17号バイパスを横断すると、星川があります。
星川沿いに墓苑があるのが見えますが、これは他の寺の墓苑で、龍淵寺はその並びの、一つ奥にあります。
龍淵寺のある一帯は、星川とこれに付随する池沼に囲まれて、そこに突き出した岬のように見えます。
龍淵寺には、この星川がえぐり込んで作った大きな竜が住むという淵の言い伝えがあったはずです。
わたしの記憶では、中学生の頃はもっと高低差があり、異様な風景に見えたのですが、
現在は、河川改修のため、そうした険しさも失われています。
龍淵寺の参道です。

古刹独特の落ち着いた雰囲気のある参道だと思います。




いい雰囲気の石仏ですね。
欲を言えば、昔はこういう場所に必ず駄菓子屋のようなものがあって、近所の子供と参拝者が立ち寄っていたものですが、
そういうものが無いのが少し物足りないです。




別のお寺の墓苑が食い込むようにしてあります・・・・。
昔、この辺りは全部龍淵寺持ちじゃなかったっけ?
そんなことが頭をよぎって、ずっと気になり続けます。

山門も渋いですね。

龍淵寺は大きなお寺で、参道も長いです。


古い寺院らしく、案内板には様々な文化財があります。


龍淵寺は、昭和25年に火災に見舞われており、残念ながら多くの古文物が失われてしまいました。
戦後、こうした古寺社の火災が多いように思われるのですが、一体なぜなのでしょうか。
かつての本堂の鬼瓦です。こんな大きな瓦を乗せておくぐらいの大きな本堂だったんですね。

巨大な兜にも見えます。
成田氏墓所は、本堂近くの墓苑内にあります。





さすが、埼玉県北屈指の名族の墓所です。
さて、私の目的は、龍淵寺周囲の地形探索にあります。
先ほども書いた通り、龍淵寺は星川に削り残された、島状の岬の上にあります。
元々の土地も低いのですが、龍淵寺はその中の自然堤防上にあります。それ故に、参道と周囲の農地の高低差がこの通り。

雨が降ったら、すぐにひたひたと水に浸かってしまいそうです。
星川沿いに歩いてみます。
かつての、迫ってくるような険しさがなくなり、少々凡庸な河川になっていますが・・・。

龍淵寺裏に回り込むとおおきな沼が現れます。






正直、改修の所為で、かつての迫力が無くなっているのが悲しいですが、こうした調整池化させなければ、
星川のような小河川でも水が出て、抑えがきかないのです。洪水常襲地帯の宿命でもあります。
逆に言えば、成田氏は、それを承知で、むしろ低湿地の要害性をフル活用していたともいえます。
館跡との位置関係から見ても、成田氏は龍淵寺を含めて、この一帯の防衛力構築を考えていたのではないでしょうか。
だとすれば、龍淵寺の周囲に、水堀や土塁の遺構が存在しても不思議ではないと思います。


龍淵寺の後方にこんなものがありました。
これらが往時の龍淵寺にかかわる土塁遺構なのか、水堀遺構なのかは、判別しかねますが、
面白いものが出てきたのを潮に、この記事を終わりにさせていただきます。
星川沿いに墓苑があるのが見えますが、これは他の寺の墓苑で、龍淵寺はその並びの、一つ奥にあります。
龍淵寺のある一帯は、星川とこれに付随する池沼に囲まれて、そこに突き出した岬のように見えます。
龍淵寺には、この星川がえぐり込んで作った大きな竜が住むという淵の言い伝えがあったはずです。
わたしの記憶では、中学生の頃はもっと高低差があり、異様な風景に見えたのですが、
現在は、河川改修のため、そうした険しさも失われています。
龍淵寺の参道です。

古刹独特の落ち着いた雰囲気のある参道だと思います。




いい雰囲気の石仏ですね。
欲を言えば、昔はこういう場所に必ず駄菓子屋のようなものがあって、近所の子供と参拝者が立ち寄っていたものですが、
そういうものが無いのが少し物足りないです。




別のお寺の墓苑が食い込むようにしてあります・・・・。
昔、この辺りは全部龍淵寺持ちじゃなかったっけ?
そんなことが頭をよぎって、ずっと気になり続けます。

山門も渋いですね。

龍淵寺は大きなお寺で、参道も長いです。


古い寺院らしく、案内板には様々な文化財があります。


龍淵寺は、昭和25年に火災に見舞われており、残念ながら多くの古文物が失われてしまいました。
戦後、こうした古寺社の火災が多いように思われるのですが、一体なぜなのでしょうか。
かつての本堂の鬼瓦です。こんな大きな瓦を乗せておくぐらいの大きな本堂だったんですね。

巨大な兜にも見えます。
成田氏墓所は、本堂近くの墓苑内にあります。





さすが、埼玉県北屈指の名族の墓所です。
さて、私の目的は、龍淵寺周囲の地形探索にあります。
先ほども書いた通り、龍淵寺は星川に削り残された、島状の岬の上にあります。
元々の土地も低いのですが、龍淵寺はその中の自然堤防上にあります。それ故に、参道と周囲の農地の高低差がこの通り。

雨が降ったら、すぐにひたひたと水に浸かってしまいそうです。
星川沿いに歩いてみます。
かつての、迫ってくるような険しさがなくなり、少々凡庸な河川になっていますが・・・。

龍淵寺裏に回り込むとおおきな沼が現れます。






正直、改修の所為で、かつての迫力が無くなっているのが悲しいですが、こうした調整池化させなければ、
星川のような小河川でも水が出て、抑えがきかないのです。洪水常襲地帯の宿命でもあります。
逆に言えば、成田氏は、それを承知で、むしろ低湿地の要害性をフル活用していたともいえます。
館跡との位置関係から見ても、成田氏は龍淵寺を含めて、この一帯の防衛力構築を考えていたのではないでしょうか。
だとすれば、龍淵寺の周囲に、水堀や土塁の遺構が存在しても不思議ではないと思います。


龍淵寺の後方にこんなものがありました。
これらが往時の龍淵寺にかかわる土塁遺構なのか、水堀遺構なのかは、判別しかねますが、
面白いものが出てきたのを潮に、この記事を終わりにさせていただきます。