読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

関が原 司馬遼太郎 → 映画

2019-06-03 11:50:25 | 観た、聴いた
昨夜、テレビで司馬遼太郎原作の映画「関が原」を見た。

近頃の歴史映画やテレビは、どうも独自の解釈によるものが多くて、戸惑ってしまうので遠慮しているところなのだが、昨夜は、ちょうど見るべきテレビ番組もなく、司馬遼太郎原作であれば、それほど無茶な解釈による脚色はしないだろう、もししていたら途中でやめればいいと思い、見たのである。

で、結局のところ原作の解釈を大きく壊すことなく終了した。

ところで、私は「明智光秀」と「石田三成」には同情的なのである。

「あなたの考えていること、思っていること、怒っていること、よくわかる」
と言ってやりたい。

この二人の考えていることは多分に「正しい」と思う。

明智光秀に対する織田信長・豊臣秀吉

石田三成に対する徳川家康と味方するいわゆる武断派

では「正義」は明智・石田にあるといっていい、と思っている。

但し、正義が必ず勝つかというとそうではない。
そのあたりが、この二人はよくわかっていない。
そして「私も」なのである。
だから、この二人には同情的なのである。

昨夜の映画の中でも

石田三成(岡田准一)は
「正義と不義では正義が勝つ、勝たなければおかしい」
というようなことを言っていた。

一方、徳川家康(役所広司)は、息子の松平忠吉に
「勝つことが決まっているのに、何故戦をするのか?」
と聞かれ
「博打だ。博打(戦)をして勝たないと勝とは言えない」
と答える。

この考え方の相違なのである。

明智、石田は「理屈が正しければ社会も従う」と考えている。
徳川家康、織田信長、豊臣秀吉は「勝てば社会は従う」若しくは「勝って社会を従わせる」と考えている。
従って「どう勝つか」が大きな事柄になる。

映画面白かったです。
但し、岡田准一は石田三成にしては堂々とし過ぎている。役所広司のほうが石田三成のイメージに近いと思った。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わたし、定時に帰ります 朱野帰子  新潮社(kindle版)

2019-04-17 11:31:13 | 読んだ
昨日から、テレビドラマの放送が始まった。

テレビの感想から申し上げれば、原作との大きな違和感はなく、これからどうなるのか楽しみ。というところか。

主演の吉高由里子は、原作のイメージかといえば、そうでもあるような少し違うような、まあ、小説とドラマは違うものだから、原作に忠実でなくても、私は許せるので構わないのだが。
若干違和感があるのは、福永部長のユースケ・サンタマリアと諏訪巧の中丸雄一かな。
毎週火曜日の楽しみとして見続けてみたいと思います。



さて、物語であるが、題名のとおり「わたし、定時に帰ります」をモットーとしている東山由衣が、周囲との軋轢をどう乗り切っていくのか?ということがテーマになっている。

「定時に帰る」ということは、本来「当たり前」のことであるが、なかなかそれが実行されない。それがこの物語の主幹である。

わたしにとって「なぜ残業するのか」ということは仕事上におけるテーマでもありました。

そもそも「時間外勤務」は上司の命により行うもので、自発的に行うものではありませんが、概ね自発的に残業している例が多かったのが私のいた職場でした。
残業をする理由は概ね次のことではないかと思っていました。
1.仕事量が多すぎる。
2.仕事の質が高すぎる。

この二つは「その人にとって」ということで、他の人が同じ仕事をすると割と簡単にやっていることもあります。
それは、他の人が「能力が高い」か「手抜きをしている」かのどっちかです。

次は
3.時間外手当が欲しいから(財政的問題)
4.家に帰っても何もすることがないから
5.家に帰りたくないから

これは、仕事があるとかないとかではありません。

まあ、そんな経験をもとに読み始めたのですが、私の考えは甘かった。

能力や体力の限界を超えた残業はあるのだ。
それは「分不相応」な仕事の質と量をしなければならない状況を作ることにある。

しごとの受注に際して無理をする、発注者からの無理なお願い(実質的には命令)を受ける。
ということがあるわけで・・・・

仕事の進め方、やり方を決めて仕事をするのが、定時で帰る、方法なのだが・・・
それは「理」であって、仕事には必ず「情」の部分がある。
その兼ね合いが難しい。

主人公の由衣は、かたくなに「定時で帰る」ことを守ろうとするが、それを崩していこうとする「情」があったり、更には「理」があったりして、七転八倒する。

日本は今、働き方改革、などといって働き方に重点を置いているが、実は、日本人全体として生活サイクルについて考え、幸福とは何かを見つめなおさないと、働き方は改革したが、別なところで多くのほころびが出てくるような気がする。

「働き方」は手段であって、どこになにを「目的」としておくかによって、変わってくるものではないだろうか。


そんな小難しいことを感がえないで、ボーっとドラマを見ていこうかと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマへの遺言 倉本聰 碓井広義 

2019-04-10 17:34:14 | 読んだ


倉本聰の脚本で「やすらぎの刻~道」が今秋から始まった。

私は、前回の「やすらぎの郷」は、居合わせたときには見たが、積極的には見ていない。そして、今回も「見ない」予定だ。
理由は「毎日見るのが大変」だからだ。
連続もののテレビ番組や、月刊誌・週刊誌の記事・小説等は見続けることが大変だ。特に、近年はなんというか「既視感(デジャブ)」が発生し、あれ?これ前にも見た?という状況だったり、前回の続きを思い出すまで時間を要したりするので、できるかぎり「一話完結」「読み切り」を選択するようにしている。

で、倉本聰である。
この人の脚本で、まじめに見たのは「北の国から」だけではないかと思う。
「前略おふくろ様」は2シリーズだったが、どちらもまじめに見ていない。多分再放送のみられるところだけかと・・・
そういえば、二宮和也の「拝啓、父上様」は見た。

それから、NHK大河の「勝海舟」は見ていた。途中で脚本が変わったということには何ら興味がなかった。
主演が渡哲也から松方弘樹に変わったのは知っている。

というわけで、倉本ドラマにはあまり熱心ではないのだが、なんだか興味があって、本を読んだりしていた。

で、今回は「ドラマへの遺言」という、
『本書はさまざまな風評に彩られた師匠に、不肖の弟子が過去と現在の一切合切について聞き取りを行った一冊』
を読んでみたのである。

倉本聰の生き方・考え方は非常に面白い。
というのが大きな感想である。

でも、
近くにはいたくないなあ。
というのもある。

ちょっと遠くから見ていたほうが、ためになるし、面白いし、いい人だなあ、と思う人がいる。

「いいなあ」とか「尊敬する」とか「憧れる」みたいな気持ちで、離れていたほうがいい人がいる。

で、近づくと、火傷したり、怪我したり、凍傷になったりするのである。

倉本聰はそういう人なのではないかと思った。
もちろん、そういう人の近くにいても、火傷も怪我も凍傷もおわず過ごせる人もいるし、火傷するのがいいのよねえ、という人もいる。
ただ、私としては、ちょっと距離を置きたい人、と思ってしまったのである。
近くにいる人は大変だなあ、と思ってしまったのである。

この気持ちってもしかしたら近づいてみたい、という気持ちなのかもしれない。

倉本聰って「何が面白いのか」を追及し「それをどう表現するのか」ということを実践している。と感じた。
それは、これまでの経験の積み上げでもあるのだろうが、いつも何かを探し、何かに怒り、何かを壊したいんだろうなあ、と思うのである。(私が言うのはまったく不遜の極みであるが)

「生きる」って何なのだろうか?
が私の今のテーマであるのだが、本書はそのテーマを別の角度からというか改めというか、考えさせてくれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教抹殺-なぜ明治維新は寺院を破壊したのかー 鵜飼秀徳 文春新書kindle

2019-03-04 22:00:18 | 読んだ
日経新聞の土曜日に連載されている本郷和人の「日本史ひと模様」が面白く、毎週楽しみにして読んでいる。
「本郷和人はイイ」というのが私の感想であるが、3月3日「ビートたけしのTVタックル」に出演していたのを見て、この顔かあ!と思った。
申し訳ないが、顔からの印象では「あやしい奴」なのである。
『えーっ!』と思ったが、文章から見ると信頼できるので、自分自身で「まあまあ」となだめたのである。

で、この「日本史ひと模様」2月2日付で紹介されていたのが、本書「仏教抹殺」なのである。



どういうことかというと、いわゆる明治維新後の「廃仏毀釈」のことなのだ。
私の記憶では教科書もしくは授業で「廃仏毀釈」を習い、それは明治政府の命令だと思っていた。

そうしたら、違うらしいのだ。
明治政府が出したのは「神仏分離令」で、神と仏の分離だった。
「廃仏毀釈」とは「廃仏毀釈運動」のことなのだそうだ。

では、なぜ神仏分離が廃仏毀釈になったのか、というと4つの要因を著者(鵜飼)は上げる。

1.権力者の忖度
2.富国策のための寺院利用
3.熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
4.僧侶の堕落

なのだそうだ。

そして、
「明治維新というエポックは、宗教詩的に見れば『国家仏教』から、『国家神道』への突然の転換」
「廃仏毀釈は日本が古来醸成してきた文化、精神性をことごとく毀した」
ということなのだそうだ。

私は、大きな誤解をしていたのだが、天皇家は神道であったが、仏教も厚く信仰していたのだ、ということが分かった。
私は、神道の天皇家が実質的権力を得たのだから神への信仰を求めることは当たり前であると思っていた。
どうもそうではないことが本書を読んでわかった。

更に、これも今まで知らなかったことだったのだが、廃仏毀釈運動によってその地域に寺院がすべてなくなったところがあるということだ。

寺院と神社が同じ敷地内にあり、双方が深くかかわっていた、いわゆる「神仏習合」(神仏混淆)は、仏教伝来以来1350年間続いたものであり、神仏分離しているのは明治以降150年間だけなのだそうだ。

いやあ、読むもの読むもの「目に鱗」なのであった。

これで、これから「御朱印」をいただくにあたって、更に深く考えることができる。

著者にはもう2冊ほど著作があるらしい。
ただし、キンドル本ではないようなので、迷っているけれど、読んでみたい。

いやあいい本に出会った。
本郷和人に感謝、である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精霊の守り人 上橋菜穂子 キンドル版

2019-02-10 11:59:54 | 読んだ

近年、何巻もある物語を読み続ける「根気」というか「情熱」がなくなってきている。
たとえ、1巻目が面白くても、次に続いていけない。

以前は長ければ長いほど読むのが楽しかったのだが・・・

精霊の守り人は、いつか読んでみたいと思っていたのだが、長いシリーズだということがネックになっていた。

で、NHKで綾瀬はるか主演で実写化されると聞いて、やっぱり読もうかと思った。
しかし、本屋の棚の前にいくと、持ち前の優柔不断の性格が遺憾なく発揮され、手が伸びなかったのである。

そのうち、放送されたのであるが、やっぱり原作を読んでからと思い、録画した。

しかし、2部、3部と放映されていくと、さすがに焦った。

そんな時、とある書店で、老婦人(70代と思しき)が
「精霊の守り人は、どこにありますか」
と、尋ねる声が聞こえた。
書店員に案内され、シリーズの前に立つと、思わず息をのむ気配がした。

たぶん私と同じ「こんな長いものは読めない」と思ったのだろう。

気持ちは十分に察した。

それで、私は思ったのである。
「まずドラマを観よう、綾瀬はるかを見よう!」
そんなわけで、原作を読まずに、録画したドラマを見た。
ただし、第1章のみ。
現在も第2章以降見ていない。

登場人物、国と国の関係など、やっぱりドラマではなかなか覚えきれないし、綾瀬はるかのアクションに目を奪われるのみだった。

で、今もってぐずぐずしていたのだが、キンドルがあるじゃないか、と思ったのである。

キンドルならサクサク読める、で、面白くなかったらやめればいい。
それで読んだのである。

綾瀬はるかが文字の中から出てくる!と思った。
そして、原作のイメージどおりの画像になっている、と思った。

原作を読んで、映像に思いが行くとは思わなかった。

というわけで、2章は先に原作を読もうと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする