読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

紫陽花 みちのくあじさい園にて

2020-07-05 21:40:17 | 
7月5日、一関市のみちのくあじさい園へ行ってきた。

日曜ということもあって、混雑していた。第3駐車場を指定されたが、結局は路上駐車を指定され、そこからシャトルバスもなく歩く、歩くといっても平地ではなく、坂道を登るのである。
マスクをしているので息もつらく、メガネは曇る。

というわけで、紫陽花の花です。







続いては青系











いろいろな紫陽花があるんです。












さらに









最後は、乃木坂パープル(私が勝手に命名しました)


おまけに、ヤマボウシ

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雄勝 バラ

2020-06-11 20:47:36 | 観た、聴いた
6月6日土曜日、雄勝に行ってきた。
こんな時に出かけるのかという気持ちはあったのだが、何しろ天気が良かったし・・・申し訳なし。

雄勝は震災前に訪れ、その後は行っていない。
津浪で大きな被害が出ているという事を聞いていて、こちらの気持ちが整理できるまで行くまい、と思っていたのだが「バラ園がいい」ということを伝え聞き、いい機会なんだと行ってきたのである。

トンネルを抜けて下ってきたら、もう景色が違っていた。高い防潮堤が作られていた。

先ずは、雄勝硯伝統産業会館、観光物産交流館へ。これは後で知ったのであるが、5月21日に1カ月遅れで開館した施設であった。



観光物産館で寿司でもと思ったのだが「待ち」が発生していた。コロナの影響で、満席にできないための措置のよう。
なので、隣の「うずまき眼鏡珈琲店」でアイスコーヒーを購入し、外のテラスでいただく。珈琲屋さんはまだ仮の状態で、本日はアイスコーヒーのみ。



海は穏やか。



さて、バラ園。



「雄勝ローズファクトリーガーデン」が正式名称。

では園内の写真を。









そしてアップで















ついでにクレマチスも


ソフトクリームとコーヒーをいただきました。


次回は、寿司を食べよう。

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プレゼント 依頼人は死んだ <羽村晶シリーズ>  若竹七海 

2020-06-02 17:32:44 | 読んだ




最初に、NHKのドラマを見た。
羽村晶をシシド・カフカが演じていた。

なんだこれ?
というのが印象であった。
というのは、近頃のドラマというかテレビ番組は、すごく説明が多いのだ(別な言い方では親切が過ぎる)。このドラマは説明が不足なのではないかと思うくらい、観ているこちら側に委ねている部分が多いと思ったからである。

それが、いやだとかは思わなかった。
むしろ、困難でいいんじゃないの、と思っていたのである。

それで、小説に挑んだのである。

そうしたら、小説のほうがまだまだ不親切なのである。

私はどちらかといえば、スイスイ読んでいく、一言一句の意味などそっちのけで、ひたすら「スジ」を追うタイプの読み方である。
その読み方で進めると、特に、読んでいる途中で時間が空くと、あれ?なんでこういう展開になっているんだっけ?
と、思うことが多いのである、

とうとう俺も相当いっちまったナ!
と思ったくらいである。

で、物語の最後は、落語でいえば「考えオチ」のようなので、たまには「エッ、エッ、どうなってるの?」と思うのである。

だからといって、面白くない、とは言えない。
面白いのである。

だって、主人公である羽村晶が女探偵というところが面白いではないか。そして舞い込む事件もナカナカ複雑である。
羽村晶その人も、ナカナカ不思議。
こういう人は、遠くで見ているに限る。
絶対、親しくなってはいけない。

そういう人は物語の主人公足りうるのである。

まだシリーズはあるのだが、こちらの気持ちが落ち着いたら読んでみよう。
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氷の轍 北海道警釧路方面本部 刑事第一課・大門真由 桜木紫乃 小学館文庫 

2020-05-31 22:14:00 | 読んだ


「釧路」が舞台。
でも、釧路の印象悪い。

暗い、寒い、何もない。
という印象を受ける。

物語は、副題にあるように「刑事・大門真由」が主人公である。
彼女の管轄地域で殺人が起きる。
まず被害者の身元を特定するのに時間がかかる。
札幌に住む独居老人。

また捜査中に、釧路に住むかまぼこ店を営む家族と出会う。
小さな蒲鉾店に潜む「金」の謎。それを追ううちに抱く違和感。

被害者を追い、八戸まで追う大門。(と、先輩刑事・片桐)
そこで知る、昔の話、つらいつらい貧乏の話。

この話が、ちょっと時代錯誤ふうなのが気なる。
そういう話が現代に聞くことができるのか?
というふうに思った。
携帯電話と昔話が合わない、と感じてしまった。

なんというか、横溝正史の世界、のようだった。

暗く寒い感じや、時代錯誤というようなことを感じながらも、面白いのは面白い。
加害者に同情してしまって、もうこれ以上謎を解かないほうが、被害者にも加害者にも警察にとっても、そして社会にもいいんじゃないの?
と思ってしまう。
いにしえの名探偵であれば、事件の解決を2種類示して真相を葬るところである。
でも、この物語の探偵さんは警察なので、真相を採用する。誰も幸せにならないのに。

さて、この本のあとがきは「塩見三省」さんである。
何故なのかなあ、と思い読み進めると、なんと、この物語、テレビドラマになっていて、塩見さんは大門真由の父親役である。
この父親は脳梗塞で倒れ左半身が不自由なのである。
塩見さんも脳出血で倒れ左手足に障害を抱えた。
テレビでの大門真由の父は末期がんという設定だったということであるが、塩見さんは役柄に自分を重ねた、そんなことを書いている。
びっくりした、そうだったのか。

この物語はそういうことを抱えている。

テレビ版をみていない、見てみたい。












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戦国幻想曲 池波正太郎 新潮文庫

2020-04-29 11:37:33 | 読んだ


近頃はキンドル(kindle)で読書だったが、なんだか味気ない感じがしてきて、久しぶりに文庫本でも読もうかと思い手に取った本である。

実は2017(H29)年5月に購入してそのままにしていたものである。
この3年間は、趣味の読書というより「読まねばならぬ」ものがいっぱいで、とてもとても本を読む気になれなかった。
といいながら、少しづつ読んではいたのだが、感想という感想を持たないものだった。

さて、戦国幻想曲である。
主人公は戦国期に生きた「渡辺勘兵衛」である。
こいつが一風変わったやつで、こんなやつとは深くかかわりたくない、のが私としての感想である。
イヤ、わかるのよ、こいつの信念は。
いいのその信念で。
でもね、他人のそれも割と頑固な信念は、付き合うとつらいのよ。

で、読み進めると、渡辺勘兵衛よりも池波正太郎の「すごさ」のほうが感じられるのであった。

先ずは「空白」である。
本は文字がびっしりと詰まっているのもいいと思う。
でもね、近頃は「読まねばならぬもの」読んでいるといったけど、それはねえ「漢字」がびっしりと改行もなく連なっていたり、その中に聞いたこともないようなカタカナが入ってたり、或いは英語が縦書きで入ってたりするんだ。
わかる、わかるんだけど、読むほうはつらいよね。

それがこの小説はいい加減の空白がある。

そして、もう一つは「ひらがな」なんだよね。
近頃の読物は、これでもかというくらいに「漢字」多用なんだよね。
『私(筆者)はこれだけ漢字を知っているんだぜ!』
というくらい、漢字がおおいのだ。これは多分パソコンなどで執筆しているからだと思うのだが・・・

そういえば、以前仕事で若い人たちの報告書なんかを読むと
『お前、絶対この漢字の意味しらないよな』
と、言いたいくらいのものを書いていたりしたが、あれはパソコンだよね。

池波正太郎の小説は割とひらがなが多い。
たとえば、この物語の出だし

『きくまいとしても、耳へ入ってしまう。
 夜着をあたまからかぶり、両耳を押さえてみても、聞こえるものは聞こえる。』

となっているが、この文章を普通に書けば

『聞くまいとしても、耳へ入ってしまう。
 夜着を頭から被り、両耳を押さえてみても、聞こえるものは聞こえる』

となる。(と思う)
「聞く」とか「頭」は普通に漢字で書くでしょう。

ひらがなの効果は、私の思うには「読む」ことにあると思う。
漢字は「見る」ので、つい流しがちになるが、ひらがなは読む。

そしてもう一つは、この物語、いや池波正太郎の小説、エッセイ全般を支えている「人生観」を感じることである。

なにかを発表することは「人生観」を発表することではないだろうか?
そう思うのである。

池波正太郎の「おとな」の人生観である。

人はスパッとは割り切れない、複雑なものなのだ。
近頃は「キャラ」とかいうけれど、キャラを裏切るのが人ではないのか。

そんなことを考えてしまった。

本書の主人公の渡辺勘兵衛も「いまわのきわ」(今際の際)の父から
『汝、女という生きものにひきずられるな、よいか。女、とは・・・可愛ゆうて、おそろしい生きものよ。男の立身も出生も、みな喰いつぶしてしまう生きものよ』
といわれ、守ろうとするが、男の弱さに引きずられてしまう。

あれあれ勘兵衛どうした?!
と思ったりするのだ。

久々の池波正太郎、ひさびさの文庫本。
よかった、よかった。




 








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