「ALWAYS 三丁目の夕日」が大ヒットだ。原作者の西岸良平さんは、このテーマにず~とこだわっている(漫画家)。昭和22年生まれ(立教大卒)なので、東京タワーの建設中は、8~9歳なので、本当に詳しいという訳でなく、当時の雰囲気や人情の残る下町を描きたかったのでしょう。その物語の雰囲気は、団塊の世代(昭和21年~25年生まれ)や昭和40年代生まれまでの人たちのあいだにも、郷愁を呼ぶ懐かしさだ。
では30年代はどんな時代だったのでしょう。
昭和33年(1958)12月23日東京タワー完成。皇太子、正田美智子さんと婚約。長嶋茂雄デビュー、4打席4三振であった。投手は国鉄スワローズの金田正一投手。第1打席は直球で空振り三振。第2打席は3球目の直球に止めたバットがかすってファウルチップ、これが唯一のバットに当った球であった。そして、する鋭く曲がるカーブに空振り三振。第3打席は速球で三球三振、もちろんバットに当らず。第4打席は、ツースリーからカーブを力一杯振るも空振り三振。 この年、金田は絶好調であった。4月だけで10勝、4月20日から5月27日までの間、64回1/3を連続無失点であった。この年31勝、防御率1.30で終わった。
契約金の規定は、高卒160万円、大卒、社会人は240万円の時代であったが、「貴方買います」が流行語となり、規定は無視され、長島茂雄の契約金は2000万円と言われている。社員の給料が20万円(年収)の時代の2000万円は今の貨幣価値では、6億円にも相当する。なにせ、東京タワーの建設費は28億円の時代ですから。流行ったフラフープは270円、週刊誌は20円。それでもテレビは20万円、アンテナタワーを入れると30万円~40万円もした。買える人は一握りだけであった。
昭和34年(1959)南極観測隊は氷が厚く帰れない状態に度々なった。ソ連の砕氷船に何度も助けられた。そして、南極に置き去りにされた、エスキモー犬のタローとジローが翌年まで生きていたのは奇跡であった。(映画にもなる)
皇太子が正田美智子さんと結婚。白黒14インチテレビが良く売れた。後楽園球場の展覧試合があった。そして、今も話題の「在日朝鮮人の北朝鮮帰還」が始まった。「地上の楽園に帰る」は、日本政府にも罪はあるように思う。
昭和35年(1960)日米安保条約をめぐり、反対運動が国会乱入にまで・・。岸内閣が倒れると、池田内閣、高度成長時代へと突入する。「貧乏人は麦を食え」とか「所得倍増計画」が言われた。
そして、昭和39年の東京オリンピック(10月10日)まで建設ブームは続き、新幹線の開業(10月1日)もオリンピックに間にあわせて建設された。ここで、昭和レトロの時代は終焉を迎えた。
しかし、各地に残る昭和の街は、ブームとなり観光客を集める存在だ。伝統的建造物保存地区は江戸の街だが、それに匹敵する保存が各地でなされている。
では30年代はどんな時代だったのでしょう。
昭和33年(1958)12月23日東京タワー完成。皇太子、正田美智子さんと婚約。長嶋茂雄デビュー、4打席4三振であった。投手は国鉄スワローズの金田正一投手。第1打席は直球で空振り三振。第2打席は3球目の直球に止めたバットがかすってファウルチップ、これが唯一のバットに当った球であった。そして、する鋭く曲がるカーブに空振り三振。第3打席は速球で三球三振、もちろんバットに当らず。第4打席は、ツースリーからカーブを力一杯振るも空振り三振。 この年、金田は絶好調であった。4月だけで10勝、4月20日から5月27日までの間、64回1/3を連続無失点であった。この年31勝、防御率1.30で終わった。
契約金の規定は、高卒160万円、大卒、社会人は240万円の時代であったが、「貴方買います」が流行語となり、規定は無視され、長島茂雄の契約金は2000万円と言われている。社員の給料が20万円(年収)の時代の2000万円は今の貨幣価値では、6億円にも相当する。なにせ、東京タワーの建設費は28億円の時代ですから。流行ったフラフープは270円、週刊誌は20円。それでもテレビは20万円、アンテナタワーを入れると30万円~40万円もした。買える人は一握りだけであった。
昭和34年(1959)南極観測隊は氷が厚く帰れない状態に度々なった。ソ連の砕氷船に何度も助けられた。そして、南極に置き去りにされた、エスキモー犬のタローとジローが翌年まで生きていたのは奇跡であった。(映画にもなる)
皇太子が正田美智子さんと結婚。白黒14インチテレビが良く売れた。後楽園球場の展覧試合があった。そして、今も話題の「在日朝鮮人の北朝鮮帰還」が始まった。「地上の楽園に帰る」は、日本政府にも罪はあるように思う。
昭和35年(1960)日米安保条約をめぐり、反対運動が国会乱入にまで・・。岸内閣が倒れると、池田内閣、高度成長時代へと突入する。「貧乏人は麦を食え」とか「所得倍増計画」が言われた。
そして、昭和39年の東京オリンピック(10月10日)まで建設ブームは続き、新幹線の開業(10月1日)もオリンピックに間にあわせて建設された。ここで、昭和レトロの時代は終焉を迎えた。
しかし、各地に残る昭和の街は、ブームとなり観光客を集める存在だ。伝統的建造物保存地区は江戸の街だが、それに匹敵する保存が各地でなされている。