本日は、熊谷市にあるなら氏館跡について書きたいと思います。
奈良氏は成田氏系の氏族といわれております。奈良氏館跡は、熊谷市奈良地区の妙音寺一帯にあったとされており、
妙音寺の境内には墓所が残っていたとされておりますが、遺構の存在は不明とされており、自然堤防上にある
妙音寺一帯の様子から、往時をしのぶのみとなっています。
今回はいつものごとく、自然地形を積極的に読み込みながら、奈良氏館跡について解釈をしていこうと思います。
調査日は2018.01.27です。
奈良氏館跡にはこれまで何度も足を運んできました。
下の写真は1982年頃のものです。如何にも、地方のお寺らしく、参道が未舗装のままです。
下の写真は1985年頃のものです。
これ等の写真が示しているように、奈良氏館跡の前には低湿地帯があったことがわかります。
このように何度か訪れた奈良氏館跡ですが、じっくり周辺を調査してみるのは初めてです。
まず、奈良氏館跡、妙音寺前の低湿地帯、水田と自然堤防の関係から見ていきたいと思います。
奈良氏館跡のある自然堤防の東端です。自然堤防の東端は県道359号線に接しています。
妙音寺からここまで、100mほどの距離があります。奈良氏館跡の規模がどれほどであったのかわかりませんが、
ここは少し、距離を置いたところから接近します。
ここの地形は少し気になります。
前項の成澤城跡でも、小河川の作った低湿地帯を十分に利用し、城郭を置いていたことが考えられたわけですが、
奈良氏館跡も同様の思想があるように見えます。
上の写真を見ると、自然堤防側の水田の方が、はっきりと高いです。
上の写真を見ると、土地がはっきり分かれているのがわかります。浅いながらも、堀状の溝らしきものがあります。
この付近が、館跡の境界線でしょうか。
このまま、直進して妙音寺の参道に向います。
妙音寺の参道は整備され、幅も広くなっています。
門前から、妙音寺西側を撮影します。
門前には、石仏がありますが・・・・。
珍しいものがあります。お気付きになりましたか?
そう!石橋供養塔です。
天保三年と刻んでありますが、石橋も供養されるのですね。
奈良氏は成田氏系の氏族といわれております。奈良氏館跡は、熊谷市奈良地区の妙音寺一帯にあったとされており、
妙音寺の境内には墓所が残っていたとされておりますが、遺構の存在は不明とされており、自然堤防上にある
妙音寺一帯の様子から、往時をしのぶのみとなっています。
今回はいつものごとく、自然地形を積極的に読み込みながら、奈良氏館跡について解釈をしていこうと思います。
調査日は2018.01.27です。
奈良氏館跡にはこれまで何度も足を運んできました。
下の写真は1982年頃のものです。如何にも、地方のお寺らしく、参道が未舗装のままです。
下の写真は1985年頃のものです。
これ等の写真が示しているように、奈良氏館跡の前には低湿地帯があったことがわかります。
このように何度か訪れた奈良氏館跡ですが、じっくり周辺を調査してみるのは初めてです。
まず、奈良氏館跡、妙音寺前の低湿地帯、水田と自然堤防の関係から見ていきたいと思います。
奈良氏館跡のある自然堤防の東端です。自然堤防の東端は県道359号線に接しています。
妙音寺からここまで、100mほどの距離があります。奈良氏館跡の規模がどれほどであったのかわかりませんが、
ここは少し、距離を置いたところから接近します。
ここの地形は少し気になります。
前項の成澤城跡でも、小河川の作った低湿地帯を十分に利用し、城郭を置いていたことが考えられたわけですが、
奈良氏館跡も同様の思想があるように見えます。
上の写真を見ると、自然堤防側の水田の方が、はっきりと高いです。
上の写真を見ると、土地がはっきり分かれているのがわかります。浅いながらも、堀状の溝らしきものがあります。
この付近が、館跡の境界線でしょうか。
このまま、直進して妙音寺の参道に向います。
妙音寺の参道は整備され、幅も広くなっています。
門前から、妙音寺西側を撮影します。
門前には、石仏がありますが・・・・。
珍しいものがあります。お気付きになりましたか?
そう!石橋供養塔です。
天保三年と刻んでありますが、石橋も供養されるのですね。