先週末アメリカ人の友達のT君から電話が掛かってきた。最近、T社の高価なマウンテンバイクを購入したので倉庫で眠っている古いマウンテンバイクを処分するからもらってくれないか、おまえ自転車好きだろっ!という用件であった。T君はアウトドア大好き男で特にハイキング気違いであり、ニューヨークのキャッツキルマウンテンズの全てのピークを制して当地のハイキング協会から認定書を頂いている。週末は常に山に行かないと気が狂うそうで、週末の天気予報はいつも彼の運命を左右している。
20年以上前のアメリカS社のマウンテンバイクを頂いた。気に入らなかったら捨ててくれ。各所に錆びは出ているがフレームの歪みもなくサイズ的にも許容範囲だった。新しいマウンテンバイクの感想を聞いた。正直言ってあまり乗り心地は変わらないとの事。シルバーに黒いアルファベットで "ト リ ッ ク” と書かれたその新車のマウンテンバイクは怪しい雰囲気を出していた。ブレーキはゆるゆる、タイヤは空気の充填不足、そして、自転車を体に合わせたセッティングが全く出来ていなかった。自転車をくれたお礼にその場で可能な限りの整備とアドバイスをしてやったが、なんと自転車の整備の仕方に対して無知、そして自転車にサイズがある事さえ把握しがたい様子。今まで整備されていない自転車に乗り続け、もっといい(高価)な自転車だったら快適になるだろうという動機で新しいマウンテンバイクの購入に踏み切ったのだ。お前はアホか!と言いたかったが、遠回しにその意図は伝えて今後彼が快適なサイクルライフを送れる事を願いながらアドバイスに徹した。
帰り道、ランクルの後ろに積んだマウンテンバイクをバックミラーで確認しながら可笑しくなって一人でニヤニヤしていた。そして道具について、そして、その正しい使い方について別に思った事があった。それは自転車やクルマではなくてコンピューターについてだった。最近自分はインターネットやソーシャルネットワークというものに飽きを感じている。具体的に言うと数年前は半日ネットサーフィンなどをして過ごして楽しかったが、最近は長くても30分程で飽きてしまう。現在ネットはインフラが整いその便利さは毎年進化を遂げている。しかし、ネットに対して、つまらない、と感じる自分がいるという事は事実で、それに対して二つの要素が考えられる。一つはT君の様に道具に対する正しい知識を持ち合わせておらず、コンピューターの可能性に対して自分が無知でアホだという事。そしてもう一つは、近い将来現在のネット社会に飽きたという人が増えてくるというプリデクション(予知)である。
...いずれにせよ、世の中には金を出せば好いマウンテンバイクは簡単に手に入る。しかし、この古いマウンテンバイクが俺の所にやって来たのは本来の使命を全うして欲しいとする物(道具)の内なる声があったからに違いないと思う。この古いマウンテンバイクから何か新しい物語がはじまるという事かも?