暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

権八地蔵(熊谷市久下地区)

2018-03-20 21:37:42 | 城館跡探訪
江戸時代、元鳥取藩士で、辻斬りを繰り返した大悪党、白井権八という人物がいます。

その白井権八の伝説に、この地蔵が登場するものがあります。



平井権八が、中山道、久下堤で商人を斬り、持っていた金子を奪います。

傍を見ると、この石地蔵が立っていることに気が付きました。

悪党の権八にも、未だ良心があったのでしょう。急に気が咎め、地蔵に向かって

「今、見たことは、誰に言ってくれるなよ」と、つぶやきました。

すると、地蔵は「我は言わぬが汝言うな」と、返答をしたことから、権八はハッとして、

この場を逃げるように立ち去りました。

のちに、権八は自首・捕縛され、この事件のことを詳らかに自供せざるをえなくなります。

この地蔵が、その権八地蔵です。

元禄11年(1698)造立された地蔵であるそうで、県内最古のものとされています。

地蔵は、久下地内堤防際、旧中山道沿いにあります。





お堂は古く、中は暗いですが、中には背の高い地蔵が安置されています。

お堂の周囲には、たくさんの地蔵が納められていました。




何度目だ、越畑城跡(嵐山町)②

2018-03-20 19:59:51 | 城館跡探訪
さて、跨道橋を渡り、さらに続く階段を上ると分かれ道があるので、左に曲がります。

右に行くと、道に迷って、急に足元がなくなる場所があるのでかなり危険です。

ここが城跡であること、人為的な要害化がなされていることを忘れないでください。

左に行くと下り坂になります。



山道を直進すると平場が現れます。










上の写真では、平場を削平して、段差がつけられているように目ますね。

そして、二の丸には石祠があります。






愛宕神社の社は、新しくされたものです・・といっても、もう、30年以上は立っているわけですが。



石祠は、古い愛宕社なのかな・・・。


さて、もう少し二の丸内を見て回ります。






二の丸の端は、削り落とされた様な急斜面になっています。



二の丸にからおりる旧道を探しましたが、見つかりませんでした。すっかりやぶになってしまったのでしょうか。

二の丸旧道を搦め手口と理解し、こだわっていたので、わたしとしては少しがっかりです。


さて再び跨道橋を渡ります。

失われた本丸ですが、従来、本丸に登る道はこのルートでした。要するに大手口です。




ようやく、城址碑を見られたこと、大手口を見られたのは収穫でしたが、

二の丸旧道ルートを見つけられなかったのは無念でした。また再チャレンジをしたいですね。