さて、東城三つ目の遺構ですが、第2東城遺構の南、遺構を分割していた北河原用水路沿いにあります。
これを便宜上、ここでは第3東城と呼びましょう。
第3東城もやはり用水路で分割されています。土塁などの遺構は不明です。
『埼玉の中世城館跡』によれば、周囲よりも低く細長い水田(現在は他作物に転用されている)が、
水堀跡と思われ、これをつなげていくと方形の城跡が検出されるとされています。
第1遺構、第2遺構との関連性はつまびらかではありません。
周囲より低く細長い水田を探して、用水路沿いを進みます。
『埼玉の中世城館跡』では、南に0.5kmほど離れたところとしているので、500m圏内に絞って該当する条件をみたす
細長く低い耕地を探しました。
第一遺構からみて、300~400m程度離れた水路の西側に、それらしい圃場を発見しました。
下の写真は、この耕地の西側です。
ここは、『埼玉の中世城館跡』所載の実測図を参照すると、ここは、おそらく方形の堀跡の南側だと思われますが、
実測図の当時と、現況に著しい相違のある部分があって、これが本当に第3遺構なのか、自信が持てませんでした。
念のため1時間ほど周囲で、他に該当する地形を探しましたが、見つからず、この耕地を堀跡と、判断した次第です。
最後は、雲をつかむような話になってしまいました。平地の城館跡ではしばしばこういう結末になりがちです。
平地の城館には、独特の面白さがありますが、わかりにくいので、たまには、山城の記事を書きたいと思いました。
これを便宜上、ここでは第3東城と呼びましょう。
第3東城もやはり用水路で分割されています。土塁などの遺構は不明です。
『埼玉の中世城館跡』によれば、周囲よりも低く細長い水田(現在は他作物に転用されている)が、
水堀跡と思われ、これをつなげていくと方形の城跡が検出されるとされています。
第1遺構、第2遺構との関連性はつまびらかではありません。
周囲より低く細長い水田を探して、用水路沿いを進みます。
『埼玉の中世城館跡』では、南に0.5kmほど離れたところとしているので、500m圏内に絞って該当する条件をみたす
細長く低い耕地を探しました。
第一遺構からみて、300~400m程度離れた水路の西側に、それらしい圃場を発見しました。
下の写真は、この耕地の西側です。
ここは、『埼玉の中世城館跡』所載の実測図を参照すると、ここは、おそらく方形の堀跡の南側だと思われますが、
実測図の当時と、現況に著しい相違のある部分があって、これが本当に第3遺構なのか、自信が持てませんでした。
念のため1時間ほど周囲で、他に該当する地形を探しましたが、見つからず、この耕地を堀跡と、判断した次第です。
最後は、雲をつかむような話になってしまいました。平地の城館跡ではしばしばこういう結末になりがちです。
平地の城館には、独特の面白さがありますが、わかりにくいので、たまには、山城の記事を書きたいと思いました。