今月の歴史読本は、徳川幕府の将軍職継承にまつわるものである。
更には「初代家康から15代慶喜まで、重大事件の真相」というものがある。
将軍職がまずすんなりと受け継がれたことはなく、継承にあたってはいわゆる「事件」があった。
非常に興味深いではないか。
15代も続くと、影の薄い将軍もいるが、それはそれで興味深い。
そもそも、将軍のエピソードなどあまり出てこないものである。
例えば、13代将軍家定は、何らかの障害があったとされるが実態は判明しない。従って、篤姫(天璋院)とのエピソードも本来どうだったかもわからない。
(まあ、そういうことだから小説も成り立つのだろうが)
幕末の14代家茂、15代慶喜は、江戸城を出て活動をしていたことから数々のエピソード、つまり多くの人の目に留まることがあった。
そういう意味では3代家光から13代家定までは、8代吉宗を除いて江戸城の中で過ごすことが多かったので、巷間流布されているエピソードは少なく、想像で語られることが多い。
その想像がいい加減なものも面白いといえば面白い。
本誌にあるのは、そういう「いい加減」なものではない。
きっかり検証されているので、時に鼻じらむというか身もふたもないというか、そういう気分になることもあるのだが、まじめに検証するというのは、「事実は小説より奇なり」であって、面白い。(こともある)
今回の特集の記事の中では、3代将軍家光と6代将軍家宣が面白かった。
家光は2代将軍秀忠の正室「江」の実子ではないという説は面白い。
となれば、江が家光の弟の忠長を将軍にと強く願ったのは当たり前のことになる。
また、家宣は48歳にして将軍となったが、分別のある将軍であり、綱吉時代の生類憐みの令をすぐに廃止するなど、手腕が期待されたが、わずか3年で亡くなった。
そういえば、ローマの皇帝も高年齢で即位した人は割と安定した施政である。
ただし、ドーンと思い切った政(まつりごと)とはならなかったなあ。
なんて思ったりしたのであった。
兎も角、江戸幕府は300年、15代にわたって続いた。最初は、将軍の指導力でもあっただろうが、つまりは組織と理念が安定していたことが続いた理由ではないかと思う。
その中にあって、将軍は時に「飾り」のようなときもあっただろうが、今回のように続けて検証すると、それはそれなりに大したものだったんだなあ、と改めて思うのである。
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そもそも、将軍のエピソードなどあまり出てこないものである。
例えば、13代将軍家定は、何らかの障害があったとされるが実態は判明しない。従って、篤姫(天璋院)とのエピソードも本来どうだったかもわからない。
(まあ、そういうことだから小説も成り立つのだろうが)
幕末の14代家茂、15代慶喜は、江戸城を出て活動をしていたことから数々のエピソード、つまり多くの人の目に留まることがあった。
そういう意味では3代家光から13代家定までは、8代吉宗を除いて江戸城の中で過ごすことが多かったので、巷間流布されているエピソードは少なく、想像で語られることが多い。
その想像がいい加減なものも面白いといえば面白い。
本誌にあるのは、そういう「いい加減」なものではない。
きっかり検証されているので、時に鼻じらむというか身もふたもないというか、そういう気分になることもあるのだが、まじめに検証するというのは、「事実は小説より奇なり」であって、面白い。(こともある)
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家光は2代将軍秀忠の正室「江」の実子ではないという説は面白い。
となれば、江が家光の弟の忠長を将軍にと強く願ったのは当たり前のことになる。
また、家宣は48歳にして将軍となったが、分別のある将軍であり、綱吉時代の生類憐みの令をすぐに廃止するなど、手腕が期待されたが、わずか3年で亡くなった。
そういえば、ローマの皇帝も高年齢で即位した人は割と安定した施政である。
ただし、ドーンと思い切った政(まつりごと)とはならなかったなあ。
なんて思ったりしたのであった。
兎も角、江戸幕府は300年、15代にわたって続いた。最初は、将軍の指導力でもあっただろうが、つまりは組織と理念が安定していたことが続いた理由ではないかと思う。
その中にあって、将軍は時に「飾り」のようなときもあっただろうが、今回のように続けて検証すると、それはそれなりに大したものだったんだなあ、と改めて思うのである。
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