前記の記事に書きました医学雑誌に載せてもらった記事を載せます。
私の多分唯一の学術雑誌への論文です。「小児科」2006年3月号です。岡部信彦さんのご好意でした。
日本脳炎ワクチンの役割は終わったか
はじめに
日本脳炎は、日本で発見されたことから日本脳炎と命名されたが、アジアで広く見られる病気で、主に豚で増殖され、コガタアカイエカが媒介してヒトに感染する。わが国においては大正時代(1912年)の大流行が日本脳炎と推定されており、1935年にウイルスが分離された。現在では1億2800万人の人口あたり、一桁の発病者で、致命率は15%以下、後遺症も30%となっている。
わが国における1960年代のポリオの流行時には、不活化ワクチンは流行を阻止できないところから、当時国内では認可の段階に至っていなかったポリオ生ワクチンを緊急に海外より輸入して流行がおさまった。日本脳炎は不活化ワクチンで、過去にはワクチンを接種していても罹患し、かつ死亡した人もいるし、ワクチン接種していないが、かからないか、かかっても脳炎を発病しない人も少なくない。日本脳炎のワクチンは、現代では神経系の副作用の出る人が脳炎発病者よりも多くなり、必要の無いワクチンになった、と著者は考える。
Ⅰ.どんな病気か
1.感染経路
日本脳炎ウイルスは、ヒトとウマに脳炎を起こすことがある。ブタはウイルス血症をおこすが病気を起こさず、日本脳炎ウイルスの増幅動物であるとされている。種豚が妊娠中に日本脳炎ウイルスに感染すると死流産するので、種ブタにはオスにもメスにも不活化ワクチンまたは生ワクチンを接種している。日本脳炎ウイルスは、ヒトからヒトへは直接あるいは蚊を介して伝播することはない。
2.臨床症状
潜伏期間は6~25(一般に8~16)日で、典型的な症状は髄膜脳炎型であるが、脊髄炎型もある。多くは不顕性感染か、軽く夏かぜ程度で終わり、ごく一部が発病する。
3.発病率
感染してからの発病率は、100~1、000人に1人(国立感染症研究所感染症情報センター)というが、戦後の推定で2000人に1人となっている。小西らの研究によると1)、1995年都市部には10%の自然感染が発生しているが、この10年の発病者は一桁である。その後の疫学調査は行われていないが、現在では不顕性感染か、夏かぜ程度で終わり、脳炎の発病率は5000人に1人以下と推定され、確率の根拠が得られないほどに低下していると考えられる。
昭和10年(1935年)の大流行の時にロシア人が20人来日して、7~8人がかかり、2人死亡した。しかし、同行の日本人は誰もかからなかった。その理由として、流行地の日本人にはもう免疫ができている人が多く、日本脳炎のないロシア人は免疫をもっていないからであるというものであった。
戦後まもなく、日本が占領されて米軍が来た時に、沖縄の米軍人で日本脳炎に感染して抗体ができた人は2000人くらいおり、発病した人はその中の一人くらいしかいなかった。日本人はもっと少なかった。そこでSabinが沖縄の兵隊にワクチン実験を行った。規模は1、000~2、000人くらいで、注射した方は発病せず、しない方からは人が発病したという話である。2)
4.日本脳炎の発生も死亡も激減している
日本では1912年(明治45年)の岡山県を中心とした流行2)3)が記録上わが国における初めての流行と言われる3)。類似疾患(エコノモ脳炎、流行性脳脊髄膜炎、鉛中毒)との鑑別が明らかにされたのが1924年(大正13年)の大流行(6、125人)で、患者数が5,000人を超える年(1935年、1950年)も4)、致命率が92%(1949年)の年3)もあった。戦争中は少なく、戦後再燃し、1948~1966年まで患者数は1、000人を超える状況が続いたが、1967年から三桁、1972年から二桁になり、1992~2000年までは一桁で年2~7人、そのうち15歳が1人で、あとは老人であった。1992~2000年までの死亡は2人の老人だけである。致命率は当初70%前後、その後50%前後、1950年以降は50%以下になり、1978年以後は30%以下、現在では15%以下になっている。この傾向は台湾、韓国でも同じで、流行のはじめは致命率が高く、しだいに減少し、流行がおさまる頃には大幅に低下していく。これはウィルスとヒトが適応し、共存の道をたどっているからであると考えられる。
1991~2000年の10年間の患者数は47人、死者6人で、この間、予防接種年齢の罹患者は1999年に15歳1人、死者0である。日本脳炎ワクチンが導入されたのは1965年で、接種は子どもだけであった。だから一般に、希望者を除いて、現在の56歳以上は受けていないはずである。また当時は接種率も低かった。1991年の日本脳炎ワクチン接種率は全年齢で37.8%という報告がある5)。 しかし、予防接種法の改正のあった1995年以降は日本脳炎ワクチン接種率は、1期目は80%を超えるようになった。一方、2期目は70%、3期目は50%をそれぞれ下回っている6)。
発生時期は6月から9月までの夏場だけである。日本脳炎は北海道には存在しないし、東北地方も福島県を除き、ほとんど発生していない。
5.不顕性感染
旧厚生省は伝染病流行予測事業(現在は厚生労働省による感染症流行予測事業)の一環としてヒトの血清の日本脳炎ウイルス中和抗体の測定を続けている1)。その結果を見ると、1966年から1980年までの間で、年齢が高くなるに連れて抗体陽性率は50~90%としだいに上昇し、各年齢毎の抗体陽性率は15年間でほとんど変化していない。
同事業による2000年の調査では、5~29歳と60歳以上の80%の人が抗体を保有しており、ほとんどの人は一生の間のどこかで不顕性感染し、抗体をもつようになっている。だが抗体をもたない人もかなり多く、それなのに発病する人がほとんどいないのは、日本人は日本脳炎に対する自然免疫も獲得免疫も成立し、免疫が低下した人だけが発病する病気となったものであると考える。
Ⅱ.日本脳炎ウイルスは減少しているが、まだ日本には存在する
現在、ワクチン接種では産生されない抗NSI(日本脳炎ウイルス非構造蛋白質)抗体を測定する方法が開発されているが、まだ確立までにいたっていない。その結果では、1980年代で都市部は10%、農村部では20%の人がウイルスに自然感染しており、1995年でも都市部では約10%の人の自然感染が発生している可能性について述べられている1)。
日本脳炎ウイルスの研究では、日本では1991年以前では遺伝子型3型であったが、1994年以降の分離された株は遺伝子型1型に変わっていることが発見された1)。このことから、以前は日本土着の日本脳炎ウイルスが主であったが、近年は東南アジアからのウイルスに変わったと森田らは述べているが、日本土着のウイルスが変異したのかは不明である。だが日本脳炎は増加せず、減少を続けているので、変異したウイルスに対する抗体産生能は変化していないと考える。
ブタの中和抗体の調査では、まだまだ日本脳炎ウイルスが存在しているのも事実である。屠場に集まるブタの抗体およびウイルス分離は、その年の流行状況を反映するとみなされ、ブタの抗体陽性率が50%を超えるとヒトにも流行するといわれていた。現在は調査規模は縮小され、2000年には29道都県の調査であった。その結果は、沖縄県で5月には新鮮感染例が2頭確認され、7月には抗体保有率が100%に達した。その後北上し、7月には高知100%、三重、愛媛で50%を超え、8月下旬から9月以降、広島、静岡、兵庫、富山、千葉で抗体保有率が50%を超えた。日本脳炎の終わりの10月までに屠場で検査されたブタの80%以上に日本脳炎ウイルス感染が確認された県は、調査した29道都県中18県に及び、陽性県は全体で24県であった。しかし、同年の日本脳炎患者は7名であった1)。
Ⅲ.なぜ日本脳炎ウイルスがまだ存在するのに、日本脳炎患者が減少したか
ブタの抗体調査、蚊の調査からは、ブタの日本脳炎ウイルスHI抗体の保有率、蚊の日本脳炎ウイルスの分離率の減少は見られるものの、まだ存在するのに、なぜ日本人の日本脳炎患者は激減したのか。日本脳炎ワクチンは子どもにだけ接種され、成人は希望者のみであり、接種率は1985年で30.9%、1986~1991年の間は31~40%で、1980年以前では40~50%くらいであった5)。1994年の予防接種法の改正で、1995年以降は接種が推進され、接種率が上がったが、2000年の接種率は0~4歳39%、5~9歳79%、10~14歳85%、15~19歳92%1)で、しかも成人には接種されていない。これはワクチンの成果だけとは言えない。
日本脳炎患者が減少した理由として渡辺1)は、コガタアカイエカからの検討で、①蚊の発生数が減少した、②蚊に刺される機会が少なくなった、③蚊の発生ピークが8~9月にずれた、④蚊(コガタアカイエカ)が日本脳炎ウイルスを保有しなくなった、の4点をあげている。
筆者は、環境の変化と平行して、日本人と日本脳炎ウイルスの適応関係が出来上がったために大幅に減少したと考えている。
1.環境の変化
a)人間の住環境の変化
現代ではアルミサッシをはじめ建築様式の革新により、ときどき窓を開けて空気を入れ替える必要があるほどの密閉空間の家になった。そのため蚊が家の中に入る機会が激減し、人間の血を吸って繁殖(産卵)場所に戻ることも難しくなった。
b)媒介動物の減少
もともとコガタアカイエカは、ヒトよりブタ、ウシ、ウマを好む。トリ、ブタ、ウシ、ウマは、ほとんど専業の酪農家が大量に飼育生産する時代になり、飼育場も清潔で閉鎖に近い状態となった。そして日本人の住環境から、媒介動物が大幅に減少し、ウイルスの繁殖動物の豚が、囲い込まれた。
c)媒介動物の住環境の変化
水田の変化、農薬の使用、用水路のコンクリートによる隔壁化で水の流れが速くなり、淀みが少なくなる、など蚊の住む環境が変化した。媒介動物の住環境が変化して、蚊と媒介動物の接触が少なくなり、人間の住む場所に生息する蚊のウイルス保有が減少した。以上は、渡辺の説1)の裏づけとなるが、一方で日本脳炎は、奄美大島で越冬していることが1975年に判ったという2)。
2.日本脳炎ウイルスの側の変化
日本脳炎ウイルスも遺伝子型が3型から1型に変化してきている。それは、日本国内での変化か、海外から移入されたものなのか、確定はされていない。しかし、ウイルスが変化するのは時間の問題であり、強毒性のウイルスは宿主と共に死亡し、弱毒のウイルスが生き残っていく。こうしてウイルスの側の変化で、死亡率も、後遺症率も減少していくし、発病率も減少する。もちろん突然変異で強毒化することもある。過去の歴史では麻疹が、30~50年で弱毒、強毒を繰り返したとの報告もある。しかし、舞踏病、ペスト、天然痘、狂犬病、疫痢は過去の病気となり、ポリオ、梅毒、結核、コレラ、発疹チフスも、新たに登場した病原性大腸菌、エイズや狂牛病、SARS、鳥インフルエンザによって無視される程までに減少した。
3.人間(日本人)の側の変化
a)日本人の体力の向上
日本人の栄養状態は向上し、身長も体重も増加し、栄養失調とかビタミン欠乏症などは、特殊の食環境におかれた人だけになった。これは、人間の免疫状態の向上につながる。
b)日本人の日本脳炎ウイルスへの適応
人間には自然免疫系(先天免疫)と獲得免疫系があり、自然免疫系の細胞免疫で侵入微生物に対応し、処理できれば発病しない。しかし、生ワクチンを接種しても抗体産生されない人が少なからずいるが、(それでポリオだけでなく、麻しん、風しんも2回接種することになった。)その理由が判っていない。侵入門戸の防御機構によって、侵入微生物が感知され、撃退されれば、抗原特異的なリンパ球のクロナールな増殖を必要としない。だから、この段階で処理されれば、防御免疫を生じることはない7)と考える。そうでなければ、抗体陰性でも感染しない理由が説明できない。
病原体に感染した時に、感染局所の自然免疫系の細胞免疫が活性化し、それが高まると獲得免疫系が活性化する。細胞免疫を突破して侵入すると、獲得免疫系のヘルパーT細胞やキラーT細胞の誘導や抗体産生が起こり、体内に感染するか、感染しても発病しないか、発病しても軽いか重症化するか、死に至るかが、病原体の強さだけではなく、ヒト(宿主)側の自然免疫系と獲得免疫系の働きによって変わってくる。ヒトは、入ってきた病原体や異物に対して、それに対応する抗体を保有するか産生し、その数は1億種類以上といわれている。
その仕組みは、利根川博士によって解明された。一つの遺伝子が断片となって存在し、それらを合成して抗体を作る。そして胎児発生の過程で胎児の細胞からリンパ球ができる際に遺伝子の配列に再構成が起こり、抗体遺伝子の構造が変化するという。一度獲得された免疫の記憶は、遺伝子によって一生残る。これが次の世代に受け継がれると筆者は推論する。それ故、世代を経るごとに感染しても発病率や後遺症率、致命率が低くなり、軽症化する。これが筆者のとる病原環境説または適応説である8)。
病原体に感染して、発病した人も、発病しなかった人も、生き残ったのは細胞免疫の力と、血中抗体を速やかに産生したからであり、その細胞免疫と抗体産生能力は遺伝子によって次世代に遺伝し、次第に細胞免疫と抗体産生能力を持つ人が増え、感染してそのときに中和抗体がなくても、細胞免疫が感染を阻止または遅らせ、潜伏期間中に速やかに抗体を産生するために発病に到らず、もしくは発病しても脳炎症状が出ずに軽快し、日本脳炎発病者が減少したのである。この状態を、日本人と日本脳炎ウイルスとの間に、適応関係が成立したという。そして日本人では、世代の進んだ子どもでの発病は、激減した。海外の流行地での日本人の発病も無いのはこの理由からである。高齢者はそれを受け継いでいないことが多いし、ワクチンも接種していないことが多いから発病しやすいし、高齢化などで免疫力の落ちた人が発病しやすい。
こうして、多くの犠牲の上に、生き延びた人間の子孫は、遺伝子に組み込まれた能力によって、ヒトと日本脳炎ウイルスとの適応関係(社会的、文化的、経済的、環境的、免疫学的)を作り上げたのである。不顕性感染が高いということは、人間の側に免疫能力ができ、それが遺伝されていることを示している。これを人間の環境に対する適応と考える8)。
4.環境の変化
日本では、1912年の岡山の脳脊髄膜炎の大流行(476人)が日本脳炎のはしりといわれ、1924年の大流行のときに他疾患との鑑別がなされ、B型日本脳炎とされた。その後100年(3~4世代)かかって、ほとんど問題にされない病気となった。(現在ではA型はない。)
結核がヨーロッパからアメリカ大陸に持ちこまれ、アメリカ先住民の間で流行し、始めは粟粒結核で死亡率が高かった時から、世代を経て、主に肺に限局する肺結核となり、死亡率が低くなるまでに、3~4世代かかった8)。
日本脳炎を発病する人が大幅に減少したのは、ワクチンだけによるものではなく、社会的、自然的環境の変化と、日本人自身の体力の向上(免疫力の向上)と、日本人と日本脳炎ウイルスとの適応関係が出来上がり、相当の免疫力の低下した人やまたは免疫学的記憶や抗体産生遺伝子をもたない人だけが発病する病気となった。もはや日本脳炎ワクチンの役割は終焉し、副作用だけがクローズアップされる時代となった。不活化ワクチンは、細胞免疫を高めないし、抗体産生能力を記憶し、遺伝的に継承されるかはわかっていない。
5.免疫抗体系の変化
以上のような状況下において細胞免疫や抗体産生能力、つまり免疫状態が低下すると発病するので、発病する人が老人に集中するようになったのである。また感染する機会も減少している。ウイルスが存在しているのに、発病者がほとんどいなくなったことは、日本人には、ほとんど日本脳炎に対する免疫系が働いて、発病しないことを意味している。一部自然抗体が検出されているが、自然抗体のない人が感染を受けていないことを意味する訳ではない。自然免疫系の細胞免疫段階で侵入を阻止できれば、抗体は産生されない。
6.遺伝子研究の進歩
ヒトのゲノムの研究において、ヒトのゲノムには、過去の疫病の歴史が遺伝子にプログラムされているという。ヒトは1世代で100の変異を蓄積するともいわれている。過去に大流行した病気は、その痕跡を後世のヒトの遺伝子に残した。ペスト、麻疹、天然痘、発疹チフス、腸チフス、梅毒、コレラ、インフルエンザに耐性を獲得してきた。ヒトの内在性レトロウイルスは、ゲノム全体の1.3%あると言う9)10)。
ヒトと環境(微生物も自然環境に含み、社会環境も)との適応関係ができて病気が変化し、一方でなくなり、その反面環境を変えたために新しい病気が次々と発生してくる。新しい病気の大流行はありえても、昔からある病気の大流行はありえない。
Ⅳ.日本脳炎不活化ワクチンの有効性が証明されていない
日本における不活化ワクチンの有効性を証明したデータはない。ワクチンの接種による中和抗体の上昇効果については多くの報告があるが、疫学的データはないと考える。
日本でも現在、新ワクチンを開発し、導入を進めている。しかし、その有効性を示す野外実験などの根拠はない。抗体検査だけである。
ウイルスに対しては、細胞免疫が有効で測定する方法は開発されてきたが、まだ一般化されてはいない。自然感染の場合には、中和抗体が出来ていれば細胞免疫もできているとされて、中和抗体の測定で代用されているに過ぎない。過去、日本製ワクチンの台湾での野外実験でも有効性は確認されなかった11)。タイでの野外実験では、やや有効という程度であった12)し、日本人とタイ人では、日本脳炎ウイルスに曝露されている期間が違い、バイアスが多く、日本人にそのままあてはめられない。それは日本人の自然感染しての発病率が5、000人に1人以下(計算不能)であるので、統計上の比較にならないからである。
抗体の持続も1年間中止で16%、2年間中止で22%、3年間中止で26%が陰性になる13)。
Ⅴ.ワクチンの副作用
表1 1994~2003年度の日本脳炎ワクチン接種後の神経系副反応報告1)
脳炎・脳症 27 うち 急性散在性脳脊髄炎とその疑い 18
その他の脳炎・脳症 9
けいれん 38
運動障害 3
その他の神経障害 20
表2 1994~2003年度の総報告数
即時全身反応 234
神経系(前記) 88
局所異常反応(肘をこえるもの) 12
39゜C以上の発熱 142
その他の異常反応 97
ワクチンの副作用を表1,2に示す。総報告のうち、死亡は3人、後遺症は14人であった。この間の発病者数は、1994~2000年までで28人、うち小児は15歳1人。死者は1人(87歳)であった。後遺症率15%であった。これでは、日本脳炎にかかる子どもはなく、日本脳炎ワクチンによる副作用と思われる被害者ばかりでているのが現状である。
Ⅵ.病気の予防は何をすべきなのか。
1.ワクチンは感染症の予防の一つの方法にしかすぎない
感染症予防対策は、①感染源対策、②感染経路対策、③感受性対策があり、感受性対策には、予防接種とともに、ヒトの身体的、精神的、社会的健康を保つことにある。
2.ワクチンの見直し
1970年の種痘禍に続いて、三種混合ワクチンの副作用(脳症など)が多発し、副作用への関心が高まり、1974年三種混合ワクチン接種直後のショックや脳症で死亡する事故が2人あり、1975年三種混合ワクチンが中止された。1970年小児科学会で予防接種委員会を作り、その後パネルディスカッションがもたれた。そのときの報告では、小児科医の全国的規模でのコンセンサスは、有効とされたのはポリオ、麻疹、破傷風であった。そしてそのときの結論として、表3に示すごとくで+と-をあげて評価することであった。 これで評価すれば、日本脳炎ワクチンは、治療法の確立以外は、中止すべきワクチンと評価されると考える。
表3 予防接種の評価基準
予防の必要性 流行の 治療法の ワクチンの ワクチンの
(病気の恐ろしさ) おそれ 確立 効果 副作用
継続すべきワクチン + + - + -
中止すべきワクチン - - + - +
おわりに
日本脳炎ワクチンは、有効性のデータがないのにまかり通っているワクチンである。そして発病者より副作用被害者が上回っている。もうその役割は終わった。
病気の最良の治療法は予防である。予防の第一は、健康を保つことである。健康とは、WHOの定義にあるように「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれた完全に良好な状態をいう」。日本で感染症が少なくなったのは、決して予防接種の成果ではなく、戦争をせず、平和に暮らし、軍備費をかけずに経済が発展し、社会経済的に安定したからである。ソ連崩壊後のソ連圏諸国で、結核やジフテリアなどの感染症が激増したり、アフガニスタンの内戦後でも感染症が激増している。世界では、約50カ国が戦争もしくは内戦状態にあり、それらの国にエイズを始めとする麻疹、結核、黄熱、デング熱、マラリアなどの感染症が多い。
人間は本当に健康であれば、決して病気にならない。悟りをひらいた宗教者たちも病気をしない。こころ穏やかであれば、病気をしないのである。身体とこころの健康を保つことが大切で、それは社会的に形成される。現代では、社会的環境に適応できなくて病気にかかる。だから病気は常に、社会の中の弱者、低所得階層に多くなる。しかし経済的に豊かでも、こころも豊かにならないとまた病気になる。こころ豊かな生活をおくることが病気を防ぎ、予防接種よりも大切なのである。
文 献
1)厚生労働省:日本脳炎に関する専門家ヒアリング会議資料集.2004
2)緒方隆幸ほか:日本脳炎研究の回顧-北岡先生との対談-.臨床とウイルス15:317-326,1987
3)緒方隆幸:日本の日本脳炎の疫学.臨床とウイルス13:150-155,1985
4)厚生省:昭和63年伝染病統計
5)北野忠彦:日本脳炎ワクチンの効果と接種率.小児科診療56:2165-2170,1993
6)水野喬介・園田憲悟:日本脳炎ワクチン.小児科45:883-888,2004
7)笹月健彦(訳):免疫生物学第5版.南江堂:2003
8)ルネ・デュボス:人間と適応.みすず書房:1982
9)マット・リドレー:ゲノムが語る23の物語.紀伊國屋書店:2000
10)マット・リドレー:やわらかな遺伝子.紀伊國屋書店:2004
11)三浦悌二:日本脳炎・現状の理解と将来への展望.Medical Tribune 1980年5月8日号:26~27,1980
12)木村三生夫・平山宗弘(編著):予防接種の手引第四版.近代出版,pp1-9,1983
13)辻 芳郎:日本脳炎ワクチン.小児科37:1149-1155,1996
私の多分唯一の学術雑誌への論文です。「小児科」2006年3月号です。岡部信彦さんのご好意でした。
日本脳炎ワクチンの役割は終わったか
はじめに
日本脳炎は、日本で発見されたことから日本脳炎と命名されたが、アジアで広く見られる病気で、主に豚で増殖され、コガタアカイエカが媒介してヒトに感染する。わが国においては大正時代(1912年)の大流行が日本脳炎と推定されており、1935年にウイルスが分離された。現在では1億2800万人の人口あたり、一桁の発病者で、致命率は15%以下、後遺症も30%となっている。
わが国における1960年代のポリオの流行時には、不活化ワクチンは流行を阻止できないところから、当時国内では認可の段階に至っていなかったポリオ生ワクチンを緊急に海外より輸入して流行がおさまった。日本脳炎は不活化ワクチンで、過去にはワクチンを接種していても罹患し、かつ死亡した人もいるし、ワクチン接種していないが、かからないか、かかっても脳炎を発病しない人も少なくない。日本脳炎のワクチンは、現代では神経系の副作用の出る人が脳炎発病者よりも多くなり、必要の無いワクチンになった、と著者は考える。
Ⅰ.どんな病気か
1.感染経路
日本脳炎ウイルスは、ヒトとウマに脳炎を起こすことがある。ブタはウイルス血症をおこすが病気を起こさず、日本脳炎ウイルスの増幅動物であるとされている。種豚が妊娠中に日本脳炎ウイルスに感染すると死流産するので、種ブタにはオスにもメスにも不活化ワクチンまたは生ワクチンを接種している。日本脳炎ウイルスは、ヒトからヒトへは直接あるいは蚊を介して伝播することはない。
2.臨床症状
潜伏期間は6~25(一般に8~16)日で、典型的な症状は髄膜脳炎型であるが、脊髄炎型もある。多くは不顕性感染か、軽く夏かぜ程度で終わり、ごく一部が発病する。
3.発病率
感染してからの発病率は、100~1、000人に1人(国立感染症研究所感染症情報センター)というが、戦後の推定で2000人に1人となっている。小西らの研究によると1)、1995年都市部には10%の自然感染が発生しているが、この10年の発病者は一桁である。その後の疫学調査は行われていないが、現在では不顕性感染か、夏かぜ程度で終わり、脳炎の発病率は5000人に1人以下と推定され、確率の根拠が得られないほどに低下していると考えられる。
昭和10年(1935年)の大流行の時にロシア人が20人来日して、7~8人がかかり、2人死亡した。しかし、同行の日本人は誰もかからなかった。その理由として、流行地の日本人にはもう免疫ができている人が多く、日本脳炎のないロシア人は免疫をもっていないからであるというものであった。
戦後まもなく、日本が占領されて米軍が来た時に、沖縄の米軍人で日本脳炎に感染して抗体ができた人は2000人くらいおり、発病した人はその中の一人くらいしかいなかった。日本人はもっと少なかった。そこでSabinが沖縄の兵隊にワクチン実験を行った。規模は1、000~2、000人くらいで、注射した方は発病せず、しない方からは人が発病したという話である。2)
4.日本脳炎の発生も死亡も激減している
日本では1912年(明治45年)の岡山県を中心とした流行2)3)が記録上わが国における初めての流行と言われる3)。類似疾患(エコノモ脳炎、流行性脳脊髄膜炎、鉛中毒)との鑑別が明らかにされたのが1924年(大正13年)の大流行(6、125人)で、患者数が5,000人を超える年(1935年、1950年)も4)、致命率が92%(1949年)の年3)もあった。戦争中は少なく、戦後再燃し、1948~1966年まで患者数は1、000人を超える状況が続いたが、1967年から三桁、1972年から二桁になり、1992~2000年までは一桁で年2~7人、そのうち15歳が1人で、あとは老人であった。1992~2000年までの死亡は2人の老人だけである。致命率は当初70%前後、その後50%前後、1950年以降は50%以下になり、1978年以後は30%以下、現在では15%以下になっている。この傾向は台湾、韓国でも同じで、流行のはじめは致命率が高く、しだいに減少し、流行がおさまる頃には大幅に低下していく。これはウィルスとヒトが適応し、共存の道をたどっているからであると考えられる。
1991~2000年の10年間の患者数は47人、死者6人で、この間、予防接種年齢の罹患者は1999年に15歳1人、死者0である。日本脳炎ワクチンが導入されたのは1965年で、接種は子どもだけであった。だから一般に、希望者を除いて、現在の56歳以上は受けていないはずである。また当時は接種率も低かった。1991年の日本脳炎ワクチン接種率は全年齢で37.8%という報告がある5)。 しかし、予防接種法の改正のあった1995年以降は日本脳炎ワクチン接種率は、1期目は80%を超えるようになった。一方、2期目は70%、3期目は50%をそれぞれ下回っている6)。
発生時期は6月から9月までの夏場だけである。日本脳炎は北海道には存在しないし、東北地方も福島県を除き、ほとんど発生していない。
5.不顕性感染
旧厚生省は伝染病流行予測事業(現在は厚生労働省による感染症流行予測事業)の一環としてヒトの血清の日本脳炎ウイルス中和抗体の測定を続けている1)。その結果を見ると、1966年から1980年までの間で、年齢が高くなるに連れて抗体陽性率は50~90%としだいに上昇し、各年齢毎の抗体陽性率は15年間でほとんど変化していない。
同事業による2000年の調査では、5~29歳と60歳以上の80%の人が抗体を保有しており、ほとんどの人は一生の間のどこかで不顕性感染し、抗体をもつようになっている。だが抗体をもたない人もかなり多く、それなのに発病する人がほとんどいないのは、日本人は日本脳炎に対する自然免疫も獲得免疫も成立し、免疫が低下した人だけが発病する病気となったものであると考える。
Ⅱ.日本脳炎ウイルスは減少しているが、まだ日本には存在する
現在、ワクチン接種では産生されない抗NSI(日本脳炎ウイルス非構造蛋白質)抗体を測定する方法が開発されているが、まだ確立までにいたっていない。その結果では、1980年代で都市部は10%、農村部では20%の人がウイルスに自然感染しており、1995年でも都市部では約10%の人の自然感染が発生している可能性について述べられている1)。
日本脳炎ウイルスの研究では、日本では1991年以前では遺伝子型3型であったが、1994年以降の分離された株は遺伝子型1型に変わっていることが発見された1)。このことから、以前は日本土着の日本脳炎ウイルスが主であったが、近年は東南アジアからのウイルスに変わったと森田らは述べているが、日本土着のウイルスが変異したのかは不明である。だが日本脳炎は増加せず、減少を続けているので、変異したウイルスに対する抗体産生能は変化していないと考える。
ブタの中和抗体の調査では、まだまだ日本脳炎ウイルスが存在しているのも事実である。屠場に集まるブタの抗体およびウイルス分離は、その年の流行状況を反映するとみなされ、ブタの抗体陽性率が50%を超えるとヒトにも流行するといわれていた。現在は調査規模は縮小され、2000年には29道都県の調査であった。その結果は、沖縄県で5月には新鮮感染例が2頭確認され、7月には抗体保有率が100%に達した。その後北上し、7月には高知100%、三重、愛媛で50%を超え、8月下旬から9月以降、広島、静岡、兵庫、富山、千葉で抗体保有率が50%を超えた。日本脳炎の終わりの10月までに屠場で検査されたブタの80%以上に日本脳炎ウイルス感染が確認された県は、調査した29道都県中18県に及び、陽性県は全体で24県であった。しかし、同年の日本脳炎患者は7名であった1)。
Ⅲ.なぜ日本脳炎ウイルスがまだ存在するのに、日本脳炎患者が減少したか
ブタの抗体調査、蚊の調査からは、ブタの日本脳炎ウイルスHI抗体の保有率、蚊の日本脳炎ウイルスの分離率の減少は見られるものの、まだ存在するのに、なぜ日本人の日本脳炎患者は激減したのか。日本脳炎ワクチンは子どもにだけ接種され、成人は希望者のみであり、接種率は1985年で30.9%、1986~1991年の間は31~40%で、1980年以前では40~50%くらいであった5)。1994年の予防接種法の改正で、1995年以降は接種が推進され、接種率が上がったが、2000年の接種率は0~4歳39%、5~9歳79%、10~14歳85%、15~19歳92%1)で、しかも成人には接種されていない。これはワクチンの成果だけとは言えない。
日本脳炎患者が減少した理由として渡辺1)は、コガタアカイエカからの検討で、①蚊の発生数が減少した、②蚊に刺される機会が少なくなった、③蚊の発生ピークが8~9月にずれた、④蚊(コガタアカイエカ)が日本脳炎ウイルスを保有しなくなった、の4点をあげている。
筆者は、環境の変化と平行して、日本人と日本脳炎ウイルスの適応関係が出来上がったために大幅に減少したと考えている。
1.環境の変化
a)人間の住環境の変化
現代ではアルミサッシをはじめ建築様式の革新により、ときどき窓を開けて空気を入れ替える必要があるほどの密閉空間の家になった。そのため蚊が家の中に入る機会が激減し、人間の血を吸って繁殖(産卵)場所に戻ることも難しくなった。
b)媒介動物の減少
もともとコガタアカイエカは、ヒトよりブタ、ウシ、ウマを好む。トリ、ブタ、ウシ、ウマは、ほとんど専業の酪農家が大量に飼育生産する時代になり、飼育場も清潔で閉鎖に近い状態となった。そして日本人の住環境から、媒介動物が大幅に減少し、ウイルスの繁殖動物の豚が、囲い込まれた。
c)媒介動物の住環境の変化
水田の変化、農薬の使用、用水路のコンクリートによる隔壁化で水の流れが速くなり、淀みが少なくなる、など蚊の住む環境が変化した。媒介動物の住環境が変化して、蚊と媒介動物の接触が少なくなり、人間の住む場所に生息する蚊のウイルス保有が減少した。以上は、渡辺の説1)の裏づけとなるが、一方で日本脳炎は、奄美大島で越冬していることが1975年に判ったという2)。
2.日本脳炎ウイルスの側の変化
日本脳炎ウイルスも遺伝子型が3型から1型に変化してきている。それは、日本国内での変化か、海外から移入されたものなのか、確定はされていない。しかし、ウイルスが変化するのは時間の問題であり、強毒性のウイルスは宿主と共に死亡し、弱毒のウイルスが生き残っていく。こうしてウイルスの側の変化で、死亡率も、後遺症率も減少していくし、発病率も減少する。もちろん突然変異で強毒化することもある。過去の歴史では麻疹が、30~50年で弱毒、強毒を繰り返したとの報告もある。しかし、舞踏病、ペスト、天然痘、狂犬病、疫痢は過去の病気となり、ポリオ、梅毒、結核、コレラ、発疹チフスも、新たに登場した病原性大腸菌、エイズや狂牛病、SARS、鳥インフルエンザによって無視される程までに減少した。
3.人間(日本人)の側の変化
a)日本人の体力の向上
日本人の栄養状態は向上し、身長も体重も増加し、栄養失調とかビタミン欠乏症などは、特殊の食環境におかれた人だけになった。これは、人間の免疫状態の向上につながる。
b)日本人の日本脳炎ウイルスへの適応
人間には自然免疫系(先天免疫)と獲得免疫系があり、自然免疫系の細胞免疫で侵入微生物に対応し、処理できれば発病しない。しかし、生ワクチンを接種しても抗体産生されない人が少なからずいるが、(それでポリオだけでなく、麻しん、風しんも2回接種することになった。)その理由が判っていない。侵入門戸の防御機構によって、侵入微生物が感知され、撃退されれば、抗原特異的なリンパ球のクロナールな増殖を必要としない。だから、この段階で処理されれば、防御免疫を生じることはない7)と考える。そうでなければ、抗体陰性でも感染しない理由が説明できない。
病原体に感染した時に、感染局所の自然免疫系の細胞免疫が活性化し、それが高まると獲得免疫系が活性化する。細胞免疫を突破して侵入すると、獲得免疫系のヘルパーT細胞やキラーT細胞の誘導や抗体産生が起こり、体内に感染するか、感染しても発病しないか、発病しても軽いか重症化するか、死に至るかが、病原体の強さだけではなく、ヒト(宿主)側の自然免疫系と獲得免疫系の働きによって変わってくる。ヒトは、入ってきた病原体や異物に対して、それに対応する抗体を保有するか産生し、その数は1億種類以上といわれている。
その仕組みは、利根川博士によって解明された。一つの遺伝子が断片となって存在し、それらを合成して抗体を作る。そして胎児発生の過程で胎児の細胞からリンパ球ができる際に遺伝子の配列に再構成が起こり、抗体遺伝子の構造が変化するという。一度獲得された免疫の記憶は、遺伝子によって一生残る。これが次の世代に受け継がれると筆者は推論する。それ故、世代を経るごとに感染しても発病率や後遺症率、致命率が低くなり、軽症化する。これが筆者のとる病原環境説または適応説である8)。
病原体に感染して、発病した人も、発病しなかった人も、生き残ったのは細胞免疫の力と、血中抗体を速やかに産生したからであり、その細胞免疫と抗体産生能力は遺伝子によって次世代に遺伝し、次第に細胞免疫と抗体産生能力を持つ人が増え、感染してそのときに中和抗体がなくても、細胞免疫が感染を阻止または遅らせ、潜伏期間中に速やかに抗体を産生するために発病に到らず、もしくは発病しても脳炎症状が出ずに軽快し、日本脳炎発病者が減少したのである。この状態を、日本人と日本脳炎ウイルスとの間に、適応関係が成立したという。そして日本人では、世代の進んだ子どもでの発病は、激減した。海外の流行地での日本人の発病も無いのはこの理由からである。高齢者はそれを受け継いでいないことが多いし、ワクチンも接種していないことが多いから発病しやすいし、高齢化などで免疫力の落ちた人が発病しやすい。
こうして、多くの犠牲の上に、生き延びた人間の子孫は、遺伝子に組み込まれた能力によって、ヒトと日本脳炎ウイルスとの適応関係(社会的、文化的、経済的、環境的、免疫学的)を作り上げたのである。不顕性感染が高いということは、人間の側に免疫能力ができ、それが遺伝されていることを示している。これを人間の環境に対する適応と考える8)。
4.環境の変化
日本では、1912年の岡山の脳脊髄膜炎の大流行(476人)が日本脳炎のはしりといわれ、1924年の大流行のときに他疾患との鑑別がなされ、B型日本脳炎とされた。その後100年(3~4世代)かかって、ほとんど問題にされない病気となった。(現在ではA型はない。)
結核がヨーロッパからアメリカ大陸に持ちこまれ、アメリカ先住民の間で流行し、始めは粟粒結核で死亡率が高かった時から、世代を経て、主に肺に限局する肺結核となり、死亡率が低くなるまでに、3~4世代かかった8)。
日本脳炎を発病する人が大幅に減少したのは、ワクチンだけによるものではなく、社会的、自然的環境の変化と、日本人自身の体力の向上(免疫力の向上)と、日本人と日本脳炎ウイルスとの適応関係が出来上がり、相当の免疫力の低下した人やまたは免疫学的記憶や抗体産生遺伝子をもたない人だけが発病する病気となった。もはや日本脳炎ワクチンの役割は終焉し、副作用だけがクローズアップされる時代となった。不活化ワクチンは、細胞免疫を高めないし、抗体産生能力を記憶し、遺伝的に継承されるかはわかっていない。
5.免疫抗体系の変化
以上のような状況下において細胞免疫や抗体産生能力、つまり免疫状態が低下すると発病するので、発病する人が老人に集中するようになったのである。また感染する機会も減少している。ウイルスが存在しているのに、発病者がほとんどいなくなったことは、日本人には、ほとんど日本脳炎に対する免疫系が働いて、発病しないことを意味している。一部自然抗体が検出されているが、自然抗体のない人が感染を受けていないことを意味する訳ではない。自然免疫系の細胞免疫段階で侵入を阻止できれば、抗体は産生されない。
6.遺伝子研究の進歩
ヒトのゲノムの研究において、ヒトのゲノムには、過去の疫病の歴史が遺伝子にプログラムされているという。ヒトは1世代で100の変異を蓄積するともいわれている。過去に大流行した病気は、その痕跡を後世のヒトの遺伝子に残した。ペスト、麻疹、天然痘、発疹チフス、腸チフス、梅毒、コレラ、インフルエンザに耐性を獲得してきた。ヒトの内在性レトロウイルスは、ゲノム全体の1.3%あると言う9)10)。
ヒトと環境(微生物も自然環境に含み、社会環境も)との適応関係ができて病気が変化し、一方でなくなり、その反面環境を変えたために新しい病気が次々と発生してくる。新しい病気の大流行はありえても、昔からある病気の大流行はありえない。
Ⅳ.日本脳炎不活化ワクチンの有効性が証明されていない
日本における不活化ワクチンの有効性を証明したデータはない。ワクチンの接種による中和抗体の上昇効果については多くの報告があるが、疫学的データはないと考える。
日本でも現在、新ワクチンを開発し、導入を進めている。しかし、その有効性を示す野外実験などの根拠はない。抗体検査だけである。
ウイルスに対しては、細胞免疫が有効で測定する方法は開発されてきたが、まだ一般化されてはいない。自然感染の場合には、中和抗体が出来ていれば細胞免疫もできているとされて、中和抗体の測定で代用されているに過ぎない。過去、日本製ワクチンの台湾での野外実験でも有効性は確認されなかった11)。タイでの野外実験では、やや有効という程度であった12)し、日本人とタイ人では、日本脳炎ウイルスに曝露されている期間が違い、バイアスが多く、日本人にそのままあてはめられない。それは日本人の自然感染しての発病率が5、000人に1人以下(計算不能)であるので、統計上の比較にならないからである。
抗体の持続も1年間中止で16%、2年間中止で22%、3年間中止で26%が陰性になる13)。
Ⅴ.ワクチンの副作用
表1 1994~2003年度の日本脳炎ワクチン接種後の神経系副反応報告1)
脳炎・脳症 27 うち 急性散在性脳脊髄炎とその疑い 18
その他の脳炎・脳症 9
けいれん 38
運動障害 3
その他の神経障害 20
表2 1994~2003年度の総報告数
即時全身反応 234
神経系(前記) 88
局所異常反応(肘をこえるもの) 12
39゜C以上の発熱 142
その他の異常反応 97
ワクチンの副作用を表1,2に示す。総報告のうち、死亡は3人、後遺症は14人であった。この間の発病者数は、1994~2000年までで28人、うち小児は15歳1人。死者は1人(87歳)であった。後遺症率15%であった。これでは、日本脳炎にかかる子どもはなく、日本脳炎ワクチンによる副作用と思われる被害者ばかりでているのが現状である。
Ⅵ.病気の予防は何をすべきなのか。
1.ワクチンは感染症の予防の一つの方法にしかすぎない
感染症予防対策は、①感染源対策、②感染経路対策、③感受性対策があり、感受性対策には、予防接種とともに、ヒトの身体的、精神的、社会的健康を保つことにある。
2.ワクチンの見直し
1970年の種痘禍に続いて、三種混合ワクチンの副作用(脳症など)が多発し、副作用への関心が高まり、1974年三種混合ワクチン接種直後のショックや脳症で死亡する事故が2人あり、1975年三種混合ワクチンが中止された。1970年小児科学会で予防接種委員会を作り、その後パネルディスカッションがもたれた。そのときの報告では、小児科医の全国的規模でのコンセンサスは、有効とされたのはポリオ、麻疹、破傷風であった。そしてそのときの結論として、表3に示すごとくで+と-をあげて評価することであった。 これで評価すれば、日本脳炎ワクチンは、治療法の確立以外は、中止すべきワクチンと評価されると考える。
表3 予防接種の評価基準
予防の必要性 流行の 治療法の ワクチンの ワクチンの
(病気の恐ろしさ) おそれ 確立 効果 副作用
継続すべきワクチン + + - + -
中止すべきワクチン - - + - +
おわりに
日本脳炎ワクチンは、有効性のデータがないのにまかり通っているワクチンである。そして発病者より副作用被害者が上回っている。もうその役割は終わった。
病気の最良の治療法は予防である。予防の第一は、健康を保つことである。健康とは、WHOの定義にあるように「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれた完全に良好な状態をいう」。日本で感染症が少なくなったのは、決して予防接種の成果ではなく、戦争をせず、平和に暮らし、軍備費をかけずに経済が発展し、社会経済的に安定したからである。ソ連崩壊後のソ連圏諸国で、結核やジフテリアなどの感染症が激増したり、アフガニスタンの内戦後でも感染症が激増している。世界では、約50カ国が戦争もしくは内戦状態にあり、それらの国にエイズを始めとする麻疹、結核、黄熱、デング熱、マラリアなどの感染症が多い。
人間は本当に健康であれば、決して病気にならない。悟りをひらいた宗教者たちも病気をしない。こころ穏やかであれば、病気をしないのである。身体とこころの健康を保つことが大切で、それは社会的に形成される。現代では、社会的環境に適応できなくて病気にかかる。だから病気は常に、社会の中の弱者、低所得階層に多くなる。しかし経済的に豊かでも、こころも豊かにならないとまた病気になる。こころ豊かな生活をおくることが病気を防ぎ、予防接種よりも大切なのである。
文 献
1)厚生労働省:日本脳炎に関する専門家ヒアリング会議資料集.2004
2)緒方隆幸ほか:日本脳炎研究の回顧-北岡先生との対談-.臨床とウイルス15:317-326,1987
3)緒方隆幸:日本の日本脳炎の疫学.臨床とウイルス13:150-155,1985
4)厚生省:昭和63年伝染病統計
5)北野忠彦:日本脳炎ワクチンの効果と接種率.小児科診療56:2165-2170,1993
6)水野喬介・園田憲悟:日本脳炎ワクチン.小児科45:883-888,2004
7)笹月健彦(訳):免疫生物学第5版.南江堂:2003
8)ルネ・デュボス:人間と適応.みすず書房:1982
9)マット・リドレー:ゲノムが語る23の物語.紀伊國屋書店:2000
10)マット・リドレー:やわらかな遺伝子.紀伊國屋書店:2004
11)三浦悌二:日本脳炎・現状の理解と将来への展望.Medical Tribune 1980年5月8日号:26~27,1980
12)木村三生夫・平山宗弘(編著):予防接種の手引第四版.近代出版,pp1-9,1983
13)辻 芳郎:日本脳炎ワクチン.小児科37:1149-1155,1996