文庫の帯には
「『坊ちゃん』から100年、彼らのその後の人生は―」
とある。
そして
「小林信彦が描く『坊ちゃん』の後日談」
と続く。
というわけで、この「うらなり」は夏目漱石の名作「坊ちゃん」の今風に言えば『スピンオフ』小説である。
つまり、坊ちゃんの登場人物の一人である「うらなり」こと古賀先生の側からみた小説「坊ちゃん」であり、その後のうらなりの人生を描いた小説である。
坊ちゃんといえば、痛快な青春小説、というイメージがある。
しかし、この「うらなり」を読むとそうでもないことがわかる。
坊ちゃん側からみれば「痛快」である。
それは坊ちゃんが単純明快な人間で、善と悪、黒と白を自分の判断基準にしているからである。
この「うらなり」を読んだあと「坊ちゃん」を読んでみた。
そうすると、これまで抱いていた坊ちゃんへのイメージが変わった。
「坊ちゃん」の出だしである
『親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る』
が、坊ちゃんをあらわしている。
更に「坊ちゃん」という題名もだ。
こういう「坊ちゃん」がいたなら周囲は大変である。はた迷惑である。
何しろ、思い込みが激しく、江戸っ子といって田舎の人間・風俗・景色までも馬鹿にする。
松山の人たちも大変だったろう、と同情をしたりする。
小説では、赤シャツこと教頭と野だいここと美術教師を山嵐こと数学の堀田とともに「成敗」をして松山をさる坊ちゃんである。
従って、最も大きな迷惑をこうむったのは赤シャツと野だいことなるが、小説「うらなり」を読むと、最も大きな心の傷を受けたのは「うらなり」だったようだ。
うらなりとマドンナの恋はどのような恋だったのか。
その後のうらなりの人生は幸福だったのだろうか。
うらなりはその後マドンナとであったのだろうか。
そういう疑問に小林信彦は答えながら、坊ちゃんの後日談そしてスピンオフ小説として、夏目漱石の「坊ちゃん」との違和感をなく描いている。
本書を読むと「坊ちゃん」を読みたくなる。
そしてこれまで思っていた坊ちゃんとは違った読み方ができる。
だから読書はやめられない。
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とある。
そして
「小林信彦が描く『坊ちゃん』の後日談」
と続く。
というわけで、この「うらなり」は夏目漱石の名作「坊ちゃん」の今風に言えば『スピンオフ』小説である。
つまり、坊ちゃんの登場人物の一人である「うらなり」こと古賀先生の側からみた小説「坊ちゃん」であり、その後のうらなりの人生を描いた小説である。
坊ちゃんといえば、痛快な青春小説、というイメージがある。
しかし、この「うらなり」を読むとそうでもないことがわかる。
坊ちゃん側からみれば「痛快」である。
それは坊ちゃんが単純明快な人間で、善と悪、黒と白を自分の判断基準にしているからである。
この「うらなり」を読んだあと「坊ちゃん」を読んでみた。
そうすると、これまで抱いていた坊ちゃんへのイメージが変わった。
「坊ちゃん」の出だしである
『親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る』
が、坊ちゃんをあらわしている。
更に「坊ちゃん」という題名もだ。
こういう「坊ちゃん」がいたなら周囲は大変である。はた迷惑である。
何しろ、思い込みが激しく、江戸っ子といって田舎の人間・風俗・景色までも馬鹿にする。
松山の人たちも大変だったろう、と同情をしたりする。
小説では、赤シャツこと教頭と野だいここと美術教師を山嵐こと数学の堀田とともに「成敗」をして松山をさる坊ちゃんである。
従って、最も大きな迷惑をこうむったのは赤シャツと野だいことなるが、小説「うらなり」を読むと、最も大きな心の傷を受けたのは「うらなり」だったようだ。
うらなりとマドンナの恋はどのような恋だったのか。
その後のうらなりの人生は幸福だったのだろうか。
うらなりはその後マドンナとであったのだろうか。
そういう疑問に小林信彦は答えながら、坊ちゃんの後日談そしてスピンオフ小説として、夏目漱石の「坊ちゃん」との違和感をなく描いている。
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そしてこれまで思っていた坊ちゃんとは違った読み方ができる。
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