黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

日本脳炎ワクチンの廃止を訴える

2014-09-16 16:39:41 | 健康・病気

    日本脳炎ワクチンは廃止すべきである 

はじめに 

  日本脳炎は、日本で発見されたことから日本脳炎と命名されたが、アジアで広く見られる病気で、主に豚で増殖され、コガタアカイエカが媒介してヒトに感染する。が国においては大正時代1912年の大流行が日本脳炎と推定されており、1935年にウイルスが分離された。現在では1億2800万人の人口あたり、10人前後の発病者で、致命率は15%以下、後遺症も30%となっている。 

日本脳炎は不活化ワクチンで、過去にはワクチンを接種していても罹患し、かつ死亡した人もいるし、ワクチン接種していないが、かからないか、かかっても脳炎を発病しない人も少なくない。日本脳炎のワクチンは、現代では神経系の副作用の出る人が脳炎発病者よりも多くなり、必要の無いワクチンになったと考える
 

.どんな病気か
 

 1.感染経路 

日本脳炎ウイルスは、ヒトとウマに脳炎を起こす。ブタはウイルス血症をおこすが病気を起こさず日本脳炎ウイルスの増幅動物である種豚妊娠中に日本脳炎ウイルスに感染すると死流産するので、種ブタには生ワクチンを接種している。
 

2.臨床症状
 

潜伏期間は6~25(一般に8~16)日で、典型的な症状は髄膜脳炎型であるが、脊髄炎型もある。多くは不顕性感染か、かぜ程度で終わり、ごく一部が発病する。
 

3.発病率
 

感染してからの発病率は、1、000人に1人(国立感染症研究所感染症情報センター)というが、小西らの研究によると、1995年都市部には10%の自然感染が発生している。しかしこの20年の発病者は年10人以下である。その後の疫学調査は行われていないが、脳炎の発病率は、確率の根拠が得られないほどに低下している。
 

4.日本脳炎の発生も死亡も激減している
 

 日本では1912年(明治45年)の流行が記録上わが国における初めての流行と言われる。1924年(大正13年)の大流行(6、125人)で確認され、患者数が5,000人を超える年(1935年、1950年)も、致命率が92%(1949年)の年もあった。戦後患者数は1、000人を超える状況が続いたが、1967年から三桁、1972年から二桁になり、1992からは一桁で年2~!0人、そのうちほとんどが、老人であった。1992~2000年までの死亡は2人の老人だけである。致命率は当初70%前後、1950年以降は50%以下になり、1978年以後は30%以下、現在では15%以下になっている。 

2009~2013年の5年間の患者数は27人で、この間、20歳未満の罹患者は5人である。日本脳炎ワクチンが導入されたのは1965年で、接種は子どもだけであった。だから、現在の60歳以上は受けていないはずである。また当時は接種率も低かった。2013年の日本脳炎ワクチン接種率は3歳で60%から16歳が90%と最高で、20歳以降はほぼ50%以下である。予防接種法の改正のあった1995年以降から日本脳炎ワクチン接種率が高くなった為と思う。 

 発生時期は6月から9月までの夏場だけである。日本脳炎は20002014年には関東以南で、東北、北海道には発生していない。
 

5.不顕性感染
 

厚生労働省による感染症流行予測事業の一環としてヒトの血清の日本脳炎ウイルス中和抗体の測定を続けている。その結果を見ると、日本脳炎抗体保有率は、予防接種の積極的勧奨もあり、2008~2013年の間で、3歳から60%を超え、その後20代まで80~90%で、30代以降50%以下に低下している。だが抗体をもたない人も多く、それなのに発病する人がほとんどいないのは、日本人は、感染しても発病せず、免疫が低下したごくまれな人だけが発病する病気となったのであると考える
 

日本脳炎ウイルスは減少しているが、まだ日本には存在する
 

 ブタの中和抗体の調査では、まだまだ日本脳炎ウイルスが存在しているのも事実である。屠場に集まるブタの抗体およびウイルス分離は、その年の流行状況を反映するとみなされ、ブタの抗体陽性率が50%を超えるとヒトにも流行するといわれていた。2014年の7~9月の調査では、ブタの日本脳炎抗体保有状況は50%以上が10県で沖縄、九州、中四国まででした。日本脳炎患者は2013年は9名であった。
 

Ⅲ.なぜ日本脳炎ウイルスがまだ存在するのに、日本脳炎患者が減少したか
 

 ブタの抗体調査、蚊の調査からは、ブタの日本脳炎ウイルスHI抗体の保有率、蚊の日本脳炎ウイルスの分離率の減少は見られるものの、まだ存在するのに、なぜ日本人の日本脳炎患者は激減したのか。日本脳炎ワクチンは子どもにだけ接種され、成人は希望者のみであり、接種率は1985年で30.9%、1995年以降上がっているが、成人には接種されていない。これはワクチンの成果だけとは言えない。
 

日本脳炎患者が減少した理由として渡辺1)は、コガタアカイエカからの検討で、①蚊の発生数が減少した、②蚊に刺される機会が少なくなった、③蚊の発生ピークが8~9月にずれた、④蚊(コガタアカイエカ)が日本脳炎ウイルスを保有しなくなった、の4点をあげている。私は、環境の変化と平行して、日本人と日本脳炎ウイルスの適応関係が出来上がったために大幅に減少したと考えている。
 

 1.環境の変化
 

 a)人間の住環境の変化 

  現代では、蚊が家の中に入る機会が激減し、人間の血を吸って繁殖(産卵)場所に戻ることも難しくなった。
 

 b)媒介動物の減少 

もともとコガタアカイエカは、ヒトよりブタ、ウシ、ウマを好む。ブタ、ウシは、ほとんど専業の酪農家が大量に飼育生産する時代になり、飼育場も清潔で閉鎖に近い状態となった。日本人の住環境から、媒介動物が減少し、ウイルスの繁殖動物の豚が、囲い込まれた。
 

c)媒介動物の住環境の変化 

 水田の変化など蚊の住む環境が変化した。また媒介動物の住環境が変化して、蚊と媒介動物の接触が少なくなり、人間の住む場所に生息する蚊のウイルス保有が減少した。
 

 2.日本脳炎ウイルスの側の変化
 

 日本脳炎ウイルスも遺伝子型が3型から1型に変化してきている。しかし、ウイルスが変化するのは時間の問題であり、強毒性のウイルスは宿主と共に死亡し、弱毒のウイルスが生き残っていく。こうしてウイルスの側の変化で、死亡率も、後遺症率も減少していくし、発病率も減少する。
 

 3.人間(日本人)の側の変化

 a)日本人の体力の向上 

  日本人の栄養状態は向上し、身長も体重も増加し、栄養失調とかビタミン欠乏症などは、特殊の環境におかれた人だけになった。
 

 b)日本人の日本脳炎ウイルスへの適応 

人間には自然免疫系と獲得免疫系があり、自然免疫系の細胞免疫で侵入微生物に対応し、処理できれば発病しない。その為、生ワクチンを接種しても抗体産生されない人が少なからずいる。侵入門戸の防御機構によって、侵入微生物が感知され、撃退されれば、抗原特異的なリンパ球のクロナールな増殖を必要としない。だから、この段階で処理されれば、防御免疫を生じることはない。だから、抗体陰性でも感染しない。 

 病原体に感染した時に、感染局所の自然免疫系の細胞免疫が活性化し、それが高まると獲得免疫系が活性化する。細胞免疫を突破して侵入すると、獲得免疫系のヘルパーT細胞やキラーT細胞の誘導や抗体産生が起こり、体内に感染するか、感染しても発病しないか、発病しても軽いか重症化するか、死に至るかが、病原体の強さだけではなく、ヒト側の自然免疫系と獲得免疫系の働きによって変わってくる。ヒトは、入ってきた病原体や異物に対して、それに対応する抗体を保有するか産生し、その数は1億種類以上といわれている。
 

 その仕組みは、利根川博士によって解明された。一つの遺伝子が断片となって存在し、それらを合成して抗体を作る。そして胎児発生の過程で胎児の細胞からリンパ球ができる際に遺伝子の配列に再構成が起こり、抗体遺伝子の構造が変化するという。一度獲得された免疫の記憶は、遺伝子によって一生残る。これが次の世代に受け継がれると私は推論する。それ故、世代を経るごとに感染しても発病率や後遺症率、致命率が低くなり、軽症化する。これが私のとる病原環境説または適応説である8)
 

 病原体に感染して、発病した人も、発病しなかった人も、生き残ったのは細胞免疫の力と、血中抗体を速やかに産生したからであり、その細胞免疫と抗体産生能力は遺伝子によって次世代に遺伝し、次第に細胞免疫と抗体産生能力を持つ人が増え、感染してそのときに中和抗体がなくても、細胞免疫が感染を阻止または遅らせ、潜伏期間中に速やかに抗体を産生するために発病に到らず、もしくは発病しても脳炎症状が出ずに軽快し、日本脳炎発病者が減少したのである。この状態を、日本人と日本脳炎ウイルスとの間に、適応関係が成立したという。そして日本人では、世代の進んだ子どもでの発病は、激減した。海外の流行地での日本人の発病も無いのはこの理由からである。高齢者はそれを受け継いでいないことが多いし、ワクチンも接種していないことが多いから発病しやすいし、高齢化などで免疫力の落ちた人が発病しやすい。
 

こうして、多くの犠牲の上に、生き延びた人間の子孫は、遺伝子に組み込まれた能力によって、ヒトと日本脳炎ウイルスとの適応関係を作り上げたのである。不顕性感染が高いということは、人間の側に免疫能力ができ、それが遺伝されていることを示している。これを人間の環境に対する適応と考える8)
 

 4.環境の変化 

日本では、1912年の岡山の脳脊髄膜炎の大流行(476人)が日本脳炎のはしりといわれ、1924年の大流行のときに他疾患との鑑別がなされ日本脳炎とされた。その後100年(3~4世代)かかって、ほとんど問題にされない病気となった。
 

結核がヨーロッパからアメリカ大陸に持ちこまれ、アメリカ先住民の間で流行し、始めは粟粒結核で死亡率が高かった時から、世代を経て、主に肺に限局する肺結核となり、死亡率が低くなるまでに、3~4世代かかった8)
 


子宮頸がんワクチンの記事

2014-09-16 16:17:20 | 健康・病気

東京新聞2014年9月14日朝刊より

子宮頸がんワクチン  副作用で脳の炎症も

子宮頸がんワクチンを接種した少女らが副作用を訴えている問題で、日本繊維筋痛症学会(西岡久寿樹理事長)は十三日、ワクチン成分によって脳の炎症や免疫異常が起きている可能性が高いと発表した。厚生労働省はワクチンとの因果関係を否定しているが、学会は、一連の症状をワクチンが引き起こす「子宮頸がんワクチン関連神経免疫異常症候群」(HANS)ととらえるよう提唱した。

学会発表 重篤者厚労省の6倍

厚労省が公開している二千五百人の副作用報告を分析した結果、厚労省が重症と認定した百七十六人の約六倍にあたる千百十二人を重篤と判断。「接種者全員の追跡調査を行い、実態を明らかにするべきだ」と訴えた。
 子宮頸がんワクチンでは、全身の痛みや失神、けいれん、月経不順、記憶障害などさまざまな症状の訴えがある。これらの症状は複数が一時期に出たり、時間を置いて違う症状に変化したりする。
 西岡理事長は子宮頸がワクチン接種後、症状の出た少女を診察したのをきっかけに、調査チームを学会と立ち上げた。チームは副作用を訴える四十四人の患者を診察。症状や脳の血流の状態から、中枢神経や免疫システムに異常が起きている可能性が高いと判断した。個別に見ると病態をつかみにくい多彩な症状をまとめてHANSとし、診断基準も作成した。
 長野市内で会見した西岡理事長は「接種者全員の追跡調査を行わなければ、原因は究明できない。少女らの症状が、厚労省の言うような『心身の反応』だとしては、国のワクチン行政が信用されなくなる」と訴えた。
 子宮頸がんワクチンをめぐっては、厚労省は昨年五月、症状との因果関係を調べる専門部会を設置。今年三月までに二千を超える副作用報告が集まったが、針を刺した痛みなどが引き金となった心身の反応とし、ワクチンは原因ではないと結論付けていた。(柏崎智子)

記事のコピーを載せられなかったので、文章で載せました。