古い論文ですが、歴史を書いています。まず、私が大阪のワクチントークの大会で、インフルエンザワクチンの廃止についで何を取り上げるかと言うことで、提案した二つの論文の一つです。
これが初めて日本でBCG廃止を提案した論文です。
BCGの歴史と、日本での採用の経緯を書きました。私の尊敬する小児結核の専門家の上島三郎先生(元都立の小児結核療養所長で、元国立神奈川療養所長)からの聞き書きも含めて書いています。古いので書き直したいのですが、そのまま載せます。
日本のBCG廃止論のはじまりと思って下さい。
B C G の 強 制 接 種 廃 止 に 向 け て
1990.8.
§1.BCGの歴史
BCGは1921年パスツール研究所(仏)のカルメットとゲランが、結核菌を継代培養したものが弱毒で免疫力があることを発見し、ワクチンにしたものです。
日本では1938年(昭和13年)日本学術振興会第八小委員会による協同研究で有効との結論を出したのです。(日本学術振興会第八小委員会報告、昭18)「大体6万人位を研究対象とし、その中でBCGを打ったのが4万人位で、1~5年位観察して発病を1/2、死亡を1/8 に減らしたと結論しました。この数字が長い間わが国ではBCGの効果として通用していました。」(砂原茂一「ある病気の運命」より)。その後これに代るBCGの有効性に関するデータは日本ではありませんが、対照群をとってランダムに分けてやっていなかったので世界的には通用しません。当時は富国強兵政策の為、このデータをもとに、1942年に国民学校の新卒業生全員と工員と結核患者の家族にBCGの接種が行なわれたのです。
敗戦後、アメリカでは少数派であったBCG論者のサムス准将がGHQの公衆衛生局長として来日し、BCG論者と結んで1949年にBCG接種を再開しました。
1951年には日本学術会議第七部会(医学)が慎重論を唱え、厚生大臣も見直しを国会で約束したにも拘らず、日本のBCG論者をバックにGHQが厚生省を押切って新結核予防法を成立させたのです。反対論は武見太郎、田宮猛雄、内村祐之らの東大内科中心で、その根拠はアメリカのアーサー・マイヤーという結核のオーソリティの論文であったといいます。(BCG論争)
アメリカでは一度もBCGは公的には採用されず、その結果アメリカの直接の占領下の沖縄では、返還されるまでの27年間BCGが行なわれなかったのです。
その後1974年結核予防法が改正され、現在の方法になりました。
§2.BCGの効果
1952年イギリスの5万人の都市中学生を対象にした研究調査で、79%の防御効果があるとの結論が出たのが、BCGの効果があることを示した有名なデータですが、この他にはこれだけのデータはありません。
有効性のデータは北米インディアン1938年、シカゴ小児1948年があり、無効のデータはジョージア1947年、ジョージア、アラバマ1950年、プエルト・リコ1951年とありました。
ところが1968年~1975年に南インドのマドラスでランダムに36万人にやった結果では、全然効かないという結果が出たのです。これはプロスペクティブ・スタディとして大規模に計画された研究で、議論の余地のないものですが、1975年に無効と結論の出た為に、その後の影響は大きく、世界の大勢はBCGの有効性を疑問視する様になりました。日本のBCG論者(結核の研究者の殆ど-小児結核の研究者も含め)は、これをいろいろな理由をつけて認めていません。でもそれに代るデータは出ていません。
発展途上国は、ツベルクリン反応をしても4割が判定に来ず、予防内服は資金的にも人的にも不可能で、しかも結核が蔓延している為、「発展途上国ではBCGは必要」とのWHOの見解が出され、例外的な事情からBCGが続けられているのです。(別資料-泉 孝英「結核」より)
BCGを公的には採用しなかったアメリカは、日本よりはるかに結核の少ない国になり、アメリカの結核患者は、現在年間 2.5万人位で、人口10万人対で10位で、日本の46.2の 1/4以下。死亡率は1984年人口10万対で男0.8女0.3で、日本は1986年男5.1女1.6で、これも日本が5倍以上です。アメリカの結核は移住民と低所得階級に集中し、中産階層以上の成人のツベルクリン反応陽転率は5%前後と極めて低いのです。
本土復帰まで27年間BCGをしていなかった沖縄県が、1986年の統計で死亡率は全国の都道府県の中で低い方から3位に、有病率は低い方から4位と低く、罹患率は26位でほぼ全国平均ですから、九州地区は結核が多いのに沖縄だけ低いことも考え合わせると、沖縄のやり方の方が本土より勝ると考えられます。どう見てもBCGの効果はありません。(本土復帰は1972.5)
元ロックフェラー研究所長故ルネ・デュボスは、「一般の人びとにとって、予防接種を評価する手っとりばやい方法は、それが広く実施されている地域における効果を観察することであろう。ところが実は、これは不可能ではないにしても極めて厄介な仕事なのである。」、「BCGの科学的な研究と実施が非常に活発に行われたデンマーク、ノルウェー、スウェーデンなどの国ぐにでは、結核死亡率はすばらしく低下した。しかし、アイスランドほど死亡率が目覚しく減少したところはなかった。アイスランドの死亡率は、1929年には人口10万人につき 203であったのが、
1949年には26に低下したが、BCGもその他のワクチンも用いられたことはなかったのである。スカンジナビア出身者が多数を占めているミネソタ州では、結核死亡率は、1916年には人口10万人につき 107であったが、1949年には13.6になった。それはデンマークの同じ年の死亡率19より低く、世界最低の一つに数えられる。ミネソタ州では予防接種の力を借りずに結核を征服しつつあるのである。」・・・
「日本の当局は、戦争終結の直後BCG接種の大計画を立てた。日本の結核死亡率は、1945年の人口10万人につき 280から、1948年には、 181に低下した。しかし、このことはBCGが結核の抑制に何らかの有意義な役割を果したという証明にはならない。というのは、結核は戦争や革命の際に増加し、正常な社会状態に戻ると急速に減少するということを、繰り返し経験が教えているからである。」
「それにもかかわらずBCGの予防効果は、いくつかの小規模なよく管理された実験で確証されているように思われる。」(粟粒結核と結核性髄膜炎でそう見える。しかしまたそれらの病気はニューヨークやフィラデルフィアのようなBCG接種が行われなかった大都市の白人のあいだにも見られないのである。-原著者注)
「しかし、たとえ理想的な条件のもとで予防接種が行われたとしても、被接種群から結核を完全に締め出すことはできない。そればかりでなく、接種による免疫の持続期間もまだはっきりしていない。」、「弱毒菌による予防接種は、結核感染に対する抵抗性を増すことができるが、その防御力は低いというのが一般の見解である。」、「結核対策に対する細菌学の最も重要な貢献は、結核菌の伝播を防ぐ為の指導であると言ってよいだろう。以下略」(以上ルネ・デュボス「白い疫病」1952年より-1982年北 錬平訳結核予防会発行-)
1949年American Trudean Societyの見解は「①BCGによる防御力は完全なものではない。また永久に続くものでもない。②BCGは・・・多くの結核対策中の一方法と見なすべきである。③文献によれば、・・・(ハイリスク・グループ)に接種すると結核患者を減少させることができる。他略」というものでした。
§3.結核は社会的な病気である
結核は石原修の「結核と女工」で知られた様に典型的な社会的病気ですが、残念ながら社会問題化しても社会的な取組みがなされず、専ら医者任せにされ、その結果改善が進まなかったのです。
欧米諸国では産業革命の時に結核が猛威をふるいましたが、手術療法や抗結核剤の登場を待たずに結核死亡率の減少に成功し、第二次世界大戦の時は一時的に増えたもののその後再び目覚しく減少してきました。
結核政策での日本と欧米諸国の違いは、社会的な対策をしてきたかどうかにあります。戦後すぐ、統一戦線内閣や社民党政権が相次ぎ、個人の住宅を優先して作ったり、労働時間の削減や給与などの面で大きく進んでいった西欧諸国と、工場や炭坑など企業を優先し、貧弱な住宅に住まわせ、経済大国になった今も、残業に追われ、有給休暇も消化できない日本との差、咳や熱が続いてもなかなか休めず、医師を受診しにくい職場が数多くあり、それが未感染の小児や若者への集団感染事件を起こしている日本、まさに社会における人間への価値観が結核という病気の消長に表われているのです。
昔、ホフバウア・フラツエクという人が「結核の転換点」ということを言い、結核の死亡率が人口10万人について8人がその転換点で、そこ迄は生活条件、一般衛生状態、社会的環境などの二次的要因(医学外の努力)で下げられるといったのです。ドイツはそこを1925年には突破しているし、他の多くのヨーロッパ諸国も1930年代にはそこまで減っています。ところが日本は1951年にやっとそこに辿りついた。ということは、ストレプトマイシンの出来た7年後だったのです。(砂原茂一氏の話ですが、数字があいません。一桁違いの人口10万人に80ではないかと思います。でも日本の結核死亡率は人口10万人対で1951年110、1952年82、1953年 66ですから、まだ一年違います。)
ところが江戸時代の1831年から10年間の飛騨の山村では、結核の死亡率が人口10万人に62.7だったのです。(「飛騨O寺院過去帳の研究」須田圭三)江戸時代の方が結核は少なかったのです。明治、大正、昭和と江戸時代以上に苛酷な労働を強いられ、女工と小作農民と兵隊(農民)が結核にかかっていったのです。
戦後の農地解放後、結核は労働者中心になっていきます。日本の政府は、労働者の為の広い住宅の建設、賃金や労働条件の向上などに力を入れる代りに、企業、学校、国、自治体から結核患者をしめだす為に、毎年の結核検診(胸部レントゲン撮影)を行なう様になったのです。
日本では1942年以来、今までに1億8千万人にBCGを接種しているのに、死亡率は減りましたが、未だに結核発病率は戦後最高の時(1951年)の1/10にしか減っていないし、減り方もここ数年停滞しています。ポリオは生ワクチンの普及によって年間5000人から、年間0~8人に減少しています。結核は社会的な病気という点について説明が不足していますが、時間がないので別の機会にさせて頂きます。
§4.現在世界では
1987年現在、ヨーロッパでBCGの接種率は65%です。どの国が廃止したかはつかんでいません。1989年現在BCGの強制接種をしているのは世界で64ヵ国です。
WHOでは結核発病率が0.01%以下ならBCGをすることに疑問があるといっていますし、西ドイツでは0.04%、イギリスでは0.02%以下では集団検診を廃止すべきだといっています。 (日本は0.0466%、ただし小中学生では年間0.004%未満、高校生で0.011%、20~30代では0.03%未満、40才代では0.040%)
日本ではWHOの基準で、小中学生のBCGと高校生以下の集団検診は廃止すべきだし、西ドイツの基準では40代以下の集団検診は廃止すべきなのです。
発展途上国では予算も少なく、感染症で死ぬこどもも多く、BCGを含めて6種のワクチンをする運動をWHOが推進していますが、他の5種(DPT,麻疹、ポリオ)ではきちんとした効果が確認され、発表されているのに、結核だけは発表されていません。(World Health Statistics Annual 1984,1986,1988)
現在45ヵ国前後が戦争または内戦状態にあり、生れたこどもの5才までの死亡率が10ヵ国で25%、16ヵ国が20~25%、そして残りのアジア、アフリカ、中東の大半の国ぐにが10~20%にあり、日本は0.8%と極めて低率です。にもかかわらず、結核の罹患率、死亡率は中進国となっているのは結核対策に問題があるからです。
§5.なぜBCGを取上げたか?--現在の日本の結核対策の問題点--
(1)予防不在、早期発見不在の結核予防政策
日本では結核専門家や厚生省は、結核対策として「予防、早期発見、早期治療」を掲げています。ところが予防はBCGだけですし、早期発見の中心になるべきツベルクリン反応はBCGの時の3回だけで、あとは専ら集団胸部レントゲン間接撮影になっています。早期治療は見つけた患者の治療。これでは、予防も早期発見も、中途半端でその効果を発揮していません。その為結核患者が跡を絶たず、毎年5万2千人の活動性肺結核患者(うち排菌者2万7千人)が出ています。しかもその9割は症状が出て受診し見つかっているのです。
排菌者が次々と出てくる為、こどもたちを主とするツベルクリン陰性者が結核感染の危険にさらされているのです。一人の大人の排菌者が周囲のこどもたちに感染させる集団発生事件が相次ぎ、しかも大部分は隠されて報道されていません。(わが国の結核集団感染事件--「結核の感染」青木正和結研副所長)
小児科医会の報告でも結核集団感染事件がほとんどです。中学教師、塾教師、保母、ステロイド治療中の中学生3人、同じ保育所の保母2人、精神薄弱児施設の父兄。千葉では報告者が個人的に相談を受けたのが小学校2、中学校2、高校7、事業所3、その他1という。あとは家族内感染です。問題になるのが、多数のこどもや若者と接触する職業の成人ですが、残念ながら、医療機関を始め、保育所、幼稚園、小中学校、高校、学習塾、養護施設などの労働者の労働条件は劣悪で、結核発生の温床になっているのです。いつでも休めることが必要なのです。
集団間接胸部レントゲン撮影は、1988年には2476万人に施行され、発見患者数 5372人で発見率は0.022%でした。1987年の新登録患者数は56,496人で、90%以上の結核患者は、症状があって医療機関を受診し見つかっているのです。検診が結核患者の早期発見に1割しか寄与していないのです。確かに治療面では大きく進歩し、治療開始後2週間で排菌しなくなるので、長期入院の必要はなくなり、9ヵ月の通院治療が可能になったのです。だから、結核の専門医たちは「予防も治療も期間は同じだから見つけて治せばよい。」と発病の予防を考えていないのです。
(2) BCGのマイナス面も大きい。
有効性の明らかでないBCGをすることで「予防注射をしているから安心」と言う意識を医者や国民に植え付け、結核を「もう克服され、殆ど見られなくなった病気」という錯覚をもたらしています。
1974年BCGを3回に減らした結果、ツベルクリン反応も3回になり、自然陽転の早期発見が遅れ、小学校入学前、小学5~6年生、高校生以上とに発病が集中する傾向があると指摘する小児科医もいます。
またBCGをすると、自然陽転の判定を難しくします。その為予防内服の開始を遅らせる結果を生じます。
高橋晄正氏の「薬のひろば」通信No.2によれば、アメリカ・能書集「PDR.1989」には、BCGの害作用として「1)ときに局所リンパ腺炎、大部分は自然治癒、まれにリンパ瘻をつくる。2)まれに骨髄炎(1/100万)、狼瘡様反応(膠原病)がある。
3)免疫不全の人では全身BCG感染と死(1/1000万)がありうる。」と記載されている。
そして最大の害は、BCGの効果を「信じる」ことによって生じる、予防、早期発見、早期治療の遅れであり、本来は社会的条件を整えることで克服できるのに、経営面から、労使対策から、苛酷な労働条件が押し付けられ、結核が発病していくのです。
(3) BCGをしない時、結核の予防対策はどうなるのでしょうか。
日本とアメリカとの違いはどこにあるのかと考えて、アメリカの結核対策を学んだら、日本と違うことが判ったのです。主として1950年代に行われた研究を基に30年以上の経過観察をしてきた結果が出ていて、結核死亡率でも、結核罹患率でも、アメリカの方法が勝ると出たのです。
その方法は、ツベルクリン反応が硬結で10㎜×10㎜以上の自然陽転者に抗結核剤(INH=アイナーまたはヒドラ)を内服させるのです。更に成人で、胸部レントゲン写真で石灰化などの古い結核の病巣があって、今まで一度も抗結核剤を飲んでいなければやはり、抗結核剤を内服させます。
症状がない限り、結核検診の為の胸部レントゲン撮影をしません。するのはツベルクリン反応です。もちろん陰性であれば問題ありません。ツベルクリン反応による検診も現在は結核対策中進国ですから1~2年に1回ですが、ロー・リスク・グループに入れば数年に1回です。
(4) 抗結核剤の予防内服をする効果はどうか。
日本では3才以下のツベルクリン反応自然陽転の場合には、抗結核剤(INH)の予防内服を公費負担でしていますが、それ以上の年齢では積極的には奨められていません。しかも予防内服の期間が6ヵ月です。1989年2月に結核予防法が改正され、集団感染が疑われる場合は29才以下までINHの予防内服が拡大され、またガフキー3号以上の大量排菌者との接触で、結核感染が強く疑われる場合にも、29才以下の者は予防投与が望ましいとされた。
これに対してアメリカでは35才までのツベルクリン自然陽転者すべてにINH予防内服を大人で9ヵ月、小児では12ヵ月続けるように奨めています。これによるメリットはまず一生にわたって肺外結核の発病率が0になり、一生にわたっての発病率が自然経過(8~20%)の 1/5に減少し(80%予防できる)、内服後30年間の発病率が0.3%以下になるというのです。(現在はアメリカの一部の結核専門家は35才の年齢の制限はしていないと言っています。35才というのはこの年齢をこすと肝炎の発生率が高くなるからで、肝機能を検査して使えば良いというのです。)
そして内服期間終了後は、日本の様に毎年検診をする必要はなく、発病した時に受診すればよいのです。もちろんINH内服中は発病しませんから、運動制限は一切ありません。(発病した人は本格的な治療が必要で、予防内服はあくまでツベルクリン反応が自然陽転し、しかもまだ発病していない潜伏期間にある人が対象です。)
自然陽転者のうち、予防内服しなければ、5年以内に5~15%が発病し、発病率は3才以下が最大で、思春期、老齢者の順になります。5年以内に発病しなくても、その後3~5%は一生の間に発病します。自然陽転した人の一生の間の全発病率は8~20%です。(ハリソン内科学書)
戦後まもなくの日本の調査では、初感染後の発病率が、3才以下70%、4~6才10%、小学生5%、思春期10%以上、成人1%でした。栄養状態も経済状態も良い今日ではもっと低くなっているはずですが。その後のデータは出ていません。
BCG-レントゲン方式では、自然陽転した人は1年間運動を制限し、夏は海水浴も避け、発病をしないように気をつけなければなりません。しかもその後も毎年「いつ発病するか」と胸部レントゲン撮影を繰返すのです。そして身体に無理をした時に発病するのです。BCGは3才までと小1、中1の3回で終わり、高校生以上はツベルクリン反応を確かめずに(陰性でも)無条件で胸部レントゲン撮影を強制されます。確かに戦後まもなくは、高校生になるとほとんどが自然陽転していようですが、青木正和氏の推定では1986年現在の結核既感染率(自然陽転率?)
は、15才で2.3%、20才で4.5%程度とされていますから、胸部レントゲン撮影による一斉検診は根拠がなくなっています。
(5) そして医療被曝の問題があります。
現在日本では医療被曝が野放しの状態ですし、その上更に日本医師会が規制を緩和させようとする動きがあります。
毎年結核検診でレントゲン撮影が強制的に行われ、1988年には間接撮影2476万人、直接撮影91万人、発見患者数 5372人で発見率は0.022%でした。1987年の新登録患者数は56,496人で、90%の結核患者は、症状があって医療機関を受診し、見つかっているのです。健診が結核患者の発見に寄与していないのです。(健診後1年以内でも発病していますから、これでも国民が結核に対して関心がうすいというのでしょうか。)
これだけ大量の不必要な医療被曝を受けている上、各医療機関で入院時、手術時など何かあるたびにとっている直接撮影を考えたら大変な数になります。その上どの程度各医療機関で被曝防御の対策をとっているかも疑問です。
WHOの専門委員会は、1983年に「移動式集団間接X線撮影による無差別の結核発見の政策はいまや捨て去るべきである」と述べ、、1987年のWHOの小児専門委員会でもこれに同意し、更に直接胸部X線撮影でも「無差別の集団調査は全く正当性のないものである。」としています。
被曝による影響は身体的影響(発癌性が主で、白内障、皮膚障害、造血障害、不妊症などは一定の線量以下ではおきません。)と遺伝的影響です。しかし、発癌性と遺伝的影響はどんな微量でも蓄積され、確率的効果によって生じてきます。最近の国際的な動向としては、「発癌性を考慮して被曝防護が十分行われれば、遺伝的影響は心配する必要はない」と云われており、発癌性にしぼられてきました。
放射線の被曝の問題に関して、詳細はまた別の機会にしたいと思いますが、一つだけ言えば放射線診断医が極めて少ないことも医療被曝を減らせない原因だし、その上、年輩の放射線科医の多くが医療被曝を減らすことに熱心でないことも事実です。きちんとした放射線科の教育を受けた医師だけがレントゲンを扱えるようにもっと厳しい規制が必要です。
(6) どうすべきか。
①BCGは強制接種を廃止し、結核のハイリスク・グループに対して、任意接種とし、公費負担で残す。
②ツベルクン反応の定期的検査を隔年でし、WHO方式での自然陽転者にはINHの予防内服(小児では12ヵ月、成人で9ヵ月)を、公費負担または保険で実施する。
③学校、職場での強制的集団胸部レントゲン撮影(間接、直接とも)を廃止する。結核検診はツベルクン反応で行なう。但し、予防内服終了者はツベルクン反応も 必要なく、症状(熱、2週間以上の咳など)が出た時に、有症状者検診を受ける。
集団検診は
④有症状者検診を制度化する。発熱、2週間以上の咳と痰、胸痛などの胸部症状のある人は、必ず検診を受けることができるようにする。その為には、検診の為の休暇は有給とし、無条件で取得できる権利を与え、取らせない場合には、雇用主に罰則を課すなど、取りやすい条件を作る。
☆ まずツベルクン反応の定期的検査をできれば毎年、最低隔年実施し、WHO方式での自然陽転者にINHの予防内服(小児では12ヵ月、成人で9ヵ月)をします。BCGは結核感染の危険の高い人だけにし、しかも任意接種とします。(BCGは自然陽転の判定を難しくする。)
結核の早期発見はツベルクリン反応で行います。その際ツベルクリン反応陽性の判定基準をWHO方式に統一すべきです。WHOでは硬結を測定し、長径×短径が10×10㎜以上で判定しています。日本では集団接種では発赤の長径が10㎜以上だけで判定しています。日本の方式はBCGをする為に陽性者をはずすことを目的にし、WHO方式は結核発病の危険者を見つける為の違いと推定されます。
青木正和氏の推定では1986年現在のこどもの結核既感染率(自然陽転率のことか?)は、5才で0.4%、10才で1.1%、15才で2.3%、20才で4.5%程度とされています。INHの予防内服は経済的にも実施可能です。
しかもINHの予防内服を済ませたら、その後は結核発病が疑われる時に医療機関に受診すれば良いのです。今までの研究では発熱または2週間以上の咳のあるツベルクリン反応陽転者に血沈、喀痰検査、胸部レントゲン撮影をします。WHOの専門委員会は、胸部レントゲン撮影で陰影が見つかる様な人は必ず症状が出ていると云います。
☆ 私はBCG-レントゲン撮影と言う現行の結核対策としてとっているシステムを、ツベルクリン反応-INH予防内服と言うシステムに変えることを提唱します。これが将来40~50代までの結核を減少させることができる方法でしょう。
予防内服をして発病を予防しなければ、こどもの初感染を防げず、初感染があれば、将来結核が発病する危険が出てくるのです。初感染がなければ(自然陽転しなければ)結核が発病する危険は全くないのです。
BCGは結核の専門家が恐れているハイ・リスク・グループには、公費負担で任意で接種を続けることとし、他の多数のロー・リスク・グループは、原則廃止とし、希望者には任意接種で残すとすることです。
(7)結核政策の転換があるか?
☆ 「結核患者数の減少傾向がここ数年鈍り、とりわけ青少年の間で足踏み状態が続いていることが十四日、厚生省の「結核対策の現状」調査でわかった。」(1990.5.15.毎日新聞)と報道された。しかしその後十六日に行われたはずの公衆衛生審議会の結核予防部会の審議結果は報道されていない。その記事によると
◇人口10万人当たりの新規結核患者数は、昭和37年 403.2人、昭和61年46.6人
その後は毎年45人前後で昭和63年は44.3人
◇15-19歳の罹(り)患率は昭和60年12.6人、昭和63年11.1人と大きな変化が
ない。
◇人口10万人当たりの結核死亡率も昭和62年調査で、日本 3.3人、アメリカ
0.7人、イギリス 0.9人、フランス 2.1人、
◇厚生省はこの結果を分析して「結核に対する関心の薄さが問題」としている。
☆ その直後の1990.5.17.毎日新聞には「在日アジア人日本語学校生の結核患者が多数」とおおげさに報じています。これは「東京、大阪の日本語学校92校の約1万3千人から60人近い結核患者が見つかり、発見率は0.43%で一般の学校の0.01%の40倍」というものですが、日本の20~30代の発病率0.03%の14倍です。在日アジア人に限らず、発展途上国の自然陽転率が高いので、日本語学校生の社会経済状態の悪さから考えれば60人弱の発病者が出ても不思議ではありません。山谷、釜が崎を始め日本の低所得者層の沈殿している地域はもっとはるかに高いのです。それより在日外国人に対して健康保険制度に加入させないなど、社会福祉から除外していることの方が問題ではないでしょうか。
☆ 1989年10月の日本小児科医会ニュース第11号では、「小児結核の見直し」特集を組んでいますが、結論が出ないようです。各地方ブロック毎の報告の中で、対策を見ると・・・◇患者の受診の遅れ、一般住民の結核検診への受診率の向上、結核定期検診の受けられない集団の問題、健診にもれた者および有症状者のすみやかな診断、
◇医師の診断、治療の遅れをなくす。
◇小児のINH予防投与。不要な化学予防を是正し必要な化学予防を普及させる。
◇在日アジア人など外国人への
結核予防対策。
◇「ツ」反応、BCG、陽性者への対応などの問題。
◇BCGの定期的接種、ハイリスク者の追跡、結核サーベイランスの活用。
結核に関心の強い小児科医たちの意見で、少しは予防も考えているようですが、これでは結核は遅々として減らないのではないでしょうか。
☆ 厚生省は、医師や国民の関心の薄さが問題としていますが、関心をもっても現状は変らないでしょう。厚生省の結核を減らす対策は、BCG接種の強化、胸部の集団検診の徹底、そしてかかった人が早く自分で病院へ行き、医師に早く結核と診断してもらい、早く治療を受けることしかないのです。
結核の専門家の見解では、患者が医療機関に折角かかっても、結核と診断を受け、適切な治療を受けるのに時間がかかり過ぎると云います。このことは別に最近始ったことではなく、それ故対策も立たないのです。
☆ 結核は排菌者が未感染のこどもたちや大人に感染させることから始まるのであって、排菌者(発病者)を減らすしかないのです。結核専門医たちの様に、結核は薬で治る病気だからと云って、発病した人を見つけて治療して行けば良いとする考えでは、これ以上結核を減らすことは難しいのです。治すかたわらで新しい患者が作られているのですから。いまや結核を減らすには、早期発見や早期治療ではなく、発病予防しかないのです。もちろんすぐ発病率減らすことはできませんが。
§6. 最後に
インフルエンザ・ワクチンと同様に、日本では行政と業界との癒着が現状の変革を困難にしています。BCGワクチン・メーカーと医師会、レントゲン・フィルム・メーカーと検診業者、検診をしている医療機関などの多数が現在の結核医療に寄生しているので、運動を起こさない限り改善は実現しません。
文献
1.ルネ・デュボス夫妻「白い疫病-結核と人間と社会-」1952.結核予防会(1982)
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6.K.Hsu ”Isoniazid in the Prevention and Treatment of Tuberculosis”;JAMA,July 29,1974・Vol 229,No 5
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10.青木正和「結核の感染」;日本医事新報No.3227,1986, p125
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12.木村三生夫、平山宗宏編著「予防接種の手びき」近代出版、第四版1983
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15.D.Schlossberg editor ”Tuberculosis”second edition 1988
16.青木国雄「日本のBCG接種の疫学的評価」;日本胸部臨床,Vol.34,11,p795
17.特集「最近の小児結核」;小児科,Vol.21,No.13.1980,
18.厚生省保健医療局結核難病感染症課編「結核の統計1987」結核予防会
19.厚生の指標1954~ ,臨時増刊「国民衛生の動向」~1989,
20.戸井田一郎「結核後進国日本-現状と問題点」InnerVision(インナービジョン),Vol.2,No.4,1987,p26 マグブロス出版
21.藤岡睦久「放射線の危険とは-改めて考えるそのリスクと効用-」,InnerVision,Vol.3,No.3,1988,p55 マグブロス出版
22.安斎育郎、藤岡睦久ほか「医療被曝の不安-上手なX線検査の受け方-」;家庭画報,1988年10月号,p363
23.黒部信一,「レントゲン撮影-毎年必要なの?」消費者リポート,第651号,
日本消費者連盟 1987.6.27
24.菅原努「被曝-日本人の生活と放射線」マグブロス出版,1984
25.菅原努監修「放射線はどこまで危険か」マグブロス出版,1982
26.WHO、藤岡睦久訳「WHO小児画像診断ガイドライン」金原出版,1987
これが初めて日本でBCG廃止を提案した論文です。
BCGの歴史と、日本での採用の経緯を書きました。私の尊敬する小児結核の専門家の上島三郎先生(元都立の小児結核療養所長で、元国立神奈川療養所長)からの聞き書きも含めて書いています。古いので書き直したいのですが、そのまま載せます。
日本のBCG廃止論のはじまりと思って下さい。
B C G の 強 制 接 種 廃 止 に 向 け て
1990.8.
§1.BCGの歴史
BCGは1921年パスツール研究所(仏)のカルメットとゲランが、結核菌を継代培養したものが弱毒で免疫力があることを発見し、ワクチンにしたものです。
日本では1938年(昭和13年)日本学術振興会第八小委員会による協同研究で有効との結論を出したのです。(日本学術振興会第八小委員会報告、昭18)「大体6万人位を研究対象とし、その中でBCGを打ったのが4万人位で、1~5年位観察して発病を1/2、死亡を1/8 に減らしたと結論しました。この数字が長い間わが国ではBCGの効果として通用していました。」(砂原茂一「ある病気の運命」より)。その後これに代るBCGの有効性に関するデータは日本ではありませんが、対照群をとってランダムに分けてやっていなかったので世界的には通用しません。当時は富国強兵政策の為、このデータをもとに、1942年に国民学校の新卒業生全員と工員と結核患者の家族にBCGの接種が行なわれたのです。
敗戦後、アメリカでは少数派であったBCG論者のサムス准将がGHQの公衆衛生局長として来日し、BCG論者と結んで1949年にBCG接種を再開しました。
1951年には日本学術会議第七部会(医学)が慎重論を唱え、厚生大臣も見直しを国会で約束したにも拘らず、日本のBCG論者をバックにGHQが厚生省を押切って新結核予防法を成立させたのです。反対論は武見太郎、田宮猛雄、内村祐之らの東大内科中心で、その根拠はアメリカのアーサー・マイヤーという結核のオーソリティの論文であったといいます。(BCG論争)
アメリカでは一度もBCGは公的には採用されず、その結果アメリカの直接の占領下の沖縄では、返還されるまでの27年間BCGが行なわれなかったのです。
その後1974年結核予防法が改正され、現在の方法になりました。
§2.BCGの効果
1952年イギリスの5万人の都市中学生を対象にした研究調査で、79%の防御効果があるとの結論が出たのが、BCGの効果があることを示した有名なデータですが、この他にはこれだけのデータはありません。
有効性のデータは北米インディアン1938年、シカゴ小児1948年があり、無効のデータはジョージア1947年、ジョージア、アラバマ1950年、プエルト・リコ1951年とありました。
ところが1968年~1975年に南インドのマドラスでランダムに36万人にやった結果では、全然効かないという結果が出たのです。これはプロスペクティブ・スタディとして大規模に計画された研究で、議論の余地のないものですが、1975年に無効と結論の出た為に、その後の影響は大きく、世界の大勢はBCGの有効性を疑問視する様になりました。日本のBCG論者(結核の研究者の殆ど-小児結核の研究者も含め)は、これをいろいろな理由をつけて認めていません。でもそれに代るデータは出ていません。
発展途上国は、ツベルクリン反応をしても4割が判定に来ず、予防内服は資金的にも人的にも不可能で、しかも結核が蔓延している為、「発展途上国ではBCGは必要」とのWHOの見解が出され、例外的な事情からBCGが続けられているのです。(別資料-泉 孝英「結核」より)
BCGを公的には採用しなかったアメリカは、日本よりはるかに結核の少ない国になり、アメリカの結核患者は、現在年間 2.5万人位で、人口10万人対で10位で、日本の46.2の 1/4以下。死亡率は1984年人口10万対で男0.8女0.3で、日本は1986年男5.1女1.6で、これも日本が5倍以上です。アメリカの結核は移住民と低所得階級に集中し、中産階層以上の成人のツベルクリン反応陽転率は5%前後と極めて低いのです。
本土復帰まで27年間BCGをしていなかった沖縄県が、1986年の統計で死亡率は全国の都道府県の中で低い方から3位に、有病率は低い方から4位と低く、罹患率は26位でほぼ全国平均ですから、九州地区は結核が多いのに沖縄だけ低いことも考え合わせると、沖縄のやり方の方が本土より勝ると考えられます。どう見てもBCGの効果はありません。(本土復帰は1972.5)
元ロックフェラー研究所長故ルネ・デュボスは、「一般の人びとにとって、予防接種を評価する手っとりばやい方法は、それが広く実施されている地域における効果を観察することであろう。ところが実は、これは不可能ではないにしても極めて厄介な仕事なのである。」、「BCGの科学的な研究と実施が非常に活発に行われたデンマーク、ノルウェー、スウェーデンなどの国ぐにでは、結核死亡率はすばらしく低下した。しかし、アイスランドほど死亡率が目覚しく減少したところはなかった。アイスランドの死亡率は、1929年には人口10万人につき 203であったのが、
1949年には26に低下したが、BCGもその他のワクチンも用いられたことはなかったのである。スカンジナビア出身者が多数を占めているミネソタ州では、結核死亡率は、1916年には人口10万人につき 107であったが、1949年には13.6になった。それはデンマークの同じ年の死亡率19より低く、世界最低の一つに数えられる。ミネソタ州では予防接種の力を借りずに結核を征服しつつあるのである。」・・・
「日本の当局は、戦争終結の直後BCG接種の大計画を立てた。日本の結核死亡率は、1945年の人口10万人につき 280から、1948年には、 181に低下した。しかし、このことはBCGが結核の抑制に何らかの有意義な役割を果したという証明にはならない。というのは、結核は戦争や革命の際に増加し、正常な社会状態に戻ると急速に減少するということを、繰り返し経験が教えているからである。」
「それにもかかわらずBCGの予防効果は、いくつかの小規模なよく管理された実験で確証されているように思われる。」(粟粒結核と結核性髄膜炎でそう見える。しかしまたそれらの病気はニューヨークやフィラデルフィアのようなBCG接種が行われなかった大都市の白人のあいだにも見られないのである。-原著者注)
「しかし、たとえ理想的な条件のもとで予防接種が行われたとしても、被接種群から結核を完全に締め出すことはできない。そればかりでなく、接種による免疫の持続期間もまだはっきりしていない。」、「弱毒菌による予防接種は、結核感染に対する抵抗性を増すことができるが、その防御力は低いというのが一般の見解である。」、「結核対策に対する細菌学の最も重要な貢献は、結核菌の伝播を防ぐ為の指導であると言ってよいだろう。以下略」(以上ルネ・デュボス「白い疫病」1952年より-1982年北 錬平訳結核予防会発行-)
1949年American Trudean Societyの見解は「①BCGによる防御力は完全なものではない。また永久に続くものでもない。②BCGは・・・多くの結核対策中の一方法と見なすべきである。③文献によれば、・・・(ハイリスク・グループ)に接種すると結核患者を減少させることができる。他略」というものでした。
§3.結核は社会的な病気である
結核は石原修の「結核と女工」で知られた様に典型的な社会的病気ですが、残念ながら社会問題化しても社会的な取組みがなされず、専ら医者任せにされ、その結果改善が進まなかったのです。
欧米諸国では産業革命の時に結核が猛威をふるいましたが、手術療法や抗結核剤の登場を待たずに結核死亡率の減少に成功し、第二次世界大戦の時は一時的に増えたもののその後再び目覚しく減少してきました。
結核政策での日本と欧米諸国の違いは、社会的な対策をしてきたかどうかにあります。戦後すぐ、統一戦線内閣や社民党政権が相次ぎ、個人の住宅を優先して作ったり、労働時間の削減や給与などの面で大きく進んでいった西欧諸国と、工場や炭坑など企業を優先し、貧弱な住宅に住まわせ、経済大国になった今も、残業に追われ、有給休暇も消化できない日本との差、咳や熱が続いてもなかなか休めず、医師を受診しにくい職場が数多くあり、それが未感染の小児や若者への集団感染事件を起こしている日本、まさに社会における人間への価値観が結核という病気の消長に表われているのです。
昔、ホフバウア・フラツエクという人が「結核の転換点」ということを言い、結核の死亡率が人口10万人について8人がその転換点で、そこ迄は生活条件、一般衛生状態、社会的環境などの二次的要因(医学外の努力)で下げられるといったのです。ドイツはそこを1925年には突破しているし、他の多くのヨーロッパ諸国も1930年代にはそこまで減っています。ところが日本は1951年にやっとそこに辿りついた。ということは、ストレプトマイシンの出来た7年後だったのです。(砂原茂一氏の話ですが、数字があいません。一桁違いの人口10万人に80ではないかと思います。でも日本の結核死亡率は人口10万人対で1951年110、1952年82、1953年 66ですから、まだ一年違います。)
ところが江戸時代の1831年から10年間の飛騨の山村では、結核の死亡率が人口10万人に62.7だったのです。(「飛騨O寺院過去帳の研究」須田圭三)江戸時代の方が結核は少なかったのです。明治、大正、昭和と江戸時代以上に苛酷な労働を強いられ、女工と小作農民と兵隊(農民)が結核にかかっていったのです。
戦後の農地解放後、結核は労働者中心になっていきます。日本の政府は、労働者の為の広い住宅の建設、賃金や労働条件の向上などに力を入れる代りに、企業、学校、国、自治体から結核患者をしめだす為に、毎年の結核検診(胸部レントゲン撮影)を行なう様になったのです。
日本では1942年以来、今までに1億8千万人にBCGを接種しているのに、死亡率は減りましたが、未だに結核発病率は戦後最高の時(1951年)の1/10にしか減っていないし、減り方もここ数年停滞しています。ポリオは生ワクチンの普及によって年間5000人から、年間0~8人に減少しています。結核は社会的な病気という点について説明が不足していますが、時間がないので別の機会にさせて頂きます。
§4.現在世界では
1987年現在、ヨーロッパでBCGの接種率は65%です。どの国が廃止したかはつかんでいません。1989年現在BCGの強制接種をしているのは世界で64ヵ国です。
WHOでは結核発病率が0.01%以下ならBCGをすることに疑問があるといっていますし、西ドイツでは0.04%、イギリスでは0.02%以下では集団検診を廃止すべきだといっています。 (日本は0.0466%、ただし小中学生では年間0.004%未満、高校生で0.011%、20~30代では0.03%未満、40才代では0.040%)
日本ではWHOの基準で、小中学生のBCGと高校生以下の集団検診は廃止すべきだし、西ドイツの基準では40代以下の集団検診は廃止すべきなのです。
発展途上国では予算も少なく、感染症で死ぬこどもも多く、BCGを含めて6種のワクチンをする運動をWHOが推進していますが、他の5種(DPT,麻疹、ポリオ)ではきちんとした効果が確認され、発表されているのに、結核だけは発表されていません。(World Health Statistics Annual 1984,1986,1988)
現在45ヵ国前後が戦争または内戦状態にあり、生れたこどもの5才までの死亡率が10ヵ国で25%、16ヵ国が20~25%、そして残りのアジア、アフリカ、中東の大半の国ぐにが10~20%にあり、日本は0.8%と極めて低率です。にもかかわらず、結核の罹患率、死亡率は中進国となっているのは結核対策に問題があるからです。
§5.なぜBCGを取上げたか?--現在の日本の結核対策の問題点--
(1)予防不在、早期発見不在の結核予防政策
日本では結核専門家や厚生省は、結核対策として「予防、早期発見、早期治療」を掲げています。ところが予防はBCGだけですし、早期発見の中心になるべきツベルクリン反応はBCGの時の3回だけで、あとは専ら集団胸部レントゲン間接撮影になっています。早期治療は見つけた患者の治療。これでは、予防も早期発見も、中途半端でその効果を発揮していません。その為結核患者が跡を絶たず、毎年5万2千人の活動性肺結核患者(うち排菌者2万7千人)が出ています。しかもその9割は症状が出て受診し見つかっているのです。
排菌者が次々と出てくる為、こどもたちを主とするツベルクリン陰性者が結核感染の危険にさらされているのです。一人の大人の排菌者が周囲のこどもたちに感染させる集団発生事件が相次ぎ、しかも大部分は隠されて報道されていません。(わが国の結核集団感染事件--「結核の感染」青木正和結研副所長)
小児科医会の報告でも結核集団感染事件がほとんどです。中学教師、塾教師、保母、ステロイド治療中の中学生3人、同じ保育所の保母2人、精神薄弱児施設の父兄。千葉では報告者が個人的に相談を受けたのが小学校2、中学校2、高校7、事業所3、その他1という。あとは家族内感染です。問題になるのが、多数のこどもや若者と接触する職業の成人ですが、残念ながら、医療機関を始め、保育所、幼稚園、小中学校、高校、学習塾、養護施設などの労働者の労働条件は劣悪で、結核発生の温床になっているのです。いつでも休めることが必要なのです。
集団間接胸部レントゲン撮影は、1988年には2476万人に施行され、発見患者数 5372人で発見率は0.022%でした。1987年の新登録患者数は56,496人で、90%以上の結核患者は、症状があって医療機関を受診し見つかっているのです。検診が結核患者の早期発見に1割しか寄与していないのです。確かに治療面では大きく進歩し、治療開始後2週間で排菌しなくなるので、長期入院の必要はなくなり、9ヵ月の通院治療が可能になったのです。だから、結核の専門医たちは「予防も治療も期間は同じだから見つけて治せばよい。」と発病の予防を考えていないのです。
(2) BCGのマイナス面も大きい。
有効性の明らかでないBCGをすることで「予防注射をしているから安心」と言う意識を医者や国民に植え付け、結核を「もう克服され、殆ど見られなくなった病気」という錯覚をもたらしています。
1974年BCGを3回に減らした結果、ツベルクリン反応も3回になり、自然陽転の早期発見が遅れ、小学校入学前、小学5~6年生、高校生以上とに発病が集中する傾向があると指摘する小児科医もいます。
またBCGをすると、自然陽転の判定を難しくします。その為予防内服の開始を遅らせる結果を生じます。
高橋晄正氏の「薬のひろば」通信No.2によれば、アメリカ・能書集「PDR.1989」には、BCGの害作用として「1)ときに局所リンパ腺炎、大部分は自然治癒、まれにリンパ瘻をつくる。2)まれに骨髄炎(1/100万)、狼瘡様反応(膠原病)がある。
3)免疫不全の人では全身BCG感染と死(1/1000万)がありうる。」と記載されている。
そして最大の害は、BCGの効果を「信じる」ことによって生じる、予防、早期発見、早期治療の遅れであり、本来は社会的条件を整えることで克服できるのに、経営面から、労使対策から、苛酷な労働条件が押し付けられ、結核が発病していくのです。
(3) BCGをしない時、結核の予防対策はどうなるのでしょうか。
日本とアメリカとの違いはどこにあるのかと考えて、アメリカの結核対策を学んだら、日本と違うことが判ったのです。主として1950年代に行われた研究を基に30年以上の経過観察をしてきた結果が出ていて、結核死亡率でも、結核罹患率でも、アメリカの方法が勝ると出たのです。
その方法は、ツベルクリン反応が硬結で10㎜×10㎜以上の自然陽転者に抗結核剤(INH=アイナーまたはヒドラ)を内服させるのです。更に成人で、胸部レントゲン写真で石灰化などの古い結核の病巣があって、今まで一度も抗結核剤を飲んでいなければやはり、抗結核剤を内服させます。
症状がない限り、結核検診の為の胸部レントゲン撮影をしません。するのはツベルクリン反応です。もちろん陰性であれば問題ありません。ツベルクリン反応による検診も現在は結核対策中進国ですから1~2年に1回ですが、ロー・リスク・グループに入れば数年に1回です。
(4) 抗結核剤の予防内服をする効果はどうか。
日本では3才以下のツベルクリン反応自然陽転の場合には、抗結核剤(INH)の予防内服を公費負担でしていますが、それ以上の年齢では積極的には奨められていません。しかも予防内服の期間が6ヵ月です。1989年2月に結核予防法が改正され、集団感染が疑われる場合は29才以下までINHの予防内服が拡大され、またガフキー3号以上の大量排菌者との接触で、結核感染が強く疑われる場合にも、29才以下の者は予防投与が望ましいとされた。
これに対してアメリカでは35才までのツベルクリン自然陽転者すべてにINH予防内服を大人で9ヵ月、小児では12ヵ月続けるように奨めています。これによるメリットはまず一生にわたって肺外結核の発病率が0になり、一生にわたっての発病率が自然経過(8~20%)の 1/5に減少し(80%予防できる)、内服後30年間の発病率が0.3%以下になるというのです。(現在はアメリカの一部の結核専門家は35才の年齢の制限はしていないと言っています。35才というのはこの年齢をこすと肝炎の発生率が高くなるからで、肝機能を検査して使えば良いというのです。)
そして内服期間終了後は、日本の様に毎年検診をする必要はなく、発病した時に受診すればよいのです。もちろんINH内服中は発病しませんから、運動制限は一切ありません。(発病した人は本格的な治療が必要で、予防内服はあくまでツベルクリン反応が自然陽転し、しかもまだ発病していない潜伏期間にある人が対象です。)
自然陽転者のうち、予防内服しなければ、5年以内に5~15%が発病し、発病率は3才以下が最大で、思春期、老齢者の順になります。5年以内に発病しなくても、その後3~5%は一生の間に発病します。自然陽転した人の一生の間の全発病率は8~20%です。(ハリソン内科学書)
戦後まもなくの日本の調査では、初感染後の発病率が、3才以下70%、4~6才10%、小学生5%、思春期10%以上、成人1%でした。栄養状態も経済状態も良い今日ではもっと低くなっているはずですが。その後のデータは出ていません。
BCG-レントゲン方式では、自然陽転した人は1年間運動を制限し、夏は海水浴も避け、発病をしないように気をつけなければなりません。しかもその後も毎年「いつ発病するか」と胸部レントゲン撮影を繰返すのです。そして身体に無理をした時に発病するのです。BCGは3才までと小1、中1の3回で終わり、高校生以上はツベルクリン反応を確かめずに(陰性でも)無条件で胸部レントゲン撮影を強制されます。確かに戦後まもなくは、高校生になるとほとんどが自然陽転していようですが、青木正和氏の推定では1986年現在の結核既感染率(自然陽転率?)
は、15才で2.3%、20才で4.5%程度とされていますから、胸部レントゲン撮影による一斉検診は根拠がなくなっています。
(5) そして医療被曝の問題があります。
現在日本では医療被曝が野放しの状態ですし、その上更に日本医師会が規制を緩和させようとする動きがあります。
毎年結核検診でレントゲン撮影が強制的に行われ、1988年には間接撮影2476万人、直接撮影91万人、発見患者数 5372人で発見率は0.022%でした。1987年の新登録患者数は56,496人で、90%の結核患者は、症状があって医療機関を受診し、見つかっているのです。健診が結核患者の発見に寄与していないのです。(健診後1年以内でも発病していますから、これでも国民が結核に対して関心がうすいというのでしょうか。)
これだけ大量の不必要な医療被曝を受けている上、各医療機関で入院時、手術時など何かあるたびにとっている直接撮影を考えたら大変な数になります。その上どの程度各医療機関で被曝防御の対策をとっているかも疑問です。
WHOの専門委員会は、1983年に「移動式集団間接X線撮影による無差別の結核発見の政策はいまや捨て去るべきである」と述べ、、1987年のWHOの小児専門委員会でもこれに同意し、更に直接胸部X線撮影でも「無差別の集団調査は全く正当性のないものである。」としています。
被曝による影響は身体的影響(発癌性が主で、白内障、皮膚障害、造血障害、不妊症などは一定の線量以下ではおきません。)と遺伝的影響です。しかし、発癌性と遺伝的影響はどんな微量でも蓄積され、確率的効果によって生じてきます。最近の国際的な動向としては、「発癌性を考慮して被曝防護が十分行われれば、遺伝的影響は心配する必要はない」と云われており、発癌性にしぼられてきました。
放射線の被曝の問題に関して、詳細はまた別の機会にしたいと思いますが、一つだけ言えば放射線診断医が極めて少ないことも医療被曝を減らせない原因だし、その上、年輩の放射線科医の多くが医療被曝を減らすことに熱心でないことも事実です。きちんとした放射線科の教育を受けた医師だけがレントゲンを扱えるようにもっと厳しい規制が必要です。
(6) どうすべきか。
①BCGは強制接種を廃止し、結核のハイリスク・グループに対して、任意接種とし、公費負担で残す。
②ツベルクン反応の定期的検査を隔年でし、WHO方式での自然陽転者にはINHの予防内服(小児では12ヵ月、成人で9ヵ月)を、公費負担または保険で実施する。
③学校、職場での強制的集団胸部レントゲン撮影(間接、直接とも)を廃止する。結核検診はツベルクン反応で行なう。但し、予防内服終了者はツベルクン反応も 必要なく、症状(熱、2週間以上の咳など)が出た時に、有症状者検診を受ける。
集団検診は
④有症状者検診を制度化する。発熱、2週間以上の咳と痰、胸痛などの胸部症状のある人は、必ず検診を受けることができるようにする。その為には、検診の為の休暇は有給とし、無条件で取得できる権利を与え、取らせない場合には、雇用主に罰則を課すなど、取りやすい条件を作る。
☆ まずツベルクン反応の定期的検査をできれば毎年、最低隔年実施し、WHO方式での自然陽転者にINHの予防内服(小児では12ヵ月、成人で9ヵ月)をします。BCGは結核感染の危険の高い人だけにし、しかも任意接種とします。(BCGは自然陽転の判定を難しくする。)
結核の早期発見はツベルクリン反応で行います。その際ツベルクリン反応陽性の判定基準をWHO方式に統一すべきです。WHOでは硬結を測定し、長径×短径が10×10㎜以上で判定しています。日本では集団接種では発赤の長径が10㎜以上だけで判定しています。日本の方式はBCGをする為に陽性者をはずすことを目的にし、WHO方式は結核発病の危険者を見つける為の違いと推定されます。
青木正和氏の推定では1986年現在のこどもの結核既感染率(自然陽転率のことか?)は、5才で0.4%、10才で1.1%、15才で2.3%、20才で4.5%程度とされています。INHの予防内服は経済的にも実施可能です。
しかもINHの予防内服を済ませたら、その後は結核発病が疑われる時に医療機関に受診すれば良いのです。今までの研究では発熱または2週間以上の咳のあるツベルクリン反応陽転者に血沈、喀痰検査、胸部レントゲン撮影をします。WHOの専門委員会は、胸部レントゲン撮影で陰影が見つかる様な人は必ず症状が出ていると云います。
☆ 私はBCG-レントゲン撮影と言う現行の結核対策としてとっているシステムを、ツベルクリン反応-INH予防内服と言うシステムに変えることを提唱します。これが将来40~50代までの結核を減少させることができる方法でしょう。
予防内服をして発病を予防しなければ、こどもの初感染を防げず、初感染があれば、将来結核が発病する危険が出てくるのです。初感染がなければ(自然陽転しなければ)結核が発病する危険は全くないのです。
BCGは結核の専門家が恐れているハイ・リスク・グループには、公費負担で任意で接種を続けることとし、他の多数のロー・リスク・グループは、原則廃止とし、希望者には任意接種で残すとすることです。
(7)結核政策の転換があるか?
☆ 「結核患者数の減少傾向がここ数年鈍り、とりわけ青少年の間で足踏み状態が続いていることが十四日、厚生省の「結核対策の現状」調査でわかった。」(1990.5.15.毎日新聞)と報道された。しかしその後十六日に行われたはずの公衆衛生審議会の結核予防部会の審議結果は報道されていない。その記事によると
◇人口10万人当たりの新規結核患者数は、昭和37年 403.2人、昭和61年46.6人
その後は毎年45人前後で昭和63年は44.3人
◇15-19歳の罹(り)患率は昭和60年12.6人、昭和63年11.1人と大きな変化が
ない。
◇人口10万人当たりの結核死亡率も昭和62年調査で、日本 3.3人、アメリカ
0.7人、イギリス 0.9人、フランス 2.1人、
◇厚生省はこの結果を分析して「結核に対する関心の薄さが問題」としている。
☆ その直後の1990.5.17.毎日新聞には「在日アジア人日本語学校生の結核患者が多数」とおおげさに報じています。これは「東京、大阪の日本語学校92校の約1万3千人から60人近い結核患者が見つかり、発見率は0.43%で一般の学校の0.01%の40倍」というものですが、日本の20~30代の発病率0.03%の14倍です。在日アジア人に限らず、発展途上国の自然陽転率が高いので、日本語学校生の社会経済状態の悪さから考えれば60人弱の発病者が出ても不思議ではありません。山谷、釜が崎を始め日本の低所得者層の沈殿している地域はもっとはるかに高いのです。それより在日外国人に対して健康保険制度に加入させないなど、社会福祉から除外していることの方が問題ではないでしょうか。
☆ 1989年10月の日本小児科医会ニュース第11号では、「小児結核の見直し」特集を組んでいますが、結論が出ないようです。各地方ブロック毎の報告の中で、対策を見ると・・・◇患者の受診の遅れ、一般住民の結核検診への受診率の向上、結核定期検診の受けられない集団の問題、健診にもれた者および有症状者のすみやかな診断、
◇医師の診断、治療の遅れをなくす。
◇小児のINH予防投与。不要な化学予防を是正し必要な化学予防を普及させる。
◇在日アジア人など外国人への
結核予防対策。
◇「ツ」反応、BCG、陽性者への対応などの問題。
◇BCGの定期的接種、ハイリスク者の追跡、結核サーベイランスの活用。
結核に関心の強い小児科医たちの意見で、少しは予防も考えているようですが、これでは結核は遅々として減らないのではないでしょうか。
☆ 厚生省は、医師や国民の関心の薄さが問題としていますが、関心をもっても現状は変らないでしょう。厚生省の結核を減らす対策は、BCG接種の強化、胸部の集団検診の徹底、そしてかかった人が早く自分で病院へ行き、医師に早く結核と診断してもらい、早く治療を受けることしかないのです。
結核の専門家の見解では、患者が医療機関に折角かかっても、結核と診断を受け、適切な治療を受けるのに時間がかかり過ぎると云います。このことは別に最近始ったことではなく、それ故対策も立たないのです。
☆ 結核は排菌者が未感染のこどもたちや大人に感染させることから始まるのであって、排菌者(発病者)を減らすしかないのです。結核専門医たちの様に、結核は薬で治る病気だからと云って、発病した人を見つけて治療して行けば良いとする考えでは、これ以上結核を減らすことは難しいのです。治すかたわらで新しい患者が作られているのですから。いまや結核を減らすには、早期発見や早期治療ではなく、発病予防しかないのです。もちろんすぐ発病率減らすことはできませんが。
§6. 最後に
インフルエンザ・ワクチンと同様に、日本では行政と業界との癒着が現状の変革を困難にしています。BCGワクチン・メーカーと医師会、レントゲン・フィルム・メーカーと検診業者、検診をしている医療機関などの多数が現在の結核医療に寄生しているので、運動を起こさない限り改善は実現しません。
文献
1.ルネ・デュボス夫妻「白い疫病-結核と人間と社会-」1952.結核予防会(1982)
2.C.F.サムス「DDT革命」(サムス回想録1962の一部訳)岩波書店(1986)
3.Nelson ”Pediatrics”13版
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5.American Thoracic society ”BCGVaccines for Tuberculosis”1975;
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