篠原美也子“place”(2001年)を、セルフカバーアルバム“half moon”(2005年)より、聴いてみる。
ただいまの歌、受け付けの歌は、4年でセルフカバーだったのか、と、今頃、思う。
篠原美也子の2002年ナンバー、『ここはなんてあたたかくて』を、アルバム“bird's-eye view”(2002年)から、聴いてみる。
心淋しくならない場所は、きっと、あったかいだろう。
篠原美也子『前髪“album version”』(1997年)を、
アルバム“Vivien”(1997年)より、セレクト。
そう言えばあったっけ……で、聴いてみる。二度とない失恋を、みた気持ちになりそうである。
1993年の篠原美也子のアルバム『満たされた月』より、1993年のナンバー『恋人じゃなくても』を、聴いてみる。
どうせ聴くなら、2週間後の方が良いか?なんて思うが、そんなネタとの融合なくとも、このナンバーは、良曲として、ここにある。
篠原美也子の2010年のナンバー、“Fly”を、アルバム『バード・アローン』(2010年)から、ピックアップ。
終わりと始まりの声が聞こえる時分だけれど、そんな時だけのセレクトではなく、いつでも、あって欲しい、“Fly”。
篠原美也子の1998年のナンバー、“Like 17”を、セルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)から、聴いてみる。
世に出て、5年で、セルフカバーだったのか、と、今頃思う。
篠原美也子“S”を、アルバム『新しい羽根がついた日』(2001年)から、聴いてみる。
続きも続いて、同じ場所に戻る事は、これからも、きっと続く。
篠原美也子の1993年のナンバー『ひとり』の“Live Version”を、オムニバスアルバム“TOKYO HYAKKA OMUNIBUS ALBUM Vol.1―‘‘うたはどこへでもいける,, 百歌集~色は匂へど散りぬるを~―”(2002年)から、ピックアップ。
折りに触れるナンバーでもあり、ありふれた日常にもあるナンバー、でもある。
化粧のないスッピンなアレンジにも、味があって良いな、と思うが、最早、再会は出来ない。
2003年の福娘。のシングル『夏ノ花』より、2003年の篠原美也子のナンバー、『ダイヤモンドダスト』を、セレクト。
負け戦の連続。しかし、そこに、輝きがある……それは、リアルを飛び越した現実の先である、筋書、の中でである。
篠原美也子の2004年のセルフカバーアルバム“Everything is passing”から、“Time is ripe”(1993年)を、聴いてみる。
明の中の闇、という感じの雰囲気があるな、と、今頃、ちょっと感じる。