「子どもに対しての説教について」考える
コメントにありましたので、通常はお答えしないのですが、大変重要なことなので、お答えに当たるかどうか判りませんが、私の考えを述べます。これはあくまで私のこれまでの僅かな経験と体験と、勉強して来た知識とで考えたことですから、一つの考えと思って下さい。
できれば人生相談などへご相談される方がお母さん自身の問題として必要ではないかと思います。私はあくまで子どもの立場からのお答えです。これは一つの考えですから、あとはご自分で考えて下さい。また何か良い考えのある方はコメントして下さい。
まず、子どもに話をしたり叱って、言うことを聞いてもらえる年齢は、ふつうは三歳過ぎからです。女の子は早く、男の子は遅いです。しかし、その年齢で子どもに期待してはいけません。
一般に叱られた理由は判らずに「してはいけないこと」としか判りません。ですから、言うことを聞く子も聞かない子もいます。中には顔色をうかがって、したりしなかったりします。そうしなければいけない意味、理由が判っていないのです。ただ叱られるかどうか様子をうかがってするのです。
一般的には、親がよく判りやすく説明し、それで、よく理由を判って言うことを聞くのは、女の子では早くて小学校入学後であり、男の子では小学校中学年くらいからです。
それ以前に親の言うことを無理やり聞かせようとするのは、無駄です。どんなに痛い目に合わせても、痛いことは覚えていても、またやります。
死刑が犯罪の抑止力にならないように、痛い目に合わせても抑止力にはなりません。虐待を受けた子どもを見ると、骨折しても、あざができても、やけどができても、繰り返しします。なぜしてはいけないかが理解できないのです。特に、三歳以下では理解しろと言うのは無理です。それにその年齢以後でも、先に述べた年齢までは、判っていても従いません。
それが子どもなのです。
成長したら体罰をして言うことを聞く子は、体罰でなくてもきちんと説明すれば言うことを聞きます。話をして言うことを聞かない子どもは、体罰をしても言うことを聞きません。言葉でも、使い方により暴力になります。はやりの言葉でいうとハラスメントで、力関係で上の人が下の人にいうと、パワハラになります。
そういう意味で、体罰は無意味であり、してはいけないのです。言うことを聞かない子は、逆にいつか仕返しをしてやろうと思うようになります。
前述の年齢以前に、もし言うことを聞くとしたら、素直にきいてくれればよいのですが、なぜか意味が理解できないと、「闇教育」にも書きましたが、子どもが感情を押し殺して聞いているのだと思います。それが続くと、感情を表さないでまたは感情を押し殺して生きていく子どもになる可能性が高くなります。
それはそうしないと生きていけないからです。子どもはすべて自分が悪いと思い、何とか親に合わせて生きて行こうとします。そうすると、自然に生じる感情は、それにじゃまになるので、押し殺すのです。それを繰り返していると、感情を持たない子どもになったり、または我慢していて、それを病気になることによって発散することになるのです。
そうでない子は、反発して飛び出したり、逃げたり、そのほかいろいろな行動をとると思います。反発しない、または反発できない子どもは、自分を責めてしまいます。いろいろな子どもがいますから一概には言えませんが、何らかの行動をとらなければ、やはり自分を責めているのだと思います。
一番心配なのは、感情を持たない子になることです。そうすると、池田小事件の少年Aのようになることが予測され、将来何らかの事件を起こさない保証はありません。がまんさせず、嫌なことは嫌というようにしましょう。喘息ならそれでよくなりますが、また繰り返せばまた喘息になります。性格が変わってしまえば、それを直すのは早いうちがよいです。
父親にそれをやめさせることは難しいです。大人は自分の性格を変えるのは自分で気がついていても治すのは難しいし。自分で気がついていなければ、尚更難しいことです。
母親は、まず父親の説教の後に、すぐか翌日くらいに、「お父さんがああいうのだから○○しなさいね。でも、そんなに気にすることはないわよ。お母さんだって忘れ物をしたことがあるわよ」とか「お母さんだってキャンプで火が起こせないわよ」とか言ってなだめ、「あなたはダメな子ではないわよ。○○したことが悪いので叱られたので、あなたは良い子だからちゃんとお父さんの話を聞いていられたのでしょ。」などと言って、お父さんのしたこと、言ったことを全否定はしないが一部は否定して、薄めて下さい。そして「お母さんはあなたのことを信じているからね」とか「お母さんはあなたのことを愛しているからね」と言って、母親の方へひきつけて下さい。そして「あなたはしっかりしているわよ」と言って、全否定された子どもを一人の人間として認めてあげて下さい。
子どもが人の目を気にするようになっているのは心配です。それを何とか直さないといけません。それには、自分のしたことに自信を持たせることです。それには、お父さんに否定されたことでも、母親の目で見て、問題がなければ、そのように話してあげることです。
あなたは、そんなことをすると父親からあなたが標的にされると恐れているのでしょう。しかし、大人で、もう既に出来上がっている大人のあなたが、まだ発展途上の子どもたちを守ることがあなたの勤めではないでしょうか。あなたが子どもたちの前に立ち、壁にならなければいけません。
それができなければ、あなたはご主人と子どものどちらをとるかどうかが問われます。
子どもをとるなら、子どもの立場に立ちましょう。あなたとご主人との関係を見直してはどうでしょうか。特に「いなくなってくれたらいいのに」などと言われて、あなたはどう考えていますか。「結婚したからには、夫に従う」などはもう過去の物です。
私の祖母は「女は生まれてからは父親に従い、結婚したら夫に従い、老いたら息子に従う」という昔の考えでした。それで母と祖母はいつもけんかを繰り返し、父はどちらの方にもつけずにおろおろしていました。それで、祖母の矛先を受けたのは姉で、私は男であったので、あと継ぎとして見られ、まぬがれました。でも父も母も子どもや孫たちを叱ることはありませんでした(姉にはどうか判りませんが)。それで私は、今のように育ったのでしょう。
夫の母親に相談してもだめです。母親はふつう息子の方につきますし、また女性では男に太刀打ちできません。相談するなら男性で、夫の伯父さんまたは叔父さんにすることです。いなければ、外部の男性、特に夫の信頼している人がよいです。第三者の方が話を聞いてくれると思います。それでだめなら、弁護士をたてるしかありません。
門限や家の規則は親の勝手です。子どもが納得していなければ、何も強制力はありません。よく、本人も納得しているからと言いますが、本当に納得しているのでしょうか。いやいやしているではないでしょうか。子どもとの約束も同じです。
これはみなさまに知って頂きたいことです。門限やその家だけの規則は、本当に子どもが納得し、その気にならなければ効力はありません。寝る時間も同じです。早く寝かせるには親が早く寝ることです。
それは、暴力団に、または強権力的に、強制的に署名捺印させられても、その契約は無効にできます。もちろん、裁判所に認めてもらうことが必要です。
それと同様に、親の一方的な考えでの門限や家の規則は、強制的に子どもに認めさせても、約束しても、それは無効なのです。
また、子どもに教えても、子どもに興味がなければ、教えても覚えないのは当たり前です。それを覚えないからと叱っても意味がありません。興味を持たせておしえることが、ポイントです。しつけは教育ですから、教え込むことで、それには興味を持たせ、興味がある時に始めから正しいやり方で教えることです。目黒のある幼稚園で、三、四歳の園児に包丁をもって野菜を切ることを教えていました。それは、毎年のことで、一年上の園児が一人一人について、こうするのだよと教えるのです。そうすると必ずその通りにして、違うやり方や危ないことをしません。これが一番良い教え方なのですが、集団でないとできません。家では上の子に、下の子へ教えさせるのが良いと思います。
子どもをだめだと全否定すると、本当にダメな人間になり、将来世間に出ていけないひきこもりになる可能性があります。また精神的な病気になる可能性もあります。子どもの人格を否定してはいけません。
子どもを叱る時には、「あなたはダメな子ね」と言ってはいけません。「こういう悪いことはしてはいけません」と叱ることです。したことを叱っても、子どもの人格すべてを否定してはいけません。「あなたはいい子だから、こういう悪いことはしてはいけません」と叱ることです。
そして父親が叱っていたら、母親がフォローして、陰でお父さんはああいうけれど、あなたはこういうことをしたから叱られたので、あなた自身はそんなに悪い子ではありませんよということです。
喘息になったのは明らかにそのせいです。それはまた別に話します。
お父さんに何を言っても無駄ですから、母親が壁にならないといけません。私は何も悪くないのになどと思ってはいけません。それができなければ、いろいろ証拠を録音しておき、離婚するしかありません。親が愛情で結ばれていなければ、仕方ありません。別れるしかないのです。大人はなかなか自分を変えられませんから、お父さんに変わることを期待しても無理です。
もし愛があれば、あなたが子どもの間に入り、壁になることです。あなたは判っているのだから、いくらでも耐えて下さい。人の目を気にしたり、無表情になる子は、将来大変なことを起こすか、閉じこもるかするようになります。父親から離さなければいけません。それができなければ、将来どうなるか判りません。あなたが我慢してよいことはありません。子どもが大変になります。子どもを、これから犯罪者やひきこもりやニート、精神病や、その他いろいろな問題を起こす子にしたくなければ今しかないと思います。まだ回復は可能な年齢だと思います。
私のいとこは、私より15歳以上も上でしたが、父親が東大法科卒で司法試験も通り、外交官でした。男3人女3人の6人兄弟で、男3人の3番目で、上二人は東大法科卒で長男は国家公務員上級職試験を通り当時の大蔵省へ入り、次男は司法試験を通り裁判官になりました。しかし、彼は法政大学を卒業しました。でも父親にとっては大学は東大しかなかったので、大学出ではない息子はできない息子と思い、「俺の目の黒いうちは俺が食わせてやる」と言って就職させませんでした。その結果、私はまだ子どもだったので詳細は判りませんが、医者になってみたら、彼はなんと統合失調症になっていたのです。
私の大学時代に聞いたことですが、高校や進学塾で進路を聞かれた時に、成績の良い子は「僕は大学へ行きます」と答えたそうです。関東では成績の良い子にとって大学とは東大のことでした。だから東大とは言わず大学と答えたのです。私は、中学から慶応だったのでそれを知らず、その話を大学に受験をして入ってきた友達から聞いてびっくりしました。慶応なんか眼下にない大学だったのです。ですから、伯父がそのいとこに法政なんか大学じゃないということがやっとそこで判りました。
そしていとこは精神的な病気になりましたが、伯父は息子の病気を認めず、伯父が病気で倒れて入院したすきに、当時私は医師になっていたので、友人の精神科医に相談し、精神病院に入院させたのですが、そこの医師に「大分古い統合失調症ですね」と言われました。そして、彼は精神病院の中で死にました。
私の父も小児科医だったのですが、それを知っていても、口を出せなかったようです。そんな父を私は軽蔑していました。
これは一つの例です。まだまだありますが、他人のことは表に出せないし、私の従兄弟も六人のうち一人しか生きていないし、その人ももう高齢なので、言ってもいいと思いここに出したのです。私も心療内科もしていますので、統合失調症、うつ病などには、必ず生まれて以後の過去があります。最近増えているニート、ひきこもり、発達障害などもそういう過去があると私は考えています。そういうお子さんをお持ちの方には、申し訳ないですが、そう考えることが、なぜ病気になるかを考えた時に浮かんでくるのです。それが私の病原環境論です。
人はその生まれと、生まれて育った環境とによって、人になり、病気が決まってくると考えています。ですから、今の環境がお子さんによいとは言えませんから、何とか変えてあげることが必要だと私は思います。
最後に、「闇教育」の中で参考文献として書いた本のひとつの「親を殺した子どもたち」という本があります。その本にに書かれていた子どもの一人は、親を殺したあとに「せいせいした」と言う言葉を言ったそうです。また昔、目黒で両親と祖母を殺した少年がいました。祖父はたまたまいなかったのでまぬがれました。その子は成績が悪いとお小遣いを減らされました。そう約束させられたのです。でもほんしんではありませんでした。そして一人っ子でしたので、四人の目で監視されていたのです。それが爆発したのです。その子は何と言ったかは書かれていませんでした。しかし「せいせいした」と思います。
これを教訓的な言葉として、私は受け取り、みなさまにそうならないよう、子どもたちを育てて下さいと、新著に病気にならない子育て法を書いたのです。
私はいろいろなことを知り過ぎ、過敏になっているのかも知れませんが、そうならないことを願っています。
コメントにありましたので、通常はお答えしないのですが、大変重要なことなので、お答えに当たるかどうか判りませんが、私の考えを述べます。これはあくまで私のこれまでの僅かな経験と体験と、勉強して来た知識とで考えたことですから、一つの考えと思って下さい。
できれば人生相談などへご相談される方がお母さん自身の問題として必要ではないかと思います。私はあくまで子どもの立場からのお答えです。これは一つの考えですから、あとはご自分で考えて下さい。また何か良い考えのある方はコメントして下さい。
まず、子どもに話をしたり叱って、言うことを聞いてもらえる年齢は、ふつうは三歳過ぎからです。女の子は早く、男の子は遅いです。しかし、その年齢で子どもに期待してはいけません。
一般に叱られた理由は判らずに「してはいけないこと」としか判りません。ですから、言うことを聞く子も聞かない子もいます。中には顔色をうかがって、したりしなかったりします。そうしなければいけない意味、理由が判っていないのです。ただ叱られるかどうか様子をうかがってするのです。
一般的には、親がよく判りやすく説明し、それで、よく理由を判って言うことを聞くのは、女の子では早くて小学校入学後であり、男の子では小学校中学年くらいからです。
それ以前に親の言うことを無理やり聞かせようとするのは、無駄です。どんなに痛い目に合わせても、痛いことは覚えていても、またやります。
死刑が犯罪の抑止力にならないように、痛い目に合わせても抑止力にはなりません。虐待を受けた子どもを見ると、骨折しても、あざができても、やけどができても、繰り返しします。なぜしてはいけないかが理解できないのです。特に、三歳以下では理解しろと言うのは無理です。それにその年齢以後でも、先に述べた年齢までは、判っていても従いません。
それが子どもなのです。
成長したら体罰をして言うことを聞く子は、体罰でなくてもきちんと説明すれば言うことを聞きます。話をして言うことを聞かない子どもは、体罰をしても言うことを聞きません。言葉でも、使い方により暴力になります。はやりの言葉でいうとハラスメントで、力関係で上の人が下の人にいうと、パワハラになります。
そういう意味で、体罰は無意味であり、してはいけないのです。言うことを聞かない子は、逆にいつか仕返しをしてやろうと思うようになります。
前述の年齢以前に、もし言うことを聞くとしたら、素直にきいてくれればよいのですが、なぜか意味が理解できないと、「闇教育」にも書きましたが、子どもが感情を押し殺して聞いているのだと思います。それが続くと、感情を表さないでまたは感情を押し殺して生きていく子どもになる可能性が高くなります。
それはそうしないと生きていけないからです。子どもはすべて自分が悪いと思い、何とか親に合わせて生きて行こうとします。そうすると、自然に生じる感情は、それにじゃまになるので、押し殺すのです。それを繰り返していると、感情を持たない子どもになったり、または我慢していて、それを病気になることによって発散することになるのです。
そうでない子は、反発して飛び出したり、逃げたり、そのほかいろいろな行動をとると思います。反発しない、または反発できない子どもは、自分を責めてしまいます。いろいろな子どもがいますから一概には言えませんが、何らかの行動をとらなければ、やはり自分を責めているのだと思います。
一番心配なのは、感情を持たない子になることです。そうすると、池田小事件の少年Aのようになることが予測され、将来何らかの事件を起こさない保証はありません。がまんさせず、嫌なことは嫌というようにしましょう。喘息ならそれでよくなりますが、また繰り返せばまた喘息になります。性格が変わってしまえば、それを直すのは早いうちがよいです。
父親にそれをやめさせることは難しいです。大人は自分の性格を変えるのは自分で気がついていても治すのは難しいし。自分で気がついていなければ、尚更難しいことです。
母親は、まず父親の説教の後に、すぐか翌日くらいに、「お父さんがああいうのだから○○しなさいね。でも、そんなに気にすることはないわよ。お母さんだって忘れ物をしたことがあるわよ」とか「お母さんだってキャンプで火が起こせないわよ」とか言ってなだめ、「あなたはダメな子ではないわよ。○○したことが悪いので叱られたので、あなたは良い子だからちゃんとお父さんの話を聞いていられたのでしょ。」などと言って、お父さんのしたこと、言ったことを全否定はしないが一部は否定して、薄めて下さい。そして「お母さんはあなたのことを信じているからね」とか「お母さんはあなたのことを愛しているからね」と言って、母親の方へひきつけて下さい。そして「あなたはしっかりしているわよ」と言って、全否定された子どもを一人の人間として認めてあげて下さい。
子どもが人の目を気にするようになっているのは心配です。それを何とか直さないといけません。それには、自分のしたことに自信を持たせることです。それには、お父さんに否定されたことでも、母親の目で見て、問題がなければ、そのように話してあげることです。
あなたは、そんなことをすると父親からあなたが標的にされると恐れているのでしょう。しかし、大人で、もう既に出来上がっている大人のあなたが、まだ発展途上の子どもたちを守ることがあなたの勤めではないでしょうか。あなたが子どもたちの前に立ち、壁にならなければいけません。
それができなければ、あなたはご主人と子どものどちらをとるかどうかが問われます。
子どもをとるなら、子どもの立場に立ちましょう。あなたとご主人との関係を見直してはどうでしょうか。特に「いなくなってくれたらいいのに」などと言われて、あなたはどう考えていますか。「結婚したからには、夫に従う」などはもう過去の物です。
私の祖母は「女は生まれてからは父親に従い、結婚したら夫に従い、老いたら息子に従う」という昔の考えでした。それで母と祖母はいつもけんかを繰り返し、父はどちらの方にもつけずにおろおろしていました。それで、祖母の矛先を受けたのは姉で、私は男であったので、あと継ぎとして見られ、まぬがれました。でも父も母も子どもや孫たちを叱ることはありませんでした(姉にはどうか判りませんが)。それで私は、今のように育ったのでしょう。
夫の母親に相談してもだめです。母親はふつう息子の方につきますし、また女性では男に太刀打ちできません。相談するなら男性で、夫の伯父さんまたは叔父さんにすることです。いなければ、外部の男性、特に夫の信頼している人がよいです。第三者の方が話を聞いてくれると思います。それでだめなら、弁護士をたてるしかありません。
門限や家の規則は親の勝手です。子どもが納得していなければ、何も強制力はありません。よく、本人も納得しているからと言いますが、本当に納得しているのでしょうか。いやいやしているではないでしょうか。子どもとの約束も同じです。
これはみなさまに知って頂きたいことです。門限やその家だけの規則は、本当に子どもが納得し、その気にならなければ効力はありません。寝る時間も同じです。早く寝かせるには親が早く寝ることです。
それは、暴力団に、または強権力的に、強制的に署名捺印させられても、その契約は無効にできます。もちろん、裁判所に認めてもらうことが必要です。
それと同様に、親の一方的な考えでの門限や家の規則は、強制的に子どもに認めさせても、約束しても、それは無効なのです。
また、子どもに教えても、子どもに興味がなければ、教えても覚えないのは当たり前です。それを覚えないからと叱っても意味がありません。興味を持たせておしえることが、ポイントです。しつけは教育ですから、教え込むことで、それには興味を持たせ、興味がある時に始めから正しいやり方で教えることです。目黒のある幼稚園で、三、四歳の園児に包丁をもって野菜を切ることを教えていました。それは、毎年のことで、一年上の園児が一人一人について、こうするのだよと教えるのです。そうすると必ずその通りにして、違うやり方や危ないことをしません。これが一番良い教え方なのですが、集団でないとできません。家では上の子に、下の子へ教えさせるのが良いと思います。
子どもをだめだと全否定すると、本当にダメな人間になり、将来世間に出ていけないひきこもりになる可能性があります。また精神的な病気になる可能性もあります。子どもの人格を否定してはいけません。
子どもを叱る時には、「あなたはダメな子ね」と言ってはいけません。「こういう悪いことはしてはいけません」と叱ることです。したことを叱っても、子どもの人格すべてを否定してはいけません。「あなたはいい子だから、こういう悪いことはしてはいけません」と叱ることです。
そして父親が叱っていたら、母親がフォローして、陰でお父さんはああいうけれど、あなたはこういうことをしたから叱られたので、あなた自身はそんなに悪い子ではありませんよということです。
喘息になったのは明らかにそのせいです。それはまた別に話します。
お父さんに何を言っても無駄ですから、母親が壁にならないといけません。私は何も悪くないのになどと思ってはいけません。それができなければ、いろいろ証拠を録音しておき、離婚するしかありません。親が愛情で結ばれていなければ、仕方ありません。別れるしかないのです。大人はなかなか自分を変えられませんから、お父さんに変わることを期待しても無理です。
もし愛があれば、あなたが子どもの間に入り、壁になることです。あなたは判っているのだから、いくらでも耐えて下さい。人の目を気にしたり、無表情になる子は、将来大変なことを起こすか、閉じこもるかするようになります。父親から離さなければいけません。それができなければ、将来どうなるか判りません。あなたが我慢してよいことはありません。子どもが大変になります。子どもを、これから犯罪者やひきこもりやニート、精神病や、その他いろいろな問題を起こす子にしたくなければ今しかないと思います。まだ回復は可能な年齢だと思います。
私のいとこは、私より15歳以上も上でしたが、父親が東大法科卒で司法試験も通り、外交官でした。男3人女3人の6人兄弟で、男3人の3番目で、上二人は東大法科卒で長男は国家公務員上級職試験を通り当時の大蔵省へ入り、次男は司法試験を通り裁判官になりました。しかし、彼は法政大学を卒業しました。でも父親にとっては大学は東大しかなかったので、大学出ではない息子はできない息子と思い、「俺の目の黒いうちは俺が食わせてやる」と言って就職させませんでした。その結果、私はまだ子どもだったので詳細は判りませんが、医者になってみたら、彼はなんと統合失調症になっていたのです。
私の大学時代に聞いたことですが、高校や進学塾で進路を聞かれた時に、成績の良い子は「僕は大学へ行きます」と答えたそうです。関東では成績の良い子にとって大学とは東大のことでした。だから東大とは言わず大学と答えたのです。私は、中学から慶応だったのでそれを知らず、その話を大学に受験をして入ってきた友達から聞いてびっくりしました。慶応なんか眼下にない大学だったのです。ですから、伯父がそのいとこに法政なんか大学じゃないということがやっとそこで判りました。
そしていとこは精神的な病気になりましたが、伯父は息子の病気を認めず、伯父が病気で倒れて入院したすきに、当時私は医師になっていたので、友人の精神科医に相談し、精神病院に入院させたのですが、そこの医師に「大分古い統合失調症ですね」と言われました。そして、彼は精神病院の中で死にました。
私の父も小児科医だったのですが、それを知っていても、口を出せなかったようです。そんな父を私は軽蔑していました。
これは一つの例です。まだまだありますが、他人のことは表に出せないし、私の従兄弟も六人のうち一人しか生きていないし、その人ももう高齢なので、言ってもいいと思いここに出したのです。私も心療内科もしていますので、統合失調症、うつ病などには、必ず生まれて以後の過去があります。最近増えているニート、ひきこもり、発達障害などもそういう過去があると私は考えています。そういうお子さんをお持ちの方には、申し訳ないですが、そう考えることが、なぜ病気になるかを考えた時に浮かんでくるのです。それが私の病原環境論です。
人はその生まれと、生まれて育った環境とによって、人になり、病気が決まってくると考えています。ですから、今の環境がお子さんによいとは言えませんから、何とか変えてあげることが必要だと私は思います。
最後に、「闇教育」の中で参考文献として書いた本のひとつの「親を殺した子どもたち」という本があります。その本にに書かれていた子どもの一人は、親を殺したあとに「せいせいした」と言う言葉を言ったそうです。また昔、目黒で両親と祖母を殺した少年がいました。祖父はたまたまいなかったのでまぬがれました。その子は成績が悪いとお小遣いを減らされました。そう約束させられたのです。でもほんしんではありませんでした。そして一人っ子でしたので、四人の目で監視されていたのです。それが爆発したのです。その子は何と言ったかは書かれていませんでした。しかし「せいせいした」と思います。
これを教訓的な言葉として、私は受け取り、みなさまにそうならないよう、子どもたちを育てて下さいと、新著に病気にならない子育て法を書いたのです。
私はいろいろなことを知り過ぎ、過敏になっているのかも知れませんが、そうならないことを願っています。