読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ミレー展 -愛しきものたちへのまなざし- 宮城県美術館

2014-12-06 23:11:42 | 観た、聴いた
2014年11月1日から、仙台の宮城県美術館で「ミレー展」が開催されている。(ちなみに12月14日までである)

ちょっと気になっていた、というか、機会があったらぜひ観に行きたいものだと思っていた。
それで、本日、都合がついたので行ってきたのである。

お前が「絵画」なんてわかるのか!?
という声が聞こえてきそうであるが、実は、わからない。
しかし「真物(ホンモノ)」は観てみたい、聞いてみたい、読んでみたい、という思いはある。

というようなことから「ミレー」を鑑賞できるチャンスがあるのなら逃したくないと思ったである。

ミレーというと、私は「落ち穂拾い」を思い出す。
で、今回初めて知ったのであるが「落ち穂拾い」って5枚あるらしい。
それで、今回のミレー展には「落ち穂拾い。夏」とエッチングの「落ち穂拾い」であった。
我々(もしかして私だけ?)が知っているものではなかった。
そこが少し残念ではあったのだが。

さて、今回は全部で84点の作品が展示されているのだが、章立て時系列で順路が設定されている。

第1章プロローグ形成期

第2章自画像・肖像画

第3章家庭・生活

第4章大地・自然
の4章である。

解説を読みながら見ていったのであるが、ミレーの考え方、生き方と絵画のつながりがわかって、なんとなく今までとは違う観方ができたのではないか、と思っている。

今回思ったのは、絵画でも小説でも芸術的な表現の手法として、焦点や主題をきっちりとすることは当然だが、その周りの部分をどう取り扱うのか?ということである。

焦点部分以外をぼんやりと描く、それともその部分まできっちりと書き込むという二つの手法で、焦点・主題の印象が大きく変わる。

ミレーの場合、焦点以外の部分は、ぼんやりとして見える。それは多分心象風景というか主題を取り巻くイメージなんだろうと思うのだが・・・
そしてその周りの部分によって主題がより一層強調される・・・みたいな・・・

まあそれにしても手法もあるのだろうが、全体から受け取るものが力強くなければ人の心を動かせない。

今回作品を見ていて、グッとくるものがあり、ああ何か感じるなあ、というものがあった。

やっぱり一流といわれるものはスゴイのだ。

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