今日は、城和泉守昌茂の居館跡、御蔵場についてご紹介いたします。
御蔵場は、昨日紹介した兵部裏屋敷に近く、300mほどしか離れていません。
六角形の水堀が特長的で、『埼玉の館城跡』にも六角形の水堀の図面が掲載されています。
兵部裏屋敷にせよ、御蔵場にせよ、なかなかわかりにくい場所にありますが、
昭和50年代のゼンリン住宅地図を探せば、御蔵場は六角形の水堀がそのまま掲載されており、
極めて発見しやすいです。
兵部裏屋敷も三角定規のような水堀が残されているのがわかります。
わたしの初訪問は、1982年頃でした。
正直、めちゃくちゃな耕作放棄状態で、やぶそのものでした。
ところが1985年頃になると、きれいになります。
水堀は農業用水路と通じながら、規模を維持してているように見えます。
今回の調査日は、2018.02.18です。
さて、御蔵場の場所は、佐川急便の事務所の裏にあり、現在はグループホームと宅地になっておりました。
水堀はコンクリートで固められてしまっていますね。
住宅地図などで確認すると、六角形の南側2辺が消えてしまっているのですが、実はちゃんと残っており、
現状はこうなっております。
さて、城昌茂は、近くに東漸寺という寺院を創建しております。
距離的には御蔵場からほぼ一直線に歩いて、1km弱ほどです。正直、あまり味のないお寺ですが・・・・。
御蔵場は、昨日紹介した兵部裏屋敷に近く、300mほどしか離れていません。
六角形の水堀が特長的で、『埼玉の館城跡』にも六角形の水堀の図面が掲載されています。
兵部裏屋敷にせよ、御蔵場にせよ、なかなかわかりにくい場所にありますが、
昭和50年代のゼンリン住宅地図を探せば、御蔵場は六角形の水堀がそのまま掲載されており、
極めて発見しやすいです。
兵部裏屋敷も三角定規のような水堀が残されているのがわかります。
わたしの初訪問は、1982年頃でした。
正直、めちゃくちゃな耕作放棄状態で、やぶそのものでした。
ところが1985年頃になると、きれいになります。
水堀は農業用水路と通じながら、規模を維持してているように見えます。
今回の調査日は、2018.02.18です。
さて、御蔵場の場所は、佐川急便の事務所の裏にあり、現在はグループホームと宅地になっておりました。
水堀はコンクリートで固められてしまっていますね。
住宅地図などで確認すると、六角形の南側2辺が消えてしまっているのですが、実はちゃんと残っており、
現状はこうなっております。
さて、城昌茂は、近くに東漸寺という寺院を創建しております。
距離的には御蔵場からほぼ一直線に歩いて、1km弱ほどです。正直、あまり味のないお寺ですが・・・・。