本日は、旧妻沼町の永井太田地区にある高城城についてご紹介いたします。
高城城は妻沼町中心部から、県道45号線を深谷方面、西に向かって走ります。
永井太田地区は利根川氾濫原につくられた水田地帯の中に、島のように浮かんだ
自然堤防上にあります。
東側は水堀跡のような深田に囲まれ、城跡のある自然堤防との高低差は1m以上もありました。
当時は民家がありました。下の写真は城跡内の平場の様子です。
平安時代にできたといわれるこの城は、その後ずっと存続しつづけたようで、この民家は城主の子孫にあたる方でした。
実は、このおうちの当時のご当主は、わたしの父の知り合いで、たまたま、代理で届け物をしたときに、
「ここは、城の跡ではないでしょうか?」と伺ったことから、驚いたご当主に気に入っていただき、
懇意にしていただいたのです。
先祖代々の位牌も実際に見せていただいたばかりか、手に取らせていただきました。今でも懐かしく思い出されます。
さて、城跡は土塁の一部と思われる盛り土に板碑とともに八幡社や地蔵が祀ってあり、「四方八幡」と呼ばれていました。
わたしにとっては、思い出に残る城跡の一つです。
高城城は妻沼町中心部から、県道45号線を深谷方面、西に向かって走ります。
永井太田地区は利根川氾濫原につくられた水田地帯の中に、島のように浮かんだ
自然堤防上にあります。
東側は水堀跡のような深田に囲まれ、城跡のある自然堤防との高低差は1m以上もありました。
当時は民家がありました。下の写真は城跡内の平場の様子です。
平安時代にできたといわれるこの城は、その後ずっと存続しつづけたようで、この民家は城主の子孫にあたる方でした。
実は、このおうちの当時のご当主は、わたしの父の知り合いで、たまたま、代理で届け物をしたときに、
「ここは、城の跡ではないでしょうか?」と伺ったことから、驚いたご当主に気に入っていただき、
懇意にしていただいたのです。
先祖代々の位牌も実際に見せていただいたばかりか、手に取らせていただきました。今でも懐かしく思い出されます。
さて、城跡は土塁の一部と思われる盛り土に板碑とともに八幡社や地蔵が祀ってあり、「四方八幡」と呼ばれていました。
わたしにとっては、思い出に残る城跡の一つです。