暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

こいしつ 奈良氏館跡 ①

2018-03-06 16:01:32 | 城館跡探訪
本日は、熊谷市にあるなら氏館跡について書きたいと思います。

奈良氏は成田氏系の氏族といわれております。奈良氏館跡は、熊谷市奈良地区の妙音寺一帯にあったとされており、

妙音寺の境内には墓所が残っていたとされておりますが、遺構の存在は不明とされており、自然堤防上にある

妙音寺一帯の様子から、往時をしのぶのみとなっています。

今回はいつものごとく、自然地形を積極的に読み込みながら、奈良氏館跡について解釈をしていこうと思います。

調査日は2018.01.27です。


奈良氏館跡にはこれまで何度も足を運んできました。

下の写真は1982年頃のものです。如何にも、地方のお寺らしく、参道が未舗装のままです。






下の写真は1985年頃のものです。



これ等の写真が示しているように、奈良氏館跡の前には低湿地帯があったことがわかります。


このように何度か訪れた奈良氏館跡ですが、じっくり周辺を調査してみるのは初めてです。


まず、奈良氏館跡、妙音寺前の低湿地帯、水田と自然堤防の関係から見ていきたいと思います。


奈良氏館跡のある自然堤防の東端です。自然堤防の東端は県道359号線に接しています。



妙音寺からここまで、100mほどの距離があります。奈良氏館跡の規模がどれほどであったのかわかりませんが、

ここは少し、距離を置いたところから接近します。





ここの地形は少し気になります。

前項の成澤城跡でも、小河川の作った低湿地帯を十分に利用し、城郭を置いていたことが考えられたわけですが、

奈良氏館跡も同様の思想があるように見えます。



上の写真を見ると、自然堤防側の水田の方が、はっきりと高いです。




上の写真を見ると、土地がはっきり分かれているのがわかります。浅いながらも、堀状の溝らしきものがあります。

この付近が、館跡の境界線でしょうか。



このまま、直進して妙音寺の参道に向います。








妙音寺の参道は整備され、幅も広くなっています。






門前から、妙音寺西側を撮影します。




門前には、石仏がありますが・・・・。








珍しいものがあります。お気付きになりましたか?


そう!石橋供養塔です。








天保三年と刻んでありますが、石橋も供養されるのですね。