黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

気候変動の真実

2022-10-24 17:04:31 | 地球温暖化

   

  気候変動の真実

 この本の著者はニューヨーク代物理学科教授であるが、アメリカ政府や国連が評価しているのは、

 ・ 過去100年間、人間はハリケーンに明確な影響を及ぼしてはいない。

 ・ グリーンランドの氷床の縮小スピードは80年前と変わっていない。

 ・ 人間が引き起こす気候変動の最終的な経済的影響は、少なくとも今世紀末までは最小限にとどまる。

という。そして気候科学がこれほど未熟であったことに驚く。

 

  地球温暖化は、人間活動による炭酸ガスによるものか

      ―批判的グループの形成を呼びかける―

 二酸化炭素(炭酸ガス)地球温暖化説はおかしい。これもコロナウイルスの流行から学んだこと。

    私が疑問に思う訳は、一つは、地球は昔から氷期と間氷期を繰り返して来たはずでした。

だからちっぽけな人間が環境を変えることができるのは、核(原爆、原発など)しかないと思っていました。それでも、IPCCという専門家たちが言うのだからと、何も知らずに言われれるままに、地球温暖化はよくないと思い込んでいました。

 でもSGDsは麻薬だという斎藤浩平さんの意見を聞き、なるほどと思いました。新しい社会主義が必要だと思います。なぜなら、マルクスの社会民主党を引き継いできた北欧諸国の政治は、今一番人にやさしい社会ですから。

 そこで「人新世」という言葉を調べ、「人新世とは何か」という書を読みました。そこには人文社会科学と自然科学が分断されてきており、それは私が提唱する医学は社会科学であるということと同じことでした。気候学も社会学と分断されていたのです。すべての分野の科学を統合して判断すべなのでした。

 環境問題は、1972年の国連人間環境会議(ストックホルム)以後、環境問題は棚上げされ、リオデジャネイロ会議は開発会議であり、1997年の京都議定書は、国連気候変動枠組み条約の締結国会議でしかなかったのです。人間環境会議はどこへ行ってしまったのでしょうか。人間の環境問題は、主に福祉社会を追求する北欧諸国の提起であり、私の今の考えに進んだきっかけのロックフェラー大学の環境医学教授であったルネ・デュボスが議長でした。

 その後は、国連人間環境会議は開かれていません。

 気候変動は炭酸ガスによるものとの説は、突然出てきました。元々先進国は、炭酸ガスを出し続け、ロンドンの黒い霧から、アメリカの沈黙の春、ドイツの黒い森、日本も川崎と四日市の公害、東京も一時は都心部が排気ガスであふれ、光化学スモッグもあったのが、今はようやくそこから抜け出しました。しかし、原爆被害者も、その後の水俣病、カネミ油症などの被害者たちは、一部だけの救済で、多くの被害者は救済から外されています。

 福島第一原発事故も、いまだに原発事故緊急事態宣言が解除されていないのに、避難地区の一部が解除され、住民の復帰を促しています。

 しかし、世界の資本家たちは、第二次世界大戦(日本では15年戦争)で労働者の協力を得る為に譲った利益の分配を取り戻すべく、小さい社会を提唱し、新自由主義として、福祉社会を崩して、資本への利益を増やしていった。その一つが消費税であり、公営企業の民営化

であった。それが分かったのは、斉藤幸平さんの「人新世の資本主義」でした。

それで人新世を勉強しました。そこでアメリカの公衆衛生学者シゲリストや、全共闘時代の東大医学部長白木博次が提唱した、「医学は社会科学である」ということを、「人新世とは何か」では、分断された人文社会科学と自然科学の統合が必要であると、その歴史を明らかにしたのです。私の立ち位置は、そこでは「世界の周縁に追いやられた、ネオヒポクラテス学派」であったのです。確かにルネ・デュボスはヒポクラテスへ帰れと提唱していました。

私は、小児科医師連合の運動から、森永ヒ素ミルク中毒被害者の救援活動や、未熟児網膜症の被害者の救援から始まって、ワクチンの被害者救済、医療事故被害者の救済、そこからチェルノブイリ原発事故の被害者である子どもたちの救援に取り組んでいました。私がしてきた安保闘争などの運動は、私の子どもたちが若者になったら、継承してくれると信じていたら、その世代は氷河期世代で、正規雇用されず、労働組合にも無縁で、若くてもホームレスになってしまう世代でした。それを生み出したのは新自由主義です。それは国鉄民営化から始まったのです。その後の大きなことは郵政の民営化でした。それで新自由主義は大学や公務員まで派遣労働者だらけにして、所得税の累進性を廃止して上限をなくし、法人税も減税し、企業は内部留保をたっぷりとし、経営者たちは高額給与をとっています。

 私は、地球温暖化はよくないと思わされ、しかし、それに対してのSDGsやグリーンニューディールは、まやかしだと思っていました。確かに、消費社会はやめる必要がありました。日本の「もったいない」精神を生かすべきでした。

それもコロナ禍の社会が必然的にその方向へ進んだし、発展途上国の人々や先進国の貧困層がすべて文化的水準な生活を送ることを求めることは必然でした。

 ところが広瀬隆さんが、季刊「季節」で地球温暖化の炭酸ガス説は間違いとの論説を出して気が付きました。そこで広瀬隆さんの論文に出ていた本を読みあさりました。

 「二酸化炭素CO2によって地球が温暖化しているという説は科学的に全く根拠がないデマである」広瀬隆、講演録パンフ

 「地球温暖化説はSF小説だった」広瀬隆、八月書館

 「『地球温暖化』狂騒曲」渡辺正、丸善出版

 「気候変動の真実」S.E.クーニン、日経BP

 「地球46億年気候大変動」横山祐典、講談社ブルーバックス

 「異常気象が変えた人類の歴史」田家康、日経プレミアシリーズ

 「不機嫌な太陽」スベンスマルク/コールダー、恒星社厚生閣

 そこでやっとわかりました。「気候変動の真実」というクーニンの本では、アメリカやイギリスでは、Red グループという、地球温暖化二酸化炭素原因説に批判的なグループが形成されているというのです。日本ではそれがないようです。これから作る必要があると思います。

それで、私が一番説得的だと思った「不機嫌な太陽」を、あまりにも難しいので、私なりに書き直して、ブログに載せることにしました。翻訳もうまくありません。私すら読み続けるのが困難でしたから。順を変え、一部は文を書き直しました。

 宇宙線が雲を作り、雲が地球の温暖化と寒冷化の主因である。その宇宙線の変動は太陽と銀河系とさらに数十の銀河をもつ天空にあるというものです。前半だけでもお読みください。宇宙の話は、その説の裏付けにしか過ぎませんから。ただ、寒冷化が生物の進化や人間の登場を生んだという考えも納得しました。 「不機嫌な太陽」は、9章まであり、一度に載せられないので、少しずつ書き直した順に載せています。 


不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.9

2022-09-14 17:49:53 | 地球温暖化

             不機嫌な太陽

     ー気候変動のもう一つのシナリオ―  No.9

§10.炭酸ガスによる地球温暖化説は、確かに温暖化を早めてはいるが、その効果は小さい。

 コロナが明らかにした、世界の現実。

 しかし、消費社会は止めなくてはならないし、先進国だけが文化を享受し、発展途上国を取り残してはいけない。私(黒部)は、炭酸ガス地球温暖化説は、電気自動車をはじめとして、新たな投資先を作り出す資本家たちの画策ではないかと考える。さらにクリーンな電力として原発を推進する魂胆もあると思う。コロナウイルスの騒ぎは、一つは資本家たちがその流行の土壌を作り出した結果である。世界のすべてに高額所得者と貧困層の格差社会が生じており、福祉社会は切り崩されていたのである。その典型がイタリアとイギリスであった。 日本も、伝染病棟を無くして、一般病院の病床稼働率を上げさせていたために、対応ができなかった。伝染病(流行する感染症)は都道府県の仕事であり、一般病院はその責を問われないはずなのに、行き詰って厚労省官僚は病院のせいにしている。これは、自民党一党支配のためであり、官僚の安倍派への忖度もあるだろう。政権が変わらないので、官僚は内閣の顔色を伺うからである。それを安倍元首相は作ったのである。

9章 2008年における追記 

炭酸ガスの温室効果は微弱である

 宇宙線の詰まった空間領域に太陽系が入ったことが、我々の先祖の運命を決めてしまったのだろうか。ガンマ線は天の川銀河内で爆発性の星の多い渦状腕を浮かび上がらせる。太陽が昔から継続して果たしている気候変動への役割を否定しようとする試みは、失敗に帰した。今では、炭酸ガスの気候への影響は明らかに小さいことが分かっている。地球が寒冷化すれば、この論争に勝つことになるが、それは最悪の事態である。

1節 新しい実験と局所泡への取り組み

 スベンスマルクの実験

 自然に到来する宇宙線が、厚さ1kmの岩の層により断ち切られた場合には、化学反応が起こらないことを確認するために、SKY反応箱を英国のボウルビーの鉱山の中に作った。またドイツのカールスルーエ研究センターで、コペンハーゲンの10倍も大きい反応室での実験を計画した。

 275万年前の寒冷化を起こした原因

 地球の気候と生物の歴史が、星の爆発から響く太鼓の音と、祖先のDNAに魔法をかける宇宙線からの呼びかけと、いかに一緒に歩調を合わせて進行したかを、宇宙のシナリオは教えてくれた。 アフリカの森の喪失と、道具を作り肉を食べる二足歩行動物の出現とを引き起こした275万年前の寒冷化を宇宙線で説明できたことは、「輝かしい業績」であろう。 しかし、これはニューヨーク市にあるNASA気候モデル作成集団によって嘲笑された。その後2つの進展があったので、それは時代遅れとなった。

 第1に、太平洋の海底から得た物質中に、近くの超新星の痕跡が存在することを発見したミュンヘン工科大学のコルシネックのチームは、2004年に我々を支援するように、その出来事に対して約280万年前という、彼らの最初の年代に再び戻したのである。コルシネックのチームは、この年代から閃めいて、宇宙線、気候の寒冷化、および人間の進化、という3者につながっている可能性があると、提案したのである。(その時に本書は出ていなかった)

 第2に、個々の出来事の年代は、当時の一般的な気候とのつながりを追跡するためには、予想に反して、それ程重要でないことが分かったのである。2007年に、グールドベルトに属する爆発性の星の間を太陽系が現在通過中なので、強い宇宙線にさらされているのである。

 星の爆発は、熱くて希薄なガスを局所泡に吹き込んでいる。局所泡の殻は、衝撃波と強力な磁場を含んでおり、太陽自身を保護する、いわば太陽圏の境界の殻を巨大化したものに似ている。この局所泡の殻は、宇宙線を跳ね返す傾向にある。また逆にこの泡は、局所泡内に起こった超新星の発する宇宙線を外側に逃げられないようにしている。この泡は、宇宙線の詰まった「瓶」のようなものであり、それゆえ、個々の星の爆発した年代と場所には関係なく、そこは寒い場所なのである。

 局所泡による過去500万年の気候変動の説明

 100万年ごとに約6つの巨星が爆発して死に至るとすると、局所泡内の宇宙線の強度は、泡の外側の周辺より、20%は高いだろうと推定した。地球の気候にとって、この局所泡の出現と成長の時刻表、そして太陽と地球がそれに遭遇したのはいつかといった経緯が重要である。これらのことを単純に推定すると、過去500万年の間に地球が宇宙空間で遭遇した出来事の歴史が、気候の記録に驚くほど一致していた。

 450~400万年前までの温暖期は、太陽と地球がこの局所泡の殻を通過している時であった。殻の部分は宇宙線は少なかったのだろう。殻の内部へ入ると宇宙線は強力になり、寒冷化が起こった。それが275万年前の寒冷化で、氷が北大西洋で広がり、アフリカが乾燥化し始めた。コルシネックの見つけた超新星は280万年前なので、この寒冷化を強めた。 それからの寒冷化は遅くなる。地球は局所泡の中に閉じ込められ、気候は宇宙線の放射と平衡状態に入ったのである。地球は現在、この状況にあり、長期間の氷室条件が続き、これ以上悪化することはないようである。この局所泡は、熱いガスを銀河のハロー(銀河の外側を包む星間物質の領域)中へ放出する煙突の役割を果たすので、将来は宇宙線は減少し、氷室気候は少し和らぐであろう。

2節 天の川銀河における宇宙線分布図の作成

 天の川銀河の構造

 宇宙気候学は、シャバイブが地球の歴史における氷期への突入と、天の川銀河の渦状腕への地球の侵入との間の結びつきを見出して大きな一歩を踏み出した。 宇宙線が地球大気に衝突した時に生成される放射性原子は、その寿命の長さ上、天の川銀河内で起こった出来事に結び付けることにより、過去に遡れる年代が100倍も拡大された。

 銀河内にある宇宙線の強い発生源

 シャバイブは自分の推論を裏付けを、宇宙線にさらされた古代鉄隕石中に見つけた。しかし、宇宙線はその発生源を教えてくれなかった。だが宇宙線は、はるか彼方で星間ガスと相互作用した時に発せられる高エネルギーのガンマ線である。光と同類のガンマ線は、極めて長い距離を一直線に進める。 1991年に打ち上げられた、NASAのコンプトンガンマ線観測衛星は、搭載した高性能のガンマ線望遠鏡で、近くの月から遠くの爆発している銀河の星まで、多くの発生源を見つけ、宇宙線により作られたガンマ線からなる背景放射の強い領域の方向分布を明らかにし、それが天の川銀河の至る所に存在することを明らかにした。 高エネルギーの領域は、いずれかの渦状腕の方向とよく一致した。その中で最もエネルギーレベルの高いものは、オリオン腕からのガンマ線であった。

 注目すべき2つの最新情報

 2007年の天文学上の2つの報告に引き付けられた。 1つは、地球の全球凍結と関係するスターバーストのこと。もう1つは、天の川銀河における星の生成率の変動性に関するものであった。大小のマゼラン星雲が近くに到来するかも知れないということであった。 24~20億年前の天の川銀河の星のベビーブームと小マゼラン星雲の接近は、同時発生かも知れないのである。この天の川銀河は、他の大半の渦巻状銀河に比べて、星の生成が異常に少なく平穏すぎる歴史であるというものであった。以下略。

3節  “以前とは全く異なる手合わせをしている”

 気候科学者による予言

 本書が提案したことは、化石燃料の消費により悲惨な気候災害が怒る、という予言に対して疑問符を投げかけることであった。本書の出版されたのと同じ月に、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の作業部会Ⅰは、2007年版の「気候変動の政策立案者用最新概要」を発行した。それは21世紀中に気温が数℃上昇するというもので、太陽の効果は、炭酸ガスの効果の約7%でしかないとされた。

 ロックウッドらの論文

 ロックウッドはスベンスマルクへの支持をやめて、スイスのダボスの世界放射線センターのフレーリッヒの方へ行った。それは、太陽は現在の気候変動に関与していないことを確証したものであった。「太陽の気候に対する強制効果と地球全体の平均表面気温の変動に見られる最近の逆向き傾向」という表題で、ロックウッドとフレーリッヒは、数千年にわたる気候変動には、多くの場合太陽が関係しているという。また20世紀の間における気候温暖化に、太陽がある程度関係しているともいう。それに続く1985年頃に太陽活動の活発化は終了したという。その後太陽活動は低下しているので、現在の地球全体の平均気温の上昇は、太陽活動では説明できないと主張した。 二人が間違ったのは、ここである。 なぜなら、地球温暖化は、太陽の”機嫌 (mood)”の変化に対応して、既に止まっており、温室効果による予想に逆らっている。

 ロックウッドらが間違った認識をした理由

 スベンスマルクは、クリステンセンと共に文書で反論した。第1に、ロックウッドらが表面気温のデータを用いていることに疑問を表明した。なぜなら、「表面気温が太陽の周期に対応していない」というが、上空の温度と海洋の水面下の温度は、双方とも、太陽周期に対応して明白に上昇し、下降していた。重要なのは、ロックウッドたちは9~13年という長期間の平均を用いたので、21世紀の初頭においても、まだ急激に上昇しているという幻想を生み出した。その一つは、1998年から2002年までの間に0.1℃上昇したという。 実際にはその時には気温は横ばいで、気球で測定された上層の気温は、はっきり、より長い期間地球温暖化が休止していたのである。 スベンスマルクらは、「過去10~15年間に二酸化炭素の濃度は、急激な上昇を続けているが、温度を上げることができずに平坦化している。これは、太陽の時期活動が高いレベルに落ち着いており、それ以上、上昇せずにいるからである」という。これは、宇宙線を太陽圏から追い出す役割を太陽が怠り始めたためであった。

 記録映画「雲の不思議」

 デンマークの映画製作者のモーテンセンは、1990年代末以来、スベンスマルクに寄り添って、「雲の不思議」という記録映画を2008年に完成させた。この出演者の中に、ヴァイツァーやシャバイブが入っていた。最後に、批判家からの忠告を扱いたいと言い出した。そこで、海洋の水深50mにおける水の温度を示したグラフを用いることにした。それは宇宙線が少ない時には上昇し、多い時には下降していいた。1990年以降、このデータは全般的に寒冷化傾向を示していた。地球の温暖化は休止しただけではなく、逆の寒冷化に入った可能性があると述べた。

4 破綻した炭酸ガス原因説

 CO2説に対するスベンスマルクの考え

 二人の著者は、できるだけ地球温暖化という政治問題を避けてきた。人々が燃料消費で生じた炭酸ガスは、現在の気候変動を引き起こしていると信じて、石油、石炭、天然ガスの消費を節約しているなら、それは間違った考えに基づく害のない結果である。 スベンスマルクは、南極大陸だけが逆の気候変動をすることを説明できた時が、気候変動の新しい地域地理学が始まったと考えている。この気候変動の地域地理学では、雲と温室効果ガスが、地域ごとにそれぞれ独特の役割を果たすのである。 各種の温室ガスの温暖化効果は、炭酸ガスよりも水蒸気の方を重視すべきであると考えた。

 炭酸ガスと気温との関係

  • 過去5億年の間には、気候と炭酸ガス濃度との間に相関関係は存在しない。
  • 過去100万年の間には、炭酸ガスと温度とのつながりがあった。しかし、そのつながりは主客転倒であった。なぜなら、炭酸ガスの変化が、温度変化より先行するのではなく、温度変化の後を追っているからである。
  • 過去1万年の間には、炭酸ガスと温度との間に相関関係は存在しない。
  • 過去100年の間には、炭酸ガスの増加と温度の上昇との間に、全般的に見れば大まかなつながりがあった。

 しかし、この100年間のデータを検討すると、

  • 20世紀の温暖化の半分は、1905~1940年の間に起こった。この間の炭酸ガスの濃度は、まだ低いものであった。
  • しばしの地球寒冷化が、1950年代と1960年代に起こった。この間の炭酸ガス濃度は、上昇中であった。
  • 21世紀初頭には、炭酸ガス濃度が急激な上昇を続けているにもかかわらず、地球温暖化は、再び中断した。
  • もしも、炭酸ガスによる温室作用が、温暖化を起こすなら、上空の空気は表面の空気よりも速く温まらなければならない。しかし、観測結果は、その反対であることを示している。

 宇宙線と気温との関係

  • 過去5億年の間の温度変化には、4つの絶頂期と4つの谷底期が存在するが、それらは、鉄隕石中に観察された宇宙線の変動に一致するし、また、太陽系が銀河内を周回中に4本の腕と遭遇したことに一致したのである。
  • 数千年の間のリズミカルな気候変動は、宇宙線により放射性炭素や他の放射性核種が生成される量の変動と一致している。
  • 過去100年間の温暖化率の変化も、宇宙線強度の変動と一致している。
  • 宇宙線が気候に影響を及ぼす作用機構の検証は、低い雲が宇宙線の変動に合わせて変動することを観測することによってなされたし、また、宇宙線が雲の凝集核の形成を加速する微細な物理機構が存在することを実験で証明することによってなされた。

5節 小氷期の再来は御免だ

 小氷期再来の可能性

 地球は再び小氷期に向かっているのであろうか。 20世紀の後半における太陽の活動は、非常に活発だったので、1990年以降は、上昇に転じるよりも、下降を続ける可能性が大きいからである。 太陽と炭酸ガスとのどちらが、地球の気候温暖化を取り仕切っているかという問題は、自然の寒冷化ということで解答が与えられるであろう。

 本書の読者の質問

 スベンスマルクは、読者へこう語った。

 できれば政治のことは忘れて下さい。その代わり、次のことは忘れないで頂きたい。発見が行なわれるような最先端の領域では、そこで実際に起こっていることについては、科学者でも、一般の人々と同じように、正確には判らないということです。 ですから、しばしばこの新しい発見者は、学術上の手続きを省略して、その発見を一般社会にできるだけ迅速に、しかもできるだけ直接的に、知らせるのです。ガリレオ、ダーウィン、アインシュタインは、すべてそうしたのです。読者が科学者であろうとなかろうと、この議論を検討して、自分自身の意見を持ってもらえれば、それで充分満足なのです。

 (私の医学医療の理論-ネオヒポクラテス学派∔精神神経免疫学-も同じで、つまり世界の少数派であり、医学界からは認められていないが、実践的には有効であり、医学で因果関係不明とか、原因不明とか、特発性と言われるものをすべて説明できるのです。同じ立場なのでよく分ります。 2013年12月に位置天文学用の宇宙望遠鏡ガイアは、ソユーズロケットで打ち上げられた。2016年から2年ごとに送られてくるデータが公開され、2022年6月にも公開されているが、まだ帰還していないし、データの持つ意味は解析されていない。帰還して、すべてのデータが公開され、それをどう解析するかが期待される。黒部信一)

局所泡の図

地球温暖化は、停止したのだろうか。

上図は、地表気温

中図は、高度1500mの気温

下図は、海面下52.5mの海水温

 


不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.8

2022-09-14 16:41:44 | 地球温暖化

           不機嫌な太陽 

   -気候変動のもう一つのシナリオ―  No.8

§9.人文社会科学と自然科学の統合

 すべての科学は、統合すべきである。自然科学の中でも、気候学も地質学も、天文学から遺伝子学、医学まで、すべての分野の科学が統合されねばならない時代に来ている。医学は社会科学であると、シゲリストや白木博次たちが言ったが、医学だけでなく、気候学も同じであったのである。私は、若い時は、WHOを信頼し、その健康の定義、「健康とは、肉体的、精神的、社会的に良好な状態であって、単に疾病や虚弱のないことではない」を信条にし、WHOの委員にも「ネオヒポクラテス学派」の人がいるのではないかと思っていました。その後シゲリストの「医学は社会科学であり、病気は社会によって起きる。医学は、社会が病気と闘うための道具の一つに過ぎない」との言葉に出会い、さらにルネ・デュボスの言う「生体論的で環境的な医学」を目指すべく研究してきました。そして実践的なアメリカ医学を指針とし、アメリカ小児科学会のリコメンデーションに従い、アメリカの医学書で勉強してきました。しかし、1990年代後半からアメリカ医学も怪しくなり、2000年代には信頼できなくなりました。2009年には、WHOの新型インフルエンザのパンデミックの判定が、ヨーロッパの2人の委員の主張を入れて2段階も上げられました。その後その委員の利益相反が明らかになり糾弾されたのです。それに前後して、地球温暖化問題が登場したのですが、気候学も医学と同じ構造にあるとは思わなかったのです。その後、薬学も遺伝学も同じであることも分かりました。今は、何が正しいか、何を喜寿にしてよいかわからない時代です。アメリカのCDCもFDAも、IAEAもすべて信頼できない状況です。

8章 宇宙気候学の為の行動計画

 気候変動の歴史は、高エネルギーの宇宙線により説明できる。今後、我々の天の川銀河の歴史を、より明確にする必要がある。それに、地球における気候変動の年代記も、より完全なものにする必要がある。我々が太陽に依存している現状を調査すれば、異星生物の探査に有効な情報が与えられる。気候科学は、将来の気候変動に対して対策を立てるのに役立つ情報を提供せねばならず、予言的なものであってはならない。

1節 宇宙線による気候変動の説明

 特別な場合のミューオン量の変化

 2006年、ドイツのコルシカ(CORSIKA)プログラムで計算し、地球大気中で宇宙線は、地球磁場が弱くなっても、気候に顕著な影響を及ぼさないことを説明できた。宇宙線の中で、大気の最も低い高度まで届くミューオンを生じるものは、エネルギーが高いので、地球磁場の影響を受けず、しかもミューオンは気候へたった3%しか影響しないのである。 また、コルシカ(CORSIKA)での計算により、宇宙線と気候を左右する地球以外の天体や太陽の活動過程が新たに解明された。 近くの超新星が爆発して発せられた宇宙線は高エネルギー粒子の比率が高いので、地球に届く前に銀河の外へ飛び出し、地球に届く時には、通常時と比べて、宇宙線量はそれほど変わらないが、ミューオンは3倍に増加する。したがって、10Beや他の原子が記録した宇宙線量から気候を推定する方法は、近くの超新星が気候に及ぼす影響を軽視することになる。 太陽磁場は、地球磁場よりもはるかに強い。太陽の11年周期の間に、高度2kmまで届くミューオンは、10%変化することが予想される。それは海面近くのミューオンの数値と一致しており、そのため太陽の1周期の間、地球を覆う雲の面積が3~4%変化する。

 もう一つの問題は、フォービッシュ減少と呼ばれるもので、太陽表面での大爆発により生じた磁気衝撃波はしばしば、地球に届く宇宙線のカウントを、5~10%、時にはそれ以上、突然減少させる。この現象により、地球を覆う雲が大量に減少するはずなのに起きなかった。 これが、宇宙線が雲の形成に影響を及ぼすという理論を否定する根拠になった。 しかし、この場合もCORSIKAの計算により、太陽からの衝撃波が、通常の宇宙線の影響に比べて、ミューオンを生成する宇宙線に及ぼす影響は小さいことが確認された。このためフォービッシュ減少時に、雲の減少が期待できないのである。それでも1991年には、太陽の表面で数回起こった時に、僅かに雲の量は減少したことがある。

 スベンスマルクの研究態勢   2006年には、宇宙線と気候に関する研究は、急成長する科学の一分野となり、「宇宙気候学」と命名し、宇宙気候学研究センターを創設した。 

2節 雲の分子機構の研究(クラウドCLOUD)

 巨大科学としての取り組み   ジュネーブにある2節欧州原子核研究機構(CERN)が、宇宙線と雲の繋がりを研究するために、クラウド(CLOUD)を作った。これは米英露など17の各種研究所から選抜された50名の研究者集団であった。

 熱心な研究者集団      スベンスマルクのSKY実験装置をコペンハーゲンから、ジュネーブへ移して再実験を行った後の、2010年にはより精巧なクラウド(CLOUD)の設備が稼働することになる。

 時間編              これは、1秒の数分の1から数時間、数日間まで、電子や分子が起こす変化を追跡できる。しかもこの装置は、古代の大気組成を再現して宇宙線の作用を調べることもできる。それで数十億年の時間枠の荷中に入って研究できる。

将来の研究課題  今後は、気球や研究用航空機を用いて、極微細粒子の計測をして、大気の理論と雲の形成の分子機構を精緻化させねばならない。

3節 この天の川銀河をもっと良く知るために

 宇宙線の発生源

 宇宙線の発生源から始めて、宇宙線の生成は、星の爆発から10万年後に強くなると考えられている。ナミビアのヘス高感度望遠鏡は、新たに数個のガンマ線天体を発見した。 今後人工衛星新たな望遠鏡によって、さらなる発見が期待される。

 天の川銀河の磁場

 銀河には腕に沿って磁場が組み込まれているので、宇宙線は、その方向に導かれる。その為、地球が渦状腕の中か外を通るごとに、宇宙線の流入量は増加したり、減少したりする。 地球が受けた宇宙線の流入量を過去に遡って調べるためには、銀河内における磁場の強弱を示したチャートを改善する必要がある。それには電波望遠鏡群を1km平方に配列した観測装置が良いと考え、南アフリカに準備している。また太陽が天の川銀河の円盤の上から下に、下から上に、3200万年の間隔で斜めに横切ることを繰り返すが、この円盤内の宇宙線の濃度も不明確である。

 星間ガス

 太陽が天の川銀河内を周回中に、星間ガスの比較的濃度の高い雲の中に入った時には、いつも、その雲により太陽圏と太陽の磁場は締め付けられる。これはグリーンランドと南極の6万年前と3万3千年前の氷中の10Beに高い宇宙線の強度が記録されていることから考え出されたものである。星間ガスの研究をしているシカゴ大学のフリッシュは、現在、太陽がある領域は、星間ガスが非常に薄い。だが「太陽の気道は、少なくとも数百万年以上は、大きくて濃いガス雲には遭遇しないであろう」という。

 星の分布地図の作成

 ヒッパルコス計画で、最も明るい星について、以前よりも正確な星の地図を作製できた。しかし、不正確さが残り、星生成の歴史は、未完成で、各星の誕生を4億年の間隔でしか把握できなかった。それを引き継いだガイア計画は、完成すれば、100億年にわたる星生成全体の歴史を語れるようになるが、まだ完成していない。また太陽の気道が、円形か楕円形かにも明確な答えが出る。そうすると太陽系が渦状腕を通過した時期をより正確に計算できる。その時期が氷室期に対応するのである。

 他の銀河から得られる情報

 ガイア計画での、宇宙探査機は打ち上げられて5年はかかる。ガイアは2015年に打ち上げられたので、それによって多くの知見が得られる見込みである。

 4節 不可解なリズムで揺れる惑星

 気候に及ぼす各種要因

 今まで述べたのは、地球の気候の直接的調査とその地質学上の歴史的調査から、宇宙線が気候に数十億年にわたって強い影響を及ぼしてきたことを示す証拠についての概要でしかない。宇宙線にたいする評価を完全なものにするには、気候に影響を及ぼす他の多くの要因を把握しなければならない。それは、大陸の成長、山の形成、火山の一斉爆発、海流と極周辺の氷床に影響を及ぼす大陸の移動、大気組成の変化、生物の地球化学的作用、および彗星と小惑星の長期にわたる一連の衝突などである。

 ミランコビッチ効果の実在性

 セルビアの気候研究のアマチュアであったミランコビッチが1920年代に、それまでに氷期を説明するのに出されていたアイデアを精緻化した。それは、「世界の各地域における季節ごとの太陽光の当たり方が、数千年の間に、どのように変化するのかということを説明した。その根拠は、太陽系の他の天体から受ける引力が、宇宙空間に対する地球の姿勢に影響を及ぼし、太陽の周りを回る地球の軌道を変えるというものである」。  天文学者は、この変化を計算できる。地軸はふらついているコマのようにゆっくりと旋回するので、それにより北方領域における季節ごとの太陽光の当たり方が2万年のリズムで変化するのである。また地軸は、横揺れも起こすので、それにより空に昇る太陽の高さが、4万年の周期で変化する。そして10万年の周期で地球の公転軌道の形状が変化するので、これにより、季節ごとに地球は太陽に近づいたり、遠ざかったりする。 1970年代に、海底コアー中の重い酸素原子の含量の変化、気候変動の尺度に、ミランコビッチのリズムが明確に存在することを検出した。 1976年に英米の科学者は、地球軌道の変動を、氷期のペースメーカーと呼んでいた。その後、数億年前という、進行中の氷期が存在しなかった時代にまで遡った古代の堆積物中にも、このミランコビッチ・リズムが見つかった。それどころか地質学者は、堆積物に年代の目盛りをつけるのに、このリズムを用いている。

 氷期における宇宙線の影響

 他方、最近の氷期においては、このミランコビッチ効果の役割は、当てにならなくなった。過去100万年の気候の記録では、一般的な凍結状態から、比較的短い温暖な期間に切り替わった後、再び氷期に戻るということは、ほぼ10万年ごとに繰り返していることであった。 地球の気道の変化では説明できない。 気候の記録上に宇宙線の記録を重ねると、急激な温暖化または寒冷化した非常に短い期間は、宇宙線流入量の大きい変化を伴った。したがって、これらの気候変動は、空にのぼる太陽の高さよりも、むしろ太陽の磁気作用に結びつけられた。宇宙線の増減が気候に及ぼす影響は、現在の温暖な一時期よりも、一般的な氷期の方がずっと顕著であった。これはミランコビッチ効果以外の何らかの要因が、気候変動を起こし、地球の応答感度が変えられている可能性がある。 この謎を解くには、気候におよぼす感度を変える原因を見つけられるかにかかっている。氷期の間には膨大な量の水が、海から陸上の氷床に引き上げられて、海面は非常に非常に低くなっていることが、1つの要因である。寒冷期に広大な面積の大陸棚が露出されるのは、①欧州の北海、英仏海峡、アイルランド海、アドリア海、②ベーリング海峡とシベリア北方の広大な領域(ベリンジア)、③南シナ海、そしてインドネシアの島々の間、が干上がって海流を塞いでしまう。氷期の海面が低いことから、気候変動力に対する感度は、氷期の方が高いことが理解できる。しかし、温暖な間氷期の状態に急速に切り替わることについては、ミランコビッチ効果では説明できない。

 今後の課題     ミランコビッチの意味は、過去200万年前までは、よく理解されるが、時間をさらに遡ると、気候変動の概要とそれを引き起こしたと考えられる理由が、ずっとあいまいになる。

5節 地球の過去の気候をもっと良く知るために

最近分かった過去の気候    2003年に、1億4000年前の白亜紀に氷河が存在していた証拠が発見された。さらに1990年代以降に、その白亜紀よりさらに古い年代に、全球凍結期が存在していた証拠も出てきたのである。これらの大きな発見がごく最近になされた。

 掘削調査

 過去の気候の説明は、1960年代以降に行われた海底掘削と氷床掘削の膨大な実績に基づいている。しかし、最も古いものは、1億8000万年前の海底堆積物でしかない。氷床コアーは、もっと新しいものでしかない。地球の歴史の残り95%を追求するには、最も古い岩石の形成が38億年前に起こっているので、それを探索するしかない。しかし、今までの古い岩石は、偶然見つけられたものでしかない。2004年に米国国立科学財団により組織された「過去の気候に関する学術会議」は、海洋の掘削経験をモデルにした大陸掘削計画を要請した。

 気候変動モデルの作成

 さしあたり、宇宙線の推定値を、他のいくつかの実働要因に関する知識と組み合わせて、単純な計算モデルを試みることは可能である。デンマークでは既に過去200万年よりはるかに古い時代にまで伸ばそうという提案がなされている。① 銀河の渦巻を横切ったこととの関連がよく理解されている5億万年前の顕生代まで、② 全球凍結が起こった25億年前の原生代まで、そして③ 最古の46億年前の冥王代や、比較的弱い太陽光の下での生命活動が始まった38億年前の始生代まで、と言うようである。気候に影響を及ぼした可能性のある全ての実働要因のうちで、数十億年前から数カ月までの総ての時間幅で、明確な足跡を残しているものは、宇宙線のみである。

6節 荒れ狂う宇宙における生物

異星生物の探査計画

 21世紀初頭に研究者が目指す目標の中で、上位に占めるのが、他の星に生存する生物の探査である。欧州宇宙機構(ESA)とNASAが、他の惑星の大気中に、生物生存の可能性を示す水蒸気や他のガスが存在しないかを調べるために、赤外線を検出できるように設計することになっている。

 生物の出現に必要な条件

 地球そのものは、微惑星同士が高速で衝突することにより作られた。そして、海洋は、彗星の氷からもたらされたものであろう。その後、微惑星や彗星が地球に衝突する割合は、ずっと減少したが、それでも引き続いて起きており、時々、大規模な生物の死滅と環境破壊をもたらし続けている。 2005年にイタリアの宇宙物理学者ビグナミは、「宇宙構想: 2015~2025年の欧州のための宇宙科学」という報告書の作成を指導した。これには宇宙における生物の出現に必要な物理的条件を理解することの必要性から書き始められ、そして、1つの恒星とその惑星系との間に磁気結合が必要であると強調している。 「地球の居住性は、特に、ゆっくり進化している太陽により維持されている。というのは、この太陽は、ほぼ一定の日照を与え、また、銀河内の超新星からやってくる粒子群から、我々を守っているからである。高温の太陽コロナから発している太陽風は、太陽圏全体に広がり、荒れ狂う時期を太陽系末端の外まで運ぶことにより、宇宙線の流入量を劇的に減少させている。それ故、我々は、生命―特に進化した形態をした生物の生命―の維持に必要とされる条件を完全に明らかにするために、① 太陽の磁気体系、② その変動、③ 大規模な太陽爆発におけるフレア(太陽面爆発)の噴出、④ 太陽圏、各惑星の磁気圏及び大気の相互作用、を理解せねばならない」。

 したがって、宇宙気候学は、星生成率が高い期間には、強い宇宙線により、太陽の磁気遮蔽圏が押し潰されてしまうことを示している。しかし、それにより、地球が全球凍結になった時でも、生物はしがみついて耐え忍んでいれば生き延びられるのである。我々の惑星は、太陽によって作られた宇宙線防護の太陽圏の内側で、特定の位置と環境にあることから、生物の棲み処として長い間、寄与してこられたのであろうか。その点で地球は、どれだけ特異的なのであろうか。そして地球上の生物の出現は、若い太陽からの強い太陽風により、強い宇宙線が存在しなかっただけで可能となったのであろうか。この疑問が異星生物を探索する鍵となろう。

 生物の隆盛、多様化、および進化をもたらす条件

 もう一つの発見は、生物存在のための条件について、何か重大なことを我々に語り掛けている。それは、強力な宇宙線強度と生物の生産性の極端なバラツキとが、驚くほど密接に結び付いていることである。この生物の生産性のバラツキが大きいことは、13C(炭素13)原子のカウントにより示された記録上に、最も高い生産性と最も低い生産性とが混在しているのである。このことから強力な宇宙線というストレスは、生物圏の生産性に有害な影響だけでなく、有益な影響も、もたらしていることは明らかである。 もしも、生物の生産性が気候変動に関係しているのなら、生物の多様性―全ての生物種の数―についてはどうであろうか。生物の多様性は、生物圏の良好さのもう一つの、しかし全く異なる尺度である。 変化した環境に古い生物種よりうまく適合した新しい生物種が出現し、古い生物種が絶滅する時には、気候の変化が進化を推し進めることができる。このことは古生物学者ははるか以前から認識していた。宇宙線に関係付けて語られた生物の歴史は、彗星や小惑星の衝突で、その時の気候状態に関係なく、生物の多様性を最も多く失わせ、大量の絶滅を引き起こすことは間違いない。このような絶滅の後には、多数の新しい生物種が出現して絶滅分の穴埋めがなされ、生物の生産性は、かえって以前にも増して急速に回復する。この生物の復元力は、ある意味で荒れ狂う宇宙の危機に対するために、あらかじめプログラム化されていることを暗示させる。 宇宙線は、直接的に、遺伝子の突然変異を引き起こすことにより、進化の速度に影響を及ぼしたのかもしれない。遺伝子の非連続的な(突然)変異に基づいている。その変異を見出すのである。比較遺伝子学によって、宇宙気候学は生物学の最先端に出会う。

7節 太陽活動の盛衰を読み取る

 気候に及ぼす太陽の影響

 ESA(欧州宇宙機構)は、太陽の幅広い研究を推進した。ESAのプロジェクトは、太陽が自分の存在を示すものとして3つの作用を評価している。それは、① 可視光と不可視光の放射作用、② 太陽風が地球磁場に影響を及ぼす作用、③ 宇宙線を制御する作用。

 大気の低いレベルまで到達できる宇宙線が、気候変動に対して最も大きい影響を及ぼすが、それと比較して、① 太陽活動によると考えられている他の作用、② 火山爆発や、東太平洋と世界全体を温暖化させるエルニーニョ現象を含む、地球のいかなる他の自然現象から来る気候への強制は、気候に対して小さな影響しか及ぼさない。 宇宙線、雲、および気候間のつながりは、数十億年を対象にした場合に重要であるように、現代でも重要である。数年先や数十年先を予測するような短い期間では、銀河内の環境は変わらないので、気候変動に重要な宇宙線の変動は、太陽の磁気活動の変化に依存することになる。

 黒点数の変化の影響

 太陽の黒点数の予測はできない。黒点数とフレア(太陽面における爆発現象)発生頻度との間に関連性があるが、おおよそでしかない。宇宙線もまた、太陽の黒点との関連性も余り強くない。一般的には、宇宙線の流入量は、黒点少ない時には高く、多い時には低いが、関連性は少ない。

 太陽の磁気活動の予測

 放射性原子による宇宙線の記録は、太陽活動に長い期間が存在し、それに伴って、時期による宇宙線の遮蔽圏が、約200年と1400年との間隔で、強化と弱体化を繰り返すことを示している。しかし、太陽の磁気活動は誰も予測できていない。

 星の磁気の観測

 パーカーは、太陽類似星の数を10から1000へと増やすべきであるという。それによって、稀にしか起こらない現象を検出する機会が増えるから。 太陽の将来を予測することはまだできていないし、太陽の極の一方はまだ見えていない。

 太陽活動の予報

 21世紀の間には、予報された太陽活動と宇宙線の値を基礎に用いて、気候変動を本格的に予測できることが期待されている。しかし、太陽の物理学は現時点では不明確なので、宇宙気候学者は、21世紀に起こることについて、いかなる結論も出すべきでないだろう。

8節 今日の気候変動についての建設的な見解

予報士による長期気候予報の問題点

 宇宙線が気候変動を引き起こす重要な要因なのに、その予測ができない現時点では、数十年先の気候予報をすることは科学的にはできない。1970年代にプリンストンのスマゴリンスキーは、「間違った気候予報を出すくらいなら、全く出さない方がましである」と警鐘を鳴らしたが、いまでも真実である。気候モデルはまだ仮定や簡略化が用いられているので、まだ疑わしい。 地球の気温への炭酸ガスの影響の可能性は、今でも、気候モデル作成者の自由裁量によって決まり、幅広い範囲内から選ばれた予測値に依存している。21世紀の間にやってくる温暖化の予測値は、今では0.5~6℃近辺にまで及んでおり、多い予測値は3~4℃あたりである。

 この炭酸ガスの温暖化効果の明らかな過大評価を下方修正することは、炭酸ガスを生成することとなる化石燃料の無駄遣いを推奨することではない。気候とは関係なく、化石燃料消費の節約を要請する理由は、他にいくらでもある。例えば、① 健康を害するスモッグをできるだけ削減するため、② 地球の限られた燃料資源を長持ちさせるため、③ 貧しい国のためにエネルギー価格を低く維持するため、などである。

 宇宙線の変化により雲の形成量が変化するという因果関係は、現在の気候変動を10年ごとに見た場合の重要な特徴を今でも説明している。炭酸ガスの影響は、予想値よりもはるかに小さいように思われることが度々あるのはなぜか、説明することが気候科学において緊急の課題である。 20世紀末の気候モデル作成者にとって、炭酸ガスに焦点を当てたことによって、長期の気候予側が実現可能に見えたのであろう。しかし、当分の間、長期の気候予測は原理的に不可能である。なぜなら太陽は今後、どのように変わっていくのか、また地球の雲量に今後どれだけ影響を及ぼすか、ということに誰も答えられないからである。 地球温暖化を警告している大部分の予測が、大げさすぎるようだということが分かっただけではない。世界の貧困地域の人々にとって、気候変動は貧困や餓死を意味するが、気候変動の機構が正しく理解されれば、より有意義な忠告がその人たちにすることができ、それが活用されることになるだろう。 破壊的な、洪水、渇水、防風に対処している人にとって、それは地球温暖化による災害だと言っても何の役にも立たない。それは建設的な行動を起こすことに何も貢献しないからである。

宇宙気候学者が貢献できること

 宇宙気候学は、長期の気候予報はできないにしても、地域ごとの気候変動の理由とパターンに関しては、深い見識を提供できるはずである。それにより、被災民は助けられ、為政者は最悪の結果を回避できるだろう。 地球を覆う雲量が変化するパーセント(%)を特定することにより、各緯度帯に地表の気温が温暖化か、それとも寒冷化することを示す利点がある。南極だけは他の地点とは逆の変動をすると示せるのも、その一つの例である。 アジア・モンスーンは、熱帯および亜熱帯地域を照射する夏の太陽と、広大な領域を覆う雲の塊を、動力源としており、数十億の人々はモンスーンの雨に依存して繁栄している。過去にモンスーンが発生しなかった時には、大規模な飢饉が度々起こり、時には文明が崩壊している。反対に雨が多すぎた時には、インド、バングラデシュ、中国に大洪水が起こっている。

 2005年に南京師範大学のワン・ヨンチンのチームは、南中国の洞窟から得た石灰質の層状石(石筍)を調査し、過去9000年の間に、太陽活動が雨季の雨量に繰り返し影響を及ぼしていること示して、太陽の明るさが原因であると推定した。 しかし、そのデータそのものは、別の原因、つまり、宇宙線流入量が多い時には、モンスーンが弱められて降雨量が少なくなり、宇宙線流入量が少ない時には、モンスーンが強められて降雨量が多くなっている。 その理由は、宇宙線量が少なくて熱帯海域上の雲が少ないと、海水の表面温度は高く温められ、余分な水分が風の中に供給されるので、水分の多い風が、数日後に陸上のモンスーン地帯に雨をもたらすからである。 同じ関係が、太陽の活動と夏の雨との間にも存在することが、過去50年の間に、アジアだけでなく、アフリカのサヘル(サハラの南縁の半乾燥草原地帯)でも確認されている。

 インド宇宙物理学研究所の太陽物理学者のヒレマスは、インド・モンスーンの過去130年にわたる変動を調査し、2006年の「太陽圏と地球環境に及ぼす太陽の影響に関する国際宇宙科学研究会議」で、スベンスマルクの理論を引用して、「降雨量の変動幅、太陽活動、および銀河宇宙線の間に因果関係が存在するように思われる」と語った。それは① モンスーンの発生、② 太陽活動の活発化、③ 赤道直下の太平洋における海水温を上昇させるエルニーニョ現象の発生、という3者のつながりに関してのパズルである。 エルニーニョが発生すると、その後にはいつもではないが時々、インドで厳しい干ばつが起こる。そして季節予報に太平洋のデータしか用いないと、干ばつ警報を出しても起こらなかったり、出さないのに干ばつが起こることがある。それに対し、予報士が太陽活動をも考慮に入れると、ずっとよく当たるのである。 そしてヒレマスが示唆しているように、もしも、雨期の雨量が多くなったり、少なくなったりする周期が、太陽の磁気活動の22年周期に結び付いているなら、それに合わせて計画を立てることができる。そうすれば、農民は、現在の宇宙線強度に合わせて、彼らの収穫量、および灌漑用水の排水量を加減することができるだろう。食料援助を担う救助機関にとっては、これは重要である。

 予言の戒め  気候科学は、対策を立てるのに役立つものでなければならない。太陽活動の全貌を充分に理解できていないうちに、将来を予言することは邪道である。当たる確率は低く、世間を惑わせることでしかないからである。

 

 

 


不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.7

2022-09-14 05:49:02 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽

        ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.7

§8.  300万年前からの気候変動、寒冷化が、人間を登場させたのか。

7章 人間は超新星の子どもか

  気候の変動と人間の出現は、密接に関係していた。人間の出現は、現在の氷期が始まった時期と一致していた。その頃に、地球に極めて近い星の1つが爆発し、それで生じた「宇宙線による冬」が、生物の進化を起こさせたのであろう。天文学者は、地球を奇襲した超新星を探している。

1節 概説

 275万年前に近傍で爆発した星

 その星の候補地は、南十字星の近くで輝いていたか、北方のプレアデス星団(かってはスバルと呼ばれていた七つ星)の星の間にいたか、論争されている。200万年以前の時代に、地球ではまだ類人猿の時代に起こったことである。 爆発してから数十万年の間、その超新星の残骸が地球に吹き付けた宇宙線は増加したに違いない。その星からエネルギーの弱い別の種類の飛沫、それは星の爆発中の核反応で生じた地球には存在しない原子核が、地球に届いたのである。それが届いたのは、その超新星がわずか100光年程度しか地球から離れていなかったからである。ドイツの物理学者が、それがその地球には珍しい原子核であったことから、その超新星の爆発を突き止めた。 275年前に厳しい寒冷化が起こったことと、人間の作り出した道具や人間特有の遺伝子が初めて出現するのに都合のよい環境に変化したこととの関連性をしている。

 275万年前の寒冷化の原因

 1400万年前までに、南極の大部分は氷で覆われて、その後グリーンランドも氷で覆われてるようになった。そして世界全体は地形の変化中であった。この地形の変化が275万年前の寒冷化の舞台を整えた。 それは、アフリカ大陸では、東部の大地溝帯の両側が隆起し、高台のドームが沢山出来、東アフリカは雨が少なくなった。 インド大陸は、アジア大陸の底部に入り込み、ヒマラヤとチベット高原を押し上げた。このため、亜熱帯に寒気の停留地帯が生じた。 オーストラリア大陸が、アジア大陸と衝突し熱帯海流のルートをふさいだ。 北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は別々に漂流し、300万年前に、パナマ地峡が完成して両大陸はつながった。大西洋と太平洋は断ち切られ、海流の流れが変わった。地形の変化の 大陸の漂流する速度は爪の延びる程度なので、500万年前から先行期間が始まり、その頃は暖かく、海面は10~20m高く、気温は数度高かったのである。

 これは、宇宙線による気候変動で説明できる。 6000万年前に太陽系は地球を伴って、天の川銀河のオリオン腕の中に入った。そこは5章に書いたように、短命の星が多く存在し、通過するのに3000年前まで続いた。それで6000~3000年前の間、地球全体は寒冷化した。その後、過去数百万年の間、太陽系の各惑星は、宇宙線という風によって揺られたのである。

2節 アフリカのサヘルが埃っぽくなった時

 海底地層の調査

 1995年イギリスの西側の大西洋の海中の、地下1kmの深さまで堆積物の試料コアーを掘削した。ドイツのブレーメン大学のバウマンらは、その堆積物の中の、色の変化した部分を診て、寒冷気候の始まった印と直感した。氷山が運んだ岩屑がその場所に到着して、それが地球の気候変動の歴史における現在の寒冷相が開始したことを示していた。それ以来氷床は、たびたび拡大して行った。他の地の岩屑が、この地にもたらされたのは、275万年前であった。 この試料コアーを調べたら、ある時点から海水中の重い酸素原子の比率がはね上がり、同時に凍結の形跡が示された。その時点からさらにさかのぼった270万年前まで、かなりの氷床がユーラシア大陸と北米にあったことが判った。 

 熱帯地方の気候変動の結果を示す為に、南下した。 サハラ砂漠の南端のサヘル(サハラ砂漠の南縁部に東西に帯状に広がる半乾燥地帯)周辺は、季節的降雨がなく、飢饉が続いていた。乾期の北東の風は、砂塵を沖合へ運ぶ。 1986年にその風の通り道で、1500km沖合の大西洋の海底を掘削した。そこで採取した堆積物から判ったことは、風で運ばれた大量の砂塵が、そこの海底に最初に現れたのは約280年前であった。その時から乾燥化が始まった。

 他の海底掘削地は、西アフリカの海岸に近い場所と、アラビアの沖でアフリカの東の地点であった。そこでは、砂塵はさらにさかのぼった時代にも普通に存在していた。その頃には世界の各地に砂漠が存在していた。その変わり目の280万年前のあとは、砂塵の値は増加した。

 アフリカの乾燥化の影響

 このアフリカの乾燥化の研究は、ニューヨーク市の近くにあるラモントドハティ地球観測研究所のデメノカルが行なった。1995年最初の報告書を書き、その後海洋のデータを、アフリカの陸上生物の化石の記録と比較したのち、「これらの結果は、気候変動が、生物の起源に重要な役割を演じていることを示している。」と語った。 アフリカにはほとんど雨が降らなかった。その為に大きな森林地帯は縮小し、類人猿は果実の実を見つけにくくなった。類人猿は、アフリカの草原で生活をするようになり、草原には大きな動物たちがいた。肉を食べるためにあごが進化し、硬い生肉を切る為に、石器が作られた。

3節 石包丁と新しいあごの筋肉

 猿型生物から人間の出現まで

 600万年頃に二足で走り動き回っていた猿に似た生物の化石骨が、2000年と2001年に、ケニア、エチオピア、チャドで発見された。この時に発見された女性たちの化石は、後ろ足で立てることを示しているだけだった。 発見されたこれらの初期の猿人への進化は、数百万年強もかかった。猿人は、その従兄弟である通常の類人猿と比較すると、希少な存在であり、脳は小さく、習性と食生活はまだ類人猿のようであり、まだ自然が生んだ実験的な二足歩行動物であり、足の長いチンパンジーのようであった。 エチオピアのオモ川下流域(エチオピア最南部の山岳からケニアのトゥルカナ湖にそそぐ川)は、前人間、および初期の人間の数百万年にわたる化石(人骨)が残っているが、そこで出土した動物の化石の全数調査により、その地は、以前は木々の茂った林や森で覆われていたことが示された。(オモ川下流域で最古の打製石器も発見された) 350万年前から、そこの森林は木々が減り始めた。 280万年前以降に、世界が強烈に寒冷化した時には、草原に適応した動物の比率が著しく増加し始め、それから40万年以内には、草原に適応した動物が森林性動物を上回ることとなった。その間に人間が最初の足跡を残した。

 草原への適応

 アフリカは草原が拡大し、生物はそれに適応していった。アンテロープ(カモシカの仲間)という新種がおびただしい数になったので、大きな猫科の動物や他の肉食動物の恰好な獲物になった。しかし、類人猿や猿人は採食用のあごや骨格のために、生存の為に生肉を食べるためには、鋭い歯か、鋭い刃物が必要であった。 生物が作ったもので最古のものは、1990年代にエチオピアで発掘された石器であり、ほぼ260年前のものである。それはこぶし大の丸石を素材にした鋭い肉切り包丁であった。 エチオピアの道具研究者のセマウは、2000年の報告に、「形を整えた石を使うことは、技術上の大きな突破口であった。動物から肉や骨髄などの食料を効率よく利用できるようになり、生存を可能にした。切った痕跡や骨破砕の証拠があり、250万年前という時代にヒト科の動物の食事の中に肉が取り入れられた証拠である」という。

 人間の脳の発達

 なぜ人間の脳は、類人猿の脳より大きくなったのであろうか。 ペンシルベニア大学のステッドマンらは、すべてのサルと類人猿の、あごを咀嚼筋肉の熱さと強さを決定しているmyth16と(命名された)いう遺伝子を同定した。その筋肉は、頭蓋骨を完全に取り囲み、脳の成長を制限していた。 現代人は、その遺伝子の突然変異型を持ち、弱体化した咀嚼筋を持っている。この人間のあごの弱体化に伴って顔は平たく、歯は小さく、そして頭蓋骨は丸くなった。この突然変異が起こったのは、約240万年前であった。この遺伝子の変化した年代は正確ではないので、最初に道具を作ったのは誰かということで、議論は二つに分かれている。

 一つは、当時エチオピアに住んでいたアウストラロピテクス・ガルヒと呼ばれる猿人が関与しているというもので、遺伝子の突然変異は彼らに定着していたから。彼らは小さい脳で、既に石包丁を使っていたから、弱いあごでも生き延びられた。 もう一つは、突然変異が最初に起こり、それで賢くなった人類の祖先が丸石を加工したというものである。

4 ハエ取り紙に捕らえられた超新星の原子

 海底の調査

 1870年代に、海底調査船HMSチャレンジャーに乗り組んでいた英国の海洋学者は、平らな鉱床や丸い団塊状のマンガン鉄の堆積物を発見した。それは地球で成長した金属原鉱石の塊で、その塊の中に重い鉄原子の形で異星の遺物(超新星の証拠)として保存されていた。 その100年後に海底からそのマンガンを採掘しようとした。 1976年にドイツの研究船が、深い太平洋の海底からその沈殿していた資料を救いあげた。このマンガン鉄の堆積物は、ハエ取り紙のように、星が吹き飛ばした原子を捕まえており、遠くの宇宙で起こったことを記録していた。それが判ったのは1990年代後半にミュンヘン工科大学のコルシネックたちで、過去数百万年前に地球の近くで起こった超新星爆発を探し始めていた時だった。

 超新星からの飛来物の探索

 爆発している星では、核反応が大規模に起こり、1つの元素を別の元素に変換し、惑星と生物の為の、新しい原材料を作り出す。それで生じた原子は、四方八方に飛び散り、その一部は偶然にでも地球の一部に届くであろう。 しかし、爆発した星から飛び散った材料が、宇宙空間のほんの1点である地球に届く量は極めて微量になる。超新星がかなり近い時でさえ、極く僅かしか届かない。 その上、地球と地球上のすべての物は、同様の起源で生じているので、太陽と太陽系の星たちと同様に、生存して死に至った星たちから得られた元素からなっている。したがって、最近の超新星から普通の鉄原子が届いても、それがこの地球の始まった時から存在していたものと区別できない。 それで、爆発した超新星からの原子のうち、この地球に存在しない原子を見つけ出すしかない。したがってそれらは地球の年令よりずっと短い放射性元素でなければならない。 たとえ同じ原子が地球上に存在していても、それははるか前に他の原子に変化しているからである。また寿命が短かすぎても、地球に到達するまでに寿命が尽きているので、それを見つけることができない。それで寿命が中間の長さの原子を、調査対象にした。 そこで最適の候補になったのは、通常の鉄原子56Feよりかなり重い60Feであった。これが放射線を出して崩壊し半減する速度は、150万年かかる。従って、1000万年以上経ったら微量しか残らない。

 これを検出する技術を、ミュンヘンの研究所のコルシネックは持っていた。それは加速型質量分析器と呼ばれる大型の装置で、試料を高速に加速し、強力な磁石でその進行方向を急に曲げることにより、各種の原子をその質量に応じて分類することができる。この方法で、分子量がほとんど同じ原子同士の混同を最小限に食い止めることができる。これにより、100万×100万×1万個の中のたった1個の特別な鉄原子を見つけることが可能であった。 2004年に、コルシネックたちは世界で初めて、近くの超新星から届いた原子を見つけた。 ハワイの南東の海底の掘削基地で、ほぼ5000mの深さの海底から取ってからでも約30年経過していた。その場所は(237kdと命名された)マンガン鉱床で、そこから採取された試料から60Feが検出された。 既にコルシネックたちは1999年に太平洋の別の場所から得た数百万年前のマンガン鉄鉱床中に60Fe(鉄60という放射性同位元素)を見つけていたが、その鉱床は証拠が少なくデータとしての確実性に欠けていた。しかし、それを裏付けたこの研究で太平洋の遠く離れた場所で見つけられた証拠として重要であった。 その鉱床237kdは、その後詳細に分析された。ハワイ沖の海底では地層の成長が遅く、1cm成長するのに400万年かかった。それで28の異なる層の各年代を測定でき、1300万年前まで遡ることができた。 各層中の60Fe の原子を質量分析器でカウントし、280万年前あたりの隣接する3つの層だけが高い濃度であった。

 宇宙の60Fe が放出するガンマ(γ)線の検出

 理論上は、古代の隕石中に60Fe が存在することは判っていたが、検出したのは初めてであった。同じ頃にNASAの人工衛星の高エネルギー太陽分光撮像装置は、宇宙空間中に60Fe を見つけていた。それらの60Fe が放射性崩壊する時に出すガンマ線により、天の川銀河で最近起きた星の爆発により生じた原子と混在していることが判った。2006年までに、欧州宇宙機構のインテグラル衛星により、60Fe を天文学的に特定する体制が確立された。

4節 宇宙線による冬

 60Fe 発見の意義

 イリノイ大学のフィールズは、コルシネックたちの発見に対して、「60Feを検出できたことは、深海での放射性物質に対して他の調査をすれば、それぞれの超新星の性質を解明できる、という希望を与えてくれる。観察された各種の放射性物質の比率を用いて、超新星の核燃焼後の灰を研究すれば、爆発している星の原動力である核の火を究明することができる」。

 超新星と宇宙線

 コルシネックらは、「この超新星が、気候変動を引き起こし、それがおそらく、ヒト科の進化を著しく発展させたのであろう」と報告書を締めくくった。 コルシネックらは、また宇宙線、雲、および気候がつながっている可能性があるというスベンスマルクの説を引用した。スベンスマルクは、数年前から近傍の超新星についての推測をしていた。 イリノイ大学のフィールズは、CERN原子核研究機構のエリスと組んで、その超新星の出来事が、「宇宙線による冬」を引き起こしうると提案した。CERNの物理学者カークビーは、宇宙線が雲に影響を及ぼす可能性があることをコールダーから聞いて、エリスに伝えた。カークビーはクラウド(CLOUD=雲)という実験を提案し、仲間に支援を要請していた。

 ミュンヘンの超新星

 ミュンヘンのコルシネックのチームは、超新星の60Fe が信号を出した地層の年代を、特定しようとし、宇宙線による冬というアイデアを検討し、ウィーンの天文学研究所のドルフィに相談した。ドルフィは、計算により、爆発した星の膨張中の残骸における自然の粒子加速器が、超新星爆発後の数十万年の間、宇宙線を量産し続け、それにより地球への宇宙線の流入量が、通常より15%高くなると予測した。 60Fe の原子に関する2004年報告書の主筆クラウス・ニーは、「超新星爆発に伴う宇宙線が、地球大気を照射すると、それと同時期の地球は寒冷化を引き起こし、これが引き金となって、人間への進化が大きく前進したのだろう」と明言した。 この超新星は、その年代が280万年前だったので、275万年前から始まった氷期を伴う大きな寒冷化は、その超新星に誘発されたと思われた。

 しかし、別の技術で、このコルシネックの見つけたマンガン鉱床の別の部分を分析し、それより後の年代にたどり着いた(9章1節)。このことは超新星は、210万年前に激しくなった後期の寒冷化に結び付いているかもしれないが、初期の氷期には遅すぎた(7節)。そうすると人類の進化には寄与していないことになる。

 今後の課題

 宇宙線による冬というアイデアは、その後も生き延びた。地球の近傍で生じた超新星は、それだけではなかったからである。未だ他にあるはずであった。

6節 ミュンヘンの超新星の候補

 100光年の速さと近さ    その超新星は100光年しか離れていない所から、60Fe を届けたが、それに対してもっと本格的な超新星で爆発しそうな大質量の星は、すべて100光年をよりも遠くにあった。

 近くで超新星が生じやすい領域

 約400光年先にあるオリオン座のペテルギウスとその一群の「オリオンOB1アソシエーション」の星団の中にある。アソシエーションと呼ばれる一群は、すべて同じ時に生まれ、夜空で近くに集まって見える星団のことである。OB星の多くは太陽の10~50倍の質量と3000万年~1億年の寿命であり、この星たちが超新星爆発を起こす可能性が最も高い。 NASAのコンプトン衛星はオリオンOB1星群内で、過去100万年以内に起こった星の爆発によって作られた26Al(アルミニウム放射性同位体26)が、ガンマ線を出していることを観測した。 1870年代にアルゼンチンで研究中の米国の天文学者グールドが、巨人オリオンのベルトの位置にOBアソシエーションたちがあるので、グールドベルトと名づけられた。

 グールドベルトは、それを構成する数個のOBアソシエーションが、縦2400光年、横1500光年の楕円形で、太陽系の星はグールドベルトの内側にいるので、爆発性の可能性の高いOB星たちは、地球の周りをぐるりと取り囲むように点在している。 このOB星は、連鎖反応を起こす。①同一世代の星々から出る風と衝撃が、星同士間の空間に充満していた薄いガスを強く押し付ける。②それにより圧縮されたガスは、新たなOB星を誕生させる。③それらは寿命が尽きると爆発し、再び①に戻り、同じことを繰り返す。

 天の川銀河のオリオン腕内にいる地球の周辺領域は、星間ガスは、超新星の爆発により、希薄なプラズマという帯電した原子に置き換えられており、それは高温なのでX線を放っている。この領域は、天の川銀河の円盤全体からはみだしているので、熱いプラズマが天の川銀河の外の空間へ噴出しているので、天文学者は局所泡とか局所煙突と呼んでいる。

 ミュンヘンの超新星の候補

 コルシネックたちの発見した超新星はどれであろうか。60Fe を同定できる程の量を、地球にまき散らせるほど、近くで爆発した星は、いろいろと探索されている。1つの候補は、ほぼ南十字星の方向にある星。 もう1つの候補は、牡牛座内のプレアデス星団(かってはスバルと呼ばれた七つ星) しかし、決着はついていない。またこの星以外かも知れない。

7節 超新星の残骸の探査

 超新星の研究方向

 多くの超新星を探しだすことに向井、南極の古代の氷や海底の地層の調査は続いている。

 グールドベルトの星の統計は、過去300万年間に数回、星の爆発による宇宙線の急増をもたらしていることを示唆し、その度に宇宙線による冬が起きたであろう。

 海底の微化石中の重い酸素原子のカウントから得られる気候変動の記録は、270、210、130、70、50万年前に急冷期が起こったことを示している。それを起こした特定の超新星を探している。

 超新星の残骸の探査

 一片の雲として見える超新星の残骸は、全天 で250個見つけられている。しかし、この方法では星の歴史を数千年しか遡れない。 星の爆発した時の放射性原子をさがすことは、それぞれ特定のエネルギーのガンマ線を出しているので、人工衛星に載っているガンマ線望遠鏡で見つけられる。 地球外物理研究所のディールたちは、NASAのコンプトン衛星(1991~2000)で26Al(アルミニウム放射性同位体26)の散乱を見つけた。またディールは、欧州のインテグラル衛星(2002~2010)ガンマ線と26Alを測定した。 3種類目の証拠は、中性子星からもたらされた。中性子星は、大質量の星の爆発の跡で、高度に圧縮された中心部分の遺物である。これは当初、脈動星として発見され、1000個以上見つかっている。それでいくつもの最低20個以上見つかっているが、まだ決められていない。今後の人工衛星のデータが待たれる。

 超新星による寒冷化と生物への影響

 ディールはガンマ線天文学者として、超新星と生物が密接に結びついていると考えている。「生物学者は、暴風雨や火山等が、次いで小惑星や彗星が、種の多様性や障害に影響及ぼすと考えている。しかし、星からの宇宙線については論じられていない。宇宙線が及ぼす正確な影響はまだ確認されていないが、それでも宇宙線が地球上の生物の歴史に、たびたび関与していることは間違いない。天文学と地質学と化石学とを我々は結び付けている。」

8節 新しい知識の連鎖

 本書で問い訪ねた広範囲の分野

 本章ではアフリカ沖の海底や南十字星に近い星を訪ねた。生物の歴史の1万分の1である40万年(280~240万年前)にわたって続いた気候変動を追跡した。 新しい知識は、宇宙線という糸でつながれた人つづりの連鎖である。

 研究の細分化の問題点

 19世紀から今まで、自然科学は、範囲の狭い多くの専門分野に細分化されてきた。 研究者は、自分たちの扱いやすいように、明らかにする分野に分割するので、自然が互いに関連しあっていることに、ほとんど気がつかない。

 幅広い知識の融合の必要性

 21世紀には、自然科学は、自然の世界に残っている謎を解こうと務めている人は、極端に異なる種類の手がかりを数多く組み合わせねばならない。

 スベンスマルクの研究の仕方

 スベンスマルクは、宇宙線が雲量に影響を及ぼしうることから始まって、① 大気中の硫酸の物理化学から、② 天の川銀河の運動力学、③南極気候の異常、④ 生物圏の生産性が常に変動していること、にまで至っている。 宇宙線、雲、および気候がつながった連鎖の輪は完成しているが、まだ新しいことが判る可能性が残されている。

北半球と南極における気温の平均値を、

20世紀の100年間にわたりプロットした図

宇宙線流入量の比率と生物圏の生産性の類似

 


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.6

2022-09-14 05:00:16 | 地球温暖化

       不機嫌な太陽

   ― 気候変動のもう一つのシナリオ―  No.6

§7.地球の気候の歴史と宇宙線との関係

 気候変動は、天の川銀河の渦巻きの中を周回する太陽の位置によって決まるようだ。 そして小惑星の衝突も気候変動の一因であった。恐竜はそのために絶滅した。しかし、小さい恐竜だけが羽をはやして寒さをしのぎ、鳥へと進化した。毛のある動物たちは、そのまま進化した。鳥は、始めは飛べず、飛ぶのは滑空する動物から始まったという。炭酸ガスの影響は小さいだろう。

5 恐竜が天の川銀河を案内する

気候は、数百万年の間にリズミカルに切り替わる。氷期は、太陽系が天の川銀河内の明るい腕を進行中に起こる。気候の寒冷化は、たとえば、鳥を出現させたように生物の進化に影響を及ぼす。炭酸ガスによる温暖化は、世間で騒がれているよりも小さいだろう。現在では、気候変動のデータから、天の川銀河についての正確な情報が得られる。

1節 押し曲げられた石灰層

 押し曲げられた石灰層

 デンマークのコペンハーゲンの南東にあるモンス(ミュン)島の海蝕断崖にあるモンス(ミュン)クリントにそびえる白い石灰岩は、約7000万年前にできた。巨大な恐竜が世界を支配していた時代である。当時の気候は非常に暖かく、両極地に氷が無く、南極大陸にも恐竜が棲んでいた。海面は非常に高く、微細藻類の外套であった炭酸カルシウムの板は、藻類が死んで海底に蓄積された。バルティック海ではそれが厚さ100mの石灰岩になった。  当時同じことが世界各地で起こった。それでその地質年代が白亜紀と名づけられた。白亜とは白色の石灰岩のことである。南イングランドのドーバー海峡にも白い断崖があるが、モンスクリントとは大きく違った。デンマークの地質学者プガールは、「(ミュン島の)石灰岩の地層は、ねじられ、曲げられ、へし折られている。S字状、Z字状、半円状、またはあぶみ状になっていて、更にそこへ深い裂け目が入っている」と記した。

 石灰層の押し曲げと気候変動

 欧州の各地で見られる他の石灰岩層はそれ程ゆがんでいず、その理由は、約7万年前に始まった直近の氷期中に、大きな氷河がバルティック海を横切って西方に進み、氷河の先端が石灰岩の表面をはぎ取って前に持っていき、温室期(間氷期)が来て、氷河が残した荷物「末端堆積」としてミュン島ができた。  約5000万年前に、温度は著しく低下した。南極にはその後3000万年の間、氷床が存在した。275万年前に北大西洋は寒冷状態になり、世界は氷室期となった。氷河と氷床が常に景色の一部となった。

☆ミュン島の石灰岩を生み出した温室期から、それをめちゃくちゃに押しつぶした氷室期に切り替わったことに対する説明として、

〇1つの説は、大陸移動により地形が変化して気候変動が起こったからと考えた。この頃オーストラリア大陸は南極から離れ、南極は南極大陸のみとなり、南極の周りに環南極海流が生じ、それが暖かい海流を遮断して、その時から南極は孤立し氷床が続いている。インド大陸とアジア大陸が衝突し、ヒマラヤを高く押し上げ、熱帯地方に寒気のプールを作った。

〇第二の説は、大気中の炭酸ガス量が低下したので、それが原因で寒冷化したというもの。

〇第三の説は、イスラエルのラカー物理学研究所の天体物理学者シャヴィブは、太陽系が、天の川銀河の中の「射手―竜骨腕」と呼ばれている非常に明るい領域内に、入ったためであるという。

 天の川銀河の渦状腕との遭遇による寒冷化

 約6000万年前に、地球を伴った太陽は、(現在と同様に当時も)明るくて短命の星が多く存在していた腕(射手―竜骨腕)の領域に入ったのである。太陽系は、その明るい腕の遠い方の後端部に入り、約3000万年前には、その近い方の前端部に現れた。その前端部では、爆発している星の数が頂点に達したので、そこから発する宇宙線の強度も頂点に達していた。シャヴィブは、スベンスマルクの「宇宙線が地球を覆う低い雲を増やすことにより地球を冷却しうる」という理論を採用した。この解釈により、約6000万年前から3000万年前の間に、地球全体の温度が低下し、南極大陸は氷床を作り出した。「射手―竜骨腕」から遠ざかるにつれ、寒冷化は弱まった。 そして気候は逆転して温暖期に入るはずだったが、太陽系が天の川銀河の中を放浪して「オリオン腕」と呼ばれる明るい星の集まった特別の分岐腕の中に突入したので、再び寒冷化した。この「オリオン腕」が今我々のいる所である。したがって、現在氷期と氷期の間の比較的暖かい期間にいるが、まだ氷室期の深部にいて、氷河作用は小休止しているだけなのである。 2002年に発表されたシャヴィブの解析は、5億年前の地球上に動物の存在が初めて認められるようになった頃より、更に少し遡った時から起こった4回の氷室期をすべて説明した。

 考察

 今まで述べてきたことは、天文学的時間または地質学的時間としては非常に短いので、この間には、天の川銀河から太陽系への宇宙線の流入は、ほとんど変わらなかった。従って過去10万年の間には、太陽活動の変化が、地球大気の最も低い位置まで到達する宇宙線の強度を変化させる第一の理由であった。地球が太陽と一緒の時間を過ごして、数百万光年や数千光年を移動する時には、宇宙線の流入量はその変化幅がより大きく、周期がより長くなる。  (太陽活動の変化を、「不機嫌な太陽」と著者は評したのではないか。)

2節 鉄隕石に託された伝言

 渦巻状銀河の形状

 銀河には各種の形があるが、渦巻状銀河が最も美しい天体である。渦巻状銀河は、数十億の星からなっており、中央部分では、古くて赤みがかった星が球状または棒状に分布しており、その外周部分では、中央部分から放射状に出て弯曲して伸びる数本の腕に沿った部分に、最も明るくて青い星が主に点在している。重力が渦巻状銀河を平板化し、横から見ると目玉焼きのように中央部が膨らんでいる。

 天の川銀河について

 我々の居る天の川銀河は、我々がその内側にいるために、全天に伸びた光の帯のように見える。その為に天の川と名づけられた。その後、夜空一面に散らばっている星たちと同じように、これは「島宇宙」であると認められた。1950年代以前にオランダの電波望遠鏡が、水素ガスの分布をチャート化したことにより、アンドロメダ銀河などと同じように渦巻状銀河の形であることが判った。 星同士の間に働く重力は、物質の密度の高い所と低い所からなる波動を生じる。それにより渦巻の構造ができる。その渦は天の川の中心の周りをゆっくり周回する。

 この密度波は、星間ガスをかき乱し、密度の高い雲を生じ、その雲からこの銀河を活性化させる新しい星が生まれる。その結果、質量が大きくて明るい青い星が生まれて、天の川の腕の部分を飾る。しかし、それらの星は余りにも短命なので、その星が生まれた所から遠く離れた所まで行きつく前に爆発して宇宙線を吐き出す。 太陽のような小さい星は寿命が長いので、銀河の中心の周りを何回も周回することができる。しかし、渦状腕が回転する速度と太陽の速度が違うので、太陽は渦の腕の中に一方から入り、その腕の反対側から出ていくということを繰り返す。 太陽と太陽系の星たちは、渦状腕を出る時に宇宙線を受ける量は頂点に達する。それは大きな星の多くが渦巻の先頭部分で作られ、爆発する前にはその渦巻の少し前方を周回しているからである。(これが気候に大きく影響している)

 シャヴィブは、「宇宙線の中で、地球の低空をイオン化させることができる高エネルギーの宇宙線が、天の川銀河内での太陽の周回によって、「腕」との位置関係で増減する変化は、太陽活動の強弱によって増減する変化よりも10倍も大きい。 太陽が世界の気候を1℃変化させるなら、「渦状腕」を通過することによる変化は約10℃となろう。この10℃の変化は地球の極地迄が温室の気候である温室相から、現在の両極地方に氷床がある氷室相にまで変化させるよりも、もっと影響が大きい。事実「渦状腕」の影響が、1億年の期間にわたる気候変動の最も大きな駆動要因と予想されている」。 天の川銀河の4つの主要「腕」、および数本の分岐「腕」は、太陽と地球が天の川銀河の中を周回する軌道と交差している。(主要腕は、ペルセウス腕、定規腕、楯―南十字腕、射手―竜骨腕)

 我々が現在居るところは、ペルセウス腕から枝分かれした、オリオン腕という明るい星々からなる分岐腕の部分である。(肉眼で見える星のうち、アンドロメダ星雲、大・小のマゼラン星雲以外は、すべて天の川銀河の星である) 銀河内の太陽の軌道における周回速度には異論がないが、渦状腕の圧力波が回転する速度に関しては、論争されている。渦状腕との遭遇と気候変動を結び付けるには、太陽と渦状腕との相対速度が重要である。そこが論争中である。

 太陽系の周回に伴う宇宙線の増減周期

 シャヴィブは、鉄隕石中の放射性元素に関するドイツの研究者のデータを解析し直すことにより、宇宙線増減のリズムを見出した。 小惑星同士が太陽系内の遠くで衝突した時に、空間に放出された破片に鉄の塊が含まれていることがある。それらは数億年の間、太陽の周りを公転し続ける。公転している間に宇宙線の衝撃を受けて放射性元素を作る。最終的にその破片のいくつかが、鉄の隕石として地球上に落下する。それに含まれる放射性のカリウム原子の量を、安定な原子に対する比率で、鉄隕石がどれだけ放浪したかの時間を測定できる。しかし、太陽系が受けた宇宙線の強度が変化していると違ってくる。 鉄隕石の見かけ上の年令が不自然なものを除外して、残った約10億年の間に広がる50個の鉄隕石の年令を推定して、それらの年令から、太陽系が繰り返し銀河の渦状腕の中を通過することにより、宇宙線の強度が増減する周期は、1億4300万年±1000万年であると推定した。この結果は、気候変動の長期の記録と不思議なほど一致した。

 以降の内容

 シャヴィブの解析は、過去10億年に広げられた。その周期の最初の部分は、宇宙と気候の他の種類のできごとを含んでいるので、6章に述べる。 5億4200万年前から始まったカンブリア紀に、初めて多くの種類の動物が化石として保存されていた。その5億4200万年前から現在までの全期間は、顕生代と呼ばれる。

3節 各腕との遭遇による気候と生物の変化

 射手―竜骨腕からの脱出

 カンブリア紀の初めは、(太陽系が天の川銀河の射手―竜骨腕を通り抜けた後で)、厳しい氷室気候から逃れたばかりであった。厳しい気候は、生物に生き残りのための進化上の革新を誘発することができた。 このことは1970年代に、カリフォルニア大バークレー校のヴァレンタインにより指摘されていた。その指摘通りに、海底に潜伏していた虫が大量発生した初期の段階に、動物の新体制が始まった。 季節ごとの気候変化や長期にわたる気候変動は、動物たちを飢餓状態に追いやっても、虫たちには小さな影響しか与えなかった。

 温室相がカンブリア紀として始まった時に、動物たちの主要な「門」(分類学では、動物はすべてどこかの「門」に分類されている)の全ての先祖が出現した。(太陽と地球は、天の川銀河の渦状腕の間にあったので、宇宙線の強度は低く、海面は高い位置にあった)。それで、生物は、大陸棚で繁栄した。無脊椎動物の中で早熟で繁殖できるようなオタマジャクシのような「幼生」がいた。(幼生とは、幼児のままに成熟して、繁殖できるようになること) それが魚や背骨を持った他の動物すべての先祖になったのである。

 ペルセウス腕への移行

 温暖な気候は、オルドビス紀にも続いたが、約4億5千万年前に終了し、急激な氷室相に入って、氷河が来て海面は低下した。これはその時、太陽系が天の川銀河のペルセウス腕を通過したからであった。ペルセウス腕を出て、宇宙線の強度が頂点に達した時であった。 この寒冷な期間の直後の温暖なシルル紀では、陸上で生きる最初の植物と動物が現れた。骨のある魚も現れた。それが背骨を持つ動物の端緒となった。次のデボン紀も温室期だった。

 定規腕(じょうぎわん)への侵入

 宇宙線に関する隕石のデータと石炭紀が終わった約3億年前の最大の寒冷期と一致した。 石炭―二畳(ペルム)紀の氷室期は短くはなかった。石炭紀の名前は、沼地の森に大量の石炭が埋蔵されたことに由来する。この氷期に、もっぱら陸上で生活できる背骨を持った動物として爬虫類が出現した。この時は、大陸は一つでパンゲアと呼ばれた超大陸であった。二畳紀の終わりの2億5千万年前に大異変が起こって、大量の種が絶滅した。(これはおそらく偶然侵入した彗星か小惑星が地球に衝突したためであろう)それがきっかけで中生代に入る。この時代に恐竜が出現した。二畳紀後期と三畳紀は温室気候が続いた。

 楯―南十字腕への侵入

 楯―南十字腕を通過したので、ジュラ紀と白亜紀の初期は寒冷期になった。この時現れた生物は、花を咲かす最初の植物や最初の鳥がいた。

 以降の内容  特筆すべきことは、鳥の起源に関することである。

4節 小さい恐竜を寒冷気候から守る羽根

 小さな恐竜の活躍した時代

 最初の小さな恐竜と哺乳動物が登場したのは、約2億3千万年前である。そのときの太陽と地球の位置は今と同じであった。その時から太陽系は天の川銀河の周りを一周し、それには5億年以上かかった。恐竜は地球を支配し、哺乳動物をおとなしくさせていたが、一周しない6500万年前に絶滅した。

 宇宙線から予想された寒冷な中世代中期

 シャバイブは、中世代中期(ジュラ紀)はその前後の三畳紀と白亜紀よりも寒かった、と書かれている本を見つけた。シャバイブの理論では、三畳紀は温暖であったが、太陽系はその後、楯―南十字腕のそばを通り、ジュラ紀と白亜紀は氷室期となった。

 寒冷な中世代中期を示す証拠

 2002年にシャバイブが、渦状腕を通過することによる寒冷化するという説を裏付ける証拠が、氷山が海底に落とした岩屑からもたらされた。 1988年アデレード大学のフレイクスは、浮氷がそれに含まれていた砂を亜寒帯の海上で落としていたことを示した。さらに2003年にフレイクたちは、白亜紀の陸上の地層に氷の存在を示す証拠を見つけた。それは南オーストラリアのアデレードの北方にあるフリンダース山脈の近くに、氷河によって押しつぶされた粘土、小さな丸石、それに石英粒が存在することを見つけたのである。それが始まったのは、白亜紀初期の約1億4000万年前で、恐竜は気候の激変に遭遇していた。

 寒冷期に小さい恐竜は、体が小さいために大きい恐竜より早く体温を奪われるために、鱗状の皮膚しかなく、それを羽毛や羽根に変形させることにより体温を保ったのである。 オーストラリアでの発見と同じ頃、中国の遼寧省の湖の跡の底の、1億2000万年前の白亜紀初期の氷室期の地層から、① 羽毛をつけた小さな恐竜、および② 恐竜の一部が鳥に進化したもの、の化石が発見された。 これによって、羽根は鳥に特有なものではないこと、飛行は木立に棲む生物が滑空することから進化したかもしれないことを、などを示唆した。

 天体との衝突

 その後充分時間があったので、羽根を付けた鳥の先祖は鳥へと進化した。約7500万年前の氷室期が小さな恐竜の羽根のジャケットで保温性を実証し、その羽根でできる別の生き方を見つけさせた(それで飛ぶようになったのではないか)。6500万年前の小惑星がメキシコに衝突した時には、インドから噴出した大量の火山性溶岩が地球の反対側まで押し寄せて、生物の大量絶滅が起こったが、多くの鳥と哺乳動物は生き残った。

 1980年にイタリア中央の山脈中のグッビオにある渓谷の石灰岩層を横切る赤い粘土層の中から地球外に起源をもつ希元素(イリジウム?)が見つけられた。このことから恐竜を絶滅させた小惑星の衝突の最初の証拠となった。一般的には、彗星や小惑星が衝突した後には、短期間の気候の混乱は起きるが、その後は、衝突する前の気候状態(氷室相または温室相)に戻るのである。

5節 炭酸ガスについての議論

 シャバイブの研究

 銀河と気候との結びつきに関するシャバイブの研究は、雑誌”Discover”の2003年の科学上の発見の上位100選に選ばれた。他人の研究分野を侵すことのない、全く未踏の分野に踏み込んだ研究として高く評価された。

 ヴァイツァーの研究

 ヴァイツァーはドイツのルール大学の研究室で、過去5億5000万年前までの、熱帯の海洋に生息している生物の化石貝殻中に含まれる重い酸素原子(17O、18O)の比率を調べ、大量のデータを蓄積していた。そのデータは、温室気候と氷室気候を交互に繰り返すことと、ほぼ歩調を合わせて、熱帯の温度が、約4℃の上昇と下降を繰り返すことを示した。 ヴァイツァーは、このデータから、大気中の炭酸ガス濃度の変化から温度変化を求めるための「係数」が間違っていると結論付けた。海の温度が合わなかったからである。 貝殻の示す温度変化の歴史は、約1億3500万年という周期をしめし、シャバイブが銀河の渦状腕との交差から予測した1億4300万年に近い値となった。

 2人の共同研究

 この時、この天文学者シャバイブと地質学者ヴァイツァーは、相互に協力して、気候変動における宇宙線の有効性を評価できると考えた。そこで二人は米国の地質学会の学会誌「GAS today」に「顕生代の気候変動を起こしたのは天体か」という論文を載せ、そこに二人のデータと共に宇宙線と雲に関するスベンスマルクの研究成果の説明を載せた。 二人は、顕生代の気候は、宇宙線と結びついているが、他方、気候に及ぼす炭酸ガスの影響は、一般に言われるよりずっと小さいと結論した。地質学的に記録されている炭酸ガスの濃度と海水温度との関係は、現在信じられている関係と一致しないことから、将来炭酸ガスの濃度が2倍に増加した時の温度変化は「気候変動に関する政府間パネル(ICCP)の予想よりずっと低いと判断した。

 その論文に対する反論

 気候への影響を研究するポツダム研究所のラームストルフの反論(略)。 ペンシルベニア州立大のローヤーの反論。(推定された温度を海水中の酸性度に対して補正すべきだ。補正すると温度の変化と炭酸ガスの変化が一致するという。)

 温度に影響する炭酸ガスと宇宙線

 過去5億5000万年の間に、炭酸ガスの濃度は2回の上昇と2回の下降を示したのに対して、宇宙線量は4回の上昇と4回の下降を示している。そして気候変動には4回の温室期と4回の氷室期が存在する。このパターンはシャバイブとヴァイツァーの説を支持している。 しかし、氷室期の厳しさが違っているのは、何かが関与しているのだろう。

 キールのゲオマール研究センターのウォールマンは、宇宙線と炭酸ガスのどちらが重要かの論争に対して、「温暖期(カンブリア紀、デボン紀、三畳紀、白亜紀)は、少ない宇宙線量によって特徴づけられ、寒冷期(石炭期後期~二畳紀初期、および新生代後期(現在)―)は、多い宇宙線量と低い炭酸ガス濃度によって特徴づけられる。・・・オルドビス紀~シルル紀の間、ジュラ紀~白亜紀初期の間、という2つの冷却期間は高い炭酸ガス濃度と多い宇宙線量により、炭酸ガスの温室効果が、低い雲の冷却効果を保証した結果であると特徴づけられる」とした。

 炭酸ガスの温度に及ぼす影響

 太古における炭酸ガスの影響は・・・。空気中の炭酸ガスの濃度は、温度の低下した各時期、3億年前および現在の氷室期には数百ppmであったが、温度の上昇した各時期には2000ppmとか5000ppmであった。 これを気候感受性と呼ばれている「炭酸ガスの濃度が280から560ppmに増加した場合、つまり工業化される前の値が2倍になった場合、温度上昇はどのくらいになるのか」については、「気候変動に関する政府間パネル」は、おそらく1.5~4.5℃であろうと考えた。 これに対してシャバイブとヴァイツァーの二人が5億年の気候の研究から出した最初の答えは、0.5℃でしかないというものであった。その後、酸性度に対する補正が必要であることを認めて約1.1℃という推定値を出した。これはマサチューセッツ工科大学の気象学者リンツェンによる大気の評価と一致している。リンツェンが2005年に英国貴族院に提出した文書では、「もしも主な温室効果物質である水蒸気と雲が一定なら、CO2が2倍になると、世界的に平均約1℃の温度上昇を招くこととなる」とした。 スベンスマルクは炭酸ガスの温暖化効果に対する数値を出すことを拒んでいる。それはその数値が地質学上のどの地点でも同じか、また炭酸ガスの濃度が変化した時にどうなるかに疑問を抱いている。 21世紀における人間活動による地球温暖化に対して予想されている数値より、シャバイブとヴァイツァーの出した結果はずっと低い。これはスベンスマルクの宇宙線説から、大きな温暖化は起こらないとの説とほぼ一致している。

6節 天体望遠鏡の役割を果たす貝殻

 スベンスマルクの古代への取り組み

 SKYの実験から最初の一連の結果が出揃い、それを解釈できてからは、スベンスマルクは星と岩石とが、太古から現代まで相互に同じ対応関係を維持してきたという真実に取り組むようになった。

 貝殻のデータによる天の川銀河の調査

 スベンスマルクは、天の川銀河のことや、天の川銀河の渦状腕と遭遇する時期についての天文学者の間の意見の対立に悩まされた。それでヴァイツァーの化石による海の温度の記録を用いて、天文学をすることにした。 海に棲む貝の殻は、自然の検出器として作用し、変化していく星の環境を測定し記録している。貝が生きている時に、海水中と同じ比率の重い酸素を取り入れているので、宇宙線の強度を記録した「天体望遠鏡」であった。

 イルカ様運動を伴う太陽の周回

 化石に記録された気候変動は、地球が渦状腕を通過することによる計算上の気候変動よりも速いリズムを持ち、比較的短い周期を示している。その理由は太陽が遊び好きのイルカのように振る舞うからである。(詳細は略)  太陽は天の川銀河の円盤の中を周回しながら、円盤のふくらみの中で上へ行ったり下へ行ったりしている。地球上の宇宙線の強度は、太陽が上から下でもその逆でも、中央の円盤を横切る時に強くなる。中央を横切るのは約3400万年の間隔で起こる。これは海の温度変化の分析により、太陽系が円盤と交差するタイミングが規定されていることが、地質学者によって確定されている。

 数学手法の利用

 スベンスマルクは、過去2億年にわたるヴァイツァーのデータから天の川銀河と太陽の動きを関係づける最適の組み合わせをたった一つ見つけたのが、イルカ様運動であった。

 得られた情報 

ベンスマルクの解析によって得られたのは、太陽と回転している渦状腕のパターンとの相対速度は、12km/秒(光速30万km/秒の2万5千分の1)である。楯―南十字腕への到達は1億4200万年に起こり、射手―竜骨腕への到達は、3400万年前に起こった。

 考察 これらの数値は、以前に天文学で示唆されていたことで、化石がどの数値が正しいかを教えてくれたのである。「気候から天文学へ」という推論の逆転が成功し、天の川銀河内の動きが地球の気候を支配していることを確実にした。

(今回、今までの載せた図がダウンロードするとうまく入らなかったのが判ったで、縮小して書き直しました。)


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.5

2022-09-13 10:11:24 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.5

§6.太陽は躁とうつを繰り返しているのか

太陽の動きは変動している。ちょうど人間でいえば、機嫌のよい時と悪い時のように。 (1節の最初は、今後続く、地球の年代測定法の解説が主の為、スペンダー説を支持するところなので重要なのですが、我々には必要ないので、そこは飛ばして読んで下さい。)

1章 不機嫌な太陽は氷山多発期を生む

気候変動は、太陽活動の変動と同期して起こることが多く、宇宙線によって生成された奇妙な放射性原子(ミューオン)の増減は気候変動を示している。その放射性原子(ミューオン)の生成が増えた時は、世界は寒冷であった。

 マンによる最近1,000年間の気候変動 (ホッケースティックのグラフの誤り)

  中世の温暖期と小氷期の存在が不都合である「産業革命以前に起こった自然の気候変動を無視したい」人たちは、この時期の気温の経年変化を水平にさせた。マンは1000~1900年の間世界は涼しい状態を維持し、それ以降気温が急上昇している「ホッケースティック」として知られているグラフを作った。しかし、中世に温暖期と小氷期があった実例は、東アジア、オーストラリア、南アフリカからも出ている。ホッケースティックのグラフの誤りは統計学者の検証に任せることにする。

1節 小氷期における太陽黒点の消失

 宇宙線による大気の変化 (放射性同位元素による年代測定法の進歩)

 宇宙線は地球の大気に到来した印を、放射性原子という形態で置いていく。それは大気中の窒素から作られた「放射性炭素原子14C(炭素14)」で、年代測定に使われている。 [注: 14Cは放射性同位元素炭素14のことで、通常の炭素原子Cは12Cである]

 生成された14Cは、酸化されて炭酸ガス(14CO2)となり、植物に吸収され、その植物やそれを食べた動物に移行し、それらの遺体である木材、木炭、骨、革、および他の残存物に残る。その遺体中の炭素の比率(14C/12C)は、その生物が遺体となった時期の大気中に含まれる炭素の14Cの比率に一致している。それから数千年を経過するとその14Cはその間に徐々に崩壊して窒素に戻る。それで年代を測定し、その誤差を補正するために、大気中の14Cの生成率が、時代によって違っていることを見いだし、樹齢の古い木の正確な年代が分かる年輪ごとに14Cを測定し、それで年代の座標を補正した。 それにより、宇宙線の侵入を防ぐ太陽の働きが、数千年の間に変化した様子を見ることができた。宇宙線を太陽の磁場が跳ね返すことで14Cの生成率を低くしていた。太陽の活動が不活発になると、宇宙線がより多く到達し、14Cの生成率が上昇した。

[注:放射性同位元素とは、ラジオアイソトープ(略称RI)という。原子番号が同じで質量数の異なる元素を同位元素 (同位体)という。原子核は陽子と中性子からなり,陽子の数が原子番号を、陽子と中性子の数の和が質量数を表すので,同位元素の間では原子核を構成する中性子の数のみが異なり化学的性質は同じである。同位元素が存在するため、原子番号と質量数によって規定される原子核を核種といい、質量数を左肩に付して14Cのように表す。 同位元素には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは時間と共に崩壊して放射線を発する。それを放射性同位元素と言い、宇宙に自然に存在し、時間と共に崩壊し、年代によって生成率が異なるので、放射性同位元素の比率を測定することによって年代を測定する方法が開発された。]

太陽活動と気候変動との関連付け

ニュージーランド科学工業研究部のブレイは、紀元前527年以降の太陽活動を追跡し、宇宙線による放射性炭素原子14Cの生成の増加を太陽の磁気活動の低下と関係づけることができた。ブレイは太陽活動の低下と宇宙線強度の上昇を、記録された歴史的な氷河の前進と結びつけたのである。この氷河が前進した証拠は、小氷期の最も寒い期間がまたがっている17世紀と18世紀には、極めて多数にのぼった。その10年後、気候学者のエディは17世紀末における太陽の特異的な黒点極小状態に対して「マウンダー極小期」と名づけた。

1000~1300年の中世の温暖期、その後1300~1360年、1450~1540年、1645~1715年(マウンダー極小期)、1790~1820年と太陽活動が低下した4つの(黒点)極小期の時期を生じた。この時期は短い回復期により分断された。しかし、この(黒点)極小期の寒冷期に氷河が前進して村が押しつぶされたことや、夏が極めて短かったことや、各地で飢饉が起きたことが記録されている。

◎バイオリン製作者ストラディバリが生存したのは、このマウンダー極小期にあたり、この時期の欧州の木は成長が悪く、年輪の間隔が過去500年のうちで最も狭い。それでこの時期のトウヒ材は年輪の間隔が狭く、ことのほか強くて密度の高いものであるので、ストラディバリによってその時のトウヒ材で作られた、約千本のストラディバリウスに匹敵するバイオリンはその後決して作れないという。(それで2022年のオークションでは1534万ドル、20億円で落札された。)

2節 太陽風の送風機の調子と気候変動

 太陽類似星の観測

 宇宙物理学者は、太陽に類似している星(太陽類似星)を25年以上のあいだ観測して、300年前の太陽と同じようにそれが磁気活動を停止することがあることに気がついた。さらにシカゴの物理学者ユージン・パーカーは、小氷期に黒点が消失していたことに気がつき、また、太陽風の理論を生み出し、太陽風により太陽が磁気遮断層を作り、それにより外からの宇宙線の侵入を防いでいるということを明らかにした。

 黒点極小期に寒冷化する理由

パーカーは、太陽の黒点数が減少した時に起こる太陽光度の減少が、小氷期の寒冷化を引き起こしたと考えた。また、気候の変動に影響を及ぼすものは、太陽からの可視光か非可視光の両方かどちらか一方と考えた。1996年にスべンスマルクたちは、太陽光度は小さな要因でしかなく、太陽の黒点の減少は、宇宙線の侵入を増加させ、それが雲量の世界的増加をもたらし、より強力な寒冷化を引き起こすと考えた。

3節 氷山多発期

間氷期に起こった寒冷期

 300年前の小氷期には、アイスランドやグリーンランドは氷が海岸まで迫り、そこにいたバイキングたち入植者はいなくなり、先住民だけが生き残った。陸上の氷河が南方へ拡大し、大西洋に入ると、海洋上を漂流し、氷がとけて陸上で削り取った岩石の屑を海中に落とし、今でもそれが見つけられている。海底の地層コアーを採取して、直近の小氷期と、それより前に1500年の間隔で寒冷期が起こっていた。

[注:1990年頃から、地層コアーからの温暖期と寒冷期の年代測定方法ができたが省略する。地層コアーとは、長い円筒状のパイプでボーリングして、その中に入った地層を採取したもの。その長さは地質によって異なるが、堆積物だと600m以上は掘削できる。]

 北大西洋の海底に堆積した地層から、一般的には10万年ごとにおこる氷(河)期と、比較的短周期の気候変動が重なって起こることも判った。10万年周期の変動は、地球の公転軌道のふらつきによりもたらされ、比較的短周期の気候変動は宇宙線に影響を及ぼす太陽活動の変動によるものである。

 直近の氷期における氷山多発期

 海底地層コアーの研究で、気候の激しい変動が起こっていたことが判った。ドイツ水路測量研究所のハインリッヒたちは、北大西洋の欧州側の地層から、北カナダに由来する白い炭酸塩岩の粒子を見つけた。その粒子から、気候変動で知られていなかった厳寒期が何回も存在していたことを突き止めた。ハインリッヒ氷山多発期と呼ばれるこの時期は、人の生涯にあたる短い期間中に数℃の平均気温の低下があった可能性があるという。海底地層コアーの最大のコレクションは、コロンビア大ラモント地球観測所にあり、同地球観測所の地質学者ボンドは、北大西洋の地層コアーをmm単位で調査した。

 ボンドによる氷期の最後以降の調査

 ボンドは間氷期の調査をし、氷期を終わらせた大きな温暖化は、約1万3000年前の「ヤンガー・ドライアス寒冷期」と呼ばれる厳しい寒冷期によって中断された。その時期にやはりハインリッヒ型の氷山多発期を示す白い粒子が見つかった。海底地層コアーには、寒冷期も記録していた。

◎その時、紀元前1300年に頂点に達した寒冷期は、東地中海周辺の国々を干ばつで苦しめた。ギリシャのミケーネ人とトルコのアナトリアのヒッタイト人の都市文明は崩壊した。ユダヤ人がエジプトを脱出したのは、ナイル河の水位が低くなっていた時である。また、海賊により錫貿易は途絶え、その替わりに、鉄の使用がキプロスで始まった。

4節躁うつ病の太陽

 太陽活動の変化と気候変動

 寒冷化が起こった時期と、太陽活動が低下し宇宙線が増加した時期とが、すべて同時に起こった。スべンスマルクのこの主張は、世間から疑問視されていたが、(彼の説を支持する)ボンドのチームにスイス連邦科学研究所のベーアが加わったことで変わった。

 ベーアの10Be (Beの放射性同位元素10)による研究

 ベーアは、南極とグリーンランドの両極地の氷層コアーを掘削し、それから宇宙線により大気中に生成された放射性ベリリウム10Be量の変化を測定した。半減期は10Beの151万年、14Cは5730年で、10Beは生物や炭酸ガスによる影響を受けることはなく、南極やグリーンランドの氷の上には10Be原子が次々と落下して、氷の中に閉じ込められた10Beは、10万年以上にわたる過去の太陽活動状況を明らかにした。

 突然の温暖化と寒冷化

 コペンハーゲンのダンスガールとベルンのエシュガーは、グリーンランドの氷層コアーの調査で、氷山多発期群の突然の寒冷化の間に、突然の温暖化が起こっていることを発見した。氷中の重い酸素原子(同位体17Oと18O、普通は16O)の割合の変化が、温度変化の指標である。最後の氷期の真っ最中である4万5千年から1万5千年の間に形成された表層に、強い温暖期が、突発的に12回も起こり、その各々が数百年間続いたことを見出した。現在の間氷期の間にも温暖期が繰り返し起こり、それでアルプス越えの近道も発見された。

 現在の地球の温暖化は、氷期の間に起こった強烈な温暖化よりも強いものであろうか。

 最も最近に起こった温暖化は、中世の温暖期と20世紀の地球温暖化の時期である。中世の西暦1000年から1300年頃の温暖期は、バイキングやイスラム文化の絶頂期であった。

太陽活動が活発で宇宙線の侵入を阻止した時期は、中世の温暖期と20世紀の温暖化時期の両方に明確に見られる。過去1万2千年の間氷期の間に、温暖期が8回起こり、その時にはいつも宇宙線は少なかった。間氷期と氷期の双方における寒冷期と温暖期は、太陽活動によって起こっていることは疑う余地がない。

5節氷期における気候の良い時と悪い時

クロマニヨン人の移動

 クロマニヨン人がアフリカから西ヨーロッパに移動したのは、ダンスガール・エシュガー温暖期の約3万5千年の頃であった。西欧にいたネアンデルタール人はクロマニヨン人にとって代わられた。

 1万3千年前のヤンガー・ドライアス寒冷期には、アフリカの降雨は突然ほとんどなくなり、多くの地域を苦しめた。その時期にシリアのユーフラテス川の流域では、穀類の栽培の証拠が見つけられた。背の高い人間の出現は、宇宙線が増加した結果の賜物である。氷期の間、現代の人間は徐々にシベリアまで広がり、そして最後にアメリカ大陸へ渡った。 (約1万2千年頃にはベーリング海峡は氷で覆われており、ここを渡ったモンゴロイドたちは、寒冷化に追われて南米の先端のフェゴ島まで行った)。

 7万4千年前頃の寒冷化

 人類が大きく拡散する前に、気候が初めて氷期の最も寒い時期に入ったのは、7万3500年前頃であった。7万4500年前頃にスマトラ島のトバ火山の爆発でインドまで灰をまきちらしたという程で、空を火山灰が覆えば短期の寒冷化が起きるが、それがあっても宇宙線の強度の方が強かった。

 ボンドとベーアの業績

 ボンドのデータによると、産業革命のかなり前から、自然は劇的な気候変動を起こす能力を持っていた。ベーアの12Beのデータと組み合わせると、小氷期から21世紀初頭にかけての温度上昇の大部分の気候変動に太陽が重要な役割を演じていたことは否定できない事実である。ベーアは、地球の磁場が低下している時には、太陽活動の低下があっても、気候変動は起きていないという証拠を見出していた。

6節 雲形成仮説を否定するベーアのデータ

 地球磁場の変動

 ハレーは彗星を発見しただけではなく、地球磁気学でも変動を知っていた。2000年にオランダのチームは、磁場はあと千年すると消失するという計算をしていた。地球は、磁場の南極と北極を交換する体制に入ったのではないかと懸念されている。磁極の反転(地磁気逆転現象)は、歴史では頻繁に不規則に起こっていて、2千年以上かけて起きるという。

 地球磁場の変化と気候変動

 磁極の逆転は、日本の松山基範とフランスのブリュンヌによって別々に発見された。

しかし、磁気逆転によってもたらされた影響は残っていない。紀元前5千年頃の青銅器時代にも地磁気が弱まったが、気候変動は起きていない。

イルカ様運動をする太陽              太陽風とその途切れるところ

宇宙線の電子から始まって、雲ができるまで


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.4

2022-09-13 09:48:48 | 地球温暖化

      不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.4

§5.地球の歴史と宇宙線

 そして全球凍結などの寒冷期の生物の進化の解明へ。生命の誕生のもう一つの説の登場と、生物の進化の条件は寒冷化であった。(ここからは難しいところは、飛ばし読みして下さい。省略した個所は、主に学術的に説明しているところです。)

6章 スターバースト、熱帯の氷、生命が進化するという幸運

地球全体が氷で覆われた全球凍結が数回あったことは、地質学者を驚かせた。その全球凍結が起こったのは、天の川銀河で星の「生成率」が最も高くなった時で、その時以外は起こっていない。その星のベビーブーム期には、宇宙線が強くなった。若い太陽の強い磁気作用が、地球を守って暖かくし、生物の出現を早めた。全球凍結期には、生物圏の生産性が高い時の繁栄と低い時の衰退の間で大きく振れた。

1節 全球凍結

 氷に覆われた星

 地球外生物の発見を夢見る人にとっては、昔は火星だったが、今は木星の衛星の一つのエウロパである。エウロパは氷で完全に覆われていて、その下には液体の海洋(と生命体)が隠れていると考えられている。

 全球凍結の証拠

1960年代にケンブリッジ大学のハーランドは、約6億年前の堆積物中に、氷河作用の痕跡が、あたかも当時は世界全体が氷で覆われていたかのように、地球の広範囲に広がっていたことに気がついたのである。大陸がどこに横たわっていたかは、岩石に残された地磁気の記録からもたらされている。 1986年オーストラリアのウイリアムスらは、古代に氷から海中に落とされた酸化鉄粒子による地磁気の痕跡から、それらの落とされた場所が赤道から数度以内の領域であったことを突き止めた。その数年後、カリフォルニア工科大学のカーシュヴィンクは、その鉄粒子を伴っていた他の岩石が、7億年前と正確に判っている氷河の作用により、オーストラリアで形成されたものであることを確認した。彼は「これらの広範囲にわたって存在する海水面からの沈殿物が、赤道から数度以内に広範囲に広がって存在する大陸の氷河によって形成されたことは、現在では明らかである。これらのデータは、赤道付近に広大に広がった氷河が存在していたとしなければ説明がつかない」とした。カーシュヴィンクはこの状態に対して「全球凍結」という名前をつけた。そこからは赤道付近でも氷床、氷河や凍結した海が存在したことになるが、赤道近辺の海の凍結度については、完全な凍結か、氷山が流れる半凍結かは、まだ議論の対象である。

 全球凍結が起こった時期

 全世界の大陸から得られた証拠は、7億5000万年から5億8000万年の間に、全球凍結がほぼ3回起こったことを示している。その間、虫類は海底の岩屑をあさることにより生き延び、体制(body-plans)を進化させた。それで5億4200年前に始まったカンブリア紀に入って世界が再び暖かくなった時に、動物種の爆発的発生が可能になった。凍結と生物進化を伴ったこのような急進的な出来事が起こったのは、この時の原生代後期だけではなく、原生代前期の24億年前と22億年前の間に、2回の全球凍結期が存在したことを示す証拠が、20世紀末までに、南アフリカ、カナダ、フィンランドから地質学者によって収集された。

 全球凍結時の地質と生物の変化

 世界最大の鉄マンガン鉱床は、原生代前期が残したもので、海水中に溶解していた鉄とマンガンが、酸素が作用して生成されたものである。地球がさび付いたのである。バクテリアの多くは一層されたが、真核生物は生き延びた。この新しい生物は、遺伝子をカプセル化した細胞核を有することを特徴とし、単細胞の菌類、藻類、および動物に似た草食性生物であった。18億年前までに、一部の真核生物は、酸素を処理するバクテリアを体内に取り込み、それをエネルギー(ATP)の発生装置として利用した。現在では、すべての植物と動物の細胞内に見いだされる。この寄生性のバクテリアの子孫は、人間の体内にミトコンドリアとして存在している。性別が分かれる前にこのバクテリアの取り込みが行なわれたので、現代人はそれを母親のみから受け継いでいる。

 全球凍結を起こした原因

 全球凍結を起こした原因と結果について論争が起きた。 しかし、地球の長い歴史の中で、ほぼ23億年前と7億年前における比較的短い2つの「時間の窓」ともいうべき特定の時期に起こった理由を明らかにすることである。またこの2つの出来事同士の間では、10億年以上もの間、氷が全く無かった理由も説明できるものでなければならない。 シャバイブは、過去5億年間における温室期と氷室期の気候変動を、天の川銀河の渦状腕への運行により説明した。そこから、星のベビーブーム期には、宇宙線が途方もない高いレベルにまで増加したので、地球は雲が多くなり、太陽光が遮られて全面凍結したと説明したのである。

2節 星のベビーブーム

 スターバースト

 地質学者は全球凍結の証拠に驚き、それに対して天文学者は予想よりずっと温かい銀河が多数存在することに驚いていた。

 1983年に、オランダ・アメリカ・イギリスの赤外線天文衛星が、これらの銀河が強い非可視光線を発していることを検出した。1998年に欧州の赤外線天文衛星が、極めて強い赤外線を発する数百個の天体の調査を終了し、ドイツのマックス・プランク地球外物理学研究所のゲンツェルは、天文学者たちの結論を発表した。「極めて強い赤外線を発する大多数の銀河の光度は、その大部分が星の誕生に由来していることを立証する。このような活発な星の誕生が、どのようにして、どれだけ長い期間これらの銀河で起こりうるのかは、課題である。」 これらの活発な活動をしている銀河は、現在、スターバースト銀河と呼ばれている。強い赤外線は、大質量で短命の星が、多数爆発することにより生じた温かい宇宙塵に由来している。スターバーストは、その大部分が銀河同士の衝突によって起こっている。

 2つの銀河が衝突しても、各々の銀河に含まれる星が数十億個と多い場合でも、星間の空間は広いので、2つの星同士が直接衝突することは少ない。それよりも銀河によって運ばれてくるガス同士が高速で衝突して衝撃波を生じるので、ガスが圧縮されてそのガスの崩壊が誘発され、新しい星たちが誕生する。天の川銀河では、それよりも穏やかに作用して、明るい渦状腕を生み出しており、1年に2つ程度の新しい星を誕生させている。スターバーストでは、星の生成率がそれより50~100倍高いこともありうる。

 クラスター内での銀河同士の衝突

 大部分の銀河は、大きなクラスター内で複数の銀河が共に動き回っているが、我々は宇宙という空間内のある瞬間しか見ることができない。それはその運動のステップを1つ刻むのに、数億年要するからである。この運動を決めるのは重力であり、この重力は、銀河を作っている星たちとブラックホールの各質量同士が相互に引き合うものだけでなく、クラスター同士を結び付ける未解明の暗黒物質の大きな重力も含んでいる。(以下、クラスター内の銀河同士の衝突は略。)

 局所銀河群での近接遭遇

 天の川銀河は幸運であった。約500万光年以内の近くには、大部分は非常に小さい「局所銀河群」と呼ばれる30個以上の銀河が見える。近くの銀河としては、大マゼラン星雲と小マゼラン星雲とアンドロメダ星雲の3つの銀河だけが肉眼でも見える。(以下略。)  星の生成を誘発するには2つの銀河が衝突するだけでなく、2つの銀河が近接遭遇した時にも、双方の銀河で、重力により潮汐と圧力波が誘発されて、星のつまった領域がかき乱され、スターバーストを誘発されると考えられる。(以下略。)

 天の川銀河での星のベビーブーム年代

 多くの星の距離は、1997年に欧州の人工衛星「ヒッパルコス」の測定データが公開され、以前より正確に判るようになった。―途中省略―。 さらに2015年に打ち上げられたガイアのデータが待たれている。その結果を待つ間の 不確かな状態でも、約23億年前に起こった最初の2回の全球凍結と、ロシャーピントーが24億年から20億年前の間に起こったと推定したスターバーストとは、時期が一致していることは明らかである。この2つの出来事は、地球がさらされた異常に高い宇宙線に結びついていたと考えることができる。 20億年から10億年前までの長い期間に、氷河作用が起こったことは判っていない。その期間は星の生成率が著しく低い時期と一致している。 ほぼ7億5000万年前に始まった後の3回の全球凍結は、また別の星のベビーブームに結び付いていなければならない。 2004年にマドリッドのサフォーク大学のマルコスたちは、天文学者たちによって「散開星団」と呼ばれている星のグループのデータを使って、約7億5000年前にスターバーストが存在したと推論し、その時期が一致していることを指摘した。

3節 若い太陽は暗かったのに温暖だった矛盾

 若い太陽の活発な磁気活動

 太古においては、宇宙線を遮蔽する太陽の磁気は、現在よりずっと強かった。そうでなかったら、7億5000万年前のスターバーストの時に地球に侵入してきた宇宙線の流入量は、仮に今の時代に同じスターバーストが起こったとした時の宇宙線の流入量よりも、数%少なかったはずで、それは当時の太陽風は今より強かったからである。それで24億年前には、宇宙線の流入量を20%削減できるほど、太陽の遮蔽層は強かったのである。 さらに時代をさかのぼると、太陽は現在のものとは非常に異なっていた。太陽が、約46億年前に、ほこりっぽいガス星雲の中から、その家族である惑星と一緒に初めて誕生した時には、少なくとも現在よりも10倍の速度で自転していた。その磁気活動は活発で、太陽風の密度もはるかに高かった。その結果、宇宙線は生まれたばかりの地球の近くに全く接近できなかった。

 太古における暖かい気候

 若い太陽は、現在よりも温度が低く、放出する太陽光の量がかなり少なかったから、気候の為には幸いした。太陽の中心の熱い場所における核反応が、ヘリウムを生じ、それが膨張中の中心部を満たすので、数十億年かけて徐々にしか明るくならなかった。太陽は、その初めの頃は、現在の太陽光の70%しか放射していなかった。

 初期の地球の地殻は、衝突してくる彗星や小惑星の激しい衝撃により、完全に破壊されると共に、衝突した星を構成する原材料の残骸により、繰り返し再生された。この時代は「冥王代」と呼ばれ、38億年前までの8億年間続いた。地球の非常に若い時代のものとしては、ほんの少量の鉱物粒子しか残っていない。代表的なものが、オーストラリアで見つけられたジルコンである。この破片が44億年前のものであることが、2001年に確認された。ジルコンは通常花崗岩を伴うが、花崗岩の形成には水が必要である。またこのジルコン中には、重い酸素原子の比率が高いことが、それが形成された時に液体状の水が存在した直接的な証拠でもある。 38億年前に始まる「始生代」に形成された岩石は、はるかに多く残っている。その時までに太陽光は現在の75%までに増加していた。 「原生代」の始まりの25億年前でも、太陽光はまだ83%と低く、世界平均気温は-5℃しか期待できない。

 地球が暖かかった理由は?

  1972年にアメリカのセ―ガンらが「太陽が若い時は光が弱かったのに地球が温暖だった矛盾」に注目した。しかし、なかなか答えは出なかった。

 宇宙線の減少による温暖化

 太陽が若かった時に、光が弱かったにもかかわらず、地上には液体状の水が存在していたことだけははっきりしている。 この矛盾に対する唯一の回答は、宇宙線と雲である。すなわち、太陽の若い時は、磁気活動が活発だったために、低い大気層の下まで届く宇宙線が非常に少なくなり、そのため地球を冷やす低い下層雲が極めて少なくなって温暖化したのである。 イスラエルのニール・シャヴァイブはこの説を2003年にまとめた。「太陽の標準的モデルでは、太陽の光度は、過去45億年のあいだに徐々に、約30%の増加をしたと予測している。光の弱い太陽の下では、地球に存在する水の大部分が凍結したはずである。しかし、地球の歴史の極めて初期の段階から、流動する水が存在していたことが観察されている。・・・今回の謎は、宇宙線が地球に到達するのを、より効果的に阻止できるほど、若い太陽が非常に強い太陽風を送り出していたに違いないと考えると解くことができる」。

4節 炭素原子が示す生物生産性の拡大期と縮小期

 38億年前に生物と生物圏が存在した証拠

 グリーンランドの西海岸のゴッドホープ(自治州の首都ヌークの別名)の近くで、氷床と海の間に露出していて見つかった厚い粘土層の遺構の中に、38億年前の古い岩石の中に見いだされた炭素の黒い斑点は、地球上に棲息した生物群の痕跡であった。粘土の中には、黒鉛(炭素のみで形成された鉱物)の微細な小球が極めて大量に存在していた。それは地球が若かった頃に、バクテリアが水中で繁栄していた名残りと考えられる。 コペンハーゲンの地質博物館のロージングは、この小球が、生物の主要構成元素である炭素の各種の同位元素に対して、生物の選択性を示していたことを見つけた。

 海面のプランクトンであるバクテリアや藻類は、水中に溶けている二酸化炭素を取り入れる時に、普通の12Cの原子を含んだ分子の方を好んで受け入れている。重たい13Cは一般の二酸化炭素の分子の90個に1個の割合で存在するが、その分子を拒絶することが多い。その結果、生物の体内における13Cの比率は、自然界の標準的な比率よりも低いのである。ロージングが採取した黒い小球は、ちょうどそのように13Cが排除されているので、かっての生物由来と考えて、「黒鉛の小球を形成した原始生物体の堆積物は、海面からほぼ連続的に沈降したプランクトン様生物に由来したものであろう」と1999年に発表した。

更に彼は仲間のフライと2004年までに、放射性重元素の崩壊により生じた原子量の異なる鉛の同位元素の分析値から得られた手がかりから、水が明らかに遊離の酸素を含んでいることを示した。その鉛の各種同位元素の比率は、38億年前の海水中にウラニウムは存在していたが、トリウムは存在していなかったことを示したのである。(ウラニウムとトリウムは酸素が存在しない時には、固く結びついているが、酸素が存在するとウラニウムだけが水溶性になるのである)。

 このことは高度の能力を持ったバクテリアが、すでに存在していたことを示した。38億年前にバクテリアの一部は、光合成を用いて、日光のエネルギーを使って水分子を水素と酸素に分離していた。水素は、生きている細胞を動かし構築するのに必要な炭素化合物に組み込まれる。酸素は環境中に排出される それまでは、生命の誕生は、海底の噴火口の周辺に見られるように、初期の生物も太陽光ではなく、地球内部のエネルギーに寄っていたと推測されていた。

 しかし、生物に関して、グリーンランドから得られた実態は、生物圏と言える本格的な大規模な生物系からなっていたのである。このことはロージングが言うように、37億年以前に、機能する生物圏を持っていたのである。 若い太陽は、光量が少なかったにも関わらず、その光は、生物系に大量のエネルギーを供給していたのである。そのことは、同じグリーンランドに大陸の花崗岩の最初の兆候が見出されていたことも偶然ではない。

 生物圏の生産性を示す13Cの比率

 そうすると今度は、宇宙線と生物の盛衰との間の繋がりを見出した。 13C(炭素Cの同位体)の原子は、生物が成長する時に広がるので、生物の繁栄と衰退の歴史が地質年代を調べている者には、説明できる。 グリーンランドの小球は、13Cの排除特性を示した。それは周囲の水から13Cの二酸化炭素を取り入れて成長する微細な海洋植物、バクテリア、および藻類の特徴である。この生物たちが豊富な時には、水は、そこから排除された13Cを著しく含むことになる。この13Cは、その時の二酸化炭素から作られた石灰岩に保存されている。貝殻を作る時には、12Cにこだわらずに13Cも取り込むからである。石灰岩の13Cの比率は、水中に残っている比率に従っているので、海中生物の活発さの盛衰を示している。 地球物理学者たちは、炭酸塩の堆積物中の重い酸素18Oと一緒に、13Cも一緒に、半世紀前から分析していた。18Oは過去の温度を探る為にしていた。だが13Cは、地球上の生物全体の状態が、過去にどのように変化したかを示すことに気がついた。

 寒冷期に生物の生産性が高い理由

 13Cが頂点に達した時から判ったことは、過去5億年の間に、生物の生産性が最も高かったのは、石炭紀の後半の3億2000万年から3億年前の間であった。それは地球が天の川銀河の定規腕を通過した結果、宇宙線が強く、巨大な氷床が南方の諸大陸を覆った時である。

 どうして生物は、そのような寒冷期に繁栄したのであろうか。 その理由は、今の地球が氷室期にあるのと同じ理由ではないだろうか。

 人工衛星から見ると、地球の気候様式を見ることができる。温かい熱帯と凍結している極地との間で、温度の違いから、強い風と激しい海流が生じている。海面における生産性は、海面に含まれるクロロフィルの豊富さで測定することで判るが、1㎢当たりの生物体量は、亜熱帯では非常に少ないが、中緯度や亜寒帯の海では、表面の水にリンのような不可欠の栄養素がより多量に補給されるのでずっと多い、と人工衛星は観測している。地球歴史の中で穏やかな時代は、栄養素が欠乏する領域が広がるので、生物は中程度の繁栄に限定される。

 極寒を含む期間の生物の生産性

 23億年前と7億年前に起こった全球凍結を含む期間には、時々炭酸塩中の13Cが極端に低いレベルに落ちていることがあるが、それは光合成が停止し、死んだ生物が12Cを環境中に戻したからである。しかし、その13Cが大きく低下した期間中に、生物生産性の爆発的上昇が散発的に起きている。極端な凍結の期間中に、いくらか緩和した時には、海中の生物は急激に生産性を回復するからである。解き放たれた栄養素に加えて、生物体中に組み込むのに利用できる二酸化炭素が、異常に高いレベルに上昇していたことが、全球凍結の合間に生物の成長を促進した可能性がある。

 炭素原子が語る生物のドラマから、スベンスマルクは、数十億年間にわたる生物群の盛衰に関して、「海洋生物の生産性が低い時の食糧不足と、高い時の豊作との振れが、小さいか大きいかは、天の川銀河内の地球の周辺の星の状況により決定される」ことが分かったのである。

5節 生物の変動性と宇宙線強度

 概説 13Cの値が絶えず変動するのは、地質、気候および生物との間の関係が、本来変わりやすく、地球の歴史の1つの相(phase)から別の相に移ると、13Cの変動の激しさが変化するのである。それには何か別の要因に基づいている部分が存在するのである。

 13Cのバラツキの変化

 2005年にスベンスマルクは、13Cのバラツキが、18Oで測定された海水温度のバラツキと、密接に結びついていることに気がついた。過去5億年の間では、生物の生産性が頻繫に大きく変動する時期は、気候の頻繫な変動を伴っていた。この生物圏の生産性のバラツキは、時々はるかに大きくなっていることに気がついた。そのバラツキが24億~20億年前に頂点に達していた。その時期は、最初の全球凍結期の頃で、天の川銀河においてスターバーストが起こったために、宇宙線が最も強くなった時であった。スベンスマルクは、36億年間を4億年ごとに分割して、各区間ごとに、13Cのバラツキと宇宙線強度の計算値を求めて変化を比較して、その両者が信じられない程よく一致し、相関係数は92%であった。

 宇宙線強度が高い時には、かなり温暖な時とかなり寒冷な時との間で、気候がより大きく振れることを意味している。それは太陽と地球が、この天の川銀河の渦状腕の中に入った時に、腕本態の時と腕内部の裂け目の時との差異が、はるかに大きくなるからである。

 4億年ごとの生物生産性のバラツキ

 およそ34億年前には、若い太陽の磁気作用が宇宙線の侵入を退け、低いレベルに抑えられていたので、(13Cにより示された)生物の生産性のバラツキは比較的小さかった。 32億~28億年前の間では、星の生成率は今日と同じくらいで、海洋での生物の生産性のバラツキも同じくらいだった。これはなぜだろうか。当時はバクテリアしかいなかったが、現在は、人間を中心とする生物群がいて、魚と鯨を頂点とする食物連鎖が支えている。当時のバクテリア群と現代の生態系では、成長の為に必要とする二酸化炭素を固定化する平均速度からのずれで判断すると、気候変動への総合的な対応性は、ほとんど変わっていないのである。

 ほぼ28億年前に、宇宙線強度は高いレベルに上昇し、気候のバラツキと生物生産性のバラツキは大きくなった。

 24億~20億年前には、最初の2回の全球凍結をもたらしたスターバーストのピーク時であり、宇宙線はさらに強くなり、そして(13Cは)つまり生物の生産性のバラツキも大きくなった。

 20億~12億年前には、宇宙線の強度は非常に低くなり、生物圏の生産性のバラツキも非常に小さくなった。

 12億~8億年前には宇宙線は増加し、生物圏の生産性のバラツキは復活した。この時期に多細胞の真核生物が誕生した。進化の「ビッグバン」の時代であった。

 その直後の7.5億年前には、星のべビーブームとなり宇宙線の強度は著しく上昇し、3回の全球凍結期に入った。

 8億~4億年前には、生物圏の生産性のバラツキは比較的高かったが、その時から後は低下した。 4億年前以降には、30億年前の状態に戻った。

 疑問点

 13Cのデータを、天文学から解釈して、地球の生物圏の歴史が語られたが、その単純性が不思議であり、議論の余地がある。例えば、13Cのレベルは、生物の成長により完全に決定されるものではない。生物体が海底中に埋め込まれる率が高い時と、生物の死体が海水中に溶け出してしまう方が多い時とでは、13Cの率は変わるし、大気中の二酸化炭素も関係する。

生物に革新的進化をもたらす条件

しかし、宇宙線の変化に対応した生物圏の生産性のバラツキが、生物の歴史の扉を開くことになると考えられる。最後の全球凍結期における気候のぶれの後に、動物が出現してきたことは、単なる寒冷化ということではなく、寒冷化と温暖化の間で大きくバラツいた気候が、生物の進化のきっかけになったのかも知れない。

他方、バラツキの少ない気候条件では、多くの場合、急進的ではないが、ちみつな洗練化が起こり、その時の気候によく適合するように、色どり豊富な多様性に富んだ種が生みだされている。高度に適合した生物は、その後の気候変動では死滅しやすいのである。星の生成率と太陽の磁気活動という物理的な要因が、宇宙線に影響を及ぼすことによって、地球の気候や生物の生存条件を支配していることが明らかになった。それより因果関係は不明確で微妙であるが、今では、より寒冷な気候条件により、生物の生産性がより大きくぶれるようにも見える。13Cと宇宙線について見出だしたことについて、スベンスマルクは、「もしも、この結びつきが確認されたら、地球上の生物の進化は、天の川銀河の進化に深く結びついていることになる」と言う。これは生物学者に検討材料を与えることになろう。

 


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.3

2022-09-12 09:47:21 | 地球温暖化

    不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.3

§4.雲の形成を左右する宇宙線は、どこから発生しているのか。どうして変動するのか。

概説より再掲

天の川銀河内での太陽系の周回

宇宙線が、爆発した星から放出されて地球に到達し、地球の3つの遮蔽層をくぐりぬけて地球の低空の大気迄到達して雲を作り、気候に影響を及ぼしていたのである。宇宙線の変動によって、地球にいろいろな気候の変化を生じていた。 地球への宇宙線の流入量は、太陽の状態によって変化するだけでなく、太陽系が天の川銀河のどの位置にいるかによっても変化している。 太陽は地球を伴って、天の川銀河の中心の周りを周回する軌道に乗って、星の間を通過している。その時に、時々暗黒領域に入ることがある。そこは熱くて明るい爆発性の星が少なく宇宙線が少ないので、地球の気候は温暖になる。この時期を温室相と呼ぶ。逆に、星の光が明るく宇宙線が強い時には、地球は氷室相(氷河期)に入る。

〇天の川銀河の明るい「渦状腕」を太陽が通過することにより、地球の大きな気候変動が.起きることがこれで説明された。地球上に動物が生存した5億年の歴史の間に4つの腕を通過し、温室相から氷室相への切り替えが4回起こっている。  [腕(スパイラル・アーム)とは、銀河系公転運動において『恒星系および星間ガスの渋滞』によるらせん腕型の偏在部分が生じる。ウィキペディアより] (図参照)

それでその時にいた恐竜の一部の小さな恐竜が、体温を保持するために羽をはやして、その後、鳥に進化したという。

 スターバースト

 約23億年前と7億年前の2回、「全球凍結」が起こった。これは熱帯までも氷河や氷山であふれ、地球全体が凍結したのである。これは、天の川銀河が他の銀河と軽く接触することにより、天の川銀河でスターバースト(星の誕生や死が頻発したすさまじい状態)が誘発された時期と同じ時期に起こった。宇宙線が極めて多くなり、雲が地球を覆い、世界を暗くしたために、地球全体が凍結したのである。〇これに対して、その度に生物が緊急の適応をして、大きな進化をし、最後の全球凍結期に動物が出現した。

 他方、地球が誕生した初期の頃は太陽も若く、光量も少なく、地球も温暖だった。太陽は宇宙線を払いのける能力が今よりはるかに強かった。〇それで38億年前のグリーンランドの岩石から、最古の生物が発見されている。生物が棲みやすい条件が創り出され、それ以来生物は、常に変化する気候に耐えて適応してきた。生物の歴史は、宇宙線の強烈な時と少ない時との間で、生物圏は拡大と縮小との間を揺れ動いていた。

近くで超新星爆発 (二足歩行の人類の登場)

 最近では過去300万年前からの間に、数個の星団が超新星爆発を続いて起こし、すぐ近くにいた太陽と地球を奇襲し、宇宙線が強くなった。この大異変が、アフリカの乾燥化を引き起こし、それにより石器の製作人間の初舞台(二足歩行の人類の登場)が誘発された可能性がある。(日経サイエンス2022年8月号の「気候が形作った人類進化」参照)                                                             天の川銀河

                          日経サイエンスより

2章 宇宙線の冒険

宇宙線は、太陽の磁場と地球の磁場によっても一部しか遮蔽できないが、宇宙線に含有される高エネルギーの原子核以外はすべて地球の大気によって食い止められる。気候変動を引き起こす宇宙線は地球磁場の変動を受けない

1節 宇宙線の概要

宇宙線の発見と命名

 1912年ウィーンのヘスは熱気球により、空気の伝導性は上空ほど高くなるということを確認し、それを高空の放射線によると考えた。それをシカゴのミリカンは宇宙線という名前を付けた。すぐにそれは未知のものを含む荷電粒子であることが判った。

 研究方法と成果

 その後、粒子加速器によって研究され、宇宙線が「灼熱の発生源(超新星の爆発)を出発してから、空気中を通過し、我々の体の中を通り抜け、そして地面の岩石の中に消滅するまで」の全過程はようやく明らかになった。

2節 宇宙線の発生源のつきとめ

 発生源の確認

 2003年ナミビアの観測所で、爆発した超新星の残骸の中から宇宙線が作られて、ガンマ線、つまり宇宙線やってくることが確認された。

 宇宙線の発生源の確認方法

 宇宙線が、宇宙空間で原子と衝突した際に発生するものの中にガンマ線がある。宇宙線の生成場所には、宇宙線の濃度が高いのでガンマ線も強い。ガンマ線は光と同じ形態なので、光と同じように発生源から直線状にやってくる。ガンマ線は人工衛星で確認でき、宇宙線の生成している場所からの放射されるガンマ線は約1000倍程度に強力である。その強力なガンマ線は、空気中で放射光をとらえることのできる大きな望遠鏡で検出できる。この原理で1989年アリゾナの天文台で超新星の残骸からの高エネルギーのガンマ線を初めて確認した。

 改良した望遠鏡による観測

 8カ国の科学者の協力で作られた、ヘスという名前の望遠鏡を使ったナミビアの観測所で、超新星の残骸を10時間にわたり観測した。非常に高いガンマ線により、未知の星が初めて明らかにされた。見つかった超新星の残骸物の星は、誕生して千年しかたっていないので、宇宙線の発生を始めたばかりであった。

3節 星の燃えかすから出るもの

 宇宙線を生成する超新星

 新星は、それまであった星が突然極めて明るくなり夜空で確認できるようになったものである。超新星は大異変が起こって1つの星が爆発したものである。宇宙線を生成するのは特に大きく、太陽より大きい星が爆発して超新星になったものである。

 星の一生

 太陽内部では、核融合が起き、水素をヘリウムに融合してエネルギーを生み、それが地球の生命を育んでいる。水素が使いつくされてヘリウムになると、それが燃焼して炭素と酸素を作る。燃焼はここで終わり、その後次第に冷めて死んでいく。これを白色矮星(わいせい=小さい星)という。 太陽より大きい星は、原子核の燃焼は続き、炭素と酸素が燃焼して、最終的にケイ素(シリコン)が融合して鉄を作れば、核の燃焼によるエネルギーは止まる。熱が無くなると鉄の中心核はつぶれ、その星は崩落する。その崩落により超新星爆発が起こり、星の上部の大部分を宇宙空間に吹き飛ばす。それにより解放されたエネルギーにより核反応が起こり、鉄より重い金やウラン (ウラニウム)などを生じる。 この超新星は数週間、10億個の太陽と同じくらいの明るさに輝く。あとに残った死んだ星は白色矮星よりずっと密度の高い中性子星になる。空には太陽より大きな星が死んだ中性子星が点在している。

 爆発で飛散した原子状物質

 星の爆発で飛散した原子状物質は、光速の1/30の速度で宇宙空間に広がり、膨大な運動エネルギーを持っているので、その1/5が光速に近い速さで飛ぶ宇宙線に変換していく。 このように飛散した残骸が存在する領域内に、宇宙線の生成工場が散在する。 宇宙線とは、宇宙に存在する物質(水素、ヘリウム、炭素、酸素、他)が非常に高速で飛行しているものである。その中で遅いものは光速の90%で、速いものは光速に近い。それ以上早くならず、運動のエネルギーは質量の増加になる。

 爆発後に起こる各種の変化

 ウィーンの天文学者ドルフィは、「超新星の爆発後しだいに宇宙線を生成し、膨張が減速し始めるのは200年後である」という。宇宙線のピークは10万年後で、それが数十万年間宇宙線を作り続ける。約100万年後にはエネルギーを使い果たして中性子星となり、宇宙をさまよう。それまでの間、宇宙線を出し続ける。数千もの超新星の残骸が宇宙線を放射し、天の川銀河に銀河宇宙線を放射している。

 宇宙線の種類

 銀河で生じる宇宙線を銀河宇宙線と呼ぶが、ここでは単に宇宙線と呼ぶ。超高エネルギー宇宙線は他の銀河で生じるものである。太陽の宇宙線は弱く地上には影響しない。また(一次)宇宙線とそれに他の爆発した星からやってくる(一次)宇宙線がぶつかって二次宇宙線ができるが、地上にはこの二次宇宙線が届き、1秒間に2個ほど人体を通過している。

4節 宇宙線はあってもなくても良いものではない

 宇宙線に対する見方の変化

 2001年フランスのミディピレネー天文台のカティア・フェリエ―ルは宇宙の見方についてのマニフェスト(宣言書)を出し、宇宙の成り立ちの上で宇宙線を位置付けた。 「天の川銀河の各星は、希薄な媒体(星間物質)の中にある。この星間物質は、①宇宙に存在する通常の物質、②宇宙線(相対論的荷電粒子)、③磁場、が含まれている。この3つの要素は同じ圧力をもち、電磁力により緊密に連結している」という。(宇宙線は、光速に近い速度で運動していて、相対性理論で補正が必要な粒子であるため、こう呼ぶ)

 天の川銀河内を飛び回る宇宙線

 超新星の残骸中から発生した宇宙線は、一部の高エネルギーのものは天の川銀河を出て広大な宇宙へ出ていくが、多くの宇宙線は数百万年の間、この天の川銀河内を飛び回る。 天の川銀河は円盤状で、横から見ると天の川として見える。重力によって両側から強く押し付けられている。円盤の中を縫うように磁場の力線は走り、その磁力は弱いが数千光年の長い距離の間、作用し続けるので、宇宙線は円盤内の磁力線に沿って飛んで行く。磁場の強さと宇宙線の数は、天の川銀河の場所によって違う。太陽と地球は、銀河内を絶えず移動しているので、地球が受ける宇宙線の強さと数(カウント又は強度)も変化している。 宇宙線の平均寿命は1000~2000万年であり、地球の46億年前の誕生から数百回更新されている。宇宙線の銀河内の量は一定ではなく、爆発性の星の生成率が変化していて、その爆発星のベビーブームの時期は、地球の歴史の中での極端な気候変動が起きた時期と結びついている。

 銀河に対する宇宙線の作用

 星間ガスと磁場と宇宙線が、相互に作用して滑りやすくなり、そこへ重力が作用して磁場は局所的に形が変わり、宇宙線の経路が変わる。星間ガスは半分に圧縮され、更に宇宙線と磁場の力を受け、高密度化し星が生成される

 星の誕生に対する宇宙線の役割

 暗黒星雲は、星間ガスが蓄積して、石質状、氷状、タール状の粒子群になったもので、新しい星の誕生地となる。銀河内の空間では様々な化学反応が起き、紫外線により多くの物質が作られ、そして分解されている。しかし、暗黒星雲の中では化学反応は続き、紫外線で始まり、宇宙線に引き継がれ、化学反応は数万年かかって一酸化炭素を製造する。 宇宙線は太陽と地球とを創造する仕事と、水や炭素化合物を作り地球を肥沃にする仕事に関わっている。

 5節 母なる太陽はいかにして我々を守るのか

 概要 大群でやってくる宇宙線は、太陽系の周りの部分に強い力でぶつかるが、太陽系を取り巻く巨大な磁場の内側のシェルターで、宇宙線の半分がはじき返されて、太陽系の惑星は守られている。

 太陽風

 太陽風が発見され、太陽が地球を守る方法が分かった。太陽風は、太陽から放出された荷電粒子の絶え間ない流れであり、太陽と地球を結び付けている。太陽の大気は、太陽の磁場で広い範囲に広がり、その内側に我々は住んでいる。 太陽は主に水素から構成されているが、太陽風は陽子が主だが、他の元素も、さらにそれを中和する原子も含んでいるので、電気的に中性を保っている。太陽風はそれと共に太陽の磁場を引きずっていて、太陽系の空間は磁気で満たされ、宇宙線に対抗している。 太陽風は風速350~750km/秒の間で変化し、太陽を出てから2~3日で地球を横切り、1~2年後に太陽圏から出て星間空間中に入って行く。

 太陽圏

 外側の星間ガスが太陽風を止めるところが太陽圏の境界で、そこから宇宙線が地球に届くのには約20時間かかるが、太陽からの光は8分しかかからない。 太陽圏の大きさは、太陽風の吹き方の強さで変化する。太陽表面の黒点が少ない時は、太陽活動は静かであり、太陽風の密度は低下するが、風速は増加し太陽圏の外側の境界を広げる。太陽は4週間周期で自転している。外からやってくる宇宙線を押し返したり、屈折させる太陽圏の仕事は、磁場の強力で小規模な不規則性によってなされる。これを生み出すのは、衝撃波である。衝撃波の出る原因は、一つは太陽の異なる部分から出る速い太陽風と遅い太陽風の衝突であり、もう一つは太陽の磁気爆発である。その爆発により巨大なガスの塊の放出が起こり、強烈な太陽風の噴出が起こる。太陽が激しく活性化すると、磁気活性の強い領域が存在して黒点を作り、衝撃波は強力になる。太陽圏で宇宙線は半分になるが、黒点数の多い期間の後には、さらに宇宙線が約30%減少することも判った。

6節 最後の2つの防衛線

 地球の磁場圏 (1つ目)

 太陽圏内に入った宇宙線は、太陽風による磁気衝撃を1~2日かけてジグザグ状に通り抜けた一部だけが地球に接近する。次にその宇宙線をはばむのは、地球が創り出す磁気遮蔽である。地球の液状の鉄芯内の発電装置が地磁気を作り出し、この地磁気が地球の周囲に磁気圏を作る。 オーロラは、太陽風が高速で来て磁気圏に当たり、磁気圏が変形して磁気嵐を起こし、磁石の針はふらつき、極地の空に輝かしたものである。 1868年から英国のグリニッジと豪州のメルボルンで開始された地球の反対側同士での磁気変動の監視は、無意識に太陽風の活発度を測定していた。太陽で起こった大きな質量放出は、地球の近くへ来て磁気の傘のようになり、宇宙線は1日以内に20%も減少し、回復には数週間かかる。宇宙線はばらついた軌道で到達するが、高エネルギーの宇宙線は地球のどこへでも到達する。低エネルギーの宇宙線は地球に接近できないが磁極の近くには落ちる。

 地球の大気 (2つ目)

 星空から来る一次宇宙線は、地球の大気に衝突して終る。厚さ25kmの空気層は大切な役割を果たしている。一次宇宙線は大気に衝突して停止するが、それに変わって現れる二次宇宙線は互いに衝突し合い、高エネルギーになる。二次宇宙線は地表から15kmでピークに達し、その後大気により減弱し、海面につく時には1/20までに弱められる。 旅客機は海抜10~12kmを飛行し、特に極地は磁場が高いので、北極横断航路を通過すると搭乗員特に女性(特に妊娠中の)は影響を受けやすい。  高地で生活している人もまた、高レベルの宇宙線放射を受けている。世界で最も海抜の高い首都であるボリビアのラパスは3600mあり、海抜150mのペルーのリマより、宇宙線の強度は12倍も高い。アンデス山脈の高高度の高原には800万人も住んでおり、インカ人とその祖先は数千年間繁栄した。したがってこの高い宇宙線放射レベルをうけることは致命的ではない。(だが、高地のボリビア人は速く老化してしまう)。 宇宙線は、自然の放射能に加えて発熱や化学物質の影響と共に、奇形や癌を引き起こす遺伝子変異を助長する。しかし、宇宙線はまた気候の変動と共に、種の進化を起こしうるものである。

7 地球に到達するミューオン

 大気の上層部で起こる宇宙線の原子破壊で生じるもので、地球に大量に到達し、エネルギーの損失が少ない荷電粒子は1種類しかない。それをミューオンという。

 ミューオンに関連する粒子

 ミューオンは電子の200倍質量が重く、不安定であるが、それ以外は電子と同じである。宇宙線が大気と衝突した時に、初めに核力粒子であるパイオンが大量に生産され、それが崩壊する時にミューオンが生じる。ミューオンは、ニュートリノを2つ放出して、1つの通常の電子になるが、寿命は200万分の1秒である。

 星の情報を盗み出す工作員としての素質

 大気を通過する粒子の中で電子は地上まで届かず、陽子や中性子は各分子中で相互作用をし、エネルギーを放出して上空に1500個あっても、海面に届くのは1個だけである。 大気への侵入者で、①いかなる物とも反応しにくく、②軽量で、③空気分子の中をかいくぐり、何も奪われずに通り抜け、大きな運動量を保有しているという粒子は、ミューオンしかない。ミューオンは地上に届くと、炭素原子、水素結合、水分子と結合して化合物群を生み出す。ミューオンは光速に近いので、内部時計は遅れ、寿命は伸ばされ、アインシュタインの相対性理論のお蔭で海面の高さまで到達し、二次宇宙線の98%を占める。ミューオンは水中や岩石の中にも入り込む。それを避けるために実験装置を深い鉱山(日本のカミオカンデなど)やトンネルの中に作られる。それでも雑音として現れることがある。

スべンスマルクにとってのミューオン    スべンスマルクにとってミューオンは、気候に最も影響を及ぼす宇宙線である。ミューオンは大気の最も低いレベルに到達し、世界を寒冷化させる低い雲の形成に影響を及ぼす。

8節 直感の裏付け

 ベーアの反論     1章でのユルク・ベーアの反論は、「14Cや10Beの生成率によって、宇宙線の大量流入が示されたにもかかわらず、気候の著しい寒冷化を伴わなかった」という、4万年前のラシャンプ期のことである。

 スベンスマルクの対応    2005年までに、アルゼンチンのピエール・オージュ観測所で、天の川銀河またはその向こうからの超高エネルギーの粒子によって、広範囲にわたる二次粒子のシャワーを生じ、大気中を雨のように降りそそぐことを観測した。これがスベンスマルクの予想を証明した。

 ドイツの宇宙線模擬プログラム

 ドイツに作られたカスケードと呼ばれる観測施設で、コルシカ(CORSIKA)と呼ばれるプログラムが作られ、コルシカはどの粒子が最終的に地表の検出器に到達するかを計算して、気象の問題とも関連した。コルシカは、高エネルギーのミューオンを大量に含む二次粒子の大規模なシャワーが生じることを相対性理論で証明した。

 スベンスマルクによるプログラムの実行

 標高2000m以下の大気中の宇宙線の活動に焦点を当てコルシカに計算させたら、ミューオン生成量の60%は、高エネルギーを持って天の川銀河外からやって来た宇宙線の生成物なので、太陽の磁場でも阻止できない宇宙線に由来した。それ故、これは数世紀の間は一定なので、太陽活動の変動に起因する気候変動には関係しないものであった。 

〇寒冷化を引き起こす低い雲の形成に影響を及ぼすミューオン生成量の残りの40%だけが、太陽の磁気活動の変動により変化する。気候変動を起こすミューオンは、地球磁場が消失しても3%しか増加しない。だが地球磁場が減少するとベーアが測定した10Beと36Cl(塩素)の原子は50%以上も上昇した。スベンスマルクの予想は正しかった。

9節 ラシャンプ磁極周回期への再移行  

 再移行の理由  コルシカで得たのは計算上で、ラシャンプ期の頃の宇宙線と気候の関係を再調査する必要があると考えられた。

 ラシャンプ期の状況

 この時期には、太陽の磁気が強くなったため、低い高度まで届く宇宙線が遮蔽されて雲が減少し、それと同時に、地磁気が弱くなったために14C、10Beその他の放射性原子が増加したのだろう。もちろん雲が減少したので温暖化が起こった。 これは氷床コアの測定から、この時の温暖化は、最後の氷期の間に繰り返し劇的な温度上昇が起こったダンスガール・エシュガー温暖期群の1つで、この温暖化は太陽活動が活発化した結果であった。

 年代の修正  年代の決定に14Cを用いる場合、地磁気が弱くなった時は、14Cの生成が増加しているので補正が必要である。当時の誤差は5千年にものぼった。2004年にマサチューセッツにある海洋学研究所のヒューヘンらは海底調査の結果を基に、修正された14Cデータを出版し、その後はそれによって修正された。

 考察  1996年スベンスマルクが「宇宙線が気候に直接影響を及ぼす」ことを提唱して以来、ベーアの反論が最も説得力があったが、それを論破できたことは進歩である。 もう1つの主役は「雲についての発見」である。

(注:これは、この書の要約と解説とまとめを、多くは原文の引用ですが、一部は短くまとめたり、書き直したりしています。詳しくは原著をお読み頂きたい。図は後ほど掲載します。  黒部信一)

 

 


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― 2

2022-09-12 09:15:21 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.2

§3 雲による気候変動

 気候変動を起こす原因は雲の存在にあることの説明。雲量の変動は、宇宙線強度の変化に応じて起こる。その宇宙線の強度は、太陽の磁気遮蔽が強いか弱いかによって変化し、地球上の変化には影響されない。気候変動に最も重要なの種類が何かも特定できている。雲の増加は、地球の北半球を中心とした大部分の寒冷化をもたらし、南極大陸の雪原では温暖化をもたらすことから、雲が実際に気候を左右している。

3章 光輝く地球は冷えている

人工衛星による観測結果は、雲量が宇宙線の増減に応じて増減していることを示している。気候変動に最も影響を及ぼすのは低い雲で、それが地球を寒冷化させる。そのことは、逆にその雲が雪原の南極を温暖化させている事実により確認できる。

1 判っていなかった雲

 気候モデルにおいて

 2004年に米国大気研究センターのトレンバースは、「気候モデルは、雲を正しく扱っていない。・・」と言い、2005年には、それまでの気候モデルが正しくなかったことが明らかになった。1983~2002年の実際の雲の衛星観測と比較し、その違いは数百%にも達した。

 人工衛星での初めての観測

 雲の実態を観測するために、2006年に米仏のカリプソ衛星とNASAのクラウドサット衛星が一緒に飛んで、同じ雲を15分以内ずつ、一方はレーザー光レーダーで、他方はmm波レーダーで磁場観測を3年間続けた。これにより、厚い雲内の異なる各層の識別、小滴の粒径の測定、および雨として落下する小滴かどうかの区別などの多くが解明された。

 将来の気候予測

 この時期に「炭酸ガスの排出による気候の温暖化」問題が始まった。まだ「気候変動における雲の役割」は認められていない。自然の温室効果は主に水蒸気によっており、地球の表面を生物に適する状態にするのに不可欠である。炭酸ガスも同様に作用する。現在の議論は、炭酸ガスが増加し続けると、その温暖化効果はどれだけ大きくなるかである。雲の実際の役割からは、極度の温暖化は起きないだろうと予測される。

2節 雲による熱の出入りの抑制

 気温に及ぼす雲の影響

 雲には冷却効果がある。太陽光は、その雲がなければ雲の下にある地球の表面を温めるが、雲があると、雲に当たった光の半分が宇宙空間に跳ね返される。さらに雲に当たった太陽光の一部は雲の内部に吸収される。  雲は、地球の表面から熱が逃げるのを阻止するので、それ自身が温室効果をもたらす。雲もまた宇宙空間へ赤外線を放射するが、雲の上空は地表より温度が低いので,雲が存在する時の方が熱の損失が少ない。1990年代のNASAの地球放射収支実験では、全地球的な測定で、地球を覆う雲の加温効果と冷却効果の収支は、総合すると雲は強力なクーラーである。薄い雲は例外で、加温効果を持っている。高度の高い上層にある羽毛状巻雲は、-40℃近辺で冷たいので、雲から宇宙へ放射する熱は少なく、地球からの放射を阻止する熱の方がずっと多い。中間の高さの厚い雲は、もっとも効率の高いクーラーである。しかし、それはどの時間帯でも地球の約7%を覆う分しか生じない。低い雲は、そのほぼ4倍(30%弱)の面積を覆い、地球冷却の60%を占める。太陽光を遮ると共にその雲の比較的暖かい上面から高い効率で宇宙空間へ熱を放出するからである。低い雲の中で、広くて平らな毛布状の積層雲は、地球上の約20%を覆い、主に海洋上に生じる重要なクーラーである。 全般的に見れば、雲は入射太陽光の加温効果を8%削減する。雲が無いと地球の平均温度は約10℃上昇し、低い雲が数%増えるだけで地球は寒冷化してしまう。

 雲の分布状況の把握

 雲が空を覆う平均量は、年ごとに変化する。気象衛星により、雲を地球全体の視野で見ることが可能となった。国際衛星雲気候計画は、全世界の民間の気象衛星から入ってくるデータを蓄積した。NASAのゴダード研究所のウイリアム・ロソーの立案で、地球表面を一辺が約250kmの正方形で分割し、月毎のチャートを作成して、モンスーンやエルニーニョと雲の動きをとらえた。それは、地球全体の雲量と太陽のリズムとの間のつながりがあることを示した。

3節 太陽と気候との間の見落とされていたつながり

 宇宙線量と雲量との関係の調査結果

 気象衛星は国によっても異なるので、赤道上空を飛行している米国、欧州、日本の静止衛星によって観測された海洋上の雲の月間記録のみを使用し、宇宙線に関してはコロラド州のクライマックス観測所の中性子の月間平均数を選んだ。両者の変化は著しく一致していた。そのデータは1984~1987年までの間の太陽活動が徐々に静かになると共に、地球に届く宇宙線は増加した。その間に海洋上の雲量は徐々に約3%増加した。1988~1990年までの間の宇宙線は減少し、雲もまた4%減少した。この結果は、宇宙線による雲量の変動が、太陽からの光の強度の変動よりも地球の温度にずっと大きな影響を及ぼしていることを明らかにした。雲量は、宇宙線量の変化に忠実に従い、この相関は並外れて高かった。

4節 炭酸ガスによる温暖化説

 1990年に「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は地球の過熱が目前に迫っているという警告を発表した。20世紀の間に地球の温度が穏やかに上昇したのは、空気中の炭酸ガスの量が人工的に増加している為との考えであった。太陽活動のような自然要因がそれに大きく関与しているという説は歓迎されなかった。1992年にデンマーク代表団は、気候に及ぼす太陽の影響を研究課題に追加すべきと提案したが却下された。1996年デンマークの新聞社が、IPCCの議長にスベンスマルクらの宇宙線と雲の関係についての研究に意見を求めたら、「科学的に信頼できるものではない」と答えた。  スベンスマルクは、デンマークの公的機関は研究費を出さず、その代わりにカールスバーグ財団からの援助を受けられた。彼の発見した気候変動機構により、クヌード・ホフガール記念研究賞とエネルギーE2研究賞の二つの賞を受賞したが報道されなかった。

5節 低い雲に驚くほどの一致

 再調査に用いた新しいデータ

 国際衛星雲気候計画は1983~1994年のデータを発表した。そのデータを再調査した結果、スベンスマルクは2000年までに「太陽活動の変動の影響は、低い雲に最も強く現れる」と報告した。これは高度の異なる3種類の雲が、各地域を覆う面積比率(%)月間平均値の変化を、太陽活動の変化に応じて変化する宇宙線量の月間平均値と比較したものである。

 この調査で得られた結果

 地表から約3000m以下の高度に生じる雲が、宇宙線の増減に最も敏感に応答する。この高度は宇宙線がもっとも少量しか存在しない。既に地球の冷却の60%は、低い雲であることが確認されていた。低い雲が主役であることは、最も重要なものが最もエネルギーの高い宇宙線の強度だからである。なぜなら高エネルギーの宇宙線しか、最も低い高度まで到達できない。 この調査で、1年ごとに平均した低い雲の量と宇宙線の強度との一致度は、92%であった。予想に反して、高度が中間の雲と高度が高い雲は、宇宙線の変動とは無関係に見える。その理由は、宇宙線は高い高度にはいつも大量に存在するが、低い高度の空には宇宙線は少量しか存在せず、その総量が少ないから変動が大きく反映されるのである。

 太平洋とインド洋の2つの領域と、グリーンランドとスカンジナビアとの間の北大西洋の領域は、低い雲と宇宙線とのつながりが最も強いことを示している。 低い雲の上部温度を調べると、熱帯地方を中心として地球を取り巻いたベルト状の領域の雲の変化は、宇宙線の変化に忠実に追従した。この雲の影響は、地球冷却の30%を超えることは確実である。宇宙線が増えた時には、この低い雲の上部温度がより温かくなり、そのために宇宙空間への放熱が増加し、冷却効果が強まるのである。

 低い雲の上部温度についての考察

 どうしてその領域なのか。それは水の小滴が凝縮できるための表面を提供する小さな極微細粒子が、その領域の空気中にはより多く存在するからである。つまり極微細粒子が多いので、そこへ宇宙線が多くなると、小滴は小さいが数が多くなり、凝縮した水の合計量が少ないので、雲は霧状になる。その結果、この雲は地表からの熱を上方へ通過しやすくなり、雲の上部の温度が高くなる。衛星から観察すると、海洋上の雲の少なくとも3分の2はこの奇妙な形態の雲に属している。海上の船の航跡に沿って現れる直線状の雲は、このことを示している。1987年にワシントン大学の研究用航空機が、2隻の船の航跡に沿って形成された雲の中を飛行し、検証した。

6節 太陽活動が活発化した時

 20世紀の気温の変化

 宇宙線強度の平均値は、この100年間に著しく低下した。このことは地球を覆う雲量が減少し、地球は温暖化していることを意味する。 温度の記録は、この20世紀中に地球全体が、徐々に約0.6℃温暖化していることを示している。この温暖化の半分(+0.3℃)は、1945年以前に起こった。この期間には、太陽が活発化の真っ最中で、宇宙線は減少中であった。1960年代と1970年代の初期には、著しい寒冷化の期間に切り替わった。この時は太陽の磁気活動が一時的に弱まり、宇宙線が増加していた。1975年以降は、太陽活動の上昇が再び始まり、宇宙線は再び減少し、そして地球の温暖化が再開した。IPCCが1988年に創設され、炭酸ガスに関して関心が高まったのはこの時期である。

 20世紀の宇宙線の変化

 宇宙線の流入量の系統的測定値は1937年から存在している。1999年にオックスフォードの研究所のロックウッドたちは、それ以前に宇宙線が流入していた量を見つけ出せる方法を見出し、その結果は、惑星間空間では太陽の磁場はこの20世紀の間に2倍以上強くなったという。これにより20世紀全体の磁場の変化と、温度の変化がよく一致していることが示された。それは欧州米国宇宙探査機ユリシースによって、太陽の磁場強度がすべての方向で同じであることを発見した為である。宇宙探査機は1964年以来磁場強度が40%増加したことを直接測定した。ロックウッドは、それ以前の段階でさらに大きく増加し131%に達したと推定し、1901年と比べて1995年の太陽の磁場強度が2.3倍になったという。 1995年以降には磁場が強くなり、それで低い雲の高さまで届く高エネルギーの宇宙線が減少していることを、ペルーのワンカヨ測定器は示した。スベンスマルクたちは、そこから「20世紀の100年間における低い雲の放射性強制力(地球のエネルギー収支の変化)の概算値は、1.4W(ワット)/平米の温暖化である」との結論を出した。この概算値に対する批判の一つは、火山爆発やエルニーニョによるというもので、別の批判は、国際衛星雲気候計画を信用していなかった。IPCCは宇宙線と気候の変動とのつながりを認めなかった。

7節 南極だけは雲で温暖化する

 概説  専門家は、南極と他の大陸とは気温の傾向にずれがあると気がついていた。

 南極を隔離するもの

 風の回転特性が南極を他の地域の気象から隔離していた。風は上から見て右回りに流れ、それが環南極海流を引き起こす。南極はその環南極海流によって、メキシコ湾流や黒潮などの熱帯流から隔離されていた。南極の成層圏にも同様の右回りの風が吹いていた。この成層圏南極渦は、これに対をなす成層圏北極渦よりずっと強く持続性が高い。

 南北の氷床コアー・データの比較

 南極以外は世界の気候変動に従っているというデータが出た。 1999年にコペンハーゲンのボーア研究所のダールージャンセンらは、グリーンランドのGRIP掘削孔と、南極のロードーム掘削孔の中の氷の温度を比較した。埋まっていた氷は、熱の貯蔵性と絶縁性が高いので、その生成当時の局所温度を数千年もの間保存していたので、それを温度測定装置で、氷の各層が形成された時代における温度を測定、記録した。その結果は、過去の6000年間の北と南の温度を比較すると、「南極の気温は、グリーンランドの気温が平年より寒い時には、平年より暖かい傾向にあり、グリーンランドが暖かい時には寒い傾向にある」であった。ダールージャンセンの結果は、最近の小氷期の間、グリーンランドでは著しく寒かったが、南極では比較的暖かかったことを示した。

 南極のもう一つの掘削場所であるサイプルドームでは、ペンシルべニア州立大学のアレイらが特徴的な層を見出した。その層は、それが存在した時代に夏が異常に暑くて氷が溶解していた。その溶解の起きた頻度の変化が、気候の変動を示していた。2000年にそれが発表され、「溶解が最も頻繁に起こった300~450年の間で、溶解を経験した年が8%にも達した。それは、南極ではこの期間の夏の温度が高かったことを示しているのだろう。この150年間は、北半球で温度の低い小氷期と一致している」とした。アレイらはさらに1万年前まで追跡した。そしてサイプルドームの氷床で、約7000年前における2000年間、氷の溶解が全く起こらなかった期間を見つけた。その期間は南極では寒冷であったが、グリーンランドでは異常に温暖だった。グリーンランドでの掘削地から採取した同じ期間の氷は、過去1万年の間で、夏の溶解が最も頻繁に起こった期間であったことを示した。

 北と南の気候変動の境界と時間差

 地球全体の気候は、孤立した南極とそれ以外の世界との間で、不均等に分配されており、その2つの領域は、風と海流により、それぞれの領域の固有の気候変動の傾向を共有していた。オーストラリアとその周辺、南アフリカ、南アメリカを含む地域、つまり南半球の大部分は、気候変動に関して共通性が高いのは、南極ではなく、ユーラシアと北アメリカであった。その境は南緯60度の所にあった。つまり「南極気候の異常」である。南極とそれ以外の世界とでの気候の応答速度は、違ったとしてもそれは数年であると考えられた。

 20世紀における南極気候の異常

 1900年以降の100年間の気温の記録は、全地球と南極の双方とも、全般的に温暖化を示しているが、その途中の段階では一致していない。1920年代と1940年代には、南極で大きく寒冷化し、全地球は温暖化が急上昇した。 それとは反対に、1950年代と1960年代には、南極は劇的に温暖化したが、他の世界は一時的に寒冷化を経験した。1970年以降は、地球の温暖化が再開している間、南極の気温は横ばい状態となる。しかし、南極のハリー湾基地では、気温は著しく低下した。

8 南極気候の異常を起こす要因候補

 南極気候の異常の説明は、炭酸ガスでは説明できない。炭酸ガスは全世界に均一に広がっているからである。オゾン・ホールも同じである。オゾン・ホールの拡大はフロンガスを放出したことによるものではない。なぜなら、それでは有史時代にも先史時代にも起こっている南極気候の異常を説明できない。また天文学的要因、つまりミランコヴィッチ・サイクルの説でも説明がつかない。 それは地球の軌道の変化や姿勢の変化で、南極へ降り注ぐ太陽光の強度は、数千年の間に変化する。これはダールージャンセンの説明には役立つが、南極と北方の気温の違いを説明できない。雲量の変化が、南極気候の異常を直接予測できる唯一の要因である。雲量が減少すると、地球は温暖化し、南極は寒冷化する雲量が増加すると、南極は温暖化し、残りの地球の部分は寒冷化する

 雪原における雲の効果

 南極の雪原は、地球の最も白い部分を作り出している。北極の雪よりも、雲の上面よりも白い。その結果、南極では雲がない時に雪原が太陽から直接吸収するエネルギーよりも、雲がある時にその雲が一旦太陽のエネルギーを吸収し、その熱を雪原に再放射するエネルギーの方が多い。衛星により観測されたこの南極の雲の温暖化効果は、南極点における地上観測により確認された。それは、2003年に「雲は、1年のどの月においても、南極大陸の雪原を温める効果を持っていることが判明した」と発表された。 グリーンランドの氷床でも、雲により暖められることが知られていたし、長年にわたって観測もされていた。衛星による観測からも、雲の減少は局所的に寒冷化させることが示されていた。グリーンランドの氷床は南極ほど白く輝いていない。グリーンランドの気候は、風と海流によって、北大西洋や世界全般の気候と一体化されている。局所的な雲による温暖化効果は、大部分が打ち消されている。

 南極気候の異常についての考察

 雲の少しの増減での気温の変動を、衛星データを使って計算すると、雲量が4%増加した時には、気温は赤道では約1℃低下し、南極では0.5℃上昇する。雲量が4%減少すると赤道では1℃上昇し、南極では0.5℃低下する。 それでは地球の温暖化が雲量の減少によって起きるなら、南極において、1900年頃より2000年頃の方の温度が高くなったのはなぜか。スベンスマルクは、南極は孤立しているが、その大気中の水蒸気が自然に増加したために、温暖化を共有できたという。 地球の大気が暖かくなると、水は蒸発しやすくなる。水蒸気は最も重要な温暖化ガスなので、水蒸気があると宇宙空間へ放出される熱の一部が地表に戻されるので、全般的な温暖化を増幅する。余分の水蒸気は南極上の空気の中にも入ってくるので、その温暖化効果が、雲の減少による寒冷化効果を上回ったのであるという。

 南極気候の異常は、寒冷化と温暖化が交互に起こっている時には保持されるが、世界の一方的な温度上昇時には破綻することとなる。これは2006年に言われた。南極気候の異常は、「雲量の変化が地球の気候変動を起こす」ということを立証している。

 21世紀における南極の寒冷化 英国南極観測隊のハリー観測所は、44年間で初めて2002年に船が海氷にとじこめられた。南極は寒冷化しているのだ。

9節 氷期における南極気候の異常

 過去1万年前に遡っても、20世紀と同じことが起きている。1章で述べた、厳寒のハインリッヒ期と、ずっと暖かいダンスガール・エシュガー期との間で気候がふらつき、気候の交代がより劇的に起こっているが、これらの寒冷期と温暖期による温度変化は北半球のもので、南半球の南極の温度変化とは違っている。 グリーンランドのGIPS2地点の氷床と、南極のバード地点の両方の氷の掘削で得られた試料を比較し、メタンガス濃度の測定で双方の年代が対応していることを確認した上、この氷床の氷そのものに存在する重い酸素原子をカウントして、その古代の温度を測定した。

 2001年にブリンストン大のブルニアーたちは、過去9万年の間にわたって記録された主な温暖期と寒冷期について報告した。「南極では、この9万年の間に千年規模の温暖期が7回起こったが、それらの各開始時期は、グリーンランドでの各温暖期の開始時期よりも、それぞれ1500~3000年だけ先行した。一般的に、南極の温度が徐々に上昇した時は、グリーンランドの温度は低下中か、それとも一定しているかであり、南極の温暖化が終了した時期は、グリーンランドの急激な温暖化が開始した時期と一致しているようだ。」これは海流の変化では説明できない。

 スベンスマルクの説明

 「雲の形成により気候が変動する」という説明として、1つ目は「南極が氷床で覆われているために、雲が通常とは異なる温暖化効果を及ぼす」―氷床の影響。2つ目は、「太陽が『躁』または『うつ』の状態になることにより、宇宙線の量が変化した」―太陽活動の影響。これは雲量の変化つまり、氷期以来の温暖期と寒冷期の双方に太陽が明確に関わっていると説明。3つ目は、「数百万年、数十億年にわたる長期の気候変動も、宇宙線と雲との間の仕組みで説明できる」―宇宙線発生源の影響。

10 20世紀の温暖化の説明 には2つの説がある。

〇一つは、太陽活動の変化によるもの(スベンスマルクの説)

〇もう一つは、大気中の人工の温室効果ガス―特に炭酸ガス―の蓄積によるもの

 この2つの説のうち、どちらでも1900~2000年の間に約0.6℃の温度上昇を説明できる。炭酸ガスによる地球温暖化説は、①炭酸ガスがその気候変動の大部分を起こした主要原因であるという仮説と、②地球は今、温暖化の危機に直面しているという仮説の双方を主張している。

 スベンスマルク説では、1900年以前に起きた古代の気候変動は、現代よりはるかに激しかったが、それも宇宙線の変動によって引き起こされたものであるという。20世紀の温暖化は、太陽の磁場が2倍になり、その結果宇宙線が減ったことがその原因の大部分を占めなければ、他の時代に起こった現在よりも大きな温度変化を説明できないとした。

 20世紀における宇宙線と気温との関係の調査

 1998年には宇宙線強度の全ての体系的な記録と、最も古い時代まで遡れるものが利用できた。ニューメキシコ大学のアールワリアは、宇宙線研究者フォービッシュが建設したメリーランド州とバージニア州の2つの観測所から、1937年までさかのぼる古いデータを回収し、それらをシベリアのヤクーツクにおける同様のデータと組み合わせて、1937~1994年までの一連のデータを作成した。 スベンスマルクは、このアールワリアのデータを用いて、宇宙線の変化を北半球の温度変化と比較した。宇宙線の減少、雲量の減少、温度の上昇を、経年変化のグラフを作り、比較した。その結果、最初の数十年間は小刻みに上下し、1960~1975年の間には、低下し、それからは1990年代の温暖期に向かって一緒に上昇した。

 1980年以降の温暖化の原因

 一部の科学者は、太陽要因説は排除できると説明している。しかし太陽活動と温度変化の実態は、20世紀の期間中の上昇傾向が1980年頃に終了したが、その後の25年間に降下したわけではなく、宇宙線の強度は、太陽活動のサイクル中にリズミカルに変化し続けている。そしてそれと同じ小刻みの温度変化が、大きな温度変化傾向の上に重なっていることが記録されている。太陽が引き続いて気候変動を起こしているというこの証拠は、特に、気球や衛星により測定された海洋の表面と準表面(水深50m)の水温、および海面上の気温においても明白であった。 1985年の温度上昇傾向は、北半球の陸上の表面上の温度で、その勾配は最も急である。しかし、海面下50mでは、あたかも地球温暖化が停止しているかのように、宇宙線の増加と減少に合わせて、水の温度が上昇と下降するだけだった。

◎  二酸化炭素地球温暖化説の難問は2つで、1つは「現在、陸地、海洋、および空気によって温められる速さは、北半球の陸地の表面上の温度の方が、残りの世界よりも速いように見えるのはどうしてか」というもの。もう一つは、「増加中の炭酸ガスや他の人工の温室効果ガスの温暖化効果は、地球の大部分において、予想されているよりずっと少ないように見えるのはどうしてか」ということである。例えば南極では、雲の減少による寒冷化の影響を温室効果ガスは打ち消すことができないし、人工の温室効果ガスにより急激に温暖化していると特定されていた期間の1978~2005年の間に、海氷の領域が8%増加している。

 炭酸ガスの温室効果

 海洋における準表面(水深50m)の温度変化の程度は、宇宙線と雲に関するスベンスマルク説では当然のことである。ノーウィッチ気候研究部隊のヒューバート・ラムが1977年に書いた意見は、「放射収支上、増加した炭酸ガスが気候に及ぼす影響が、温暖化する方向にあることはほぼ間違いのないことであるが、一般的に受け入れられている推定値よりも、おそらくずっと小さいであろう。」1980年代の末迄、太陽の変動が数世紀にわたる気候変動を引き起こす最も有力な要因として知られていたが、宇宙線との関係は知られていなかった。

 気候変動を起こすと考えられる候補は、①大きな火山の爆発やエルニーニョ温暖化が起こった頻度、②空気中のちりや煙の量の変化、③オゾン、メタン、および他の温室効果ガスの変動、④陸地の用途変更、⑤増加した炭酸ガス全てにより繁茂した植物による陸地の全般的な暗色化、それと炭酸ガスによる温室効果、⑥スベンスマルクの宇宙線と雲と太陽の変動による説、である。

 衛星のデータは、宇宙線と雲の減少により、約0.6℃の温暖化が起こったと推定できた。また南極気候の異常も、雲が担っていることで説明できた。しかし、炭酸ガスの温室効果により引き上げられた温度は、衛星データで検証できなかった。 大気中の炭酸ガスを2倍に増やした時の温室効果を、どう計算しても0.5~5℃の間になり、一致していない。炭酸ガスだけでは温度上昇を説明できない。 スベンスマルクは、「余分の炭酸ガスの効果を、より精密で科学的に評価することが必要である」と考えている。どう計算しても、「21世紀における地球温暖化は、起こったとしても、現在予測されている3~4℃よりははるかに小さいであろう」という。

(注:これは、この書の要約と解説とまとめを、多くは原文の引用ですが、分かりやすくする為に、一部は短くまとめたり、順序を変えたり、書き直したりしています。詳しくは原著をお読み頂きたい。図は後ほど掲載します。  黒部信一) 

 


不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ―1

2022-09-10 15:33:34 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.1

                                           2008 スべンスマルク&コールダー

§0 この本の概説

 この概説が、著者が書いたこの本のまとめです。

0 概説

 温暖期と寒冷期の繰り返し

気候変動は過去から繰り返し起こっている。過去数千年の間に温暖期と寒冷期が、交互に起こっていることから「宇宙線が気候に関与していそうだ」と考えた。最後の寒冷化の頂点の「小氷期」の後、現在の温暖期になった。この「小氷期」は「マウンダー極小期」と呼ばれる太陽の黒点が異常に少なかった時期、すなわち太陽の磁気活動が弱い時期と一致した。

 地球は、太陽の磁場が宇宙線を跳ね返すことにより守られている。この磁場が弱くなった時に、宇宙線が多く地球に到達する。最後の「氷期」が1万1500年前に終わった後にも、このような小氷期(寒冷期)が9回起こっている。その時に、歴史では冷害による食糧難が起こっている。

気候変動には太陽が大きな役割を果たしている。スべンスマルクは「宇宙線が世界の雲の量に影響を及ぼすことにより、気候を直接左右している」という。

宇宙線について

宇宙線粒子は1秒間に2回ほど、我々のからだ(身体)を通過している。宇宙線は上空へ行くとずっと多くなる。

宇宙線の遮断層は、1)太陽の磁気、2)地球の磁場地磁気)、3)空気(大気)である。これにより、宇宙線は遮られているが、宇宙線の中で最もエネルギーの高い荷電粒子ミューオンという電子は地磁気の影響を受けない。そのため地磁気が減っても、低空でのミューオンは増えず、低い雲が増加せず、寒冷化は起きない。

雲について

気候変動を起こすのは、地球の巨大な領域を覆うであり、特に海洋上のが重要である。地球の全周は約4万kmである。高い雲の一部は温暖化効果をもたらすが、海抜3000m以下の低い雲は地球を寒冷化させる。宇宙線が少ない時は低い雲は少なくなり、地球は温暖化する。20世紀の100年の間に、太陽の磁気遮断層が2倍以上強くなった。それにより宇宙線と雲が減少したことで、地球温暖化が説明できる。雲は宇宙線を介して太陽に左右されるので、太陽が気候変動の主要原因である。炭酸ガスの影響は極めて小さい。

雲の形成実験

大気中に浮遊する「極微細粒子」が存在すると、それが凝集して雲凝縮核ができ、その表面上に水の小滴を作り、水分が凝縮して雲を作る。その極微細粒子は、硫酸と水の数分子からなる小滴である。1996年その極微細粒子が急速に生成されることが発見され、2005年に実験で実証された。それは、「宇宙線が空気中に電子を放出させ、その電子が分子の凝集を促進し、極微細粒子を生成し、それが集まって大きな極微細粒子となり、それが雲を形成する。電子がこれらの仕事をする時に速い速度と高い効率でされている」。

天の川銀河内での太陽系の周回

宇宙線が、爆発した星から放出されて地球に到達し、地球の3つの遮蔽層をくぐりぬけて地球の低空の大気迄到達して雲を作り、気候に影響を及ぼしていたのである。宇宙線の変動によって、地球にいろいろな気候の変化を生じていた。

 地球への宇宙線の流入量は、太陽の状態によって変化するだけでなく、太陽系が天の川銀河のどの位置にいるかによっても変化している。

 太陽は地球を伴って、天の川銀河の中心の周りを周回する軌道に乗って、星の間を通過している。その時に、時々暗黒領域に入ることがある。そこは熱くて明るい爆発性の星が少なく宇宙線が少ないので、地球の気候は温暖になる。この時期を温室相と呼ぶ。

逆に、星の光が明るく宇宙線が強い時には、地球は氷室相(氷河期)に入る。

〇天の川銀河の明るい「渦状腕」を太陽が通過することにより、地球の大きな気候変動が起きることがこれで説明された。地球上に動物が生存した5億年の歴史の間に4つの腕を通過し、温室相から氷室相への切り替えが4回起こっている。

[腕(スパイラル・アーム)とは、銀河系公転運動において『恒星系および星間ガスの渋滞』によるらせん腕型の偏在部分が生じる。ウィキペディアより] (図参照)

〇それでその時にいた恐竜の一部の小さな恐竜が、体温を保持するために羽をはやして、その後、鳥に進化したという。

 スターバースト

 約23億年前と7億年前の2回、「全球凍結」が起こった。これは熱帯までも氷河や氷山であふれ、地球全体が凍結したのである。これは、天の川銀河が他の銀河と軽く接触することにより、天の川銀河でスターバースト(星の誕生や死が頻発したすさまじい状態)が誘発された時期と同じ時期に起こった。宇宙線が極めて多くなり、雲が地球を覆い、世界を暗くしたために、地球全体が凍結したのである。〇これに対して、その度に生物が緊急の適応をして、大きな進化をし、最後の全球凍結期に動物が出現した。

 他方、地球が誕生した初期の頃は太陽も若く、光量も少なく、地球も温暖だった。太陽は宇宙線を払いのける能力が今よりはるかに強かった。〇それで38億年前のグリーンランドの岩石から、最古の生物が発見されている。生物が棲みやすい条件が創り出され、それ以来生物は、常に変化する気候に耐えて適応してきた。生物の歴史は、宇宙線の強烈な時と少ない時との間で、生物圏は拡大と縮小との間を揺れ動いていた。

近くで超新星爆発 (二足歩行の人類の登場)

 最近では過去300万年前からの間に、数個の星団が超新星爆発を続いて起こし、すぐ近くにいた太陽と地球を奇襲し、宇宙線が強くなった。この大異変が、アフリカの乾燥化を引き起こし、それにより石器の製作人間の初舞台(二足歩行の人類の登場)が誘発された可能性がある。(日経サイエンス2022年8月号の「気候が形作った人類進化」参照)

 

§1 雲の形成

 雲はどのように形成されているのか

 概説では、地球の気候変動は宇宙線によって左右されているという。それは、宇宙線によって地球の下層の雲の形成が左右され、下層の雲が増えると大地の寒冷化をもたらし、南極だけは温暖化をもたらす。下層の雲が減ると温暖化し、南極だけは寒冷化するという。 そこでまず雲はどのように形成されるかについて取り組む。本書の順を変えて説明します。(黒部)

4章(原文) 雲の形成を呼び込む原因は何か

雲は、水蒸気が冷えて凝縮した時に形成される。水蒸気は、空気中に浮遊している極微細粒子の表面上に凝縮する。最も重要な極微細粒子は、硫酸の小滴である。硫酸の小滴が形成されるメカニズムは完全には解明されていないが、輪郭が分かり、宇宙線により促進されることが分かった。

1節 霧や雲の過去の形成実験

 エイトケンの雲の研究で、「空気中に漂流する極微細粒子の表面上に、水蒸気が凝縮して小滴となるので、もしも極微細粒子が存在しないなら、地球は雲や霧を作ることができない」という結論を出した。

 ウィルソンの霧箱の研究

 ケンブリッジの物理学者ウィルソンは、容器中の空気を急に膨張させて高い過飽和の状態にすると、水の小滴が僅かに生じることから、この凝縮を促進したのは電荷ではないかと考えてX線照射をした。X線照射は電荷の大軍を生じるからである。実験用の霧箱内にX線を照射すると、小滴の雨で満たされた。さらに、個々の粒子が霧箱内をヒューと飛ぶと、その背後に電荷の軌跡を残し、それにより小滴の飛跡が生じることを見出した。

 スベンスマルクの研究

 スベンスマルクはウイルソンの研究を知らなかった。しかし、地球の大気は巨大な霧箱のように作用し、宇宙線が増加するとそれに応じて、凝縮して雲となる量が増加すると考えた。

 用語について  空気中に浮遊する小さな対象を、エアロゾルまたは粒子と呼ばれるが、粒子では紛らわしいし、粉塵は個体を表すもので、雲凝縮核は主に液体の微細の滴である。それで極微細粒子を用いることとした。

§2  雲の核または種(シード)になる極微細粒子の形成

 固体状の極微細粒子

 粉塵は、乾燥した土地、砂漠や海岸から風が吹き上げて、自然由来の固体状の極微細粒子の大部分を占める。半乾燥地帯や乾燥地帯では、農業がこの粉塵を増やす。これはアジア、アフリカでは常に起きている。同様のものに、雷や火山の噴火や自然発火による森や草原の火災による煤煙もある。人による山焼きや野焼きは先史時代から土地運用の為に行われてきた。南アジアの乾季に木材や石炭の燃焼により「褐色の煙霧」が生じ、アラビア海からベンガル湾に広がっている。

隕石のような宇宙塵、花粉症を誘発する花粉粒子、バクテリアや菌類の胞子も豊富に存在し、かなり高い高度まで上昇する。空気中で際限なく起こる化学反応は、多くの元素や化合物を巻き込み、最後は極微細粒子になる。靄(もや)は、樹木から放出された炭化水素の水蒸気が、日光によりスモッグ状物質に変換されたもので、車の排気ガス中の炭化水素から作られる都市の光化学スモッグと同じである。

 火山爆発に由来する極微細粒子

 火山は、鉱物灰および硫黄ガスを放出する。鉱物灰はすぐ落下するが、硫黄ガスは硫酸の微細な小滴や、他の化学物質の細片に変換される。火山爆発による硫黄の大部分は、高い成層圏に入り、そこからゆっくり降下し、世界中に拡散する。ムンクの「叫び」に描かれている赤色の夕日は、1883年にインドネシアのクラカタウ火山(ジャワ島とスマトラ島の間にある火山島)の爆発によって、遠く離れたノルウェーの大気まで汚染し、引き起こされたものである。1991年にフィリピンのピナツボ火山が爆発した後、地上からのレーザー光線で調べたら、成層圏から戻ってくる散乱光が100倍も増加していた。その後徐々に減少して1996年に正常値に戻った。この火山の爆発で成層圏中に排出された硫黄の量は、約1000万トンと言われた。

 液状極微細粒子

 海洋は、硫黄の生成の巨大な水性火山である。海洋は低い空気中に大量の硫黄を放出する。最初は、硫化ジメチルと呼ばれる化合物[(CH₃)₂S]で、水蒸気として海面上に浮上する。その発生源は、海水の表面を漂流している藻類からなる微細な植物プランクトンで、それを小魚などが捕食して細胞をつぶし、その内容物が微生物に分解されて、硫化ジメチルが排出される。硫化ジメチルの水蒸気は、硫黄に近い悪臭がする。多くの海鳥にとっては、硫化ジメチルの臭いは餌を意味し、朝にその臭いがする方向へ行くと、小魚などが沢山ある所にたどり着くことができる。硫化ジメチルは日光によって空気中で化学反応し、硫酸の微細な小滴に変換されて、その臭いは日中には消失してしまう。 窒素酸化物は、雷の放電の中で作られたり、土中の微生物によって放出されて、化学変化により硝酸の小滴となる。窒素は、多くの生物によりアンモニアとして放出され、アンモニアは硫酸と組みやすく、硫酸アンモニウムの極微細粒子を作る。

2節  雲凝集核の補給の必要性

 極微細粒子の重要度

 水蒸気やガスから作られた超微細粒子は小さ過ぎる。それで水蒸気などから作られた超微細粒子が凝集して100倍くらいになると、理想的な雲凝集核になる。 硫酸の小滴は、雲形成に最も重要である。海上では硫化ジメチルだが、陸上の硫黄の発生源は、人間活動(主に化石燃料の燃焼)により生ずる亜硫酸ガスである。硫黄の産出量は、発展途上国の経済成長により約1億トン/年に近い。それは工業地域に集中し、風下の数千km先まで拡散されるが、世界の大部分は影響を受けない。

 地球の表面の半分以上は大海原で、その上空の雲は、硫化ジメチルから作られた硫酸の小滴により形成される。海洋上の硫黄の総量は、陸上の半分以下かも知れないが、雲凝集核の最大の自然発生源は海洋上にある。 その硫黄のライバルは、海の塩である。暴風雨の波により跳ね上げられた細かい水しぶきに由来する、適当な大きさの塩化ナトリウムの粒子は、雲凝集核の約10%しか供給できないが、硫酸小滴が凝集している期間には、利用しうる水を硫酸の雲凝集核と張り合って奪ってしまう程である。

 

 水である雲の小滴が、積雲(わた雲)の上昇気流により冷たい空気の流域に運ばれると、凍結して雪片やあられ(霰)状の粒となる。また水蒸気が高い高度に運ばれると、液体をとびこして直接氷の結晶になることもある。それが高い位置に形成される巻き雲である。どちらの場合も、多種類の極微細粒子が、氷の核となり、その表面上に水が結晶化する。 氷の基となる氷の核は、放浪している水分子を取り込んでいく。自然には粘土に由来するカオリンの微細片が氷の核になる。それは冷たい雲が氷粒子を作るのを促進し、氷の粒子になると水の小滴よりも落下しやすくなる。通常は雪片もあられの粒子も、地上に着くまでに溶解する。

 雲凝集核

 雲を形成する極微細粒子は、次第に消失してしまう。それは①雨、あられ、または雪により、空気から洗い落とされるか、②最も高い雷雲(積乱雲)中の上昇気流により成層圏内に吹き上げられるか、③重力により地表にゆっくり降下するかである。従って、雲を形成する極微細粒子は連続的に補給しなければならない

 高性能の検出器により数nm(ナノメートル=100万分の1mm)しかない超微細粒子の数を記録することができ、新しい雲凝集核の大群が創造されていることが判った。これを雲凝集核の爆発的生成という。 ヘルシンキ森林研究所のクルマーラらが、この雲凝集核の爆発的生成をずっと監視してきて、それによると、例えば春の日には極微細粒子の数は、夜の間に徐々に減少し、朝の10時に突然上昇しはじめ、真昼までにほぼ10倍まで上昇し、それから数時間は横ばい状態であるが、その間に成長してサイズが大きくなり、日没時から数が減少し始める。 陸上の大気の雲形成領域における1リットルの空気には、数百万個の雲凝集核が含まれている。外洋上でも1リットルに10万個存在する。このため気象学者は極微細粒子は常に大量に存在すると考えて、宇宙線が雲の形成量を変化させていることを考えない。

3節 パナマ沖の低空での超微細粒子群の大量形成

 雲のシードのシード

 雲を形成する今までの理論によると、雲を形成するには硫酸シードが必要であり、それには蒸気の形態をした硫酸分子が高い濃度で存在し、そして個々の硫酸分子は、必要な水分子を数個取り入れて、硫酸分子を1つずつゆっくり集めて小滴となる。 ところがある日、余りにも大量もの極微細粒子が太平洋上で見つかった。そこは人工の大気汚染と混同されないから、雲の形成から消滅までの全過程を研究するのにうってつけだった

 パナマ沖での極微細粒子生成の調査

 1996年のある日、NASAの研究用哨戒機オリオンはガス、水蒸気、および小さな極微細粒子を検出できる計器を取り付けて、パナマの南側の太平洋の海面上を低空飛行し、ハワイ大学のクラークたちは、空気中の硫化ジメチルの化学変化を追跡した。哨戒機が高度160m迄降下し、予想通り硫化ジメチルが大量に存在することが検出された。硫化ジメチルが、水蒸気と太陽の紫外線が関与する反応で、最初は亜硫酸ガスに、次に硫酸の蒸気に変換されることが判った。この硫酸分子の数は、凝集するには少な過ぎた。 ところが午後2時になると、大量の超微細粒子に遭遇し、2分間に1リットル当たりほぼ0から3000万個へと急上昇したが、同時に測定した硫酸分子の数は低いままだった。 この超微細粒子の爆発的発生も、地球の半分以上を占める海洋上での雲凝縮核の主な発生源が、このように短時間に生成することも説明できなかった。

 新しい理論による説明(イオン・シーディング説)

 空気中で帯電した分子、原子、および電子(まとめてイオンという)は、雲凝縮核を形成するためのシードとなっているというイオン関与説は、1960年代からあった。1980年代カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)の大気物理化学者レーズは、硫酸の微細小滴のイオン・シーディングが、実現可能であることを計算していた。そこで1998年に公表されたパナマ沖での発見に飛びついた。このイオン・シーディング説は、宇宙線を雲形成のメカニズムの中に持ち込むことになった。宇宙線はイオンの主な発生源であった。

 飛行機雲の研究

ロサンゼルスのユウ・ファンクンとリチャード・ターコは、飛行機雲を研究した。航空機の航跡の雲凝縮核の形成は、従来の理論よりずっと速く、燃料の燃焼によって生じた荷電した原子や分子が、極微細粒子の生成と成長を助けていることが明らかである。ユウとターコは、2000年には、宇宙線によって生成されたイオンは、雲凝縮核の形成、それを基にした雲の形成を助けることができると認めた。硫酸の蒸気分子は、電荷が存在するとより低い濃度において凝集できるようになる。イオンは、イオンによって生じた初期の極微細粒子を安定化し、さらに凝集してより大きな微細片になる。パナマ沖での超微細粒子群の大量の形成が証明されたのである。

4節 CERNでのカークビーの実験計画

 カークビーの構想

 ジュネーブのCERN(欧州原子核研究機構)の素粒子物理学者カークビーは、スベンスマルクの発見に関心を持ち、宇宙線の増加と雲の増加の因果関係を証明しようとした。実験では、特別な箱の中に大気と雲の条件を再現し、そこにCERNのビームを当て、その影響を測定する計画を立てた。この実験にクラウド(CLOUD=雲)と名づけた。(Cosmic Leading OUtdoor Droplets―宇宙線が通った後の屋外に残された小滴―)

 実施への準備

 CERNの陽子シンクロトロンの実験ホール内で、シンクロトロンの装置が、所定数量に制御された高速粒子を実験用の霧箱に供給し、それを霧箱の周囲に配置した計器が、加速器から出た粒子ビームにより引き起こされた現象を監視し、この霧箱内に形成される液体の小滴は、光の散乱によりその存在が検出される。3Dカメラによる高速度撮影装置で監視した。 そして、宇宙線が雲凝縮核の形成に役割を演じていることを裏付ける結果が出た。この時期にパナマ沖でのデータが公表され、ユウとターコがそれを説明し、それを含めて、この研究チームは2000年4月に提案をまとめ、それはスベンスマルクの考えと一致していた。

 CERNの方針決定の推移

 CERN(欧州原子核研究機構)の内部委員会は、結論を出すことを迷った。2001年に、欧州地球物理学会、欧州物理学会、欧州科学財団らがワークショップを開き50人の専門家で、「イオン、エアロゾル、および雲の間の相互作用」を概観し、「宇宙線によるイオン化が気候に重要な役割を果たしているか」への賛成は半数で、カークビーの研究プロジェクトへは満場一致で支持されたが、別の研究に巨費を投じる決定をしたので3年間研究は凍結され、2005年に再開することができた。

5節 空気箱の地下室への設置

 スベンスマルクのSKY構想

 スベンスマルクはデンマーク国立宇宙センターで、ユウとターコの超微細粒子群の大量発生を説明できる理論を使ってSKY実験を始めた。SKYはデンマーク語の雲である。 宇宙線粒子の中で最も重い電子であるミューオンは、建物も人体も通り抜けて地殻中に消失していくが、その一部が地下室にある大きな実験箱に入り、中をヒューと飛び、窒素分子と酸素分子から電子をたたき出してイオンを生成する。地下での実験は、宇宙線以外の影響を避けるためである。クラウドの実験が凍結されて、SKYの実験が立てられた。

6節 瞬間に起こった極微細粒子の生成

 最初の実験

 デンマーク国立宇宙研究センターのSKY実験装置の中にろ過された空気と微量の亜硫酸ガスとオゾンが入れられ、紫外線が照射された。そこでパナマ沖の太平洋上で発見された自然現象と同様の超微細粒子の発生が再現された。紫外線は硫酸の急速な発生を促進し、少ない分子数で急速に集まって凝集塊になった。形成された極微細粒子群は15分以内に最大数に達した。その数は、1リットル中に2000個で、連続的に計測していたので、累計1リットル中に数千万個となり、太平洋上で計測した数に匹敵する。

 ガンマ(γ)線照射した実験

 次にガンマ(γ)線源を箱内に入れてイオンを増やすと、極微細粒子の大量の生成を誘発した。しかも箱内に入れた直後に大量に検出された。 そこで箱内全体を均一に照射できるガンマ線源で照射した。その結果、空気中に解放された荷電粒子の数が多いほど超微細粒子の生成数も多いことが明確になった。イオン数を増やせば、極微細粒子も増える(イオン密度の平方根に比例する)。このことは、宇宙線数が少ない時の方が、極微細粒子の生成に大きい影響を及ぼすことを意味していた。イオン・シーディングは実際に起こった。

7節 雲を作る種(シード)の種は電子である

 新しい生成機構

 極微細粒子からなるクラスター(群れ)は電子が中心となって生成される。1つの酸素分子に1つの電子がくっついて、その酸素分子が水分子を引き付ける強さを持つことができる。その酸素分子の周りに数個の水分子が集まって、1つの水クラスター(群れ)を作る。この水クラスターは、オゾンにより活性化され、それに亜硫酸ガスが加わると硫酸を作り出し、その硫酸を蓄積していく。 電子はクラスターの接着剤であり、消費されずに次々と移っていき、数個の硫酸分子を集めたクラスターができると、そのクラスターはどんなに小さくても安定した状態になる。そのクラスター上の電子は、別の酸素分子に移って水の分子を集め、新しいクラスターを作る。電子は消費されずに触媒として作用する。

 このクラスター生成過程は非常に速く進行する。瞬時に作られた大量の分子クラスターは、紫外線を点灯することで増加した硫酸分子を取り込んで大きくなり、70個の硫酸分子を集めると約3ナノメートル(nm)になり、超微細粒子として認識されるようになる。 これが大気中で起きると、この超微細粒子は成長して、雲の凝集核になり、それがシード(種)の働きをして雲が形成される。雲のシードのシードは電子であった。それも宇宙線によって空気中に解放された電子であった。 2007年にデンマーク国立宇宙センター所長のクリステンセンは、「多くの気候科学者は、宇宙線と雲と気候のつながりは無いと考えていた。SKYの実験により、宇宙線が気候に影響を及ぼす機構が示された。これを根拠に、宇宙線と気候の繋がりを、国際的な研究課題の中に組み込むべきである。」と解説した。

 まとめ  雲に関するスベンスマルクの説は、次のようになる。

 気象衛星の観測により、地球を覆う雲の量が、数年間の間にリズミカルに増えたり減ったりする変化は、太陽の黒点数が減ったり増えたりする変化、つまり、正確には太陽風の影響が減ったり増えたりする変化と一致することが明らかとなった。これは太陽風の変動により、星間空間からやってきて地球に到達する宇宙線の数が、増えたり減ったりするからである。

 このSKY実験により、宇宙線により解放された電子は、硫酸分子同士が凝集するのを促進する触媒的作用をすることが分かった。この硫酸分子が凝集したものが、雲凝縮核の最も重要な供給源である。星から雲雲から気候という一連の説明は完成した。 SKYの実験は、宇宙線強度の変化が、明確に雲量変化をもたらすという低い高度での大気の状況を再現することに成功した。雲はこの世に水をもたらすが、寒冷化をもたらす能力を持っている。

(注:これは、この書の要約と解説とまとめを、多くは原文の引用ですが、一部は短くまとめたり、書き直したりしています。詳しくは原著をお読み頂きたい。図は後ほど掲載します。黒部)