちらが常識と思って行動すると問題になる。
例えば
〇おばあさんが両手で荷物を持って大変そうだと思って
自分の荷物を置いて手伝っている間にみな持っていかれる。グルだ・・
〇渡船に乗る階段で前のおばさん転んで小銭をばらまく・・
おもわず拾って渡してやると”足らない”と言う、
まるでこちらが盗んだかのように・・
当時、同期生のH君が台湾から中国の社長に異動した時、行き来が多くなって
現地での危ないことをたくさん聞いた。
本人も4回ほどパスポートの盗難にあっていたが・・せいせいした感じで話していた。
度胸がある奴で毎年同期会で一度行き会う。当時の話を時折話して話題にする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ツアーの旅行では全く感じられないが
ビジネスや個人で行くときは要注意だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇業務上では部品や材料は総て税関で留められてし まい
後で資材部長や社長が出向いて。何らかの処置をして貰ってくる
と言ったことは現地の常識であった。従って現地出向社員には大き目の肩書が必須であった。
どういう世界だ! まあ当たり前の事なんだ・・・なあ・真面目な私には面食らう事ばかり
〇中国に限らずベトナムの税関もあれこれ難癖をつけて現金を渡すまで
通してくれなかった。、入国審査カードの文字が悪いと言ってるんだがそんなの関係ない!
〇欧米の税関だったが、開けては困る資料を開けろ。開けろとうるさい
当初困ることをいくら言っても通じない・・・さてこれは
50ドル札を手の掌に持って握手したら即OK・やっぱり
〇フィリピンは十数回入国したが税関の服装を着た担当が
銃を買わないか!いらないというと警察手帳を買えと・・
わかりやすいウソ。でも明るい騙し方だった。
他にもたくさんの逸話が自分内に残ったが話せないことも多い。
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