倉本聰の脚本で「やすらぎの刻~道」が今秋から始まった。
私は、前回の「やすらぎの郷」は、居合わせたときには見たが、積極的には見ていない。そして、今回も「見ない」予定だ。
理由は「毎日見るのが大変」だからだ。
連続もののテレビ番組や、月刊誌・週刊誌の記事・小説等は見続けることが大変だ。特に、近年はなんというか「既視感(デジャブ)」が発生し、あれ?これ前にも見た?という状況だったり、前回の続きを思い出すまで時間を要したりするので、できるかぎり「一話完結」「読み切り」を選択するようにしている。
で、倉本聰である。
この人の脚本で、まじめに見たのは「北の国から」だけではないかと思う。
「前略おふくろ様」は2シリーズだったが、どちらもまじめに見ていない。多分再放送のみられるところだけかと・・・
そういえば、二宮和也の「拝啓、父上様」は見た。
それから、NHK大河の「勝海舟」は見ていた。途中で脚本が変わったということには何ら興味がなかった。
主演が渡哲也から松方弘樹に変わったのは知っている。
というわけで、倉本ドラマにはあまり熱心ではないのだが、なんだか興味があって、本を読んだりしていた。
で、今回は「ドラマへの遺言」という、
『本書はさまざまな風評に彩られた師匠に、不肖の弟子が過去と現在の一切合切について聞き取りを行った一冊』
を読んでみたのである。
倉本聰の生き方・考え方は非常に面白い。
というのが大きな感想である。
でも、
近くにはいたくないなあ。
というのもある。
ちょっと遠くから見ていたほうが、ためになるし、面白いし、いい人だなあ、と思う人がいる。
「いいなあ」とか「尊敬する」とか「憧れる」みたいな気持ちで、離れていたほうがいい人がいる。
で、近づくと、火傷したり、怪我したり、凍傷になったりするのである。
倉本聰はそういう人なのではないかと思った。
もちろん、そういう人の近くにいても、火傷も怪我も凍傷もおわず過ごせる人もいるし、火傷するのがいいのよねえ、という人もいる。
ただ、私としては、ちょっと距離を置きたい人、と思ってしまったのである。
近くにいる人は大変だなあ、と思ってしまったのである。
この気持ちってもしかしたら近づいてみたい、という気持ちなのかもしれない。
倉本聰って「何が面白いのか」を追及し「それをどう表現するのか」ということを実践している。と感じた。
それは、これまでの経験の積み上げでもあるのだろうが、いつも何かを探し、何かに怒り、何かを壊したいんだろうなあ、と思うのである。(私が言うのはまったく不遜の極みであるが)
「生きる」って何なのだろうか?
が私の今のテーマであるのだが、本書はそのテーマを別の角度からというか改めというか、考えさせてくれた。