日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

長嶋茂雄の不運!

2006年10月12日 20時17分02秒 | 気まま日記
ヤンキースの「ジョー・トーリ監督」が、常勝を義務付けられたチームを、6年連続でワールドチャンピオンに出来なかったと解任を報道されたが、一夜にして、あの「スタインブレナー・オーナー」の、「来年も君がやれ」との言葉を受けたのは当然のようでもあるが、ヤンキースにとって重大な出来事でした。
「ジョー・トーリ」監督は、37歳から66歳の今日まで30年間監督をしているが(85~90年は監督をしていないので、実質は24年)、ヤンキースの監督に就任したのは、1996年(56歳)でした。
この間の成績は
1996  92勝ー70敗 1位 WS(ワールド・シリーズ制覇)
1997  96勝ー66敗 2位
1998 114勝ー48敗 1位 WS
1999  98勝ー64敗 1位 WS
2000  87勝ー74敗 1位 WS
2001  95勝ー65敗 1位 AL(アメリカン・リーグ制覇)
2002 103勝ー58敗 1位 地区敗退
2003 101勝ー61敗 1位 AL 松井秀喜入団
2004 101勝ー61敗 1位 地区敗退
2005  95勝ー67敗 1位 地区敗退
2006  97勝ー65敗 1位 地区敗退
見事な成績のようですが、ヤンキース(常勝200億円以上軍団)にとっては、ここ6年でリーグ制覇は2回だけです。
長嶋茂雄にとっては、1975年(39歳)で監督を引き受けたが、成績は・・
1975 47勝ー76敗 6位
1976 76勝ー45敗 1位 日本シリーズ敗退
1977 80勝ー46敗 1位 日本シリーズ敗退
1978 65勝ー49敗 2位
1979 58勝ー62敗 5位
1980 61勝ー60敗 3位
ここで突然の解任劇が起こる。「Aクラスで留任」の密約が反故にされ、世間の「長嶋では勝てない」の声も多く、務台ら首脳陣は解任に踏み切り、止む無く長嶋は辞任を表明した。しかし、「君子豹変す」のごとく、ファンの声は、解任非難へと変わった。長嶋の不運は、前任監督の川上哲治が、1961(41歳)~1974(54歳)の監督時代の成績にあった。1位(日本一)、4位、1位(日本一)、3位、のあと1位が9年連続で、その全てが日本一であった。選手として、傑出の名選手「長嶋」、「王」がいたからとも言える。そして、最後の2位で退いたが、チームの戦力は疲弊していた結果が6位となって現れたのでしょう。
トーリ監督の最近6年と比べて、あまりにも良く似ている。リーグ制覇2度。日本一、ワールドシリーズ共に制覇なし。
しかし、ヤンキースには、破れ太鼓の気かん坊(選手起用にも口を出す)でも、戦略に長けたスタインブレナーがいた。決断すれば、誰にも文句を言わせない独裁者の大金持ちが(ヤンキースのために毎年300億円以上(選手に220億円、スタッフ費+運営費(ジャンボチャーターなど))トーリ監督の味方であった。建設中の新ヤンキースタジアムは、500億円の巨費が投じられる。(地域の負担を求めない健全さだ)
その後、長嶋茂雄は、ファンの熱望やチーム事情で、1993年に監督に復帰し、2001年に辞任するまで、9年監督をして、優勝3回(内日本一2回)の成績を残した。長嶋監督歴15年、トーリ監督暦24年(来年25年目だ)。なぜか、名門チームを率いる二人が重なって見えた今日でした。