予防接種を考える時に
皆様に、ぜひ考えて頂きたいことは、あなた個人のことでなく、日本の社会についてです。日本の社会がどうなっているか、予防接種をめぐるいろいろな社会状況がどうかを知ってほしいですし、私が日本の子どもたちに思っていることを知ってほしいのです。
予防接種を考える時に
1.予防接種を考える時に、まず皆さんの心の中に自分の子どものことだけを考えているのではないでしょうか。
私は、子どもは「社会の子ども」と考えています。子どもはいつから一人の人権を有するかと言うと、私は、本来は「受精した時から」と考えますが、そこは早すぎると言う意見もあり、その次は「妊娠中絶ができなくなる時期から」となるか、次は「おぎゃーと生まれてから」となります。そして、人として生まれるからには、人は社会無くしては生きていけないので、「社会の子ども」なのです。
人は、社会的に人間になるのです。ロビンソンクルーソーの様に一人で生きていくことはできないのです。ロビンソンクルーソーは夢または憧れなのです。
人は、社会的存在なのです。ですから私は人を「心と体をもつ社会的存在」と考えます。
心と体は表裏一体のものであり、心は社会的に作られるものです。社会無くしては、人は存在できないのです。
2.予防接種を推進している小児科医の中に、年間千人以上接種している医師がいます。医師一人で、パートの医師も使って、30人くらいの職員をかかえ、多数の患者さんを診ています。そういう医師が少数ですがいて、数人の医師で予防接種が年間1万人をこえるのではないかと思います。驚くことに、そういう小児科医では、予防接種事故または過誤の報告がないのです。どうしているか推察すると、問診や診察で、危なそうな子どもをふるい落として、健康な子どもだけにしていると思うのです。ちょっと問題があれば、次の機会にまわします。小児科専門医でワクチンを受けることを勧めるのは、そこにあります。
予防接種事故を起こしているケースを見ると、問題を抱えているのに、接種しているのです。手術して10日しかたっていないとか、いろいろな薬を飲んでいるとか、調子が悪くて部活を休んでいる時とか、風邪気味とか、何らかの健康上の問題をかかえている状態で接種してしまっています。小児科専門医以外でも予防接種できることに問題があります。しかし、小児科医が少ないので、医師会が反対して、小児科医だけで予防接種をするとなると大変で、まして乳幼児健診も、学校医や幼稚園医などもすべて小児科医がしなければならないとなるとお手上げになりますし、小児科医がいない市町村も少なくなく、今でも予防接種をする医師がいない市町村が全国で30くらいありますから、小児科医に限定するとその何倍にもなると思います。
3.小児科医が少ないのは、小児科医が大変なからです。「小児科医にゴルフのうまい医者はいない。小児科医で学校医の仕事で良い仕事をした医者はいない。」とこんなことが言われています。それは、小児科医は忙しく、暇がなく、しかも稼ぎが少なく、ゴルフも学校医での研究などの仕事もする余裕がないのです。私の友人で、小児科医の息子なのに、小児科に行くなら学費を出さないと父親に言われて、産婦人科医になった人がいました。
4.私が国立埼玉病院にいた時には、予防接種はすべてほかの医師に断られた人だけにしぼっていました。当時の基準では多くの人が接種の適応外としてはじかれていたのです。その方が安全でもあるのですが、受けられない子も多かったのです。それで、私はそういう子のために、予防接種をしていました。しかし、他の医師から回ってきたりした子どもに接種しても、何も問題は起きませんでした。てんかん、心臓病、腎臓病などの慢性疾患の子どもたちがその対象でした。
ワクチンは、良い健康状態の時に受けて下さい。親の都合で決めないで下さい。それが安全な受け方なのです。
5.なぜ私の考え方が変わったかというと、
○ 私の病原環境論の一端を述べると、(デュボスによる)
あなたは、アメリカ先住民(インディアン)が白人に銃で負けたと思いますか。違います。アメリカ大陸に各地で、先住民が白人の侵略者に負けたのは、一つは侵略者を敵と考えなかったことと、もう一つは病気を持ちこまれたことです。アメリカ大陸に今から1万5千年かです。ら5千年前くらいの間に、アジアからモンゴロイドがベーリング海峡を歩いて渡ったのです。
つまり、アメリカ大陸の先住民は、私たちの祖先と同じモンゴロイドでした。日本人の祖先が日本に定住したのも1万年前と言われています。
アメリカの先住民たちは、白人に持ち込まれた結核、天然痘、発疹チフスなどによって滅ぼされたのです。代わりに梅毒がヨーロッパに持ち込まれました。歓迎しておもてなしをしたのは女性たちでした。
しかし、スペイン人は戦いの時には、船旅の間に発病した患者の衣服をわざわざ残して逃げ、それによって先住民がかかり、次々と死亡したのです。例えば結核では、結核がアメリカ大陸にはなかったので、初めてかかった一代目は、粟粒結核や結核性髄膜炎などの全身結核になり、それを生き延びた二代目は「るいれき」という頚部リンパ腺結核になり、三代目にして肺結核になったのです。それは、結核菌と先住民との適応関係がしだいに出来上がっていったのです。これが、インディアンが白人に負けていった理由です。生き残った人々は少数で、もう武力で太刀打ちはできなかったのです。3万のメキシコの大軍が、たった600人のスペイン兵に負けたのも同じことでした。こちらは天然痘でした。
それで先住民の神は、現地人を救ってくれず、白人の神は白人たちを救ったと考えて、現地の人がキリスト教に改宗していったと思われます。
これを日本人と日本脳炎ウイルスとの関係に当てはめると、よく判ります。もう日本人は高齢者か免疫が低下した人しか日本脳炎を発病しなくなったのです。
6.また、デュボスはロックフェラー結核研究所所長で結核の研究者でしたので、結核菌の研究をし、重症の結核の人と軽症の人の結核菌の違いを調べましたが、どこにも違いがなく、結局かかった人の健康状態に違いがあると考えたのでした。
私は、それで健康な状態を維持すれば、ワクチンが要らない病気が少なくないと考えます。そこで、私の考えでのワクチンの要否は、お子さんの健康状態にあると考えています。
それで私の新著には、そのことが書いてあります。
皆様に、ぜひ考えて頂きたいことは、あなた個人のことでなく、日本の社会についてです。日本の社会がどうなっているか、予防接種をめぐるいろいろな社会状況がどうかを知ってほしいですし、私が日本の子どもたちに思っていることを知ってほしいのです。
予防接種を考える時に
1.予防接種を考える時に、まず皆さんの心の中に自分の子どものことだけを考えているのではないでしょうか。
私は、子どもは「社会の子ども」と考えています。子どもはいつから一人の人権を有するかと言うと、私は、本来は「受精した時から」と考えますが、そこは早すぎると言う意見もあり、その次は「妊娠中絶ができなくなる時期から」となるか、次は「おぎゃーと生まれてから」となります。そして、人として生まれるからには、人は社会無くしては生きていけないので、「社会の子ども」なのです。
人は、社会的に人間になるのです。ロビンソンクルーソーの様に一人で生きていくことはできないのです。ロビンソンクルーソーは夢または憧れなのです。
人は、社会的存在なのです。ですから私は人を「心と体をもつ社会的存在」と考えます。
心と体は表裏一体のものであり、心は社会的に作られるものです。社会無くしては、人は存在できないのです。
2.予防接種を推進している小児科医の中に、年間千人以上接種している医師がいます。医師一人で、パートの医師も使って、30人くらいの職員をかかえ、多数の患者さんを診ています。そういう医師が少数ですがいて、数人の医師で予防接種が年間1万人をこえるのではないかと思います。驚くことに、そういう小児科医では、予防接種事故または過誤の報告がないのです。どうしているか推察すると、問診や診察で、危なそうな子どもをふるい落として、健康な子どもだけにしていると思うのです。ちょっと問題があれば、次の機会にまわします。小児科専門医でワクチンを受けることを勧めるのは、そこにあります。
予防接種事故を起こしているケースを見ると、問題を抱えているのに、接種しているのです。手術して10日しかたっていないとか、いろいろな薬を飲んでいるとか、調子が悪くて部活を休んでいる時とか、風邪気味とか、何らかの健康上の問題をかかえている状態で接種してしまっています。小児科専門医以外でも予防接種できることに問題があります。しかし、小児科医が少ないので、医師会が反対して、小児科医だけで予防接種をするとなると大変で、まして乳幼児健診も、学校医や幼稚園医などもすべて小児科医がしなければならないとなるとお手上げになりますし、小児科医がいない市町村も少なくなく、今でも予防接種をする医師がいない市町村が全国で30くらいありますから、小児科医に限定するとその何倍にもなると思います。
3.小児科医が少ないのは、小児科医が大変なからです。「小児科医にゴルフのうまい医者はいない。小児科医で学校医の仕事で良い仕事をした医者はいない。」とこんなことが言われています。それは、小児科医は忙しく、暇がなく、しかも稼ぎが少なく、ゴルフも学校医での研究などの仕事もする余裕がないのです。私の友人で、小児科医の息子なのに、小児科に行くなら学費を出さないと父親に言われて、産婦人科医になった人がいました。
4.私が国立埼玉病院にいた時には、予防接種はすべてほかの医師に断られた人だけにしぼっていました。当時の基準では多くの人が接種の適応外としてはじかれていたのです。その方が安全でもあるのですが、受けられない子も多かったのです。それで、私はそういう子のために、予防接種をしていました。しかし、他の医師から回ってきたりした子どもに接種しても、何も問題は起きませんでした。てんかん、心臓病、腎臓病などの慢性疾患の子どもたちがその対象でした。
ワクチンは、良い健康状態の時に受けて下さい。親の都合で決めないで下さい。それが安全な受け方なのです。
5.なぜ私の考え方が変わったかというと、
○ 私の病原環境論の一端を述べると、(デュボスによる)
あなたは、アメリカ先住民(インディアン)が白人に銃で負けたと思いますか。違います。アメリカ大陸に各地で、先住民が白人の侵略者に負けたのは、一つは侵略者を敵と考えなかったことと、もう一つは病気を持ちこまれたことです。アメリカ大陸に今から1万5千年かです。ら5千年前くらいの間に、アジアからモンゴロイドがベーリング海峡を歩いて渡ったのです。
つまり、アメリカ大陸の先住民は、私たちの祖先と同じモンゴロイドでした。日本人の祖先が日本に定住したのも1万年前と言われています。
アメリカの先住民たちは、白人に持ち込まれた結核、天然痘、発疹チフスなどによって滅ぼされたのです。代わりに梅毒がヨーロッパに持ち込まれました。歓迎しておもてなしをしたのは女性たちでした。
しかし、スペイン人は戦いの時には、船旅の間に発病した患者の衣服をわざわざ残して逃げ、それによって先住民がかかり、次々と死亡したのです。例えば結核では、結核がアメリカ大陸にはなかったので、初めてかかった一代目は、粟粒結核や結核性髄膜炎などの全身結核になり、それを生き延びた二代目は「るいれき」という頚部リンパ腺結核になり、三代目にして肺結核になったのです。それは、結核菌と先住民との適応関係がしだいに出来上がっていったのです。これが、インディアンが白人に負けていった理由です。生き残った人々は少数で、もう武力で太刀打ちはできなかったのです。3万のメキシコの大軍が、たった600人のスペイン兵に負けたのも同じことでした。こちらは天然痘でした。
それで先住民の神は、現地人を救ってくれず、白人の神は白人たちを救ったと考えて、現地の人がキリスト教に改宗していったと思われます。
これを日本人と日本脳炎ウイルスとの関係に当てはめると、よく判ります。もう日本人は高齢者か免疫が低下した人しか日本脳炎を発病しなくなったのです。
6.また、デュボスはロックフェラー結核研究所所長で結核の研究者でしたので、結核菌の研究をし、重症の結核の人と軽症の人の結核菌の違いを調べましたが、どこにも違いがなく、結局かかった人の健康状態に違いがあると考えたのでした。
私は、それで健康な状態を維持すれば、ワクチンが要らない病気が少なくないと考えます。そこで、私の考えでのワクチンの要否は、お子さんの健康状態にあると考えています。
それで私の新著には、そのことが書いてあります。
生後半年の息子を育てているのですが、予防接種で困っています。住んでいる市には、市立病院の小児科しか小児科の先生がいらっしゃいません。そこで予防接種で破傷風だけ受けたいと相談したのですが、うちではやってないとのことでした。今後、病気になった時にお世話になるところも考えないといけません。。
奈良県在住なのですが、奈良県内で信頼のおける小児科の病院はありますでしょうか?
あとは自分で探すしかありません。コロナ問題で、全国に有志医師の会ができました。若手が主力で、コロナウイルス対策やコロナワクチンに異論を唱えています。北海道から関東に広がった動きで奈良県にイルカはわかりません。ネットで検索して個別に問い合わせるかHPを見るしかないと思います。それよりも、安全を期待するならさいてい1歳以後できれば2歳以後に延ばしたらどうでしょうか。昔、三種混合で問題が起き、2歳以後にして問題なく、それをしだいに低年齢に戻したのです。乳児期にするようになり、年間に数人の死者が出ています。それでも戻そうとしません。因果関係不明として、ワクチンによるものと認定しません。コロナワクチンも同じです。破傷風はしなくても助かる病気で、乳児期に必要なワクチンはありません。百日咳は、すべて大人の咳の出る人、特に高齢者からうつされます。家族に咳の出る人がいたら、コロナと同様に接触禁止です。破傷風は深い傷からで、震災や土砂崩れなどで深い地下からの土に汚染された時しかなく、平時には感染する機会はなく、東日本大震災の時や熊本地震の時に出ているくらいです。三種混合か四種混合を2歳以降にすればよいと思います。