日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

人情があるのか?

2005年12月09日 17時05分50秒 | 残日録
連日極悪人による「欠陥マンション」や「営業自粛ホテル」問題が、メディアを賑わかしている。14日には、国会に承認喚問されて、旧悪を晒されようとしている。設計段階から偽造されていたので、悪質さは明らかに計画的だ。人情はあるのか?と言いたい。金儲けに走って、情けの部分を忘れてしまったのは、亡者だ。

今日、【高知新聞:要約 県道路公社が管理する「横浜トンネル」(高知桂浜道路)の内壁を覆うコンクリート片が剥がれ落ち、粗雑工事(手抜き工事)が明らかになった。すでに、去年にも下請け会社の作業員が壁厚が三分の一しかない部分が、南側から300m地点にあると指摘していたのに、その部分を手直しして、完工し、通行していたものである。そして、内壁の剥落がおこり、次々と悪い部分が発見され、全面通行止めとなってしまった。横浜トンネル南工区は、「大成建設、大旺建設JV」である。
なんと、前段がある。一昨年の林道トンネル工事でも粗雑工事が指摘され、損害賠償請求の対象工事となっている。施工は、「大旺建設、四国開発、関西土木JV」である。】なにおか言わんやである。設計がしっかりしていても、手抜きはある。県もちゃんと工事の管理をしていたのか?なあなあで現場対応していたようで、あきれるよ。2年前からブラックリストじゃ~ないですか。人情はあるのか?確信犯で誠意の欠片もない。(写真は横浜トンネル)

良寛さんの、清貧な飾り気のない人生で、汚物を垂れ流す惨めな晩年でも、見よ!この人徳を!
良寛  良寛さんは70歳の時に歌の繋がりで「貞心尼(30歳)」と知り合います。良寛の死亡するまでの短い間ですが、心の交流はすばらしいものでした。
弟子というか世話してくれる人達には「かたみとて 何か残さむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじば」と詠んでいます。なにも残すものはないのが実情でした。晩年は寝たきりで、朝になって、汚れた着物や垂れ流した汚物を貞心尼が掃除してくれるため、早く夜が明けないかとそればかり考えていました。しかし、良寛さんの死亡は感動的なものでした。
それは生前の言動が人間らしく、なにびとに対しても優しく接したからにほかありません。
全ての貧しい人々に食を乞うて生きてきた一介の頭陀僧(ずたそう)のために多くの人々が集まりました。亡くなったのは雪の降りしきる正月6日の夕方でした。1日おいた8日の夕方の「野辺送り」には、150年前の情報の伝わらない時代にも拘らず、「良寛死亡」のニュースは口伝えで、越後全土を駆け巡りました。それを聞いて、取るものも取らず、雪の降りしきる中を、駆けつけました。みんなが貧者にも拘らず、少なからぬ香典やろうそく、香、お斎米(おとぎまい)を持って、駆けつけて来た人々は木村家(葬儀をだした家)から3町(109m*3)も続いていました。
貧者のお供えはお米一石六斗(一握りのお米が集まって4俵)にもなりました。6ヶ寺の印法寺院、12ヶ寺の随喜寺院、285人の会葬者などこまごまと書きとめられている文章が残っています。(木村家に残る「良寛上人 御遷下(ごせんげ)諸事留帳」)
ありがたくて、涙があふれてきます。合掌。

「いきしにの さかいはなれて すむ身にも さらぬわかれの あるぞかなしき」貞心尼  (世俗を捨てて、仏に仕える身になったいまでも、また別れがあるなんて・・・悲しい)
「うらをみせ おもてもみせて ちるもみぢ」良寛  (寝たきりになって、下の世話まで面倒をみてもらっているからには、紅葉がはらはらと散るように、なんの隠し事もなく、死んでいきます)