読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

24th とうほく蘭展&ガーデンフェスタ2019

2019-02-04 21:31:20 | 日々雑感



蘭展の2日目、1月31日に行ってきた。

平成27年以来だから4年ぶりで、5回目である。
別に、蘭が大好きなわけでもなく、行き始めたころには「花」にもあまり興味がなかった。

妻に連れられて(真相は運転手)行くうちに、なんとなく「いいかなあ」と思い始めた。

昨年は行こうと思っていたのだが「中止」だった。


いつもは土曜日か日曜日だったので、混んでいて、蘭を見に来たのか人を見に来たのか、という状況。
そこで、今年は金曜日に行くことにした。
到着が、11時ころだったので、やっぱり混んでいた。混んではいたがいつもとは違う。
団体用のバスがあまりないこともあって、ドヤドヤ感が少ないのだ。
そして、午後からはずっと空いた。

昨年休んだということもあるのかと思うが、ゆっくり見て回ることができる状態だった。

というわけで、以下は、写真で。(カメラを忘れていったので、スマホで撮影。やっぱり一眼レフがいいみたい)





大賞の作品


ブルーリボン


私好みの花たち

  



ちなみにお魚たちも





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蜩ノ記 葉室麟 祥伝社文庫

2019-02-04 20:36:38 | 読んだ
読もう読もうと思って昨年9月に購入していたのだが、なんだかアレで読まずにいたのだ。

何故読もうと思ったかというと、映画を見るためである。
原作のある映画(邦画)を見るときは、原作を読んでいないとなんだかイヤなのである。
何故なのか?はわからない。

もしかしたら、あの角川映画「人間の証明」のテレビコマーシャルで流れた
『読んでから見るか、見てから読むか』
の影響かもしれない。

あの時は「読みながら見る、見ながら読むか」ではだめなのか、なんて思ってたけれど。

あのあとからは、原作を読んだ映画を中心に見ていた。

というようなことから、BSで映画を見る前に読もうと思っていた。
が、間に合わず、映画を先に見て原作を後から、つまり「見てから読む」になってしまった。

映画と原作というのは、原作の世界をどう映像化するか、ということと、原作との違いがどう生きているのか、ということである。
私は、原作のとおりの映画であろうと、原作と違う展開の映画であろうと構わないので、その違いというのも見どころになるわけである。

そんなわけで、今回はその楽しみがなくて映画を観たのである。
そして、原作である。

映画を観てから時間をおいて読んだせいか、原作と映画では大きな違いがなかったように思えた。
一部、原作に登場する人物が映画では省かれていたくらいかもしれない。

葉室麟の小説は、藤沢周平の描く世界に似ている、と最初に読んだ時から思っていたが、本作は「羽根藩」シリーズの第一作で、藤沢周平の「海坂藩」シリーズとの何らかの関係性を感じる。

葉室麟と藤沢周平の描く世界が似ているというのは、どちらも人の持つ「普遍性」を中心に描いているからだと思う。



本書の主人公:豊後羽根藩の元郡奉行戸田秋谷は、7年前に前藩主の側室との密通の罪で家譜編纂と10年後の切腹を命じられている。
10年後には確実に死ななければならないのである。しかも自らの手で。
罪は冤罪である。

檀野庄三郎は、親友と城内で刃傷沙汰を起こしたが、特別の計らいにより切腹を逃れ、秋谷の下に家譜編纂の補助と秋谷の監視に派遣された。

庄三郎は、非常に悲惨で残酷な運命の中にいる秋谷とその妻そして秋谷の娘と息子との生活する中で、秋谷の清廉さに触れ、村人たちとの交流により、人間として成長していく。

物語は、秋谷の寡婦編纂における謎解き、村人と羽根藩との確執などを経ながら、最後に向かう。

さて、秋谷は切腹するのか?
切腹の意味はなんなのか?

読み終わると、大きな澄んでいる空気に包まれ、生きるということのありがたさを知る。

死にたいと思えるのは、もしかして幸福で贅沢なことなのかもしれない、本作の設定を知るとそう思う。

映画とは別の感動がある。

その姿を見た、
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継続捜査ゼミ 今野敏 講談社(キンドル本)

2019-01-27 21:20:14 | 読んだ
近頃は「kindle(キンドル)」での読書が多くなった。
持ち運びに便利だし、寝転がって読むのも楽だし。



以前はどこかへ行くときには、どの本を持っていこうかと悩み、途中で読むものがなくなることの危機感、涸渇感を予防するため2~3冊を持ち、結局は読めなかったり・・・

kindleは、その辺がいい。読みたい本はあらかじめ購入しておけばいいし、途中で読みたいものが出てきたらダウンロードという手がある。課題は、書籍にあってkindleにない本があることだが、どうしても読みたいならば書籍を購入すればよい。
兎も角、今はkindleで本を読むことにあまり違和感を感じなくなってきている。

というわけで「継続捜査ゼミ」である。
今野敏の警察小説といえば、私はなんといっても「隠蔽捜査」シリーズである。主人公:竜崎信也の変人っぷりが「正しい」ということが痛快である。変人なのに正義というか、正義を全うするには変人にならなければならない、というところがいい。
正義を貫けば事件は解決するという当たり前のことが、すごく難しいということを知っているから、読めばカタルシスを得る。

継続捜査ゼミの主人公「小早川一郎」もどこか竜崎を思い浮かばせるというような、この本の紹介文を読み、それでは読んでみようかと思ったのである。

小早川一郎は、警視庁を退職後に幼馴染の幼馴染の三宿女子大:原田郁子家政学教授の紹介で三宿女子大の人間社会学部准教授となり、その年教授となった。専門は「刑事政策概論」である。
教授となったその年、3年生を対象に刑事政策演習ゼミ(継続捜査ゼミ)を開設する。
この設定が、ありそうでなさそうで「んな、アホな!」という突っ込みを入れたくなるところだが、探偵小説の設定はそんなものではなかろうか?

ゼミ生は5名。当たり前のことだが全て女子である。

小早川教授はゼミの演習として、未解決事件を取り上げる。つまり「継続捜査」をゼミで行うのである。
いい設定ですよ、是非テレビドラマとしてやってほしい。
5名のゼミ生の、身体的特徴、得意技(?)まで設定しているので、いいかもしれない。

そして、このゼミにはオブザーバーとして警視庁からも現職刑事、警察官が最終的には4名が参加する。
そりゃ、女子大生と一緒に事件を考えるのだから、誘わなくてもやってきますよ。
それに正規のゼミの後には、飲み会があるのですからね。

取り上げた事件は15年前に発生した「強盗殺人事件」
この事件を5名のゼミ生は少しづつ解いていきます。
その間に、このゼミでは実際に学内で起きている事件をも解決していきます。

女子大生たちの得意技をうまく発揮させ、小早川の経験と合わせて事件を追っていくのは面白いです。
何しろ、現場検証やら証人たちへの聞き込みまでするのですから・・・

というわけで、このシリーズ注目です。(継続捜査2も既刊です)

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トラぺジウム 高山一実 KADOKAWA

2019-01-25 10:48:56 | 読んだ
私が、乃木坂46のファンであることを知っている人は少ないが確実に存在する。
しかし、『推しメン』が<かずみん>こと高山一実であることを知っている人はまずいない。
なぜなら、乃木坂46でそこまで突っ込んで話をする人がいないからである。

そもそも、私は中学時代から「アイドル好き」で、いろいろ注目をしてきている。
近年はAKB48にもはまっていたのであるが、何しろあそこは系列を含めるとメンバーが多すぎる。
目移りする、というよりは、誰が誰だかわからなくなってしまった。
そこに登場したのが乃木坂46であって・・・・

まあ、私の場合はテレビとかユーチューブとか雑誌とかでみるだけであって、そんなにコアなファンではないのであるが・・・

アイドルの話は、とてもとても長くなるので、また後日することとして、

今回は推しメン高山一実の小説「トラぺジウム」である。



表紙の帯には
『現役トップアイドルが描く』
『アイドルを目指す女の子の10年間」
とあり、小説家中村文則の「これは一つの青春の終わりから、次の青春へ向かう物語」というメッセージ。



帯の裏側には、小説家羽田圭介の「時折あらわれる、鋭い“いじわる”表現が良い」というメッセージがある。

ちなみにこの本はアマゾンで予約して購入しました。

12月24日に届いて、まあ2~3日で読み終わるだろうと思っていたのだが、なんと半月ほどかかってしまった。

その原因は「読みづらさ」にあるんだと思う。
近頃の若い子が書いている文章なので、なんとなく違和感がある。

それはまさに「ジェネレーションギャップ」であった。そして「アメイジング!」

サンドウィッチマンの「ちょっと何言っているかわからない」状態で、ページが進まなかった。

『まるで純金インゴットのような光を放つ彼女』『5畳に凝縮された部屋』『母親の買ってきた服をそのまま着ているようなコーディネートは好印象である』『角膜レベルでの変態』

なんだ?何故だ?
ということで、なかなか前に進まなかった。

私はディテールや比喩などにはあまり反応しないタイプなのであるが、今回はそれに引っかかってしまった。

でも、中1日とか2日とかで読んでみて(ときどき前に遡って)、徐々に、そのペースというか形態というかやり方に慣れ始めてきた。

もしかしたらジェネレーションギャップを埋めることができるのか?
ポジピース!

『理想は一人で描くもので、期待は他者に向けてするものだ。もう期待することはやめよう。』
『見上げると空が青黒い。コケの生えた青いプールサイドと茶色い水は今の自分にふさわしい。』

主人公「東ゆう」(あずまゆう)にそう言われると応援したくなるではないか。

さて、この物語は、主人公「東ゆう」がアイドルをめざして、自分で計画を立て実行していく物語である。

自分を含めて4人のユニットを結成するところから始まり、そのユニットをどのようにしてアイドル化していくかがつづられている。

その間には、いつもの挫折があり、いつもの成功があり、いつもの失敗がある。
「いくつも」ではなく「いつもの」という、ごくごくあるだろうというレベルである。
つまり、ストーリー的には『まあ、なんというか』のレベルなのであるが、主人公の気持ちを語るところが通常の成功、失敗、挫折と違う。

もしかしらもう古くなっているのかもしれないが、私から見れば、今の考え方、今の言葉、今の行動力で主人公は進んでいく。

私はいつも若い人に対して「その自信はどこから来るのか」「自分がよければ他人もいいのか」なんで考えていたのだが、この小説を読むと、根っこの部分では以前と変わらないということがわかる。

いつの世のことでもあるが、やっぱり「生きづらい世の中」というのは普遍的なのであり、何が生きづらいのかということも普遍なのである。

それにしても、読み終わったときに感じた「ああ、おわり?」という気持ちは、物語の中から解き放たれた安堵だったのか、もうちょっと居てもいいかなという心のころりだったのか、自分でもよくわからない気持ちだった。



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万年筆

2018-09-15 21:04:50 | 日々雑感
私、文房具が好きです。
文房具店で、時間をつぶすの好きです。

サライ 2018年10月号です。



右上に「若冲万年筆」が特別付録となっています。
これダメです。すぐ買ってしまうのです。

『万年筆好き』で『付録好き」なので・・・



これらは、全て付録の万年筆です。
左から3本目が、今回の「若冲万年筆」

これらの万年筆で、何を書くか?
書くものがないんです。

一応、インクを入れ書いてみます。
こう言うのもなんなのですが「書き心地」という面では、とびぬけていいものではないのが多いです。
長い時間、長い文章、では「ちょっとなあ」という感じですかね。

そこそこ使っているのは「ゴッホのひまわり」のやつですかね。「若冲万年筆」の右の青いやつ。

私の若いころは、仕事で作成する書類は「手書き」でしたから、筆記用具は大切なものでした。
といっても、多くの人は職場のボールペンをつかってました。

でも、わたし、ボールペンはイヤでしたね。

5枚複写の会計伝票以外は、デスクペンを使用していました。
今でも売っています、デスクペン。かっこよかったですよね。

ペンで書くと、間違ったときは「砂消しゴム」で消さなければならないので、一字一字真剣に書いていました。
当時、カッターナイフというのも出てきて、最初にカッターナイフで削って、次に砂消しゴム、最後に普通の消しゴムで仕上げ。
という作業をしてましたので、修正液、が出てきたときは助かりました。でも、間違ってもまあ大丈夫というのは、真剣味が薄れます。

そのうち、コピー機が「湿式の青焼き」から「乾式の白焼き」が登場(導入)してきて、原稿は鉛筆(シャープペンシル)で、清書は複写機ということになり、デスクペンの出番も減ってきました。
でも複写機も、最初のうちは、使用制限があって、今では信じられないでしょうが、課長の許可(印)をもらって複写していたのですよ。
だから、何回も間違ってはいられない。
だから、ちゃんと文書の推敲、校正して、辞書は必需品でした。

続いて、ワープロが文書作成の主流になってきます。
当初はドットが荒くて、会議の前に「本日の資料はワープロで作成しました」みたいな「ことわり」が必要でした。
だからワープロの文書は「公文書」と認められるまでわりと時間を要したのです。
それに、ワープロは「感熱紙」でしたので複写して「消えない」ものとすることが必要でした。

で、いよいよ筆記具は不要になってきたのです。

でも、イイ万年筆、欲しかった!




こちらは、お金を出して購入したもの。

一番右が最も古いもの。細字だったので、カリカリという感じでした。
カリカリ感は、いい時と悪い時があって、どちらかといえば悪い時のほうが多かったスね。




で、20年くらい前ですから40代前半に、サラサラと書けるものが欲しくて、左のプラチナ・プレジデント(中字)を購入。
仕事では使いませんでしたが、今でも結構使っています。用途は、何か考える、案をつくる、時の下書き用ですかね。

その右は、プラチナ・センチュリー富士五湖シリーズの河口(中字)。
退職記念に後輩たちから頂いたもの。(万年筆にします、といわれたとき、ものすごく嬉しかったです)
ブルーブラックのインクで使用している。

ほとんどこの2本で用が足りているのに、昨年また2本購入してしまった。



パイロットのキャップレス(ノック式)です。
黒がキャップレスマッドブラック(FC-18SR-BM)中字。
仕事で打ち合わせの時にシステムノート用で使おうと・・・、カッコイイ・・・と思った。
でも、かっこよすぎて、恥ずかしい。のと、中字はメモ用ということにはならないし、吸い取り紙必要だし。

というわけで、ブルーのキャップレスデシモ(FCT-15SR-LB)細字、を購入。
カリカリ感がいいです。

この2本はお出かけの際に携行することにしています。

でも、なぜか、メモはフリクションの4色を使うことが多いです。(笑)

そして、スマホのメモ機能(ギャラクシーノートなのでSペン)を使ったりしているので、いよいよ、なんのために買ったのか?!ということになっています。(苦笑)

特に「💡!」(閃いた)ときは、スマホ(メモとか音声)という手が近頃は出てきたので、メモ帳持ち歩かないし・・・

脱線しますが、💡が頭にパッとついたモノは、そのままではあまりいいものにはなりませんね。
そのあとに何回も何回も頭の中で整理していけるものが、モノ、になります。
そんなものなんでしょうねえ。
でも💡は必要です・・・ついたと思ったらすぐ消えてしまうのがこの頃の私ですけど・・・(嘲笑)


でもしかし(否定の2重化は肯定なのか、否定の強調なのか)

やっぱり、万年筆はいいスよ。
持っただけで、何か書こう!という気持ちになりますね。

「思索にふける」ときは、万年筆、です。
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