読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

被虐の受太刀 南條範夫 小説新潮2月号

2009-02-11 22:38:42 | 読んだ
小説新潮2月号の特集は「乾坤一擲 時代小説」である。
そのなかで「時代小説温故知新」というのがあり、名編再録ということで、次の5編が掲載されている。

「阿波の館」<海音寺潮五郎>昭和35年小説新潮別冊
「剣術 陽炎」<五味康祐>昭和32年小説新潮1月号
「厚田日記」<子母澤寛>昭和36年小説新潮10月号
「贋金づくり」<中山義秀>昭和28年小説新潮1月号
「被虐の受太刀」<南條範夫>昭和32年小説新潮1月号

「被虐の受太刀」が面白かった。

物語は、座波間左衛門曾保(ざなみ かんざえもん かつやす)が主人公である。

間左衛門は剣豪である。大阪冬の陣、夏の陣でも相当の働きをした。
しかし、その働きは認められなかった。

それは間左衛門の性癖による。
彼は、幼いころ父母を失い叔父夫婦に養われた。
その叔母に幼い間左衛門が小さな折檻を受ける、その折檻が奇妙な性癖つまりM性を目覚めさせたのであった。

間左衛門の奇妙な性癖とは、美貌の男女に己の身を傷つけられることである。そうすると「限りなく快美の感を催し、殆ど天上に遊ぶ如き思いがする」のである。

その性癖をさらに向上させるため(?)、彼は受太刀を主とした今川流という剣を学ぶ。この今川流は「あらゆる攻撃に対して受けの一点張りでふみこたえ、最後に一撃、敵の疲れに乗じて返しの止めを刺す」というものである。

そうしていよいよ間左衛門の剣は冴えるのである。
彼は駿河大納言:徳川忠長に召抱えられる。

そこで、あの叔父夫婦の娘:きぬと出会う。
きぬは憧れの叔母「なほ」にそっくりなのである。
そして、彼が美貌と認めるものは「なほ」に似ているのである。

とすれば間左衛門の行動はたった一つである。

南條範夫の解説に
「武士道の忠義をサド-マゾ関係に置き換える「残酷もの」で人気を博す」
とある。

これを読んで思い出したというか、ああそうだったのか、と思った。
中学生ぐらいのときから父が購読していた「小説新潮」や「小説現代」を読んでいたが、そのなかで南條範夫の小説はなんだか「妖しい」カンジがしたのである。

歴史時代小説であるのに、なんだか向かっているところがヘンだと思ったいた。
歴史を取り扱っているのに、なんだかヘンな人を扱って、あらぬ方向に向かっているような、カンジがしたのである。

当時、幼い私はそういう小説はよくわからなかった、よくわからなかったが「妖しさ」は感じていて、その「妖しさ」は嫌いではなかった。

ということで、今回昭和32年1月号(たぶん発売は12月であると思うので私は生後2ヶ月くらいである)を読んで、忘れていた南條範夫の小説について思い出したのである。

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