作者の北原亞以子さんは、本年3月12日に亡くなられた。
小説新潮4月号は3月発売であるが、発売された時にはすでに亡くなられていた。
したがってこの作品は遺作であるといえる。
慶次郎縁側日記は時代小説である。
主人公は森口慶次郎。元同心である。
物語の最初のうちは森口慶次郎が活躍していたが、近頃はわき役のように登場するだけになった。
しかし、やっぱり慶次郎縁側日記なのである。
このあたりは、読んでみないとわからない。
さて病身の作者が描いた最後の慶次郎縁側日記の主人公(というかゲスト)は「おゆう」である。
ある日、おゆうの夫と娘と息子が事故に会い、夫は寝たきり娘は失明そして息子は亡くなった。それまでは幸せな生活であったが、事故のあとから苦しい生活が続き、ついには身を売るようになっていた。
事故は、旗本の乗った馬が原因。
その旗本は誰かはわからない。
それで、このあたりから読んでいてもよくわからなくなるのだが、どうもおゆうは事故の原因となった旗本を同心がかばってなにもなかったことにしてしまったと、思っているようなのである。
その同心は秋山忠太郎というらしい。
しかし、おゆうは森口慶次郎を秋山と間違え、森口の住んでいる寮を見張っている。
そこで、なぜか、慶次郎と一緒に住んでいる佐七がおゆうをみそめる。
というような筋立てなのであるが、どうもよくわからない。
それでも、一つ一つの場面に人の心の動きが現れていて、なんだか切なくなる。
ところで題名の「冥きより」というのは、物語の中ででてくるのだが「くらきより、くらきにいでて」と紹介されている。
慶次郎の解説では『恋の闇路に迷ったあげく、更に濃く深い闇に出てしまったってうた』らしいのだが・・・
なんだか最後の作品が「冥きより」というのは印象深いものがある。
これを最後に慶次郎縁側日記が読めないのかと思うとさびしいものがある。
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したがってこの作品は遺作であるといえる。
慶次郎縁側日記は時代小説である。
主人公は森口慶次郎。元同心である。
物語の最初のうちは森口慶次郎が活躍していたが、近頃はわき役のように登場するだけになった。
しかし、やっぱり慶次郎縁側日記なのである。
このあたりは、読んでみないとわからない。
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ある日、おゆうの夫と娘と息子が事故に会い、夫は寝たきり娘は失明そして息子は亡くなった。それまでは幸せな生活であったが、事故のあとから苦しい生活が続き、ついには身を売るようになっていた。
事故は、旗本の乗った馬が原因。
その旗本は誰かはわからない。
それで、このあたりから読んでいてもよくわからなくなるのだが、どうもおゆうは事故の原因となった旗本を同心がかばってなにもなかったことにしてしまったと、思っているようなのである。
その同心は秋山忠太郎というらしい。
しかし、おゆうは森口慶次郎を秋山と間違え、森口の住んでいる寮を見張っている。
そこで、なぜか、慶次郎と一緒に住んでいる佐七がおゆうをみそめる。
というような筋立てなのであるが、どうもよくわからない。
それでも、一つ一つの場面に人の心の動きが現れていて、なんだか切なくなる。
ところで題名の「冥きより」というのは、物語の中ででてくるのだが「くらきより、くらきにいでて」と紹介されている。
慶次郎の解説では『恋の闇路に迷ったあげく、更に濃く深い闇に出てしまったってうた』らしいのだが・・・
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