江戸時代、元鳥取藩士で、辻斬りを繰り返した大悪党、白井権八という人物がいます。
その白井権八の伝説に、この地蔵が登場するものがあります。
平井権八が、中山道、久下堤で商人を斬り、持っていた金子を奪います。
傍を見ると、この石地蔵が立っていることに気が付きました。
悪党の権八にも、未だ良心があったのでしょう。急に気が咎め、地蔵に向かって
「今、見たことは、誰に言ってくれるなよ」と、つぶやきました。
すると、地蔵は「我は言わぬが汝言うな」と、返答をしたことから、権八はハッとして、
この場を逃げるように立ち去りました。
のちに、権八は自首・捕縛され、この事件のことを詳らかに自供せざるをえなくなります。
この地蔵が、その権八地蔵です。
元禄11年(1698)造立された地蔵であるそうで、県内最古のものとされています。
地蔵は、久下地内堤防際、旧中山道沿いにあります。
お堂は古く、中は暗いですが、中には背の高い地蔵が安置されています。
お堂の周囲には、たくさんの地蔵が納められていました。
その白井権八の伝説に、この地蔵が登場するものがあります。
平井権八が、中山道、久下堤で商人を斬り、持っていた金子を奪います。
傍を見ると、この石地蔵が立っていることに気が付きました。
悪党の権八にも、未だ良心があったのでしょう。急に気が咎め、地蔵に向かって
「今、見たことは、誰に言ってくれるなよ」と、つぶやきました。
すると、地蔵は「我は言わぬが汝言うな」と、返答をしたことから、権八はハッとして、
この場を逃げるように立ち去りました。
のちに、権八は自首・捕縛され、この事件のことを詳らかに自供せざるをえなくなります。
この地蔵が、その権八地蔵です。
元禄11年(1698)造立された地蔵であるそうで、県内最古のものとされています。
地蔵は、久下地内堤防際、旧中山道沿いにあります。
お堂は古く、中は暗いですが、中には背の高い地蔵が安置されています。
お堂の周囲には、たくさんの地蔵が納められていました。