僕(日本人)にとって8月は特別の期間である。それは黄泉の世界と重なる時間で夏の暑さの中にある眩い太陽の光と熱には影が宿っている。その影は70年前の太平洋戦争が大きく影響している。暑い夏の日に原子爆弾が破裂し蝉がけたたましく鳴くこの盆に終戦を迎えた。
冷房の効いたマクドナルドで、仕事仲間が運転するトラックの助手席で、そして夜中の書斎で扇風機にあたりながら、この8月の開いた時間にじっくりと一冊の本を読んだ。本のタイトルは“輝ける闇”開高健である。この本の内容はベトナム戦争である。この本は開高氏自ら戦時下でジャーナリストとしてベトナム政府軍と共にジャングルで行動を共にし最後は敵の襲撃を受けてジャングルの中を這逃げる実話が元になっている。視界5メートルの熱帯のジャングルで敵に囲まれて襲撃を受け当初200人いた部隊で逃げ切ったのは17人であった。熱帯のジャングルには、大量の汗と酸っぱい体臭、死と狂気と恐怖、血と内臓、死体と死臭。そういったおぞましい世界が展開していた。開高氏が生き延びる事が出来たのはそういった世界を日本人の後生に伝える神からの使命があった様な気がするのである。そして、このベトナム戦争時のジャングルと8月の暑さ、そして、御盆と終戦が重なり蝉の声と重なって黄泉の世界を垣間見るのであった。
“輝ける闇”を読み終わった場所はニュージャージーのビーチの砂の上であった。
目を本から離して視線を上に向けると、そこにはもう黄泉の世界は無い。穏やかで青く輝いている空と海。矢沢栄吉の“時間よ止まれ”の世界で、目の前には夏を楽しむ人々の姿。このジャージービーチでは1945年の夏も1974年の夏にもこうやって夏を穏やかに楽しむ人々がいたのであろう。盆の終わりと共に黄泉の世界は過ぎ去っていく気配がする、8月のこの穏やかで眩しい世界を知らないで死んでいった全ての人に手を合わせたいと思った。8月は輝ける闇(黄泉)の季節。平和な時代に生きている事に有難味を感じるべき時間でもある。