佐用郡乙大木谷の棚田に雪は降っていなかった。残雪はあったが、あたり一面というまでには至っていない。写真は撮らなかった。
「芦屋道満」と「安倍清明」の塚、宝篋印塔(ほうきょういんとう)を訪ねる。平安時代の「陰陽道」の勢力を二分する「陰陽師」二人が500mも離れずに祀られているかは謎ですが、地方信仰として、尊敬を集めていたんでしょう。
陰陽師(おんみょうじ)は、中国伝来の陰陽五行説(木火土金水(もっかどごんすい)と輪廻する「木は燃えて火となり、火は燃え尽きて土となり、土は固まって金属となり、金属はやがて水となり、そして、水は木となる。そして・・・・」という輪廻説と鬼神を操って、世の中を思うように操るという一面も持っていた。大阪阿倍野区の「清明神社」は今も信仰の対象だ。
輪廻すると言えば、古墳などに見られる「青龍」、「朱雀」、「白虎」、「玄武」もそうだ。それは、人生や東西南北や守り神でもあった。
「青龍」:東の守り神(龍)、春を表す。「朱雀」:南の守り神(鳳凰)、夏を表す。「白虎」:西の守り神(虎)、秋を表す。「玄武」:北の守り神(亀の甲に蛇)、冬を表す。それは、やがて、色をとって、「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」として、親しまれるようになった。今、自分は人生のどの当たりか、真夏を過ぎているので白秋でしょう。、青春は東、夜明けなら、朱夏は南、日中なのだ。そして、白秋は西、たそがれが迫っている。玄冬は北、暗い部分になるでしょう。玄は赤又は黄色を含む黒色なんですから。
北原白秋は、不思議なことに中学校(旧制、伝習館、15~6歳から)の頃に、文学を志して、白秋を名乗っている。年老いた人の名乗る「号」なのに、九州が、遠い東京に対して、明治の初めでは、はるか西の方だったからでしょうか。
「芦屋道満」と「安倍清明」の塚、宝篋印塔(ほうきょういんとう)を訪ねる。平安時代の「陰陽道」の勢力を二分する「陰陽師」二人が500mも離れずに祀られているかは謎ですが、地方信仰として、尊敬を集めていたんでしょう。
陰陽師(おんみょうじ)は、中国伝来の陰陽五行説(木火土金水(もっかどごんすい)と輪廻する「木は燃えて火となり、火は燃え尽きて土となり、土は固まって金属となり、金属はやがて水となり、そして、水は木となる。そして・・・・」という輪廻説と鬼神を操って、世の中を思うように操るという一面も持っていた。大阪阿倍野区の「清明神社」は今も信仰の対象だ。
輪廻すると言えば、古墳などに見られる「青龍」、「朱雀」、「白虎」、「玄武」もそうだ。それは、人生や東西南北や守り神でもあった。
「青龍」:東の守り神(龍)、春を表す。「朱雀」:南の守り神(鳳凰)、夏を表す。「白虎」:西の守り神(虎)、秋を表す。「玄武」:北の守り神(亀の甲に蛇)、冬を表す。それは、やがて、色をとって、「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」として、親しまれるようになった。今、自分は人生のどの当たりか、真夏を過ぎているので白秋でしょう。、青春は東、夜明けなら、朱夏は南、日中なのだ。そして、白秋は西、たそがれが迫っている。玄冬は北、暗い部分になるでしょう。玄は赤又は黄色を含む黒色なんですから。
