静簡院の門前側に回ると、それまでの平場主体の地形とは変わって、
小河川の作った地形の変化が現れます。
写真は、静簡院の門前に展開する段丘の一段下から撮影したものです。
城郭ファンには、意図がお分かりいただけると思いますが、成澤城は江南台地上の北側ギリギリの場所で、
なおかつ、南側が台地上を流れる小河川の浸食が形成した段丘の上にあるということです。
小河川は現在の河川の位置を定める過程で、かなり流路を変えたと思しく、周囲に広い低湿地=現在は水田となって、
この地を段丘から切り離し、小さな島のような地形にしたわけです。この島に成澤城が立地しているのです。
そこで、この小段丘にしつこく絡んでみます。この小段丘周りを城郭の限界線と考えれば、遺構と考えられるものが
発見できるかもしれません。
南側の小河川の作った低湿地はこのような状態です。
段丘の高低差は、荒川上流にみられる河岸段丘に比較すれば、比べるべくもありませんが、
兵の出入りの激しい実戦的な城郭の要害的防御機能としては、優秀なものだと考えられます。
どうも上の写真のラインが、成澤城の縄張りの南側及び東端のラインとしては、ギリギリのもののように見えます。
ここの右手、舌のように突き出した微高地が荒れ地になっています。
こういう場所は、城の一部で、手つかずで残された可能性があるので、心の中でムフフと笑います。
思い切って、東側の突端部分に回り込みます。
見事な高低差です。成澤城の外観が頭の中に描かれて行きます。
これ以上東側に回り込むのは難しそうなので、一度、静簡院の門前に帰って、道を使って東端の突端付近に回り込みます。
読み通り、大きな土盛に出くわします。これは土塁なのでしょうか。この辺になると勘に従って動いているので、
読み通りに目的物があっても、気持ち的には慎重になりますが・・・。
まあ、でも、土塁にしか見えないけどね(笑)
やはり、土塁と思しき土盛は小段丘の辺縁に当たります。
これ等の状況から見て、成澤城の南側は小段丘下の低湿地を水堀代わりにしていた可能性が高いのではないかと、
考えたのであります。
(つづく)