脱成長のコミュニズムによせて
引き続き、「人新世の資本論」から、脱成長のコミュニズムについての私の感想を述べます。
脱成長のコミュニズムによせて
コロナ禍も人新世によって生まれたもの
民主主義とは何か
資本主義によって商品化が進み国家への依存が進む
資本主義による国家の崩壊
コロナ禍で医療機器や経済の混乱が起きた
気候危機でも、食糧難などが起きるし、食料自給率の低い日本はパニックになるだろう。
選択肢は単純で、コミュニズムか単純だ
それしか抜け出す方法がない
トマ・ピケティが社会主義に転向した。
それは参加型社会主義である
ピケティは労働者が自分たちで生産の「自治管理」、「共同管理」が重要であると
それは晩期マルクスの立場に近づいているが・・・。
物質代謝の亀裂を修復するために
マルクスは、この亀裂を修復するのは、自然の循環に合わせた生産が可能になるように労働の領域を抜本的に改革することである。
肝腎なのは労働と生産の変革なのだと斉藤幸平は続ける。
今までの脱成長派は、消費の次元での「自発的抑制」に焦点をあてたが、マルクスは社会的生産・再生産に焦点を当てた。
労働・生産の場から変革が始まる。
社会運動による「帝国式生産様式」の超克
生産の場はコミュニティを生み出し、更に社会の輪を広げる
ライフスタイルとしての帝国的生活様式を生み出すのが、帝国的生産様式である。
トップダウン式の政治主義では解決しない。
「社会運動なしには、いかなる挑戦といえども国家の制度を揺るがすほどのものを市民社会から生み出すことはありえない」と社会学者マニュエル・カステルは言う。私も運動無くしては得られないと思う。
斉藤幸平は「私たちが先に動き出そう」という。私は30歳代の彼に呼応して、70歳以上のラジカルとしてこれから動き出す。
★ ではどうしたらよいか
晩年のマルクスの考えを読み解き、エコロジー、共同体研究の意義から、資本論に秘められた真の構想は、「使用価値経済への転換」、「労働時間の短縮」、「画一的な分業の廃止」、「生産過程の民主化」、「エッセンシャル・ワークの重視」の五点である。
エッセンシャル・ワークとは、社会にとってなくてはならず、それが無いと社会の仕組みが止まっている職業。運輸、通信、銀行などに加えて、清掃事業、上下水道、教育、福祉、介護、医療などのケア労働など、コロナ禍でもテレワークのできないことが多い職業。
船からの荷下ろし、原発事故後の廃炉作業、停電の復旧なども。
☆脱成長のコミュニズムの柱
①使用価値経済への転換
使用価値に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する
資本主義は価値が重要であり、使用価値や商品の質、環境負荷などはどうでもよい。
コミュニズムは生産の目的を使用価値にして、生産を社会的な計画のもとに置く。GDPではなく、人々の基本的ニーズを満たすことを重視する。これが「脱成長」の立場である。
人々の繁栄にとって、より必要なものの生産へと切り替え、同時に自己抑制して行く。
これが人新世において必要なコミュニズムだ。
②労働時間の短縮
労働時間を短縮して、生活の質を向上させる
金儲けのための意味のない仕事を減らす。そして社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を配分する。
例えば、マーケティング、広告、パッケージングは人々の欲望をあおることを禁止するし、コンサルタントや投資銀行は不要である。コンビニやファミレスを深夜空けておく必要はないし、年中無休も必要はない。消費期限切れで廃棄処分される食品も多い。使い捨ての商品も多い。
夜間や休日診療所も、ほとんどの救急車出動も必要ないものが多い。風邪や発熱で救急医療を求め、人々はコンビニ医療を求めるように仕向けられている。医師の処方した薬の三分の一は廃棄されている。風邪や発熱の多くは薬を飲まずに治る。それより上手に生きれば病気をしない。
これらの必要のない労働を減らす必要がある。
オートメーション化によって生産力が高まり、賃金奴隷から解放される可能性が高まっている。しかし、資本主義の下では失業の脅威となる。それを恐れて過労死するほど必死に働き、体の具合が悪くても失業の脅威や日銭を失うために、仕事を休むことができない。そんな資本主義を捨て去るほうがよい。
コミュニズムはワークシェアにより、GDPに表れない生活の質(QOL)の向上を目指す。しかし、労働時間の短縮のために生産力をあげれば良いという訳でもない。
エネルギー効率、エネルギー収支比の問題がある。オートメーション化で減らした労働者の数だけ、化石燃料の消費をしているのである。化石燃料を再生可能エネルギーに替えれば、生産性は落ち、経済成長派困難になる。二酸化炭素の排出量削減によっておこる生産力の低下は「排出の罠」と言われている。生産力が落ちるから、それだけ働かなければならない。それだから「使用価値」を生まない意味のない労働をなくし、他の必要な部門へ労働力を割り当てる必要がある。
だからこそ、労働の中身を、充実した魅力的なものに変えていくことが重要だというマルクスの主張を再評価すべきである。
③画一的な分業の廃止
画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる
労働時間が短縮されても、退屈で辛い労働であれば、人々はストレス解消に走るだろう。労働の中身を変えてストレスを減らすことは、人間らしい生活を取り戻すためには不可欠なのだ。ストレスを提唱したハンス・セリエは、その最後の改訂版の著書の中で、長時間労働の中で、なぜか農場主と農業労働者のストレスは少ないという。
徹底したマニュアル化は、作業効率を向上させるが、労働者の自律性をはく奪する。退屈で無意味な労働が蔓延している。これは殆どすべての労働現場において蔓延している。
余暇としての自由時間を増やすだけでなく、労働時間のうちにも、労働をより創造的な自己実現の場に変えていくことが求められる。
それでマルクスは「精神労働」と「肉体労働」の対立を将来の課題として提唱したのである。労働者たちが「分業に奴隷的に従属する事がなくなり」、「労働が単に生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求」になる。そしてその暁には、労働者たちの能力の「全面的な発展」が実現できるはずだという。
この目的の為にも、生涯にわたる平等な職業教育をマルクスは重視する。労働者が資本による「包摂(取り込み)」を克服し、真に意味で、産業の支配者になるために。
人間らしい労働を取り戻すべく画一的な分業をやめれば、経済成長のための効率化は最優先事項ではなくなる。利益よりも、やりがいや助け合いが優先されるから。
その時に科学やテクノロジーを使うことで、人々はより一層様々な活動ができる。これが「開放的技術」である。
私が書く病気の話のプリントは、医療技術の開放と言えよう。
④生産過程の民主化
生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる
「使用価値」に重きを置きつつ、労働時間を短縮するために、開放的技術を導入していこう。そのような「働き方改革」を実行するには、労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。それが「社会的所有」である。
社会的所有によって生産手段を民主的に管理するのである。
生産する際にどのような技術を開発し、どのように使い方をするかを、民主的な話し合いによって決定しようという。技術だけでなく、エネルギーや原料についても民主的に決定されれば、様々な変化が生まれる。
この生産過程の民主化は、経済の減速を伴うことである。
生産過程の民主化とは、「アソシエーション」による生産手段の共同管理である。社会的所有がもたらす決定的な変化は、意思調整の減速である。強制的な力のない状態の意見調整には時間がかかる。
大学のウェブ講義については、10年かけて論議され、決まらずにいたのが、コロナ騒ぎであっという間に実現してしまった。民主化は時間がかかる。それと斉藤幸平は言っていないが、新しい科学の発見や技術の開発ができても、それが社会全体で共有されるようになるには時間がかかる。科学史はそれを教えてくれる。地動説や重力の理論が一般化されるには、それに反対する社会的な重鎮が死んでからである。私の病原環境論は、複数病因説は、アレルギーの心身症説は、いつの時代に一般化されるのであろうか。まだまだ多くのことが、技術的なことは取り入れられても、根幹の考え方は取り入れられずに残されている。
だからこのことはすべてのことには適用できない。あくまで生産過程の場である。
マルクスのアソシエーションは生産過程における民主主義を重視するために、経済活動を減速させる。
生産過程の民主化は、社会全体の生産も変えていく。知識や情報は社会全体のコモンであるべきなのだ。知識が持つ「ラディカルな潤沢さ」は回復されなくてはならない。
市場の強制から解放されることで、各人の能力が発揮されるようになり、効率化や生産力の向上が起きる可能性はある。
コミュニズムは、労働者や地球に優しい「開放的技術」をコモンとして発展させることを目指す。
⑤エッセンシャル・ワークの重視
使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視
それでオートメーション化やAI化には明確な限界がある。
一般に機械化が困難で、人間が労働しないといけない部門を、「労働集約型産業」という。その典型はケア労働である。
脱成長コミュニズムは、労働集約型産業を重視する社会に転換する。それによって経済は減速する。
ケアやコミュニケーションが重視される社会的再生産の領域では、画一化やマニュアル化やオートメーション化は難しい。求められる作業は複雑で多岐にわたることが多く、イレギュラーな要素が常にあるために、ロボットやAIでは対応できない。
これこそが、ケア労働が「使用価値」を重視した生産であることの証しである。
ケア労働は「感情労働」と呼ばれる。相手の感情を無視したら、台無しになってしまう。
感情労働は対象人数をふやすことができないし、時間を短縮することが難しい。
ある程度はパターン化し、効率を上げることは可能であるが、儲け(価値)のために労働生産性を追求すると、サービスの質(使用価値)が低下してしまう。
資本主義の下では、生産性が低いからということで、無理な効率化や、理不尽な改革コストカットがされてしまう。
その最たるものは医療である。
★ブルシット・ジョブ対エッセンシャル・ワーク
ブルシット・ジョブとは、意味のない仕事つまり使用価値のない仕事である。(前述)
エッセンシャル・ワークは使用価値が高いものを生み出す労働である。ここでの矛盾は、マーケティングやコンサルティングなどの仕事が高給で、必須な労働が低賃金で、恒常的な人手不足になっている。
ケア労働は、社会的に有用なだけでなく、低炭素で、低資源使用である。
経済成長を至上目的にしないなら、男性中心型の製造業重視から脱却して、労働集約型のケア労働を選択することができる。
これけがエネルギー収支比が低下していく時代に、最もふさわしい労働のあり方である。
★ケア階級の叛逆
世界のあちこちでケア労働者が、資本主義の論理に対抗して立ち上がっている。
保育士の一斉退職、教員スト、介護スト、コンビニの24時間営業の停止や高速道路のサービスエリアでのストなどがある。これは世界的な流れである。
ブルシット・ジョブに従事していた元日産のCEOのゴーンの年俸や年次の成功報酬などは、「使用価値」を生産する末端の労働者の賃金と比べると、信じられない程巨額である。
★脱成長コミュニズムが物質代謝の亀裂を修復する
生産を「使用価値」重視のものに切り替え、労働時間を短縮する事であった。労働者の創造性を奪う分業も減らしていく。それと同時に生産過程の民主化である。
その結果は、経済の減速である。
利潤最大化と経済成長を無限に追及する資本主義では、地球を守れない。
脱成長コミュニズムは、人間の欲求を満たしながら、環境問題に配慮できる。生産の民主化と減速によって、人間と自然の物質代謝の「亀裂」を修復していける。これには電力や水の公営化、社会的所有の拡充、エッセンシャル・ワークの重視、農地改革などの包括プロジェクトが必要である。
コロナが生み出した、また、コロナ禍を生んだ、人新世という環境危機の時代に、必要なのは脱成長のコミュニズムである。
△ブエン・ビビール(良く生きる)
エクアドルの憲法には、国民の「ブエン・ビビール」の実現を保証する国の義務が2008年に明記された。
ブータンの「国民総幸福量」も先住民からもっと学ぼうという価値観の見直しの一つである。
ナオミ・クラインは「将来世代への義務やあらゆる生命のつながりあいについての先住民の教えから学ぼうとする謙虚な姿勢を伴っていなくてはならない。」という。
△気候正義
資本主義が引き起こす環境危機は、グローバル・サウスにおいて矛盾が激化している。
今や自然回帰ではなく、新しい合理性が必要になっている。
都市化が行き過ぎて、問題が起きているが、それを自然に戻せというのは不可能であり、都市の修正が迫られている。二酸化炭素排出量の7割は都市が出している。コミュニティの相互扶助も解体され、大量のエネルギーを消費する生活は、持続可能ではない。だから気候危機に立ち向かい、相互扶助を取り戻すためには、都市生活を変えなくてはならない。
バルセロナの試み「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」と気候非常事態宣言
市民の力の結集で、240以上の項目を掲げる。
経済成長を捨てて、市民の生活と環境を守ることである。そこには、
都市公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車や飛行機・船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ごみの削減・リサイクル、
飛行機の近距離路線の廃止、市街地での自動車の速度制限(時速30km)などグローバル企業と対峙しなければできない。
そして「既存の経済モデルは経済成長と利潤獲得のための終わりなき競争に基づくもので、地球の生態学的なバランスを聞きに陥れている。この経済システムは経済格差を著しく拡大させている。豊かな国のとりわけ最富裕層による過剰な消費に、グローバルな環境危機、気候危機の原因がある。」という。
これを生んだのは、バルセロナのワーカーズ・コープの伝統であるという。
マルクスの言う「可能なコミュニズム」が労働者協同組合である。
〇 そして気候正義にかなう経済システムを
協働的なケア労働、他社や自然との友愛的関係、誰も取り残されない社会、への移行を
〇 ミュニシバリズム―国境を越える自治体主義
バルセロナの呼びかけたフィアレス・シティのネットワークはアフリカ、南米、アジアに広がり、77の拠点が参加している。
国境を越えて連帯する、革新自治体のネットワークの精神をミュニシバリズムという。
国際的に開かれた自治体主義を目指している。
グローバル・サウスから学ぶ
食料主権を取り戻す
農産物輸出国なのに、飢餓率が26%にものぼる南アフリカの例
南アフリカの食料主権運動のサトガーたちのスローガンは「息ができない」である。
これはブラック・ライブズ・マター運動のスローガンを踏襲している。
人権、気候、ジェンダー、そして資本主義。すべての問題はつながっている。
〇 今こそ、気候正義を大義として、ラディカルな潤沢さを求めていこう。
それには経済、政治、環境の三位一体を
生産のコモン化、ミュニシバリズム、市民議会、
〇 最後に
ハーバード大学のエリカ・チェノウェスらの研究では、「3.5%」の人々が非暴力的方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるという。
フィリピンのマルコスを打倒した「ピープルパワー革命」1986
シュワルナゼ大統領を辞任させたグルジアの「バラ革命」2003
ニューヨークのウォール街占拠運動
バルセロナの座り込み
グレタ・トゥーンベリの学校ストライキ
「未来はあなたが、3.5%のひとりとして加わる決断をするかどうかにかかっている」
とこの書をしめくくる。
★さらに斉藤幸平は、
「大洪水の前に」のあとがきで、
感謝して、この本を捧げるとともに、宮沢賢治の次の言葉を送りたい。
「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変へよ」
と述べる。
続いて斉藤幸平の対談集「大分岐の前に」から載せます
「未来への大分岐」斉藤幸平編
〇 マイケル・ハート
リーダーなき社会運動は持続しない。サンダース現象は、ウォール街占拠運動の連続です。
ウォール街を占拠した人たちが、運動の継続を求めて、それをサンダースに求めたのです。
彼らの要求を表現する「手段」が、サンダースだったのです。サンダースはいろいろな運動をして来た人々の主張を取り込んで、政策にしたのです。
サンダースの発する声の背後に、ウォール街占拠運動や、ブラック・ライブズ・マター運動、パイプライン建設に反対する環境運動(ダコタ州のスー族居留地を通すことへの反対)、学生ローンのボイコット運動(オキュパイ・スチューデント・ローン)などのさまざまな運動体の主張が流れこんでいる。
(サンダースは民主党下院議員の中で、進歩的グループを4人で結成しましたが、今は4割を占めるほどになり、大統領候補を争うまでになっています。その進歩派議員は、様々な人種や女性、若い議員で占めています)
△イギリス労働党党首のコービンはどうか。
コービンを支えているのは、労働党の中での核の存在ですが、活動の中心は35歳以下の若者たちと70歳以上の高齢者で、中間の年齢層が余りいないのです。
若い支持者は、サンダース支持層に似ています。違うのは社会主義的な政策を訴えてきた長い歴史を持つ等に調和しながら、うまくやっていることです。
70歳以上の支持者たちは、労働党がラディカルだった1960年代以前から党員だった人たちです。
△選挙がすべてではない。
社会運動が社会を変えるのです。
政治を民主化するだけでは不十分で、社会全体を民主化することが重要なのです。
△コモンから始まる、新たな民主主義
コモンとは何か
民主的に共有されて、管理される社会的富のことです。
コモンは水、空気、電気などです。土地も入るようです。
コモンの自主管理を基盤とした民主的な社会が、コミュニズムです。
マイケル・ハートの最後の言葉は、
この時代に左派の意味が失われてしまうわけではないのです。
自由、平等、連帯、そして民主主義―私にとって左派が意味するのは、やはりこういった一連の言葉であり、こうした言葉の持つ可能性を問い続けなくてはなりません。
引き続き、「人新世の資本論」から、脱成長のコミュニズムについての私の感想を述べます。
脱成長のコミュニズムによせて
コロナ禍も人新世によって生まれたもの
民主主義とは何か
資本主義によって商品化が進み国家への依存が進む
資本主義による国家の崩壊
コロナ禍で医療機器や経済の混乱が起きた
気候危機でも、食糧難などが起きるし、食料自給率の低い日本はパニックになるだろう。
選択肢は単純で、コミュニズムか単純だ
それしか抜け出す方法がない
トマ・ピケティが社会主義に転向した。
それは参加型社会主義である
ピケティは労働者が自分たちで生産の「自治管理」、「共同管理」が重要であると
それは晩期マルクスの立場に近づいているが・・・。
物質代謝の亀裂を修復するために
マルクスは、この亀裂を修復するのは、自然の循環に合わせた生産が可能になるように労働の領域を抜本的に改革することである。
肝腎なのは労働と生産の変革なのだと斉藤幸平は続ける。
今までの脱成長派は、消費の次元での「自発的抑制」に焦点をあてたが、マルクスは社会的生産・再生産に焦点を当てた。
労働・生産の場から変革が始まる。
社会運動による「帝国式生産様式」の超克
生産の場はコミュニティを生み出し、更に社会の輪を広げる
ライフスタイルとしての帝国的生活様式を生み出すのが、帝国的生産様式である。
トップダウン式の政治主義では解決しない。
「社会運動なしには、いかなる挑戦といえども国家の制度を揺るがすほどのものを市民社会から生み出すことはありえない」と社会学者マニュエル・カステルは言う。私も運動無くしては得られないと思う。
斉藤幸平は「私たちが先に動き出そう」という。私は30歳代の彼に呼応して、70歳以上のラジカルとしてこれから動き出す。
★ ではどうしたらよいか
晩年のマルクスの考えを読み解き、エコロジー、共同体研究の意義から、資本論に秘められた真の構想は、「使用価値経済への転換」、「労働時間の短縮」、「画一的な分業の廃止」、「生産過程の民主化」、「エッセンシャル・ワークの重視」の五点である。
エッセンシャル・ワークとは、社会にとってなくてはならず、それが無いと社会の仕組みが止まっている職業。運輸、通信、銀行などに加えて、清掃事業、上下水道、教育、福祉、介護、医療などのケア労働など、コロナ禍でもテレワークのできないことが多い職業。
船からの荷下ろし、原発事故後の廃炉作業、停電の復旧なども。
☆脱成長のコミュニズムの柱
①使用価値経済への転換
使用価値に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する
資本主義は価値が重要であり、使用価値や商品の質、環境負荷などはどうでもよい。
コミュニズムは生産の目的を使用価値にして、生産を社会的な計画のもとに置く。GDPではなく、人々の基本的ニーズを満たすことを重視する。これが「脱成長」の立場である。
人々の繁栄にとって、より必要なものの生産へと切り替え、同時に自己抑制して行く。
これが人新世において必要なコミュニズムだ。
②労働時間の短縮
労働時間を短縮して、生活の質を向上させる
金儲けのための意味のない仕事を減らす。そして社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を配分する。
例えば、マーケティング、広告、パッケージングは人々の欲望をあおることを禁止するし、コンサルタントや投資銀行は不要である。コンビニやファミレスを深夜空けておく必要はないし、年中無休も必要はない。消費期限切れで廃棄処分される食品も多い。使い捨ての商品も多い。
夜間や休日診療所も、ほとんどの救急車出動も必要ないものが多い。風邪や発熱で救急医療を求め、人々はコンビニ医療を求めるように仕向けられている。医師の処方した薬の三分の一は廃棄されている。風邪や発熱の多くは薬を飲まずに治る。それより上手に生きれば病気をしない。
これらの必要のない労働を減らす必要がある。
オートメーション化によって生産力が高まり、賃金奴隷から解放される可能性が高まっている。しかし、資本主義の下では失業の脅威となる。それを恐れて過労死するほど必死に働き、体の具合が悪くても失業の脅威や日銭を失うために、仕事を休むことができない。そんな資本主義を捨て去るほうがよい。
コミュニズムはワークシェアにより、GDPに表れない生活の質(QOL)の向上を目指す。しかし、労働時間の短縮のために生産力をあげれば良いという訳でもない。
エネルギー効率、エネルギー収支比の問題がある。オートメーション化で減らした労働者の数だけ、化石燃料の消費をしているのである。化石燃料を再生可能エネルギーに替えれば、生産性は落ち、経済成長派困難になる。二酸化炭素の排出量削減によっておこる生産力の低下は「排出の罠」と言われている。生産力が落ちるから、それだけ働かなければならない。それだから「使用価値」を生まない意味のない労働をなくし、他の必要な部門へ労働力を割り当てる必要がある。
だからこそ、労働の中身を、充実した魅力的なものに変えていくことが重要だというマルクスの主張を再評価すべきである。
③画一的な分業の廃止
画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる
労働時間が短縮されても、退屈で辛い労働であれば、人々はストレス解消に走るだろう。労働の中身を変えてストレスを減らすことは、人間らしい生活を取り戻すためには不可欠なのだ。ストレスを提唱したハンス・セリエは、その最後の改訂版の著書の中で、長時間労働の中で、なぜか農場主と農業労働者のストレスは少ないという。
徹底したマニュアル化は、作業効率を向上させるが、労働者の自律性をはく奪する。退屈で無意味な労働が蔓延している。これは殆どすべての労働現場において蔓延している。
余暇としての自由時間を増やすだけでなく、労働時間のうちにも、労働をより創造的な自己実現の場に変えていくことが求められる。
それでマルクスは「精神労働」と「肉体労働」の対立を将来の課題として提唱したのである。労働者たちが「分業に奴隷的に従属する事がなくなり」、「労働が単に生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求」になる。そしてその暁には、労働者たちの能力の「全面的な発展」が実現できるはずだという。
この目的の為にも、生涯にわたる平等な職業教育をマルクスは重視する。労働者が資本による「包摂(取り込み)」を克服し、真に意味で、産業の支配者になるために。
人間らしい労働を取り戻すべく画一的な分業をやめれば、経済成長のための効率化は最優先事項ではなくなる。利益よりも、やりがいや助け合いが優先されるから。
その時に科学やテクノロジーを使うことで、人々はより一層様々な活動ができる。これが「開放的技術」である。
私が書く病気の話のプリントは、医療技術の開放と言えよう。
④生産過程の民主化
生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる
「使用価値」に重きを置きつつ、労働時間を短縮するために、開放的技術を導入していこう。そのような「働き方改革」を実行するには、労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。それが「社会的所有」である。
社会的所有によって生産手段を民主的に管理するのである。
生産する際にどのような技術を開発し、どのように使い方をするかを、民主的な話し合いによって決定しようという。技術だけでなく、エネルギーや原料についても民主的に決定されれば、様々な変化が生まれる。
この生産過程の民主化は、経済の減速を伴うことである。
生産過程の民主化とは、「アソシエーション」による生産手段の共同管理である。社会的所有がもたらす決定的な変化は、意思調整の減速である。強制的な力のない状態の意見調整には時間がかかる。
大学のウェブ講義については、10年かけて論議され、決まらずにいたのが、コロナ騒ぎであっという間に実現してしまった。民主化は時間がかかる。それと斉藤幸平は言っていないが、新しい科学の発見や技術の開発ができても、それが社会全体で共有されるようになるには時間がかかる。科学史はそれを教えてくれる。地動説や重力の理論が一般化されるには、それに反対する社会的な重鎮が死んでからである。私の病原環境論は、複数病因説は、アレルギーの心身症説は、いつの時代に一般化されるのであろうか。まだまだ多くのことが、技術的なことは取り入れられても、根幹の考え方は取り入れられずに残されている。
だからこのことはすべてのことには適用できない。あくまで生産過程の場である。
マルクスのアソシエーションは生産過程における民主主義を重視するために、経済活動を減速させる。
生産過程の民主化は、社会全体の生産も変えていく。知識や情報は社会全体のコモンであるべきなのだ。知識が持つ「ラディカルな潤沢さ」は回復されなくてはならない。
市場の強制から解放されることで、各人の能力が発揮されるようになり、効率化や生産力の向上が起きる可能性はある。
コミュニズムは、労働者や地球に優しい「開放的技術」をコモンとして発展させることを目指す。
⑤エッセンシャル・ワークの重視
使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視
それでオートメーション化やAI化には明確な限界がある。
一般に機械化が困難で、人間が労働しないといけない部門を、「労働集約型産業」という。その典型はケア労働である。
脱成長コミュニズムは、労働集約型産業を重視する社会に転換する。それによって経済は減速する。
ケアやコミュニケーションが重視される社会的再生産の領域では、画一化やマニュアル化やオートメーション化は難しい。求められる作業は複雑で多岐にわたることが多く、イレギュラーな要素が常にあるために、ロボットやAIでは対応できない。
これこそが、ケア労働が「使用価値」を重視した生産であることの証しである。
ケア労働は「感情労働」と呼ばれる。相手の感情を無視したら、台無しになってしまう。
感情労働は対象人数をふやすことができないし、時間を短縮することが難しい。
ある程度はパターン化し、効率を上げることは可能であるが、儲け(価値)のために労働生産性を追求すると、サービスの質(使用価値)が低下してしまう。
資本主義の下では、生産性が低いからということで、無理な効率化や、理不尽な改革コストカットがされてしまう。
その最たるものは医療である。
★ブルシット・ジョブ対エッセンシャル・ワーク
ブルシット・ジョブとは、意味のない仕事つまり使用価値のない仕事である。(前述)
エッセンシャル・ワークは使用価値が高いものを生み出す労働である。ここでの矛盾は、マーケティングやコンサルティングなどの仕事が高給で、必須な労働が低賃金で、恒常的な人手不足になっている。
ケア労働は、社会的に有用なだけでなく、低炭素で、低資源使用である。
経済成長を至上目的にしないなら、男性中心型の製造業重視から脱却して、労働集約型のケア労働を選択することができる。
これけがエネルギー収支比が低下していく時代に、最もふさわしい労働のあり方である。
★ケア階級の叛逆
世界のあちこちでケア労働者が、資本主義の論理に対抗して立ち上がっている。
保育士の一斉退職、教員スト、介護スト、コンビニの24時間営業の停止や高速道路のサービスエリアでのストなどがある。これは世界的な流れである。
ブルシット・ジョブに従事していた元日産のCEOのゴーンの年俸や年次の成功報酬などは、「使用価値」を生産する末端の労働者の賃金と比べると、信じられない程巨額である。
★脱成長コミュニズムが物質代謝の亀裂を修復する
生産を「使用価値」重視のものに切り替え、労働時間を短縮する事であった。労働者の創造性を奪う分業も減らしていく。それと同時に生産過程の民主化である。
その結果は、経済の減速である。
利潤最大化と経済成長を無限に追及する資本主義では、地球を守れない。
脱成長コミュニズムは、人間の欲求を満たしながら、環境問題に配慮できる。生産の民主化と減速によって、人間と自然の物質代謝の「亀裂」を修復していける。これには電力や水の公営化、社会的所有の拡充、エッセンシャル・ワークの重視、農地改革などの包括プロジェクトが必要である。
コロナが生み出した、また、コロナ禍を生んだ、人新世という環境危機の時代に、必要なのは脱成長のコミュニズムである。
△ブエン・ビビール(良く生きる)
エクアドルの憲法には、国民の「ブエン・ビビール」の実現を保証する国の義務が2008年に明記された。
ブータンの「国民総幸福量」も先住民からもっと学ぼうという価値観の見直しの一つである。
ナオミ・クラインは「将来世代への義務やあらゆる生命のつながりあいについての先住民の教えから学ぼうとする謙虚な姿勢を伴っていなくてはならない。」という。
△気候正義
資本主義が引き起こす環境危機は、グローバル・サウスにおいて矛盾が激化している。
今や自然回帰ではなく、新しい合理性が必要になっている。
都市化が行き過ぎて、問題が起きているが、それを自然に戻せというのは不可能であり、都市の修正が迫られている。二酸化炭素排出量の7割は都市が出している。コミュニティの相互扶助も解体され、大量のエネルギーを消費する生活は、持続可能ではない。だから気候危機に立ち向かい、相互扶助を取り戻すためには、都市生活を変えなくてはならない。
バルセロナの試み「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」と気候非常事態宣言
市民の力の結集で、240以上の項目を掲げる。
経済成長を捨てて、市民の生活と環境を守ることである。そこには、
都市公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車や飛行機・船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ごみの削減・リサイクル、
飛行機の近距離路線の廃止、市街地での自動車の速度制限(時速30km)などグローバル企業と対峙しなければできない。
そして「既存の経済モデルは経済成長と利潤獲得のための終わりなき競争に基づくもので、地球の生態学的なバランスを聞きに陥れている。この経済システムは経済格差を著しく拡大させている。豊かな国のとりわけ最富裕層による過剰な消費に、グローバルな環境危機、気候危機の原因がある。」という。
これを生んだのは、バルセロナのワーカーズ・コープの伝統であるという。
マルクスの言う「可能なコミュニズム」が労働者協同組合である。
〇 そして気候正義にかなう経済システムを
協働的なケア労働、他社や自然との友愛的関係、誰も取り残されない社会、への移行を
〇 ミュニシバリズム―国境を越える自治体主義
バルセロナの呼びかけたフィアレス・シティのネットワークはアフリカ、南米、アジアに広がり、77の拠点が参加している。
国境を越えて連帯する、革新自治体のネットワークの精神をミュニシバリズムという。
国際的に開かれた自治体主義を目指している。
グローバル・サウスから学ぶ
食料主権を取り戻す
農産物輸出国なのに、飢餓率が26%にものぼる南アフリカの例
南アフリカの食料主権運動のサトガーたちのスローガンは「息ができない」である。
これはブラック・ライブズ・マター運動のスローガンを踏襲している。
人権、気候、ジェンダー、そして資本主義。すべての問題はつながっている。
〇 今こそ、気候正義を大義として、ラディカルな潤沢さを求めていこう。
それには経済、政治、環境の三位一体を
生産のコモン化、ミュニシバリズム、市民議会、
〇 最後に
ハーバード大学のエリカ・チェノウェスらの研究では、「3.5%」の人々が非暴力的方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるという。
フィリピンのマルコスを打倒した「ピープルパワー革命」1986
シュワルナゼ大統領を辞任させたグルジアの「バラ革命」2003
ニューヨークのウォール街占拠運動
バルセロナの座り込み
グレタ・トゥーンベリの学校ストライキ
「未来はあなたが、3.5%のひとりとして加わる決断をするかどうかにかかっている」
とこの書をしめくくる。
★さらに斉藤幸平は、
「大洪水の前に」のあとがきで、
感謝して、この本を捧げるとともに、宮沢賢治の次の言葉を送りたい。
「新たな時代のマルクスよ/これらの盲目な衝動から動く世界を/素晴らしく美しい構成に変へよ」
と述べる。
続いて斉藤幸平の対談集「大分岐の前に」から載せます
「未来への大分岐」斉藤幸平編
〇 マイケル・ハート
リーダーなき社会運動は持続しない。サンダース現象は、ウォール街占拠運動の連続です。
ウォール街を占拠した人たちが、運動の継続を求めて、それをサンダースに求めたのです。
彼らの要求を表現する「手段」が、サンダースだったのです。サンダースはいろいろな運動をして来た人々の主張を取り込んで、政策にしたのです。
サンダースの発する声の背後に、ウォール街占拠運動や、ブラック・ライブズ・マター運動、パイプライン建設に反対する環境運動(ダコタ州のスー族居留地を通すことへの反対)、学生ローンのボイコット運動(オキュパイ・スチューデント・ローン)などのさまざまな運動体の主張が流れこんでいる。
(サンダースは民主党下院議員の中で、進歩的グループを4人で結成しましたが、今は4割を占めるほどになり、大統領候補を争うまでになっています。その進歩派議員は、様々な人種や女性、若い議員で占めています)
△イギリス労働党党首のコービンはどうか。
コービンを支えているのは、労働党の中での核の存在ですが、活動の中心は35歳以下の若者たちと70歳以上の高齢者で、中間の年齢層が余りいないのです。
若い支持者は、サンダース支持層に似ています。違うのは社会主義的な政策を訴えてきた長い歴史を持つ等に調和しながら、うまくやっていることです。
70歳以上の支持者たちは、労働党がラディカルだった1960年代以前から党員だった人たちです。
△選挙がすべてではない。
社会運動が社会を変えるのです。
政治を民主化するだけでは不十分で、社会全体を民主化することが重要なのです。
△コモンから始まる、新たな民主主義
コモンとは何か
民主的に共有されて、管理される社会的富のことです。
コモンは水、空気、電気などです。土地も入るようです。
コモンの自主管理を基盤とした民主的な社会が、コミュニズムです。
マイケル・ハートの最後の言葉は、
この時代に左派の意味が失われてしまうわけではないのです。
自由、平等、連帯、そして民主主義―私にとって左派が意味するのは、やはりこういった一連の言葉であり、こうした言葉の持つ可能性を問い続けなくてはなりません。