福島の子ども健康相談会を通して見えたこと<o:p></o:p>
2011年6月から始まった、福島市での子ども健康相談会には、いろいろなことがありました。<o:p></o:p>
当初の2回くらいは、福島から避難すべきか留まるべきか迷っていた親たちが来ていました。その人たちには、すぐ避難しなさい。父親を残してでも、母親と子どもは高線量の地域の福島市から避難すべきですとアドバイスし、母親の背中を押すことが大切でした。しかし、3回目以降は違いました。避難したくてもできない母親の相談が中心になったのです。その人たちは、地域に住んでいる人たちに、何とか被ばくを低くしようと話すと白い目で見られるようになり、学校の給食の食材をせめて県外産を使ってとか、校庭の線量が高いので土を削ってとか言えなくなってしまったので、その悩みを聞く場に変わっていったのです。「友達から別れたくないから避難しない。もう子どもは生まない」という女子高生もいます。来年進学するので、その時に低汚染地域に移るという子もいます。遅くはないから、中学、高校、大学などの進学の際に遠くても非汚染地に移ることを勧めています。家庭内で意見が違ったり、離婚問題が起きたりしています。<o:p></o:p>
多くの現地の人は、政府や福島県立医大副学長の山下氏の安全だというキャンペーンに乗って、安全と信じているか、避難できずにあきらめているかなのです。外部被ばくもさることながら、内部被ばくを少しでも減らそうと、家では県外産の食品を買って食べていますという人は少数になり、何か言うと周りから「それならば出ていけば」と言われてしまい、話す場がなくなってしまった人の、健康相談会ではなんでも言える場になっていったのです。福島市の半分は高線量地域に入り、避難すべきなのですが、政府は認めず、「安全だ」を繰り返すばかりで何もせず、取り残されています。チェルノブイリでは、年間5ミリシーベルト以上の地域は、強制移住地域で、年間1~5ミリシーベルトは移住勧告地域で、年間1~0.5ミリシーベルトで放射線管理地域になっています。これを現在の福島県とその周辺の自治体にあてはめたらどうなるのでしょうか。<o:p></o:p>
多くの人は、当初は心配していたけれど、避難できない現実の中で「汚染は低いから大丈夫だ」という政府や原子力ムラの学者たちの宣伝に乗らざるを得なくなっています。<o:p></o:p>
福島市では、国の出した食品の基準値を安全値と受け取っている人が多く、国の政策に乗ってしまっています。そこから抜け出せないから、自分の取っていることをそれで合理化せざるを得ないからかもしれません。「内部被ばくだけで1ミリシーベルト以内は大丈夫」と広報され、それを信じるしかできない状況に置かれています。 <o:p></o:p>
当初多かった健康相談会への参加者も減っています。避難という言葉も使えなくなり、引っ越しとか移住という言葉を使うことになりました。チェルノブイリの経験から私たちがやっていることも保養からリクリエーションに替えようという話になっています。<o:p></o:p>
それでも福島の人は現実に不安を持っていますし、見かけは国や県の言いなりですが、現実は違い、福島県の全県民202万人を対象にした「基本調査」のアンケート回収率はわずか21.8%(2012年3月22日現在)。(週刊東洋経済2012.4.28-5.5号)<o:p></o:p>
実際、表向きは国や県の言うことを聞きながら、本心信じられない所があるのではないでしょうか。だから、福島では原発事故被災という言葉は、いつの間にか使えない言葉になっています。言ったら自分たちの不安を増すだけで、そこから逃げ出したい気持ちになります。でも現実には社会的に、経済的に、家庭内で、できない状況にあります。そうしたらどういう行動をとるでしょうか。<o:p></o:p>
県は福島県民の18歳以下の子どもの甲状腺の検査を2014年3月末まで先行検査をすると言っています。3月現在で、経過観察のA2判定が29.7%、二次判定のB判定が0.7%(26人)でした。(前記週刊東洋経済)その後の情報では、県民健康管理調査で、昨年度分のB判定が186人で、9月の時点では60人の精査分より甲状腺がんが1人であったということです。チェルノブイリでもそうでした。1年後に出た甲状腺がんの子どもは無視されました。チェルノブイリでは、その後毎年少数出て、4年後に急増したのですが、その後増え続け6年後の1992年国際的に発表されましたが、反論も多く、国際的に認められるにはもっと時間がかかりました。(「チェルノブイリ検証」今中哲二:チェルノブイリ10年.原子力情報室編)福島でも、今後年一人か二人出ても認められないでしょう。 がんの増加と共に非がん疾患の増加も同じ経過をたどると思います。<o:p></o:p>
私たちが支援した食品の放射能測定で判ったことは、牛乳は地元企業の牛乳が検出限界以下で、大手企業は基準値以下ですが、出ています。いろいろな食品で、福島産でも検出限界以下のものもありますし、やはり茸類やイチゴ類、いのししなどの野生動物には出る率が高いです。葉菜,根菜も測定して見ないと判りません。<o:p></o:p>
内部被ばくも、ホールボディカウンターの測定値で見ると、1年前に比べて低くなっています。機械の精度が上がったからか、実際にそうなのかは判りません。<o:p></o:p>
私たちは、測定の方は現地の方に任せて、次の仕事に移りました。保養またはリクリエーションです。それでできることは、汚染地を離れて2~3週間過ごすことです。その間にチェルノブイリの経験では20%体内のセシウムが減少するのです。そして孤立している子どもたちに仲間ができ、希望を持つことができます。<o:p></o:p>
学校サナトリウムが夢ですが、今、恒久的な小さなサナトリウムを沖縄の久米島に作りました。「球美(くみ)の里」です。遠いので交通費が最大の問題です。学童は休み期間中に、乳幼児は平日に行くしかないのが現状です。現状では、まだいろいろな障害があります。乗り越えていきたいと皆頑張っています。<o:p></o:p>
健康相談会を通して判ったことは、国や県は何もしてくれません。福島県の3分の2は、高濃度、中濃度の移住勧告すべき汚染地に入っています。チェルノブイリの例から言えば、避難すべきなのですが、できないのです。除染はしても、またしばらく経つと汚染されてしまいますし、一軒だけ除染しても住めません。除染の費用より、移住の費用を出すべきです。除染して戻ることは幻想に過ぎません。チェルノブイリでの事実がそれを物語っています。26年経っても戻ることはできないのです。<o:p></o:p>
私たちは、本当は移住することが良いのですが、それができない多くの人に、特に子どもたちの内部被ばくを減らすことと、それに寄与する保養を勧めています。<o:p></o:p>
子どもたちに健康上の問題が出てくるのは、3~4年後だと思います。甲状腺がんなどの発がんと白血病の増加です。それから疲れやすいとか、病気にかかりやすくなります。がんにならなくても、体のどこかに病気が出て来ます。それがチェルノブイリの現実です。NHK出版「低線量汚染地域からの報告」によれば、2008年には成人被災者の健康状態は、健康な人は21.5%で、慢性疾患を持つ人は78.5%に増加しています。その多くは循環器系疾患とのことです。1988年には健康な人は67.7%だったのですから、大変なことです。年間1ミリシーベルト以上の地域の人は、できるだけ移住して下さい。<o:p></o:p>
また妊娠しても避難せず、福島で子どもを産む母親が少なくないことに驚きました。異常なく生まれて、元気に育ってくれることを祈るしかありません。<o:p></o:p>
多くの公害・薬害被害者たちと同じように、国は原発事故の被害者を、僅かな補償金で切り捨てていくでしょう。<o:p></o:p>
今私たちにできることは、子どもたちの保養です。どうかご支援をお願いします。また私たちの実践を契機に、各地に恒常的な保養施設ができることを願っています。