暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

大河内金兵衛陣屋跡と大我井神社(旧妻沼町)

2018-03-27 18:18:47 | 城館跡探訪
本日は、大河内金兵衛陣屋跡について書きたいと思います。

大河内陣屋跡は旧妻沼町の中心部、埼玉りそな銀行、聖天樣の近く、銭屋さんという利根川の大物釣りファンの間で

名高い老舗の有名な釣り道具屋さんの裏にあります。

よか楼さんという、埼玉県北のラーメンの老舗の総本店もあります。

と、まあ、ほとんど観光案内のようになってしまいますが、わたしの父が妻沼の出なものですから、

それなりに愛着があるのです。

さて、大河内陣屋跡は、妻沼史の象徴的場所の一つである大我井神社境内一帯とされております。

ここは、「大我井の杜」とも呼ばれています。杜自体はすっかり小さくなってしまったのですが、

これは、かつて妻沼小学校の敷地と一体であったものが、整理によってすっきりしてしまったためです。

以前は、小学校の校庭を土塁が分割していましたが、現在はフェンスが分割しています。

わたしもこの土塁は登ったりしましたが、小さな土手といった風情でした。雨の後などすべって転ぶのです。

大河内陣屋跡は、斎藤実盛館跡と重複するとされてもいます。

さて、今回のポイントは、やはり遺構の残り具合なのですが、どうなるのでしょうか。

調査日は、2018.01.31です。


大我井神社の駐車場は銭屋さんの裏にありますが、うっかりすると通り過ぎてしまいます。

実は、わたしも通過してしまったので、東武鉄道妻沼線の軌道跡の道路から裏に回り込むことになりました。

丁度、具合よく妻沼小学校裏に回り込みました。



東側から見た妻沼小学校はかなり段差があります。



この後、日陰にある雪に足をとられて、車が滑ったのにはまいりました。



昔は、この辺りに土塁があったのですが・・・・・。



あ!土塁が残ってた。




何だかヒューム管が埋められて、形も崩れていますが、往時は樹に囲まれて、かなり長いものでした。

目的の、大我井神社に向います。



現在の神社は、聖天様に合祀されていたものを、明治2年に分離して、この地に遷したものだそうです。



鳥居をくぐってすぐ、両脇に小祠があります。祭神は何なのかよくわかりませんでした。









境内に、微高地がありました。




案内板には富士浅間神社も祀られているということですから、下の写真は土塁の一部なのか、お参りのための築山なのか

判断は難しいですね。












本殿裏に回り込みます。





ここにも、かなり低くなっていますが、周囲よりも盛り上がった場所があります。土塁跡にも見えますが。






これ等遺構状の地形が、斎藤氏に関するものなのか、大河内陣屋にかかるものなのかはわかりません。




大我井神社には唐門があり、これが合祀された若宮八幡神社の門を移築したものとされています。










境内には、神が降りる磐座も残されており、中世の人々にとっては神聖な土地だったことがわかります。






最後に社務所を。



何だか、神社探訪のような終わり方になってしまいました。