本日は、熊谷氏館跡について書きたいと思います。
熊谷氏館跡は、熊谷市八木橋デパート裏、旧中山道沿い熊谷寺境内だと言われております。
地元の方ならご存じだと思いますが、熊谷寺は自由な拝観を許さない厳しい寺院です。
現在では、事前の連絡を入れれば拝観を許していただけるということです。
今回は、連絡をとれないままの訪問になってしまいましたので、その制約の中で、調査をしました。
調査の方針として、堀跡とみなされる、境内東側の道路の状況の観察、山門横にある熊谷直実ゆかりの
熊谷奴稲荷社境内内の観察、熊谷の名の由来とされる、「曲谷」=湾曲した旧荒川河川流路が形成した
崖とその周辺にある旧跡をコミにして検討しようという方針です。
調査日は2018.02.03及び02.05です。
まず、写真は1982年当時の熊谷寺の山門です。
現在は、周囲の古い商店などがなくなりましたが、境内の様子はほとんど変わっていないようです。
この山門脇に稲荷社があります。これが奴稲荷です。奴稲荷は直実の信仰が篤かったと言われております。
かつてはこの近所に熊谷市立図書館がありましたが、現在はデパートの駐車場になっております。
奴稲荷境内は意外にも静かです。
熊谷寺東側に回ります。
下の写真の境内周囲の道路が『埼玉の古城址』において中田正光氏が推定した堀跡です。
大谷石で組まれた部分の下が奴稲荷境内の土留めになっており、その上に寄進者の名を刻んだ石柱が乗っています。
奴稲荷本殿裏の土地の高さは、熊谷寺境内側とほぼ同じなわけですから、熊谷寺境内部分の大谷石の塀の下二段は、
実は土留めであるということになります。
この塀に沿って歩いていきます。
熊谷寺境内は、30mほど直進したところで一度大きく突き出しています。
この辺りが東側で最も高い部分だと思われます。おそらく、虎口などもこの辺りにあったと思われます。
この辺りをピークに熊谷寺は北に向かって緩やかな傾斜になっていることが推測されます。
土留めと思われる部分も、数十メートルおきに低くなっています。
この辺りは小刻みに段差がつけられているようなので、傾斜が急なのかもしれません。
下の写真は、北側で最後の段差です。
この道路が、境内北側です。道路の向い側に熊谷税務署があります。
一方、館跡西側は土留めの石垣がなく、道路側と館跡の段差がほとんどないと考えられます。
あるいは境内、塀の内側に堀や土塁の遺構が保存されているのではないかと思われるのです
(塀からすこし中が見えるのですが、遺構と思しき構造物があります)。
現況から、館跡は南側から北側に向って緩やかな斜面になり、東側に防衛機能が集中していたと考えられ、
一方で、西側については不明ということになります。
熊谷氏館跡は、熊谷市八木橋デパート裏、旧中山道沿い熊谷寺境内だと言われております。
地元の方ならご存じだと思いますが、熊谷寺は自由な拝観を許さない厳しい寺院です。
現在では、事前の連絡を入れれば拝観を許していただけるということです。
今回は、連絡をとれないままの訪問になってしまいましたので、その制約の中で、調査をしました。
調査の方針として、堀跡とみなされる、境内東側の道路の状況の観察、山門横にある熊谷直実ゆかりの
熊谷奴稲荷社境内内の観察、熊谷の名の由来とされる、「曲谷」=湾曲した旧荒川河川流路が形成した
崖とその周辺にある旧跡をコミにして検討しようという方針です。
調査日は2018.02.03及び02.05です。
まず、写真は1982年当時の熊谷寺の山門です。
現在は、周囲の古い商店などがなくなりましたが、境内の様子はほとんど変わっていないようです。
この山門脇に稲荷社があります。これが奴稲荷です。奴稲荷は直実の信仰が篤かったと言われております。
かつてはこの近所に熊谷市立図書館がありましたが、現在はデパートの駐車場になっております。
奴稲荷境内は意外にも静かです。
熊谷寺東側に回ります。
下の写真の境内周囲の道路が『埼玉の古城址』において中田正光氏が推定した堀跡です。
大谷石で組まれた部分の下が奴稲荷境内の土留めになっており、その上に寄進者の名を刻んだ石柱が乗っています。
奴稲荷本殿裏の土地の高さは、熊谷寺境内側とほぼ同じなわけですから、熊谷寺境内部分の大谷石の塀の下二段は、
実は土留めであるということになります。
この塀に沿って歩いていきます。
熊谷寺境内は、30mほど直進したところで一度大きく突き出しています。
この辺りが東側で最も高い部分だと思われます。おそらく、虎口などもこの辺りにあったと思われます。
この辺りをピークに熊谷寺は北に向かって緩やかな傾斜になっていることが推測されます。
土留めと思われる部分も、数十メートルおきに低くなっています。
この辺りは小刻みに段差がつけられているようなので、傾斜が急なのかもしれません。
下の写真は、北側で最後の段差です。
この道路が、境内北側です。道路の向い側に熊谷税務署があります。
一方、館跡西側は土留めの石垣がなく、道路側と館跡の段差がほとんどないと考えられます。
あるいは境内、塀の内側に堀や土塁の遺構が保存されているのではないかと思われるのです
(塀からすこし中が見えるのですが、遺構と思しき構造物があります)。
現況から、館跡は南側から北側に向って緩やかな斜面になり、東側に防衛機能が集中していたと考えられ、
一方で、西側については不明ということになります。