黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

子ども医療講座 改訂版2続

2022-12-12 13:29:10 | 子ども医療講座シリーズ

    子ども医療講座 (改訂版)

   第2回  「子どもだって一人の人間だ」  (改訂版-2続き)

4)子どもに期待をかけないで 

 子どもに期待をかけないでください。子どもの数が少ないと、どうしても子どもに期待をかけてしまいます。しかし、お父さんとお母さんが作った子どもですから、両親より飛び抜けて優れた人ができる訳ではありません。自分と同じになればいいと思って下さい。身長も、成績も、性格も、病気もそうです。みんな受け継いでいます。

 早期教育というのがありますが、「才能が伸びる」というのは思い違いです。世界的には早期教育について判っていて、元ソニーの井深大(いぶかまさる)さんが書いていますが、早期教育した時に早くそこまで到達できますが、そこから先伸びるわけではないというのが正しいです。だから大人のレベルに早く到達するかもしれませんが、そこから伸びるわけではありません。よく言われることですが、小さい時は神童で、小学校では天才、中学では秀才、大人になったらただの人になってしまうことが多いです。早く到達できるのですが、そこから伸びることはまれです。

 ある人に言わせると、天才というのは2,000人に1人の確率でいると言います。だけど天才というのは、1%の才能と99%の努力で達成されます。だから多くの人は努力しないから天才は滅多に現れません。努力は本人の強い意志とそれを支える環境です。自分の意志がない限りそこまでいきません。

  あるお相撲さんの話ですが、高校生で日本のアマチュア横綱をとって、将来横綱を期待されて相撲界に入りました。高校、大学時代に取ったタイトルは20幾つにもかかわらず、小結にもなれないで引退しました。当然横綱になる素質があった筈なのになれなかったのです。その原因は、稽古が嫌いで努力をしません。幕内力士は1千5百万以上の年収は保障されますから、楽に生活できます。それでこの位でいいやと思っていて努力をしなかったのです。折角の能力があっても小物で終わる人も少なくありません。

5)子どもの食欲を奪わないで。 

☆子どもの食欲を奪わないで下さい。食事は楽しく食べるものです。お腹がすいたその空腹感を満たすのは楽しいことですが、食べなさいというと、食べたくなくなります。私の小さいころは食べなさいなんて言われる前から、食べちゃいました。なぜかというと食べ物がなくて、いつも飢えていましたから。しかし今の子は、いつでも食べたい物は食べられる時代です。要するに、贅沢さえしなければ、食事はしっかり食べられる時代です。今は、飢えで死ぬということは、滅多にありません。しかし、この30年で大きく変わり、子どもが満足な食事ができなくなり、子ども食堂が全国に作られる時代になりました。

 まれですが、飢え死にしたという新聞記事も見られます。

☆沢山食べれば大きくなるというのは、これは思い違いです。

  昔は大きくなる素質がある子が、食糧難のために食べられなくて大きくなれなかったのです。その子が、成長が止まる前のある時期、沢山食べられるようになるとどんどん成長します。ところが今は食糧事情が豊かですから、欲しいだけ食べられる時代です。そうすると大きくなる子は沢山食べます。つまり身体がどんどん大きくなるので、お腹がすいて沢山食べます。ところが元々小さい子は、体が必要としないからお腹がすかない。だから少ししか食べない。少ししか食べないから大きくなれないのではありません。

  大きくなる素質がないから、少ししか食べないのです。それを無理に食べさせようとするから、ますます食べなくなります。でも子どもはどんなに少食でも必要最小限の物は必ず食べます。少食の子はカロリーが少ないから動かない。動くとカロリーを消費するからお腹がすくから。脳を回転させることもカロリーを使うので、あまり考えなくなります。

少食にならないようにするためには、食事は時間で決めず、お腹がすいた時が食事の時間です。お腹が空いた時にお腹一杯食べる習慣をつけましょう。食事を時間や量で強制しないことです。お腹一杯になったらお終い。お腹がすかなかったら食べなくていい。お腹をすかせるには目いっぱい遊びまわらせることです。これを小さいうちからやっていると良いのです。日本の栄養学は、戦後から思い違いをして現在まで続いています。でもそういうやり方ではうまくいかないのです。時間を決めたり、量を決めたりするのは間違いです。朝食を食べないことも同じです。

  乳幼児期に無理やり食べさせようとすると、食物アレルギーになります。飽食の時代になって食物アレルギーが増えました。食べ物の好き嫌いも同じ原因で、食べることを強制したり、食べているのを見て嫌な思いをすると嫌いになります。母親が嫌いだと、嫌いになります。食物アレルギーを防ぐために、離乳食を遅らせることも誤りです。それで減らせたでしょうか。早期の離乳食がアレルギーを生んだのではありません。むしろ早期の離乳は、指しゃぶりや何でも口に入れることを無くします。誤飲事故の予防です。

 自然界の動物たちは栄養学を知らなくても餌さえ豊富にあれば肥満にも栄養失調にもなりません。つまり動物たちも人間の身体も、自分の身体が必要とするものをおいしく感じるようになっています。ちょうどよくなると、満腹するようになります。だから自然界には太り過ぎのライオンもキリンやしま馬はいません。

 ところが人聞に飼われると食欲が狂ってきて、太り過ぎや痩せ過ぎがでてきます。拒食症のコアラや肥満の猫などがそれです。

  せっかく食糧があってもストレスで食欲がおかしくなってきます。強制されたり、制限されたりすることがいけません。相撲の関取の世界は、食べることが仕事の世界ですが、自分で食べようとしてもどうしても食べられない関取もいます。無理に食べさせると吐いてしまいます。私も普段あまり食べないのですが、若い時にアイスホッケーの冬の合宿を赤城山頂の湖でしたことがありました。激しい運動と寒さで消耗し、一回の食事に丼で3杯食べ、夜食でラーメンかお汁粉を食べました。それでも太らず、家に帰ってから食べ続けてしまうために太ります。家に帰っていかに食べる量を減らすかが体重維持の問題でした。

  自然界のようにのびのびとしていればいいのです。そうすると太り過ぎにも痩せ過ぎにもならず、少食も偏食もおきません。食物アレルギーも起きません。

  その例をあげます。福島で原発事故を被災し、東京へ避難した幼児が私たちの所へ相談に連れて来られました。いろいろな食品にアレルギーがあるから困ったと母親から聞かされていましたが、母親が病気になり、東京へ避難したことで離婚されて母子家庭でしたので、児童相談所へ入りました。それでその子の状況を聞いたら、こちらでは何でも食べていますという返事でした。母親と離れて、食べるものがそれしかなかったらアレルギーが無くなったのです。

6)三つ子の魂、百まで。 

  三つ子の魂百までというけれど、三歳までに良い習慣をつけさせましょう。実は大人もそうです。お腹がすいた時にお腹一杯食べて、すかない時には食べないという習慣をしていると本来ストレスさえなければ、自然に良い体型を保って栄養失調や栄養が偏ることもありません。でもどうしてもいろんなことに惑わされたり、ストレスで食欲がなくなったり、逆にストレス解消で食べてしまったり、楽しいことがなく食べることにしか楽しみがないと太ってしまいます。

大体3歳から6歳くらいまでに子どもの性格の半分が決まります。だから生まれてからその年齢まで、できるだけのびのびと育ててあげましょう。叱ったり、強制したりしないことです。

  私も昔は間違った考え方をもっていました。子どもに我慢を教えなければいけないと思っていたのです。これは思い違いでした。我慢をさせると、子どもは大人になって我慢をしなくなります。つまり嫌だなと思うと、自分が主人公になれる大人になったら、ああいうことはすまいと思ってしまいます。あなたにそういうことはありませんか。誰でも何かしらあるのではないかと思います。嫌な思いをすると大人になってしなくなります。だから我慢をさせてはいけないのです。

  例えば盲導犬の訓練の話ですが、盲導犬は、生まれた時にすぐ親から離して犬好きの家庭でのびのびと育てます。決して「お手」なんて教えてはいけません。何も教えません。ただひたすら可愛がります。そして1年くらいの時期が来たら、育ての親から離して、人間の教官と犬の教官がぴったりくっついて、2匹と1人で行動します。猛烈な訓練ですから、それに耐えるためには、何にも教えてはいけません。それまでに犬が嫌だなと感じたことがあると、途中で訓練を拒否したり、訓練に抵抗したりします。それを避けるためには、それまでのびのびさせて育てます。そうすると頑張って盲導犬になっていくのです。人間もそうです。

☆のびのび育てられた人は、大人になって頑張ったり我慢できるようになります。子ども時代に嫌な思いをすると、大人になって我慢をしなくなります。

☆子どもを怖がらせてはいけません。子どもは、小学校の低学年くらい(サンタクロースを信じている年齢)までは空想と現実の境目がありません。だから怖がらせるとそれが現実と思い込んでしまいます。小さいうちはできるだけ怖がらせない。怖い思いをさせると怖がりになります。それを経験したことがない子が恐いもの知らずになります。私には、怖いものがありません。両親がそう育ててくれたのです。親に叱られた記憶がありません。私が外で、いろいろなこと、例えばよその家の高い木に登ったり、屋根に上がったりしても、父が謝りに行き、私は叱られませんでした。空襲にもあいましたから、死と隣合わせで生きてきましたから、死ぬことも怖くありません。いつ死んでもいいと生きてきました。

☆よく臆病な子がいますが、「母親が妊娠後期から乳児期の間にパニックになると子どもは臆病になる」と言います。そういう経験があると、その時期に育った子どもは臆病になります。できるだけ妊娠している時は、母親も楽しい妊娠生活を送ることが大切です。そのために妊娠中に胎教をすることがいいので、楽しくなれば何でもよいのです。そして生まれて来る子に不安をもってはいけません。

☆これは確定していませんが、生まれつきの異常をもっている子というのは、お母さんが妊娠中に何か精神的な問題があったのではないか、夫を信頼していなかったのではないかということが疑われます。だから相思相愛で良い結婚生活を送っているお母さんの子どもはそういうことはありません。夫やその両親に気をつかったり、何かひそかに悩みを抱えていたりしていると、子どもにそれが出ることがあります。物事を楽天的に、自分の望み通りに進むと考えて人生を送りましょう。もちろん現実は厳しいですが、思いだけは楽天的に、プラス思考でいきましょう。

☆昔、未熟児網膜症の訴訟を支援していた時に、ある未熟児網膜症の子の親の一人が、ある産婦人科医の所に来て「お医者さんは何か隠しているでしょう。未熟児網膜症に効く良い薬があるのではないですか。隠さないで教えて下さい」と言ってきた。「医者の子どもには未熟児網膜症がいない。だから何か薬があるのだろう」と考え、「だけど、貴重なものだから、一般には出さないのだ」と思ったようです。

  しかし、そうではなく、医者と結婚すると経済的に豊かになるから、未熟児を産む確率が減ります。特に極小未熟児と言われている未熟児を産む確率が低く、未熟児網膜症になる確率も非常に低いです。その上、未熟児として生まれたら、医師仲間の紹介で小児医療センターなどの未熟児医療施設に入院させます。そこでは、未熟児網膜症になりません。医師の子どもにいないのは、そういう理由だったのです。

☆科学史では、イギリスで有名な話があります。「美人に生まれるとその女性の産む子には体重の大きな子が産まれる」という相関関係を出した研究者がいます。これは思い違いでした。美人に生まれると、イギリスでは階級制度が未だに残っていて、1ランク、2ランク上の階級の男性と結婚できて経済的に豊かになり、豊かになると当然生まれる子も大きくなるというだけの話でした。そういう、偽の相関関係というのがいくらでもあります。

 だから新聞などで、○○が○○に良いなどのデータが出したとか、CMなどに惑わされないで下さい。

☆マナーを教えるというのは幼稚園に入る4歳頃が適当と、アメリカ小児科学会は言っています。マナーの意味を小さい子どもちには理解できません。今のお母さんたちに小さい子にマナーを教えようとすることが流行っていますが、1~2歳の子には無理です。例えば物を借りる時、「貸してくださいと言いなさい」と教えます。2歳ぐらいの子に言っても意味がわからないから、見ていますとその子は、相手の子に「貸してください」と言うと借りられるものだと思っていて、相手が嫌だと言っても「貸してください」と言ってとってしまう。そういうことがあります。それは「貸してください」ということにはならない、つまりマナーがわからないのです。

7)子どもは親(特に母親)をうつす鏡

 「子どもの振り見て我が振り治せ」。子どもは親の真似をして育つ。

  だから子どもにさせたければ、お母さんがやって見せることです。3歳ぐらいの女の子で、お母さんが「お邪魔しました」というと、一緒になって「お邪魔しました」と言う子がいますが、親の真似をして覚えていく。親が「これ貸してちょうだいね。〇〇ちゃん」と言うと相手がうんという。そこで「じゃお借りしますね。」ってこういうふうに言って借りて見せます。「いや」と言ったら「それではまた後でね」という。そうするとそれを子どもは見ていて覚えていくのです。

8)北風ではなく太陽になろう

理にやらせるのではなくやりたくなるように仕向けます。太陽のようにポカポカ照らして、上着を脱ぎたくなるようにさせましょう。北風のようにマントを引きはがそうとすると、子どもはしっかりマントにしがみつきます。

  したくなるようにさせます。そのためにはどうしたらいいか。楽しそうにやってみせます。一番真似をしたがるのは、少し年上の子どもがやっているのを見せることです。楽しそうにやっているのを見せるとやりたくなります。毎日毎日見せてあげます。そうするとやりたくなります。

 やりたがった時に正しいやり方を教えることが幼児教育のコツです。これは幼児教育だけではなく、何でも新しく始めるときは正しい教育を受けましょう。どんなスポーツでも自己流にしないこと。正しいやり方を教わる方が速く上達します。楽しければいいやというのならそれでもいいですが、速く上達したかったら、正しいやり方を身につけましょう。

  私は医学部学生時代にアイスホッケーをやっていましたが、カナダからアイスホッケーのコーチが来て大学のマネージャーを集めて講演しました。「日本人は小さいから不利だと言うけれどそんなことはない。小回りして速く動けばいい。」と言うのです。成程と思いました。その時に教えてくれたのが、「初心者に正しいやり方をきちんと教えなさい。へんな癖がつくと、一生治りません。ただ上手にそのくせを隠すだけです。」と言いました。実際そうです。私にも癖がありまして、治らないです。ただ上手に隠すけれども、ふっとしたはずみにまた出てしまいます。

☆幼児教育もそうです。最初から正しいやり方を教えます。お箸の持ち方。鉛筆の持ち方。何でもそうです。正しいやり方をやりたがった時に教える。それが嫌ならやらなくていいのです。お箸で変な持ち方をして、それをなおすといやがって箸を放り投げたりします。そしたら持たなくていい。持ちたくなったら正しい持ち方を教えます。そうしていると、だいたい3歳で小豆の豆がつまめます。

  はさみやナイフもそうです。小さいから危ないなんて言わないこと。幼稚園で料理している番組を見ましたが、4歳の子に包丁を使わせています。また別の保育所では、2歳の子にはさみを上手に使わせています。側についていて、こういうふうに使うものだと教えて、やりたかった時に上手に持たせてやらせます。教えるとそういう持ち方以外はしません。特に一年上の子に教えさせると、すぐ言うことを聞きます。はさみはこういうふうに持つものだとその子が教えると、それ以外の持ち方をしません。だから3歳になってナイフを教えたり、4歳になって包丁を教えたりしたってちっとも危険ではありません。正しい持ち方をきちんと教えることがコツなのです。教えないで、自分で勝手に使おうとすると危険です。

  子どもは親を映す鏡。お母さんは子どもを見て、自分を直して下さい。小さい子は必ず親の真似をします。特に母親の真似をします。お父さんも子育てに参加している方は、お父さんの真似もします。だから、こどもにどこか問題があったら、お父さんとお母さんが相談して、まず自分たちを治すようにしましょう。でないと子どもは治らない。子どもを治したかったら、自分を治すことです。

  一般的に言って、人を変えるのは難しいです。でも相手を変えたければ、まず自分が変わることです。そうすると、相手も変わってきます。人間関係は相対的な関係ですから、あなたが変われば、相手も変わります。夫を変えたかったら、自分が変わることです。つまり、夫との関係も、子どもとの関係も、貴方との相対的な関係です。常に、お互いに影響しあって生きています。それが家族であり社会です。だから自分が変わらなければ相手も変わってくれません。相手だけ変えようと思ったら無理です。

 お母さんが変わったら、まず子どもが変わります。そしてできるだけ、ほめて育てましょう。ほめ上手になりましょう。これはなかなか大変で難しいことです。なぜかというと、お母さん自身がほめて育てられた経験がないからです。だから尚更子どもをほめて育てましょう。それがあなた自身を変えることになります。幸いなことに私はあまり叱られたこともほめられたことも無く、放任されたような形でしたが、それでも自分の子どもが悪いことをすると、若い時は子どもを叱ってしまいました。

 だから全く叱ってはいけないというのは無理ですから、叱るのは3回に1回ぐらいにして、残りの2回はできるだけほめて育てましょう。絶対叱ってはいけないと言うと、今度はお母さんたちのストレスになりますから、時には叱ってもいいが、回数は減らしましょう。親だって人間ですから、子どもにもそう思ってもらうしかないのです。叱らず、ほめて、おだてて、育てましょう。動物の調教は、3割は餌で7割はほめること。鞭を使うと、すきあれば襲ってきます。

9)あなたも子どもだった頃を、思い出して下さい。

 子どもの立場、目線に立って下さい。子どもを信じて疑わないで、嘘(うそ)はつかないで下さい。子どもだってそれなりに判るのです。よく話を聞いてあげて、必ず説明して、話をして下さい。子どもを疑うと、嘘をつくようになります。嘘をついていても、信じた振りをして下さい。嘘を信じられると、子どもは嘘をつき続けられずに、あとで必ず「あれは嘘だった」と打ち明けます。それを嘘でしょとか、嘘つきねというと、今度は繰り返し嘘をつくようになります。なぜなら嘘つきだから、嘘をついていいのです。

10)悪い子にせず、良い子にしよう。 

子どもを叱る時に、子どもを全部否定するような叱り方はやめましょう。例えば「あなたは悪い子ね。あなたはぐずね。ばかね。のろまね。どじね。馬鹿ね。駄目な子ね。」など。こういう言葉はできるだけ子どもに使ってはいけません。

子どもの論理からいうと、悪い子は悪い事をしていいのです、悪い子ですから。良い子は、悪いことをしてはいけないのです。良い子は、良いことしかしてはいけないのです。ドジだねというと、ドジをしていい。なぜならドジな子だから。だからそういう言葉を使ったり、そういう言い方をしてはいけないのです。

「あなたは良い子だから、こういう悪いことをしてはいけませんよ。」と言う様にして良い子にします。そして言う通りにしたら、すかさず「あなたは良い子ね」と一言、言ってあげてください。そうすると子どもは、またしてくれます。何故なら、どんな子どもでもいい子になりたいのです。だから私の外来に来た子を、どこか必ずほめます。ほめる事によって子どもは気持ちが良いから、また来てくれるし、私の言うことを聞いてくれます。

私の診療所に代診できている東大小児科の先生たちはいろんな先生方がいますが、握手をしたり、どこか着ているものなどをほめたり、みんなそれぞれ医者によってやり方が違いますが、上手な医者は子どもをほめます。それで仲良くなり、うまく診療できます。だからお母さんたちも上手に子どもを操縦したかったら、「ほめ上手」になりましょう。そうするとお母さんの手の上で子どもは踊ってくれます。ただし、男の子は小学校を卒業するくらいまでが限度です。女の子はもう少し早く見抜いてしまい親の思い通りにならなくなります。

11)幼児教育は、やりたがった時に正しいやり方を教えるのが基本。 

  これから、いろんな習い事を教えることになります。習い事を教える時のコツがあります。決して強制しないこと。やめたかったらいつでもやめさせましょう。そうするとまたやりたくなり、やりたくなったら、また復活します。

  ところが「やりだしたからには最後までやりなさい。」と強制する人が多いです。これは特に、お父さんたちに多い。そうするとますます嫌になってしまう。嫌になると二度としなくなります。だからやりたくなかったら、いつでもやめてよい。そうすると、時間がたつとまたやりたい気持ちが出て来て、またやりだすことがあります。だからやめたかったら、いつでもやめさせましょう。それから、「ピアノ練習した?」「ピアノ練習した?」これを毎日言うとしなくなります。習い事は楽しいからやります。スポーツもそうで楽しいからやります。楽しくなければスポーツではありません。強制訓練です。

  以前、毎日新聞に載っていましたが、欧米ではスポ一ツは楽しいからやります。日本では楽しいからやるのではなく、身体を鍛えるためや健康のためにやるようです。

  身体を鍛える必要はありません。日本でもスポーツ医学を専門にやっている整形外科医などの医師たちに聞けば、「人間は何も身体を鍛える必要はないです。日常生活をきちんと送っていければいいのです。」と言います。運動やスポーツは楽しいからするのであって、楽しくなければする必要はありません。運動しないと身体が衰えてしまうという人がいますが、それは専門家に言わせれば思い違いです。日常生活をきちんと送っていければいいです。高齢になって動かなくなると、体の動きを維持するために体操や歩くことが必要になりますが、決してノルマにしないで下さい。

  でもこのことは昔の話になり、現代では特に都市では違ってきました。子ども時代に体を動かして走り回ることが骨を太く丈夫にするために必要になりました。私の子ども時代は、外遊びがほとんどで、遊ぶのは外でしたが、現代では家の中で遊ぶことが主になったのです。特に中学高校時代にスポーツをすることが骨を太くすると言います。それも自分からするように仕向けることです。

  小児科医の山田真さんが本に書いていますが、「体育というのはなぜ始まったか。小学校で体育をして整列させていっちにいっちにと並ばして歩かせていろんな体操をする。何のためにするかというと、明治時代の西南の役の後から始まりました。政府軍はお百姓さんが中心の軍隊でしたから、進軍の時に前進できない。普段、種蒔きや稲刈り、田植えなどみんな横へ横へと進んでやっているため、並んで前進できかったのです。武士は前に進めます。それで、百姓の部隊は武士に勝てなかったのです。そこから体育を始めました。」と言う。だから軍隊生活や、集団生活をするうえでは体育は必要ですが、人間が生きていく上では必要がありません。でも今は、大都市で日常生活を普通に送るだけでは、子どもは発達していけなくなったのです。

12) できるだけ子どもの立場に立って下さい。自分が子どもの時にはどうだったろうか。いつも自分が子どもの時のことを思い出して、子どもに接してあげて下さい。子どものしつけのポイントは叱らないこと。危険なことをした時には、叱らなければいけないと私も若い時は思っていました。でもそうではなかったのです。

 アメリカの小児科学教科書に書いてありますが、危険なことをしてほしくなかったら、子どもの目を見て何十回でも「これは危ないからしないでちょうだい。」と言う。3、4歳を過ぎたら、判ってくれます。これで言うことを聞いてくれたら、一人でいても決してしません。叱られていうことを聞くのであったら、叱られないところでこっそりやります。そうすると事故につながります。

  危険なことは親がやっているところを見られてはいけません。子どもは必ず真似をする。子どもだからやってはいけないが、大人だからやっていいというのは子どもには通用しない。子どもはみんな大人と同じだと思っていますから、同じことをやる。

13)着せすぎにしないように。

  着せ過ぎにしないようにしよう。昔は、「子どもは風の子」といって、みんな薄着だったのですが、最近は「かぜをひくといけない」と言って、一生懸命着せようとします。「寒いから着ていきなさい」というと、子どもが病気に対して関心が強くなり過ぎてしまいます。病気に神経質にならないで育てましょう。

  寒いから風邪をひくことはありません。寒いからかぜをひくのではなく、冬乾燥するとウイルスが繁殖しやすいからです。南極の観測隊では、しばらくかぜをひく人がいませんでした。極地ではウイルスは生存できません。所が誰か隊員の一人が風邪のウイルスを南極の観測基地内に持ち込み、それからかぜを引く人が出るようになりました。基地内は暖かいからです。ウイルスが持ち込まれ、誰かがそれを持っていて、体調を崩した人が感染して、かぜをひくのです。

14) 「そんなことしたら病気になるよ」と言って子どもがしていることをやめさせようとするのはやめましょう。逆にして欲しいことを言いましょう。「こういうふうにしましょう」とか、「こういうふうにしたらいいよ。」と言いましょう。決して命令してはいけないし、子どもを脅かして言うことを聞かせようとすることもやめましょう。命令すると子どもは反発します。選択肢のーつとしてこういうこともあるということを教えましょう。その中のどれかを選択させるようにします。

15) 子どもには、薄着を嫌う子と、薄着をしたがる子とがいます。これは強制できません。

 最近は厚着にする方が多い。それは赤ちゃんの時から親が厚着にさせるからですが、いくら厚着にしても嫌がる子と、親の言うなりになる子といます。しかし子どもに厚着をさせない方がいいです。子どもは一般に体温が高めですから寒さに強いです。だから、親より一枚薄着にさせるのが標準です。でも子どもが寒くて着たがったら着せて下さい。暑がったら脱がして、できるだけ薄着にさせて下さい。薄着保育をやっている保育所もありますが、嫌がるのを無理に強制するのもお勧めしません。薄着が嫌な子は着せなさい。薄着の方がいい子は薄着でいいです。最近減っているのですが、一時男の子に毛糸のパンツをはかせるお母さんが多いでした。毛糸のパンツを、男の子にはかせるのはやめましょう。

女性は「お尻が冷える」と言いますが、男はそんなことはないです。男の子のオチンチンがなぜ外に出ているかというと、睾丸の温度を低くするためです。睾丸というのは、温度がある程度低くないと働きません。その為暖めない方がいいので、生まれる直前にお腹の中から外に出てきます。だから毛糸のパンツはだめです。

 小さい時から厚着にしていると、大人になっても厚着の習慣になってしまいます。だからできるだけ薄着にした方がいいのですが、嫌がるのを無理にはしないで下さイ。

16)朝食を食べなくても構わない

  朝の食事を食べなくてはいけないと言う人がいますが、これも思い違いです。食べたくなければ食べなくていいです。というのは1日2食だって構わないのです。鎌倉時代頃までは朝と夜の1日2食が普通でした。それから現在でも相撲取りは1日2食だし、1日2食健康法を推進している民間のグループもあります。その人たちは2食しか食べませんがそれで健康です。体操の内村選手は、体重をコントロールするために、一日一食でした。

17) もう一つ、昔テレビや女性雑誌に出ましたが、「ブックスダイエット法」を提唱している九州大学藤野名誉教授は、「一日一回しっかり食べてあとは適当にする」というダイエット法を提唱していました。朝はできるだけ水分だけの食事で、昼は軽く食べ、夕食をしっかり食べます。そうする方がうまく痩せられます。朝食を食べることにこだわらないことです。子どもは朝お腹が空かなかったら、食べる必要がありません。お昼にお腹が空いたらいっぱい食べます。それで構わないです。

18) 朝しっかり食べさせたかったら、早起きをさせて運動させます。運動して時間がたつとお腹がすきます。食べないと動けないというのは思い違いです。お相撲さんは、朝食べずに稽古をしてから食事をします。昔私は高校時代に陸上ホッケー部に入っていましたが、夏の合宿では「朝マラ」と言って朝食前にマラソンをしました。と言っても距離は短かったですが。食べないと動けないというのは思い違いです。

19) またお父さんやお母さんが早起きをしないと子どもは早起きをしません。子どもだけ早起きさせるのは無理です。子どもに早寝早起きをさせなさいと言うけれど、親が遅寝でしたら早く寝させることは難しいです。子どもは親の真似をして生活しています。

親が遅く寝て早く起きる生活をしても、それは子どもにはまねをできません。子どもは体力を回復するためには、一定時間寝る必要があるからです。遅く寝たら早く起きられません。最近の子はなかなか早寝をしないというのは、大人の生活がそうだからです。

また小さいうちは、くたくたになるまで昼間遊ばせれば、早く眠くなります。しかしそういう体を動かして遊ぶ場所が少ないのです。走り回らせたり、外で遊ばせたりしないと、家の中で遊んだぐらいではくたくたに疲れません。屋外で身体を動かす遊びをすれば、くたくたになるけれど、そうはならないのが現状です。前にいた診療所は、待合室を広くとって椅子席の周りをゆったりとさせたら、子どもたちが走り回り困りました。それだけ走り回る場所が少ないからです。

 

 

 


子ども医療講座 改訂版2

2022-12-12 10:21:31 | 子ども医療講座シリーズ

    子ども医療講座 改訂版

   第2回 子ども医療講座(改訂版-2)

  「 子 ど も だ っ て 一 人 の 人 間 だ 」

1)子どもは社会の子どもです。親の所有物ではありません。

 子どもは、今の社会では親の付属物的に扱われています。だからちょっと注意しても「うちの子に何をいうのと」親に言われてしまいますが、昔は町の中でいたずらすれば、注意するのは他の親だってしていましたが、今はしなくなっています。かえって親から何か言われるのが嫌だから言わないという時代になっています。

 しかし、子どもを産むのはお父さんとお母さんですが、育てるのは社会です。なぜかというと、子どもというのは、社会の中で人間になっていく。社会の中で育たなければ、人間として成長しないのです。

 昔、狼によって育てられた狼少年たちがいたし、また二十数年前、南アフリカで犬小屋の中で育てられた1歳半の子どもが見つかったことがありました。狼に育てられたという記録をねつ造だとする意見も少なくないですが、それにしては多数ありますし、いろいろな動物によって育てられた人の記録があり、全てを否定することはできないと考えます。犬小屋で見つかった子どもは、両親が育児放棄し、犬と同様に扱ったのです。小さい時に狼に連れ去られて、特に乳児から1歳頃までを狼に育てられた子どもたちはほとんど人間に戻れません。狼によって育てられると狼になるのです。狼に育てられた人間は四つ足で非常に早く走れて、人間が走るより速く、生肉を食べて、狼のように吠えて言葉が喋れるようになりません。人間の社会に戻れずに亡くなっています。狼に育てられたという人の中で、二人だけ言葉が喋れるようになった人がいたという記録が残っていますが、その人たちが言葉で喋れるのは、言葉を覚えてから以後のことだけでした。言葉を覚える以前のことは喋れません。これは言葉の問題と関連しますが、言葉を覚えて初めて物事を言葉で記憶出来るようになるようです。言葉として記憶するから、言葉がなければ、まわりの風景を見ていても、それを表現することも記憶することもできない。覚えている映像を言葉として表現できないのです。子どもも言葉をーつ覚えたから一つ言葉を喋れるのではなく、沢山の言葉を覚えて、初めて一言、二言出てきます。

 そこからも私は、発達障害を遺伝的に持った素質と育てられ方によってなるという説を支持します。人として生まれても赤ちゃんの時から動物に育てられると人間として成長しないのです。南アフリカでの犬小屋で見つけられた子どもは新聞で報道された事実です。その子がどうなったかは報道されていません。猿に連れ去られて、人間社会に戻った人の記録がありますが、言葉を覚えてから連れ去られた場合には、記憶として残り、後日話したことを本にしてもらった人がいます(マリーナ・チャップマン「失われた名前」)。

 明治時代には、1歳で猿にさらわれて育てられ、10年後救出されて小学校に入ったという大丸徹という東映の大部屋俳優がいて、その人が書いた文が少年雑誌に載っていて、それを少年時代に読んだ時に、非常に印象深くていつまでも覚えています。その話では、年に一回夏に山に戻るのです。何も持たないで行く。つまり猿と同じように何も道具を使わないで山の中に生えているものや、生きている物を食べて生活をします。猿と同じように火を使わない生活ができるのです。その人が都会で仕事をしているときに、時々ホ-ムシックになると動物園に行き、動物たちと会話をしたと言います。どうやって会話をするかというと、しぐさや声の出し方で会話をします。動物たちは、猿は猿同士しか会話をしないかというとそうではなく、いろいろな動物同士でしぐさで会話しているのです。ところが人間生活が長くなると、そのしぐさが低下してしまって、通じなくなってしまったと言っていました。

 それはさておき、子どもは社会の中で社会によって育てられています。社会の最小の単位は家庭です。(社会とは、三人からを言うようです。)家庭から地域社会へと広がります。そういう人間社会で人間として育って大きくなります。

 例えば、中国から日本人の残留孤児たちが引き上げて来ました。その人たちは、皆中国人の顔をしていて、見ると中国人としか見えません。ところが日本に長くいると、日本人の顔になります。外国人もそうです。日本に来たては外国人だけれども、日本に長くいると日本人的な顔になって来ます。逆に日本人がアメリカに長く行っていると、アメリカ的な顔になって帰ってくる。つまり人間は社会に育てられ、そこで生活していると、その社会による文化によって変わって来ます。

 子どももそうです。あくまで社会に育てられて、成長しています。人間は誰でも、人間として生きていくためには、社会がなければ生きていけません。たった一人では人間として成長しません。だから子育ても、社会的なものです。子どもにとっては産みの親より育ての親が大切であると昔から言われていました。育ててくれる親がいることによって子どものこころは安定します。

 母親が一人で子育てに悩む必要はありません。周りの人に相談したり、みんなで子育てすれば良いです。親は自分が産んだ子だとわかるけれども、子どもには判らないし、子どもには選択権がありません。育ててくれた親が自分の親なのです。

 虐待している親から子どもを引き離すことは、社会の義務ですし、離されることは子どもの権利です。虐待されている子どもは、自分が悪いから虐待されていると思うので、親を非難しませんし、親からなかなか離れたがりません。でも離すことが社会としての義務です。離されてから、だんだん子どもは自分の置かれていた状況を判るようになり、離されたことを感謝するようになります。虐待は、子どもの脳の発達を妨げたり、異常にします。(「虐待が脳を変える」友田明美、新曜社)早く離して、正常な発達に戻すことが必要です。25歳までにしないと、つまり成長が止まったら大変苦労しないと戻りません。

  以前イスラエルにキブツという集団農場がありました。今はどんどん崩壊して、残っているかは分かりませんが、昔はこれがやはり昔の日本のヤマギシ会と同じように、原始共産体制をとっていました。持ち物はほんの僅かな私有物だけで、あとはみんな共有財産として生活していました。化粧品もハンドバッグも共有です。夫婦はひとつの個室で生活しますが、子どもは全部1ヵ所に年齢毎にまとめられて、集団生活をします。子どもたちの日常の生活の介助をしてくれる人達も、他の仕事と同じように交替で勤務します。そういう社会の中で、子どもたちが親から離されて不安定になるかというとそうではありません。夕食を親と一緒に食べて、寝るまでの団らんの2時間ぐらいの間を一緒に過ごすと、子どもの心は安定します。別に精神的、心理的な問題は起きなかったと言います。当時イスラエルは(今でも)戦争状態でしたから、両親をなくした子どもが沢山いて、その子どもたちには、「この子はあなたが育ての親だ」ということで、育ての親を作ります。実際には夕食から寝るまでの間しか一緒にいないのですが、それでも親代わりの人を作ると子どもの心は安定します。そういう現実がありました。

   また、昔社会主義の時代だった中国で一週間保育という制度があって、月曜日の朝連れて行って、土曜日のお昼に連れて帰ります。親と一緒にいるのは、土曜日のお昼から月曜日の朝まで。だけど親がいて、その時間一緒にいれば子どもの心は安定します。特に問題は起きません。つまり子どもというのは、そういうものです。

日本の自民党や厚生労働省の幹部は、小さい子は親元で育てなければいけない、親が常時いなければならないと言っていますが、そんなことはない。子どもの心というのは、親がいるということだけで、安定します。

  国立病院に勤めていた時、入院している子どもたちで親が付き添っていない子どもたちは、面会時間になるとみんな病棟の入り口まで行って親が来るのを待っていて、お母さんが来ると一緒にくっついて病室まで戻るけれども、5分ぐらいしたらもう離れちゃって、ほかの子と遊んでいます。いると思うと、安心してノビノビ自分の好きなことをしています。そして、帰る時間になると、またやってきて、母親にピッタリくっついてしまい、帰る時には泣いたりします。でもお母さんが見えなくなると、けろっとしてまたほかの子と遊ぶようになります。つまり親がいるということ、そしてちゃんと会いに来てくれるということで、子どもの心は安定します。そして問題は起きません。

 だが今は、子どもは親の物などという風潮があります。その点欧米では随分社会化されています。例えば、アメリカでは子どもの物をとったということで子どもが親を訴えると親は処罰されます。日本は処罰されません。そういう法律がないから。子どもの物をとってはいけないというのは、アメリカでは当たり前。もちろんアメリカの税制も全部個人が単位です。

 一人一人の人権を尊重して、北欧諸国からフランスあたりまでの国では、子どもの虐待に対して厳しくて、誰かが虐待をしているのを見て通報すれば、親が処罰されますし、強制的に子どもを離されます。親が必死で子どもを取り戻すためには、法律上では裁判で争わないと、取り戻せません。子どもの虐待を防ぐということが隨分進んでいます。

しかしまだ日本では、子どもが虐待されているのを見過ごしていて、虐待で死んでいる子どもが年々増えています。まだ福祉事務所や、警察がなかなか介入できません。それは、法的な整備がされてないから、し難いということと、子どもは親の物というのが社会的に一般的に思われているからです。その二つの問題点があります。

旧統一教会の二世信者問題も同じです。昔は、「ものみの塔」というキリスト教系の信仰宗教があって、輸血を拒否することで知られていました。子どもに必要になった時に、どうするかが小児科医の間でも議論されました。結論は、本人が判れば本人の承諾で輸血をしました。本人の意思が確認できない、低年齢では医師の判断でしていたと思います。

 子どもだって一人の人間です。 親の所有物ではなく、親とは別個の人格があります。だから親の言いなりになることはないのです。子どもには子どもの人権があり、例え乳児であろうと、一人の人間なのです。子どもは親が生みますが、子どもはその親の元に生まれたくて生まれたのではありません。親とは別の人格があるし、基本的人権を持っています。

  旧統一教会の二世信者問題が浮上したら、他の宗教の二世信者たちが立ち上がるきっかけとなりました。マインド・コントロールのことは問題になりません。なぜなら、日本では知りませんが、アメリカでは催眠術を使って自白させることもあるという噂があります。ナチスが使ったのも集団催眠ですし、学童の車酔いを無くすために集団催眠をすることもありましたから。金銭を要求する宗教は認めてはいけません。自発的にするのはよいですが。子どもの教育費が問題になるのは、日本は教育費が公費負担ではないからです。

また、校則の問題があります。学校の制服は、一部の国から囚人服だと言われたこともあります。私は、中学から自由な校風の学校で過ごしたので、あまり自覚しませんでしたが、高校で自動車免許を取り、四輪車を運転していましたし、たばこも酒も吸ったり飲んだりする現場を押さえられなければ処分されませんでした。喫茶店も禁止でしたが、喫茶店のマッチを集めて高校祭に展示した先輩もいました。

校則で規制するのは、憲法違反ではないかと思います。個人の自由の侵害です。法律で認められているのに、学校で禁止するのはおかしいです。都立高校で男女交際や下着の色や髪の色、ピアスなどを禁止している学校もまだあるようです。私の息子も自由な校風の都立高校でしたし、娘も制服のない学校でしたから、校則でしばることなどあまり考えたことがなかったのです。最近、すべての都立高校の校則で髪の毛の色を黒にすることを廃止したと聞き、驚きました。もう15歳になったら大人として育てるべきだし、大人としての自覚を持たせる必要があります。昔は、男子は15歳で元服したと思います。選挙権がなくても、一人の人間としての基本的人権があると思います。

☆いつから子どもの人権を認めるかという議論が日本ではなされていません。

 子どもにいつから人権があるかというのは日本では問題になっていませんが、世界的には問題になっています。子どもが人権を持つのは、卵子が受精した時か、それとも妊娠中絶がいけないという時期(妊娠23週になると中絶できない)つまり23週以後か、おぎゃーと誕生した時なのか、いろいろと各国で議論があります。さらに自我意識が出る3歳過ぎか、月経が出るとか精液ができる時からか、元服の時か、選挙権を持つ時かということが、どこでも議論されていません。これはおかしいことです。

☆やはり子どもを育てるのは社会で、みんなで子どもを育てていくという感覚がないとなかなか難しい。確実に少子化が進んでいますが、「子どもを産むのは自分たち夫婦二人で、特に女性の方にかかってしまうから大変だから、子どもは一人でいいや。もう2人3人と、育てるのは大変。」という思いにつながってしまうとだんだん産まなくなってしまう。それが少子化につながっています。保育所とか子育ての仕組みをもっと社会的に充実させていかないと、少子化の進行は防げない。「子どもは社会で育てる」ということがまだ日本では遅れていますし、行政や官僚の中ではそういう感覚は育っていません。

 近年、父親の育児休業もとれるようになりました。子どもの介護のための休業も必要です。子どもが病気になると父親か母親がどちらか片方が勤めを休んで看護することができることが必要です。そのことをやっぱり社会的に作り上げていく必要があります。まだ社会的に、自民党の政策の下で、子どもは母親が育てるものという意識が強いのです。それが女性の社会進出を妨げています。

2)生まれたら一人前。子どもの個人の権利と義務。 

 子どもは生まれたら一人前、子どもの権利は子どもが生まれた時からあるというのが私の立場です。国際的な子どもの権利法案がありますが、日本はまだ正式には批准していません。それは、批准するための環境整備が非常に遅れているからです。日本は先進国に仲間入りしたはずなのに、先進国に比べて子どもの権利というのは、はるかに遅れています。だから批准するためにはいろいろなことを整備しなければならない。だからすぐにとは政府は批准できない。

 給食もそうです。給食を食べなければいけないと強制すること自体がおかしいです。

食べなくたっていいのです。むしろ今は、給食の無償化が必要です。給食で食を満たす子どもが増えています。子ども食堂はない方が良いのです。政府や行政がしないから、してるに過ぎません。

 「服装の乱れや、生活の乱れは非行につながる」と言う人達がいます。でもそれは思い違いです。それが証明されてはいません。その人たちの思い込みに過ぎません。規則で縛るから反発してそういう服装をしたがります。言うことを聞かないのだとの意志表示でわざとそういう事をしたりするのです。

今の中学は、朝練から夕方の練習まで一日中部活で縛って何もできないようにしています。「そうすると非行に走らない」という感覚でいる先生方が未だに多いようです。行動を規制すれば、非行に走らないというのは思い違いです。

法律を作って規制すれば、法律をかいくぐっていろいろ悪いことをする人が必ず出て来ます。いくら規制をしても、非行に走る子は走ってしまう。それよりも子どもたちに生きる目標を与えることです。何かしたいこと、やりたいことをやらせる。そして目標をもって本気になったら、その子たちはその目標にまい進します。

少なくない有名人が、中学や高校時代に警察に手を焼かせたりしています。でもその人たちは、その人の人生を変えてくれた人が居て、良い人生をたどることができたのです。

だから、今でも暴走族がいて、車を乗り回しているのですが、暴走族が一番少なかった時期はいつかというと、全共闘運動が華やかで、高校生共闘もでき、若い世代が学生運動に入ってきた時期が一番暴走族が少なかった。自分の学校や社会に対する不満がある子たちは皆そっちに吸収されてしまった。今は、そういう運動が何もないから、暴走族になって反抗しているだけです。

 だから、子どもたちの権利を認めて、自主性を認めて、自分たちでやらせるということ。それは何歳からかというと、私は生まれた時からと思っています。

日本ではまだ議論されていないし、子どもの人権とか権利そのものが、議論されていない時代です。だから子どもの権利が認められていないから、子どもの自由も認められていません。

 子どもはちゃんと意識していますから、ちゃんと教えて行けば、いろいろ成長して行きます。赤ちゃんの時だって、教え方があります。

☆前述の猿に育てられた人の話を聞いて、ああそうかと赤ちゃんと会話をしようと思いました。赤ちゃんとどうやって会話するかと言ったら、しぐさと目つきです。しぐさや目つきでうまく表現すると赤ちゃんは笑ったりして反応してくれます。

今は、赤ちゃんや子どもたちと、しぐさや顔付きや目で会話するようにしています。それで赤ちゃんたちが笑ったりします。親は不思議そうな顔をすることが多いのですが、おもちゃを使ったりもしますが、泣きわめいていた子どもがちゃんと私の言うことを聞いてくれるようになるのを見て驚かれます。

だけど人間はなかなかしぐさができません。言葉を使わないとできません。だから言葉をかけてあげます。言葉をかけると自然にそのしぐさをとります。だから言葉をかけていろいろしてあげましょう。通じているのは言葉ではなくてしぐさだと思います。だから言葉を出さなくても、しぐさですぐばれてしまう。こっそり薬を混ぜようとしても、そのしぐさでばれてしまう。隠れて何かしようとしてもばれてしまう。表情や雰囲気に表れてしまうのです。

動物たちはしぐさで会話をしていたし、赤ちゃんたちはそれを読み取ります。しぐさを読み取る能力が言葉のコミュニケーションがないほど高いです。言葉で会話をするようになると、だんだんその能力が落ちていってしまいます。言葉に頼ってしまいます。  

子どもが大きくなると、言葉だけになります。子どもは会話を通していろいろ学んでいきます。大きくなっていくと、保育所とか幼稚園に行きます。

☆子どもに対して、「朝食を食べないといけない」とか、「毎日ウンチをしなさい」とか、「給食は全部食べなくちゃいけない」、「牛乳は飲まなくちゃいけない」と強制をします。学校だって毎日行かなければいけない。そういうことは強制する必要はありません。なぜかというと、全く根拠を持たない思い違いです。どこにそれを証明するデータや事実があるのでしょうか。

☆「学校は楽しくなくて当たり前だ」と書いていた人がありましたが、楽しくなかったら、学校へ行かなくなります。保育所でも幼稚園でも楽しいことがあるから行くのです。楽しくすることが、ポイントです。

☆飽食の時代に食を強制することはおかしいと思います。私は「食育」という言葉は好きではありません。食べ物アレルギーは、親による食の強制にあると思っています。実例もあります。だから治すことができます。食べることで教えるのは、おかしいです。食べることは楽しいことなのに、楽しくなくなります。

  • 子どもに強制はしない方が良いです。

例えば小さい子どもの脳性麻痺のリハビリがあります。現在大人になっている脳性麻痺の人達は口をきくのも、身体を動かすのも非常に不便です。ところが小さい時にトレ-ニングをすると、ずっと改善します。そのトレ-ニング法が二つあります。

一つは決まり切ったやり方で、このトレ-ニングをしたら、次のトレ-ニングをしてと決めたとおりに赤ちゃんたちにやらせる方法です。数カ月間続けます。ところが赤ちゃんたちはそれにのってくれないで、いやがります。

それに対してもうーつのやり方は、その時その時に赤ちゃんの好んだやり方で次々とトレーニングを変えて行って、終わった時には一通り全部やっているという方法です。これは非常にテクニックが必要です。誰でもできることではありません。でもそのやり方だと子どもは喜んでやります。

その二通りがあります。手はかかるけれども、子どもの気持ちを尊重してやるリハビリというのは、子どもたちも喜びますし、それで発達します。決まった手順でやっていくやり方は、子どもが嫌うのでなかなか発達しません。嫌がってやらなくなってしまいます。

つまりこれは一つの例ですが、どんなことでも子どもを上手に扱えば、うまく子どもの気持ちを嫌がらないようにしていろんな訓練ができるのです。

☆昔ドイツにボリスベッカーと言うテニスコーチがいて、男性と女性の二人の選手を世界一にしたのです。子ども時代から指導したのですが、その方法は子どもたちにテニスをやらせる時、ボールを打つ練習をさせます。するとボールが飛んで行ってしまい、ボールを拾いにいく必要がありますが、子どもは嫌がります。それを一個一個のボールにひもをつけて、ボールを取るときはひもを引っぱれば集まるようにしました。とにかくあれが嫌、これが嫌というと、そのたびその度に嫌なことをなくすようにしたのです。

それでテニスの練習をさせたら一生懸命練習をするようになり、世界一のプレーヤーが二人育ったのです。嫌なことをなくして練習させるのがこのコーチのやり方でした。だから喜んで一生懸命練習をして世界一になりました。嫌なのが当たり前だなんて言って、子どもたちに押し付けたら、だんだん練習しなくなってしまいます。だからどうやってやりたくなるように仕向けるか。そこがポイントです。

☆ アメリカのケネディ家とか、ロックフェラー家とか開拓時代からの大家族というのは、決して強制しないです。子どもに後を継ぐことや、仕事を強制しない。ところがその家族集団の一族の中で、必ず上手に誰かが一族をまとめて、誰かが後を継いでいくように仕向けていくのです。自然に誰かが継いで一族を守っていきます。長く続いている家というのは、そういう仕組みがうまくできているのです。またそれだけ一族で結集しています。

だけど、新興のいわゆる成り金といわれるような一代で一族を築き上げた人というのは大概うまくいかないのです。自分の子どもに後を継ぐことを強制します。するとうまくいかないのです。江戸時代でも、「売り家と唐様で書く3代目」なんていう川柳がありますが、3代目になると、一族は潰れてしまう。大体そういうのが普通です。強制して子どもたちに継がせようとするとうまくいかないのです。大体反発して辞めたりしてしまいます。

上手にまわりから持っていくのがこつです。長く代々続いている家というのは、そのやり方が自然に伝わっているのです。だから自然に親は子どもにそういうふうに教える。すると自然にその子は親の後を継ぐようになってしまうのです。

☆ 昔、お嬢様ブームといって、お嬢様という呼び方が流行った時期があります。お嬢様というのは、自分が受けた教育を一番良い教育だと思って自分の娘に教育します。そして育てられた娘というのが、お嬢様なのです。ということはある程度、家庭が裕福でなければできません。子ども時代自分は惨めだったから子どもにはそんな思いはさせたくないと思ってしまうと、子どもは別な道を進んでしまいます。それが現実です。自分と同じことをさせないと自分と同じように育ちません。裕福な家庭でないとそれはできません。そうして育てられたのがお嬢様なのです。

でも現実に、自分と同じくさせたいと思うとなかなかうまくいきません。ではどうしたらいいか。子どもは子どもの人生を歩んでもらうしかありません。それは自分の人生を見せて、よければ選んでもらうし、別の道がよければ別の道を選んでもらう方法しかありません。子どもに強制することはできません。一人一人の意志、一人一人の個性を見つけてあげて、育てて下さい。でも別々の道を歩んで行きます。同じように育ててもみんな違います。沢山の子どもを育てれば判りますが、一人や二人では判りません。

だからのびのび育てて下さい。あなたにはあなたの人生があり、子どもには子どもの人生がありますから。

3)自然にのびのび育てよう。よく遊べ、よく学べ。

明治時代は「良く遊べ、良く学べ」というのがスローガンでした。学校では「学校でよく勉強しなさい。家に帰ったら、家の手伝いをしたり、よく遊びなさい。」と教えていた時代です。その時代にいろんな大企業の創立者たちが育っていますが、今、アメリカではそういう時代だそうです。家に教科書を持って帰ってはいけない。つまり、学校で教えることは知的な教育ですけど、家で教えることは勉強ではなく社会的な勉強や人間関係、そういうことを教えて行くのです。

子どもは遊びの中で、自然に社会関係を学んでいきます。子どもたちの遊びというのは、非常に大切なことなのです。だけど今それが無視されていて、子どもたちが仲間と遊ばなくなりましたし、遊びも違ってきました。人間関係が作れない子どもたちが大人になって、苦労している人たちがいます。人間関係がうまく築けず、人前に出ると喋れないとか、ものが言えなくなるとか、いろんな大人の人たちが出てきた。それは子ども時代にそういうことをしていないからです。

☆だから幼稚園、保育所、学校というのは、楽しいところでなければならないのに、楽しくなくて行くから、不登校とか、幼稚園いくのが嫌だとかいうことになってしまう。だから本当に上手な幼稚園や保育所の先生たちは、子どもに強制をしません。私の知っているある幼稚園では、費用は高いのですが、やりたければいつまででも運動場で遊んでいていいのです。他の子は部屋に入って、ピアノで歌を歌ったり、絵を描いたりしているのに、遊びたい子は外で遊んでいていいのです。男性保育士さんも二人いました。女の子でサッカーがやりたければやらしてくれる。そういう身体を動かすことを外でもやれるし、部屋で絵を描いたりしていたければそれもできる。運動会の参加も自由です。さらにオペレッタを子どもたちにやらせるのですが、劇というのは主役が一人いて、あといろんな役があるでしょう。ところがやりたい人はみんなその役になれるのです。海賊船の船長さんが3人出てきて同じ歌を歌ったり、お姫様が4人いたりするのです。やりたくなければ出なくてもいい。だからやりたいものをやりたいようにさせてあげる。子どもたちは喜んでやります。

また子どもたちにはこうしたらいい、ああしたらいいという提案をさせます。そうするとそれを受け入れて一緒に考えてオペレッタを作っていく仕組みができてきます。非常に面白い所で、楽しくてみんな行くわけです。嫌がる子はあまりいない。仲間に入れない子は、ほかの子が誘うのです。運動会に出ない子、走らない子がいるけれども、ほかの子が一緒に行こうよとか、みんなで誘う。そうするとそのうちにやるようになります。そうして仲良くなってみんな一緒にやるから、最後は出ない子はいなくなります。自由にさせています。それで子どもたちはのびのび育っていきます。園長先生たちは、じっとそれを見ているだけで、主役は子どもたちです。

学校も本来そうあるべきだと思います。ただ学校の場合はもう少し規則があっても良いかもしれないけど、今はあり過ぎです。子どもの自由な想像力を奪っています。

 

4)「闇教育」―― 子どもに間違ったことを教え、子どもに服従と従順を教え込むという教育原理(「楽園を追われた子どもたち」より)

19世紀の終わりから20世紀の初頭に子どもたちを親に従属させた、特にフランスを中心に行われた教育です。親や大人のいうとおりにさせる教育です。それを現代の研究者たちは「闇教育」と呼んでいます。つまり、「親のいうことは必ず聞く。親はいつも正しい。親は尊敬されなければならない。親は子どもの要求に屈する必要はない。子どもは尊敬に値しない。子どもの価値を評価してはいけない。子どもにやさしくするのは有害である。服従する人は強くなる。外見の方が心より重要である。見せかけの謝意の方が感謝の気持ちが欠けているよりましである。激しい感情の動きは有害である。肉体は不潔で嫌らしいものである。」というようなことを、まだまだいろいろありますが、子どもに小さい時から教え込むのです。そういうことによって、子どもに従順と服従を教える。そして親の言うなりにさせる教育です。闇教育については、別に書きました。(ブログ参照)

「スパルタ教育」というのは、フランスの乳幼児精神分析医が書いているのですが、「今では経済社会が生んだ精神病のーつとされ、同時に両親や教育者のサディズム的欲望の結果であると見なされています。」(前出書より)。フランスや北欧諸国では、スパルタ教育はおかしいとされてきました。だけど日本ではまだスパルタ教育は教育法として通用しています。スパルタ教育が教育法ではないとされるのはあと30年や50年はかかるかもしれません。

 ですから、体罰は教育としての有効性を持たないのですが、まだ日本では教育に体罰は必要であるという考えがなくなりません。子どもに体罰をして、良いということは一つもありません。体罰されても言うことを聞かず、隠れてやるだけになります。中学、高校になって体罰をされると必ず仕返しを考える生徒が出てきます。

だから学校が荒れるのです。子どもを教師の言う通りにさせようとするから、問題が起きるのです。

 


子ども医療講座 改訂版1

2022-12-01 10:49:51 | 子ども医療講座シリーズ

                 子ども医療講座 改訂版

          子 ど も 医 療 講 座 (改訂版)

         第1回「 健 康 は 自 分 で 守 る も の 」

1)医療は病気をなおす技術であり、医者は医療の専門技術者である。

 ➀医師は多くは、細分化された分野の専門家である

 医者は、素人から見れば医学医療全般の専門家に見えるが、内科、外科、小児科などの多くの科に分かれており、その上小児科を始めすべての科が、皆それぞれ更に細分化した専門分野に分かれている。

 小児科は、普通は小児内科を指し、新生児・未熟児科、循環器科(心臓)、呼吸器科、血液・悪性腫瘍科、感染症科、アレルギー科、内分泌科、神経科、腎臓科、肝臓または消化器科などに分かれている。外科系も、小児外科、小児整形外科、小児眼科、小児耳鼻科、小児皮膚科、小児泌尿器科、小児婦人科、心臓外科先天性部門、小児形成外科、更に小児精神科、小児放射線科、小児歯科があり、さらに矯正歯科、脳外科、麻酔科、移植外科なども子どもの医療にかかわっている。

 専門医としては、日本ではまだ麻酔科だけが信頼されている制度になっている。認定医とか専門医という制度は他の科でも実施されているが、博士号と同じで、信頼度が低い。現在は、専門に勉強し、専門に患者の診療にあたることで、専門医になることが多く、試験はあるが、専門医の資格をとったからといって、標準化された医療をしている保証はない。日本の医療が標準化されていないことにも問題があるし、専門医を養成する制度ができていないことにも問題がある。すべて個人の努力に負っていては、標準化されない。

 さらに日本では、勝手に専門科名を名乗れるので、病院の小児科は小児科専門医であるが、診療所の小児科のほとんどは小児科専門医ではない。小児科しか名乗っていないか、小児科内科と名乗っていれば、小児科専門医であると考えてよいが、内科小児科というのは内科医である。小児科だけでは診療所の経営が成り立たないので、小児科医になりたがらないので、小児科医だけでは日本の子どもの2割くらいしかカバーできないためである。

 しかも小児科専門医と言っても、さらに細分化されて未熟児・新生児、呼吸、循環、腎臓、内分泌などの専門分野に分かれます。それが大学病院で生み出されています。大学病院に残ると必ずどこかの分野に配属され、細かく細分化されるのです。

 私は、総合小児科医であり、子どもの病気を浅く広く知っていて、小児の耳、鼻、目、口の中、泌尿器などの簡単な病気を治療します。アトピー性皮膚炎、花粉症、気管支喘息などのアレルギーの病気の治療をします。大人を専門とする耳鼻科、眼科、皮膚科より、子どもの病気に関しては上手に治してきました。総合小児科医は、日本では教育システムがなく、ほとんどいません。

 専門医の中でも腕の上手下手はあるし、よく説明してくれるか否か、優しいか否かなどの違いもある。しかし小児の専門医で腕の良い医者は、何科にかかわらず子どもを扱うのが上手で優しい。病気がよくならない時や、専門的な治療を要する時は、子ども専門の医者にかかることをお薦めする。良い専門医を知っていることが、医者の腕である。あくまで選ぶのは医師個人であり、病院ではない。

 知識というものは、誰を知っているかが、何を知っているかである。自分では知らなくても、知っている医者を紹介するか、電話などで相談することができれば、知っているうちに入る。良い医者は良い医者を紹介してくれる。しかし、必ずしも近い所に居るとは限らないのが難点である。

当たりはずれのある医療

 一般に医者は、専門医として教育され、大病院に勤務するので、自分の専門分野以外については詳しくは知らないことが多い。そういう専門医が、開業したり、一般病院に勤めたりする。そこで同じ科を標榜していても当たりはずれがある。これは日本の医師の卒業後の教育制度の欠陥からくる問題でもあるし、日本の医療が標準化されていないことにもよっていて、当たりはずれのある医療を生んでいる。アメリカでは、1970年代に医療の標準化が進み、一般的な日常の医療に関してはどこでもいつでも最高の水準の医療が受けられるようになっている。

 日本は当たりはずれがあり、開業医でも良い医者にあたれば、良い医療を受けられる利点もあるし、大学病院、小児医療センターや大病院に行っても良い医者に当たるとは限らず、はずれの医者もいる。結局は、どこにかかるかではなく、医者個人の腕に左右される。どの医者が本当によく知っていて、腕が良いか、優しいかは、会っただけでは医者でも判らない。一緒に診療をしたり、患者さんを紹介して初めて判ることもあるし、上手な医師や上手な診療を知って、判ることもある。

 元日本医師会長だった故村瀬敏郎先生は、出身は外科医だったが、開業してから内科を加え、さらに小児科も始めた。私のアイスホッケー部の先輩で、部のOB会長だったので、小児科を始めた時に部のOBの小児科医たちが、いろいろ質問したがすべてに正しく答えたので、その後は誰も何も言わなくなった。先生はその後育児書を書き、医師会に予防接種センターを作り、日本小児科学会の予防接種専門委員会の委員にまでなった。後に日本医師会長になったが、医師会長としての評価は知らないが、医者としてはよく勉強していた。

 私自身は、大学における医局講座制度(医師と関連病院の人事を左右している、教授を頂点とする制度)を批判し、小児科の中の細分化された専門家にならず、小児医療全般に浅く広く知識を持つ総合小児科医(小児科総合科医師)を目指してきたので、小児医療(小児内科でなく、子どもの医療全般)を浅く広く知っているが、細かい専門的なことはその分野の専門医に依頼している。

だから私は専門医資格を持っていないし、博士号も持たない。私の腕が勝負である。

 予約制の小児科が多いが、私のいた診療所は予約制ではなかった。子どもの病気は、ある日突然起きることが多いので、予約しないと診てもらえないのはおかしいし、私の外来はそれほど混雑しなかった。それは何度も来なくて治るからです。例えば、アトピー性皮膚炎や喘息様気管支炎の乳児なら2~3回、かぜなら1回、気管支喘息なら年数回、大抵の病気は1回で済みました。それは薬だけでなく、予防や食事療法など教えていたからです。最初にいた吹上共立診療所時代には治ってしまうし、予防を教えますから、患者さんがどんどん減ってしまい、経営的には苦労しました。

知識というものは、知っているか知らないかであって知っていれば100%、知らなければ0%である。知らない医者にいくら聞いても、答えないか、またはいい加減なことを知ったかぶりで言うだけである。専門家やプロの人たちは、素人にやさしく判りやすく説明してくれるものである。よく知っているからそうできるのであって、生半可な知識では上手に説明できない。だから医者に、よく質問することである。答えてくれない医者は敬遠しよう。

 医者の言うなりになってはいけない。言うなりではなく、納得することが大切である。医師の言うことに納得したら、医師の言う通りにしてよい。

人はなぜ病気になるのか

 私は「人はなぜ病気になるのか」について、「人は環境にうまく適応できない時に、その遺伝的に持つ弱点に病気が出る」と考える。この説はアメリカのロックフェラー大学環境医学の故デュボス教授の説で、欧米でも日本でも基礎医学者や精神科医に支持者が多く、臨床医にはほとんど支持者がいません。私はデュボスの本を読んで、病原環境説の方が病気をうまく説明できるし、病気の治療に応用するとうまく行くので考え方が変わりました。この考え方は、「ヒポクラテスへ帰れ」というデュボスの言葉の通り、世界ではネオヒポクラテス学派と呼ばれています。

➃自分自身で健康を維持しよう。

 自分で自分の健康を守ろう。病気を治すよりも、病気を予防する方がやさしい。

 病気にかかった時には、医療技術は医者に学ぶが、実際に治すのは自分であるから、自分で病気を治すようにしよう。薬をもらっても、きちんと薬を飲み続けるのも、食事療法をするのも、リハビリをするのも自分の意志である。

北野(ビート)武に学ぼう。彼は医者にとっては不可能と思われた顔面の麻痺を、信じられない程の努力で治してしまった。彼は、外傷による顔面神経麻痺を、努力して自分で治した。普通では回復は困難と思われる程の神経症状でしたが、毎日毎日自分の努力で、動かない顔の筋肉を動かし、ついにほとんど判らないくらいに治してしまった。始めは顔の一部がピクピクしていたが、それも今はほとんど見られない。私は、その努力をしたというだけで敬意を表する。

 医者は、人が豊かな人生を送るためのお手伝いや援助をするだけで、自分の健康を守り、病気を治すのは自分自身である。その為のノウハウを教えましょう。但し自己過信はけがのもと。一度は腕の良い医者に診てもらい、治療法を教えてもらうこと。

2)病気は人間の生物学的過程だけで起きる訳ではない。

病気は、人間と環境(自然環境と社会環境)の相互作用の中で発生する(病原環境論=ネオヒポクラテス医学)。人間は、他の動物や植物と違って、地球のすべての場所に適応して生きていける力がある。そして人間は、地球の自然環境を変えてきたが、地球が変わると人間も変わっていく。

 人は南極も北極も、熱帯も、3000メートルを超える高山地帯にも住んでいます。

 人が環境にうまく適応できない時に、病気になる。自然環境に適応できない時も、社会環境に適応できない時にも、病気になる。

 ウィルスや細菌に違いがないのに、軽く済んだり重症化したりする違いがあるのは、人間の側に違いがあるからで、その違いは、環境によって人間が変化してつくられたのである。

人は身体とこころを持つ社会的存在である

 人間は身体とこころ(精神)をもち、社会的に左右される存在である。社会の最小単位は家庭である。社会は地域、職場、学校、民族、国、世界と拡大される。

 こころは社会的に左右される。特に赤ちゃんから幼児の頃のこころの成長が、人間のこころを左右する。そして人間の社会的な生活がこころを左右し、それが病気を左右する。一般には物心がつく頃と思われてきたが、記憶にない乳幼児期のこころが人生を決めることが分かってきた。

 一般の精神科医や児童精神科医も、記憶にない時代を取り扱わないが、乳幼児精神科医は乳幼児期の心を大切に考えている。特に虐待を受けていると、脳の発達が変化する。でも成長が止まる25歳頃までは、変わることが容易である。それを過ぎるとかなりの努力がないと、人は変われない。

 心身共に充実している時には、風邪をひきにくい。身体がいくら充実していても、精神面に問題があると病気になる。

子どもを上手に育てると、病気をしなくなります。「病気をするたびに免疫ができて強くなる」と言うことは間違いです。人間は自然に免疫システムを完備し、それを上手に働かせれば病気をしないし、かかっても軽く済むのです。それを利根川進さんが証明してくれました。利根川さんは「人は1億もの抗原(病原体や異物)に対し、抗体を作る能力を持つことを証明したのです。ウイルスや細菌が入ると必ず病気になると考えている医師が多いですが、そうではなく、その時に体力や抵抗力が落ちている時に病気になるのです。

 WHO(世界保健機構)の健康の定義では、「健康とは」「病気でないだけでなく、身体的にも精神的にも、さらに社会的にも調和のとれて完全に良好な状態をいう」

 

精神神経免疫内分泌学

 こころと免疫の働きが連動していて、さらにホルモン分泌などの内分泌にも影響することが、近年証明されました。ホルモンの働きも免疫と共に、こころと連動することも判ってきたのです。この30年位前からアメリカのハーバード大学の精神科を中心とした「精神神経免疫学」の動きで、ストレスによって免疫の働きが低下することも、動物実験で証明されました。その後ホルモンの分泌も心に左右されることも、動物実験で証明されたのです。

 そのために、ストレスがあると抵抗力が落ち、その時に病気になりやすくなる。よく幼稚園や学校の行事があると、その前後に子どもが病気になるのもその例である。インフルエンザにかかるのは、通常10%と言われ、受験などのストレス状態にある子どもがかかりやすい。こころと体の健康を維持していれば、かかることはない。また病気を怖がったり、不安があると病気が悪くなり、重症化しやすい。

◇マウスの実験では、過密の状態で飼うと、妊娠し難く、まばらに飼育するとすぐ妊娠するという。不妊症もストレスが関与しているのである。

◇犬の実験では、ストレス状態におくと病気になりやすいことも判った。

◇重症の火傷を負った時に、病気と闘うように催眠をかけると回復が早いことも判っている。

自然治癒力。人は誰でも自然免疫のシステムを持っている。

人間には、病気を治す力がある。それが妨げられた時が病気である。

 昆虫の研究では、蠅(はえ)の一種は体内で抗細菌、抗真菌の蛋白質を作り、抗ウィルス性や抗がん性の蛋白質も作っていると見られることが判ってきた。進化の過程で自分に有利な機能を落とすことはないから、人間はそれに替わるもっと進んだ生体防御機構を持っていると考えられる。そこから「人間には元々病気を治す力(自然治癒力)が備わっていて、その力が妨げられ、発揮されない時に病気になる。」と考える。この考えだと、宗教によって病気が治ったり、癌の自然治癒なども説明がつく。免疫の仕組みには、自然免疫と獲得免疫がある。

3)文明は人間の病気を発生させた一つの要因である。

 人間が自然の中で暮らしている方が病気は少なかった。文明が社会を変え、社会が変わることによって、病気が増えてきた。交通機関が発達するに連れて、地方の土着病が世界的な病気になり、また薬害、公害などが登場してきて、ますます増加している。アマゾンのピダハン族やアフリカのブッシュマン族は、現在でも平等で争いのない社会を作っていて、病気がない。ピダハン族は、外部から隔絶されて守られている。

 社会が進むに連れて新しい病気が増える。放射線や発癌物質の増加により癌が増え、人間社会の入り組んだ関係からストレスが増え、精神病、心身症、アレルギー性疾患が増加している。その為先進国の方が病気が多く、医療費が増えて国の財政を圧迫している。

 文明は健康を増進させてもくれたが、その武器の一つが医学であるが、武器は医学だけではない。社会が変化したことによって病気に打ち勝ったものもある。

 天然痘が撲滅されたことや、伝染病が減少したのは、医学の力と共に、検疫や隔離など社会的施策によることも大きい。結核やライ病の減少は、主に社会的対策による所が大きい。

4)長寿日本一は・・・。日本一の長寿県は長野県です。昔は日本一の医療過疎県、沖縄県でした。

 令和三年の平均寿命は、女性87.57歳、男性81.47歳ですが、都道府県別では、女性は長野県が1位、2位は岡山県。男性は滋賀県が1位、2位は長野県。

 自然環境や質素な食事が寿命を延ばすのか。

 人間の寿命に医療はほんの僅かしか寄与していない。寿命が大きく延びたのは、赤ちゃんや子どもや青少年。江戸時代には五歳までに25%以上が死んでいた。これは現代では難民キャンプの乳幼児死亡率に匹敵する。新生児や乳児の死亡や青少年の死亡が少なくなった分を中心に平均寿命が延びていた。日本の乳児死亡は世界一少ないから、平均寿命も世界一になった。ひと昔前まで、男の子の死亡率が高く、生まれた時には男が多く、20歳では女の方が多くなっていたが、今は20歳でも男が多い。

 老人の寿命も延びている。老人は環境の変化に弱く、暑さ寒さの気候の変化や、土地や家が変わったりすると変化について行けないが、冷暖房の普及や住居の改善、また食料の充足や老人の趣味なども広がり、寿命が延びている。しかし、中年の男性を中心として癌、心筋梗塞、脳梗塞などの成人病による死亡が増加し、平均寿命の延びを鈍らせている。

5)健康を守る方法について。

 健康を守るには、第一に暮らしやすい社会にすること。それには自分の住んでいる地域から変えていくこと。暮らしやすく、住みやすい町にする。世界の町を見て、住みやすい町にしていこう。なぜなら自分のこころが落ち着くからである。人間は一人だけでは生きていけず、社会があって初めて人間として生きていける。

 人間は生まれながらにして、人間ではない。人間に育てられて初めて人間になる。狼に育てられれば狼に、犬に育てられれば犬になってしまう。1990年11月、南アフリカで2年余にわたり犬に育てられていた2歳半の男の子が見つかったが、行動は犬であった。子どもはまず家庭と言う社会で育てられる。そして保育所や幼稚園、地域社会へ出て行き、育っていく。うまくその環境に適応していれれば、病気をしないで育つが、適応できないと病気になる。だから、集団生活に入るとしばらく病気を繰り返すことが多いが、慣れて来ると病気をしなくなる。でも、くよくよしないタイプの子どもは病気をしない。

 健康を守る第二は、くよくよしないことである。不安があれば、不安を無くすか、不安を忘れること。これがなかなか難しい。いつも楽しいことを考え、嫌なことは棚上げすること。

 第三は、健康に良いと言われることを実践してみること。禁煙、節酒、体重のコントロール、運動など。でも無理せず、健康に悪いことでも、好きでやめられなければやめなくてよい。運動もし過ぎると体をこわす。

 第四は、生きがいをもつか、生活の中での楽しみをもつこと。 

6)以上に関連したいろいろな感想

◇新生児・未熟児科の医師は、500グラムの未熟児でも救命したりするし、750グラムの未熟児ならそんなに難しくないというのだが、小学生以上になると体も大きいし、薬の量も多いので、診療するのが不安になるという。500グラムの未熟児は大人の手のひらに乗ってしまう大きさである。

 ところがその医師が、退院後の指導が上手でない。入院中の医療は世界の最先端を行っているのに、退院後の外来での診療は大きく先進国に遅れている。それは離乳食の指導にある。日本の離乳食は先進国では一番遅い。その為食事が原因でのいろいろな病気が絶えない。指しゃぶり、物をすぐ口に入れる、少食、偏食、過食、甘い物好き、子どもの肥満、食事アレルギーなど食事関連の病気が少なくなく、その多くは適切な離乳食指導で予防できる。

◇ある子どもが、転んで前歯が折れてしまった。近くの歯科(一般歯科)に行ったら、取るしかないと言われたという。母親はちゅうちょしていたが、たまたま風邪で私の所へ来たので見たら、折れ曲がっているがまだついたままなので、これならつくはずだと思い、知り合いの矯正歯科医を紹介した。その結果、その子の前歯はうまくついて元どおりになり、取らずに済んだ。

◇麻酔科が未熟児の呼吸管理をしていることが、余り知られていない。麻酔科は、現代では呼吸と循環の管理が専門であり、痛みをとることもしている科と考えた方がよい。国立成育医療センターでは、院内の呼吸管理はすべて麻酔科医がしている。子どもの麻酔は、どんな麻酔でも全身麻酔がよく、麻酔科専門医に任せた方がよい。麻酔に大きい小さいはない。心臓の手術でも、扁桃摘出の手術でもすべて同じ麻酔である。

◇麻酔科の専門医制度が信頼されているのは、きちんとした教育のシステムと専門医試験の公正さにある。元々麻酔科は、アメリカでの教育を受けてアメリカの専門医の資格を取った医師が日本へ戻り、各大学の麻酔科教授になって、日本の麻酔科を作った歴史がある。それで、アメリカの教育システムを導入し、専門医試験も私的感情を入れずに判定する仕組みが作られて維持されている。それで信頼されている。

 日本の他の学会の専門医や認定医は、博士号と同じで、適当に作られ、資格を持っていると言っても信頼できない。教育のシステムができていないのでペーパーテストに偏りやすい。

◇小児外科医は、離乳食も知っているし、子どもへの注射が一番うまい。それは新生児外科が多いし、入院する子どもの全員に注射点滴をするから、注射点滴が上手になるのである。大人と違って子ども特に乳幼児、さらに新生児未熟児の注射点滴は至難で看護師にはできない。未熟児科医師は500グラムの未熟児にも注射点滴をする。大人用よりも極めて細いと言っても、未熟児の血管の太さより太い注射針を血管に入れるのであるからすごい。若い時にしかできない技術である。

◇私は、今までの実績から国立成育医療研究センター、都立小児医療センター、埼玉県立小児医療センターや各府県の小児医療センターに紹介している。しかし、開業の医師を紹介することもあるが、私が信頼する医師だけである。紹介するのはすべて医師個人が対象であるべきだが、最近はなかなかうまく見つからず、次善の病院へ紹介せざるを得ない時もある。

◇私の後輩に、優れた内科医がいて、先輩を追い越して内科講師になり、40代で某大学の内科教授になったのに、突然辞めて開業してしまった。内科はどこの大学でも、トップクラスがいく科であり、内科教授にはなかなかなれない。(私の同級生でも、定年まで内科助教のままの人がいた)私が信頼する後輩であったが、何があったのか、教授を辞めて開業してしまった。彼が開業した土地の人は、期せずして優秀な内科医に診てもらうことになったのである。一般には、教授が良い医者とは限らないが、開業医の息子であったから上手にしていると思う。周りの住民は幸運である。

◇小児科の先輩で、慶応の講師から愛知県の私立大学の教授になった人がいた。しかし、赴任すると当初の約束と違って、研究設備はほとんど揃っていないし、外来を毎日させられるし、一番怒ったのは連れて来た自分の弟子の研究ができないことであった。しかし、それでも我慢していたが、丁度その時に名古屋大学小児科教授が退職するので、後任の教授選が始まった。たまたま名古屋で開業していた慶応の先輩が、兄弟が名古屋大学の小児科を出ていたので、実績や人柄から名古屋大学小児科の教授に推薦し、名古屋大学も受け入れて最終選考にあたって母校の推薦状が必要になった。ところがなぜか慶応小児科教授が推薦状を出さなかったので、最終選考からはずれてしまった。 彼は激怒して、勤めていた大学教授の職を辞めて開業してしまった。その後某私立医大の客員教授になった。ところが、その反響はどうかというと、善し悪しは半々であった。何故なら、小児科の教授を定年退職した後の就職先がないことが多く、現役時代はよくても退職後は惨めになることが少なくないからで、開業だったら年齢に関係なく自分の働けるまでできるから、その方が良かったという声が教授クラスに少なくなかったという。

◇一般に医師は、診断や治療が難しい病気はよく勉強するが、日常にありふれた病気や自然に治ることの多い病気は、軽視して勉強しないことが少なくない。だから難病や癌は日本やアメリカの専門書を読んだりするが、風邪やインフルエンザ、胃腸炎などの診断や治療がおろそかになっていることが多い。診断や治療が適切で無くても、患者の方が自然に治ってしまうから、医者に反省させることがないからである。

 これはどの科でも同じである。小児科以外の科は、主に大人が対象のため、子どもの扱いも、子どもの病気の治療も上手で無いことが多い。どうしても大人の治りにくい病気の治療が主で、子どもの病気が軽視される。

 例えば、蓄膿症(副鼻腔炎)、滲出性中耳炎、斜視、弱視、包茎、亀頭包皮炎、とびひ、水いぼ、蕁麻疹、アトピー性皮膚炎など。

 耳鼻科では、耳鼻科医と小児科医向けに、小児耳鼻科の本が出ているくらいである。

 内科医に子どもがかかった時の問題点は、すぐ解熱剤やステロイドの内服を使う医師が多いこと。子どもの病気を充分には知らないから、説明が不十分だし、診断も当てになら無いことが少なくない。特に突発性発疹、風疹、おたふく風の診断があてにならない。

 小児科医でも、一般に嘔吐下痢症の治療が下手である。私の知人の小児科医の中には、診察室の隣に点滴部屋というのを作って、6ベッドも置き、多いとそこが満員になるくらい点滴をしているという。私の診療所で大人も含めて最大で同時に点滴をしたのは二人で、子どもの点滴は滅多にありません。他の医者は嘔吐の初期治療が下手なので、脱水にしてしまうからである。それを私はマッチ・ポンプだと思っている。(マッチで火をつけて、その火をポンプで消すこと。政治家を揶揄する例えから来ている)

知識というものは、丸い球の様なもので、知識が少ない時は、球は小さくその表面積は少なく、知らないことも少なく、知識が増えると、球が大きくなると表面積も広がって、知らないことも広がる。知識が少ないと、何でも知っている気持ちになり、知識が増えるとほんの僅かしか知らないという気持ちになり、謙虚になる。

こころと身体はメタルの裏表である。こころが動けば、体も動揺する。体の具合が悪ければ、こころも健康ではなくなる。

◇アメリカの医療の標準化とは、例えば時差が3時間ある東海岸から西海岸へ移っても、同じ治療をするから、看護師は就職してもすぐ翌日から、何年も前から働いていたかのように、仕事ができる。アメリカは看護師も専門化し、自分の専門の科に勤務することが普通である。だから手術室の看護師は手術室に勤務する。しかも地域や病院や医師が替わっても、手術の方式も、注射や投薬の仕方も、伝票の形式も同じになっている。病院ごとの違いや、医師が変わると方法が変わるというような日本とは全く違う。だから就職の翌日から、他の同僚と同じように仕事ができる。

 その背景には、専門医制度の確立と医療保険制度の違い、それに消費者運動の要求と盛り上がりがある。専門医制度は、一般に4年くらいだが、日本の十年に相当するくらい密度の濃い勉強と経験を積むことができるシステムになっている。

 医療保険も任意加入制が中心で、手術もいろいろな病気の治療も、病気ごとにこのレベル以上の医師というような条件があり、ほとんどの手術は専門医でないとできないし、その方法も決められていることが多い。その条件を満たさないと、保険金の支払いが得られないので、みなそれに従うことになる。

 消費者運動もラルフ・ネーダーを中心に活発で、議会対策も行われ、医療費が高いことからも、医師に対する要求が強いと思われる。

◇腕の良し悪しは、かかって見なければ判らないのが、日本の現実である。アメリカでは金を出しさえすれば良い医療が受けられるが、日本では金を出しても最高の医療が受けられる保証はない。大学教授であっても、良い医師とは限らないのが日本の現状である。私の同級生もかなりいろいろの大学の教授になってはいるが、私がかかりたいと思う人はわずかであり、だから紹介しない。私が出身は慶応でも、慶応に紹介しないのは信頼できる医師が少ないことと、いても遠いことである。

◇しかし慶応小児科の松尾名誉教授は信頼できる人で、若い時から優秀でひらめきがあり、私の小児科医になりたての頃に教えていただき、私の医療技術と医療理念の形成を大きく左右した人で、慶応小児科から干されていた時にも分け隔てなく応援してくれた人です。

 私が、子どもが病気になった時に、安静も栄養も保温も必要ないと言っているのは、実は松尾名誉教授が卒業後四年目頃に言っていたことで、私はその時小児科1年目で、それに感心してその後ずっとそれでやって来たが、本当にその方がうまくいくので続けている。

 当時松尾先生は、小児科の看護師の病棟主任が小児看護の本を書いていた時にその医学面のチェックを頼まれて、その文の中の「安静、栄養、保温」という言葉を全部削除していた。その時それがアメリカの文献に裏打ちされていることを知ったのである。

◇札幌の麻布脳外科病院の話がNHKテレビで2度放送されたが、ほとんど全身麻痺で植物状態と思われる患者さんを受け入れて、ほんの僅かに残されている機能、例えば目を動かすことや口を開けることなどを使って、話しかけたり、紙に書いた字を見せたりした、それに対する返事をイエス・ノーで答えさせ、意思の疎通をはかって、リハビリをさせ、努力して体を動かすようにさせ、半年1年かかって車椅子で生活できるようにさせ、驚異的な回復をさせる。この時の病棟の師長はその後筑波大学教授になりました。それを指導した院長を始め脳外科の医師たちも大したものである。

◇だから私は、脳死をもって人の死とすることに異論がある。生きる意思があるから生きているのではないのか。それが外から判らないだけではないのか。

 と言うのは、私の経験では、意識がなくなると急速に抵抗力が落ちて、外からの細菌やウィルスに対する感染を起こしやすくなり、死に到ることが多い。

 またいろいろな事故や遭難事件での生存者に共通することは、生きることに対する執念であった。こんなことでは死ねないという一念が生還に繋がるのだと思う。「もうだめだ死んでしまう」と思う人は、すぐに死んでしまいやすい。

◇気管支喘息で突然死があるが、ある心療内科の医師の話では、パニックになるからだという。パニックになって、「呼吸が苦しい、呼吸が止まってしまう、もう死んでしまう。ああもうだめだ。」とどんどん悪化し、呼吸が止まってしまうのだという。確かに乳児は別にして、幼児の突然死は少なく、年齢が高くなるに従って突然死が増え、成人になってピークになる。子どものパニックは、母親がパニックになるとなるようで、母親が冷静になって子どもを励まし、必要なら救急病院へ連れて行くようにすると突然死にはならない。