1.想い出がおおすぎて/高木麻早 1973年10月
この歌は大好きです。
詩が北山修と杉田二郎。
曲が高木麻早である。
♪あなたの愛のはかりしれない あたたかいまごころを♪
という出だしを聞くと、涙ぐんでしまうこともある。(気持ち悪い)
2.マリエ/ブレッド&バター 1970年4月
ブレッド&バターを当時聴くことはなかった。
それは当時聴いていたラジオでかからなかった、というのが原因である。
雑誌などでそういうグループがいるというのは知っていた。
だから、想い出のフォークソングみたいな番組で、ブレッド&バターを聴いたときは新鮮だった。
というのは、当時僕らが感じていた新しい感覚のようなものが蘇るような感じだったからなのである。
叙情的で自然体で、気持ちが穏やかになるようで、いいなあ、と思うのである。
しかし、積極的に聴こうということにならないのは、やっぱりこちら側が年をとったということなのだろう。
3.木戸をあけて/小椋佳 1971年1月
副題が「家出をする少年がその母親に捧げる歌」となっている。
そういうことを念頭にこの歌を聴けば「ああそうなのか」と思うのだが、その副題を意識しないと違うカンジになる。
つまりこの歌のなかで母親は「あなた」と呼ばれている。
母ではなく「あなた」ということでこの歌を聴くこともできる。
そういう意味で別に副題をつけることもなかったのではないか、と思うのである。
また、そういう副題をつけるということに、なんだか小椋佳の特別な意識が感じられたりするのである。
4.これがボクらの道なのか/五つの赤い風船 1970年3月
五つの赤い風船といえば「遠い世界に」しか知らなかったのである。
この歌はいわゆる想い出のフォークソングみたいなもので初めて聴いた。
感想としては「フーン、こんな歌もうたっていたんだ」というくらいのものであったが、生で西岡たかしがこの歌をうたったのを聴いたとき、ジーンときてしまった。
歌う方も聞く方もこの歌が出来てから相当の年月を経ているのに「ジーンとする」というのは、この歌の力なんだろうとそのとき思ったのである。
5.下宿屋/加川良 1972年6月
当時、この歌を聴いて「不思議だなあ」と思っていたのである。
聴いていて「だからなんなのさ」と思うのであるが、やっぱりどこか魅かれるものがある。
セツセツとしたセリフと、力をあまりこめない歌。
ガンバレと直接うたっているわけではないが、どこか励まされているカンジもする。
「・・・です」という、加川良独特の発音というか語り口が、更にこの歌をよくしていると思う。
近頃、特に高田渡が死んでから、無性に聴きたくなるときがある。
6.朝日楼(朝日のあたる家)/浅川マキ 1971年9月
原曲はよく聴く歌である。
それを浅川マキが詩をつけたようである。
初めて聴いた。
浅川マキの歌って、聴くときの状況でしみじみと心にしみるときがある。
でも、そういう時ってこちら側の状況はあまりよくないんだよね。
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この歌は大好きです。
詩が北山修と杉田二郎。
曲が高木麻早である。
♪あなたの愛のはかりしれない あたたかいまごころを♪
という出だしを聞くと、涙ぐんでしまうこともある。(気持ち悪い)
2.マリエ/ブレッド&バター 1970年4月
ブレッド&バターを当時聴くことはなかった。
それは当時聴いていたラジオでかからなかった、というのが原因である。
雑誌などでそういうグループがいるというのは知っていた。
だから、想い出のフォークソングみたいな番組で、ブレッド&バターを聴いたときは新鮮だった。
というのは、当時僕らが感じていた新しい感覚のようなものが蘇るような感じだったからなのである。
叙情的で自然体で、気持ちが穏やかになるようで、いいなあ、と思うのである。
しかし、積極的に聴こうということにならないのは、やっぱりこちら側が年をとったということなのだろう。
3.木戸をあけて/小椋佳 1971年1月
副題が「家出をする少年がその母親に捧げる歌」となっている。
そういうことを念頭にこの歌を聴けば「ああそうなのか」と思うのだが、その副題を意識しないと違うカンジになる。
つまりこの歌のなかで母親は「あなた」と呼ばれている。
母ではなく「あなた」ということでこの歌を聴くこともできる。
そういう意味で別に副題をつけることもなかったのではないか、と思うのである。
また、そういう副題をつけるということに、なんだか小椋佳の特別な意識が感じられたりするのである。
4.これがボクらの道なのか/五つの赤い風船 1970年3月
五つの赤い風船といえば「遠い世界に」しか知らなかったのである。
この歌はいわゆる想い出のフォークソングみたいなもので初めて聴いた。
感想としては「フーン、こんな歌もうたっていたんだ」というくらいのものであったが、生で西岡たかしがこの歌をうたったのを聴いたとき、ジーンときてしまった。
歌う方も聞く方もこの歌が出来てから相当の年月を経ているのに「ジーンとする」というのは、この歌の力なんだろうとそのとき思ったのである。
5.下宿屋/加川良 1972年6月
当時、この歌を聴いて「不思議だなあ」と思っていたのである。
聴いていて「だからなんなのさ」と思うのであるが、やっぱりどこか魅かれるものがある。
セツセツとしたセリフと、力をあまりこめない歌。
ガンバレと直接うたっているわけではないが、どこか励まされているカンジもする。
「・・・です」という、加川良独特の発音というか語り口が、更にこの歌をよくしていると思う。
近頃、特に高田渡が死んでから、無性に聴きたくなるときがある。
6.朝日楼(朝日のあたる家)/浅川マキ 1971年9月
原曲はよく聴く歌である。
それを浅川マキが詩をつけたようである。
初めて聴いた。
浅川マキの歌って、聴くときの状況でしみじみと心にしみるときがある。
でも、そういう時ってこちら側の状況はあまりよくないんだよね。
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