これも希望コミックスのカジュアルワイド。
とうとう5巻まできました。
この本を読み始めて、父が亡くなり、仏事にかかわることとなり、「仏の教え」について考えさせられている。
近年「般若心経」に興味を覚え、心がざわついているときなど、なんとなく書き写していると心が落ち着いてくるので、時々まあ写経というほどのものではないが、書いていたりする。
般若心経の教えは知識としてはわかるのだが、実際としてはどうだろうか?
ブッダを読むと、般若心経で弟子に説いた悟り(つまり「知識と実際の合致」とでもいうもの)を得るには、相当の期間とすさまじい経験があったのだということがわかる。
知識と実際の合致、というのは口にするのはたやすいが、実はできそうもないことだ。
自分が優しく接していれば、相手もやさしく接してくれる。
ということは、ある程度の経験があればわかることだが、誰にでもそう接することができない実際がある。
人が生きるということは、いったいどういうことなんだろうか?
ということを、近年考えさせられている私には、この「ブッダ」を読むと「ああ、今出会えたからこそ、感じるものが多いのだなあ」と、柄にもなく<出会い>などということを思っているのである。
この漫画も毎月10日に発売。来月で最終回である。
とうとう5巻まできました。
この本を読み始めて、父が亡くなり、仏事にかかわることとなり、「仏の教え」について考えさせられている。
近年「般若心経」に興味を覚え、心がざわついているときなど、なんとなく書き写していると心が落ち着いてくるので、時々まあ写経というほどのものではないが、書いていたりする。
般若心経の教えは知識としてはわかるのだが、実際としてはどうだろうか?
ブッダを読むと、般若心経で弟子に説いた悟り(つまり「知識と実際の合致」とでもいうもの)を得るには、相当の期間とすさまじい経験があったのだということがわかる。
知識と実際の合致、というのは口にするのはたやすいが、実はできそうもないことだ。
自分が優しく接していれば、相手もやさしく接してくれる。
ということは、ある程度の経験があればわかることだが、誰にでもそう接することができない実際がある。
人が生きるということは、いったいどういうことなんだろうか?
ということを、近年考えさせられている私には、この「ブッダ」を読むと「ああ、今出会えたからこそ、感じるものが多いのだなあ」と、柄にもなく<出会い>などということを思っているのである。
この漫画も毎月10日に発売。来月で最終回である。