ラセゾン ブログ

今も・・ケーキ屋さん!?

石巻へ (いしのまきへ)

2016年06月22日 | 日記
2016年6月19,20日宮城県石巻へ行ってきました
5年前の「311東日本大震災」被災地です
後輩が住んでいて お母さんと津波にのまれ
未だにお母さんは行方不明です
慰霊を兼ねて 石巻を訪れました

女川へ

何事も無かったかのように海は静かです

当時の強烈な映像が思い出されます
海岸沿いの陸地は「かさ上げ」等の工事中
まだまだ 先が見えないような進行具合です

女川駅

ぽつんと 駅舎だけが建っています
民家などは一軒もありません

女川中学

この石碑より上に逃げなさいと記してあります

女川中学と女川駅の間には

墓地があります 流された墓石を一カ所に
セメントで固めてあります
このような場所が沢山有ります

仮設住宅

徐々に市営住宅などに転居が進み
空き家が多いです

仮設住宅の復興の鐘 至る所にあります

桃浦へ

洞仙寺 復興の鐘
桃浦にも何十件の家がありましたが
全て流されてしまいました
洞仙寺も津波にのみ込まれましたが
奇跡的に本尊は残りました(両手は流されてありません)
お釈迦様は「梁」の上に引っかかり こちらも
奇跡的に残りました 綺麗なままです

この話を聞いた 長野県佐久市の大林寺の住職
「増田友厚」方丈が発起人となり
見守り観音堂建立の会が発足
当初は地元の方々60人あまりから始まり
現在は1万人近い賛同者から五千万あまりが集まり
今年の秋には「落慶法要」が出来るまでになりました

洞仙寺の八巻方丈も奥様も気さくな方で
佐久から訪れた私たちを温かく迎えてくれました
美味しいお茶とお菓子で一息つくことが出来ました
お世話になりました 感謝

石巻グランドホテルで一泊
地元のお酒 美味しい食材で疲れも取れました





石巻2日目
あの 大川小学校へ・・

当時のままの姿です

銀河鉄道の夜の絵が描かれています
鎮魂のためか・・

津波の力のすごさが伝わります






大川小学校から少し離れた所に「観音様」

ここにも大きなお寺があったようですが
跡形もありません

大川小学校の裏手には 小高い山があります
何故 山に逃げなかったのか・・
74名の子供たち 先生方 悔やまれます

石巻 門脇小学校へ

適切な裏山への避難が出来た学校ですが
流されてきた車やプロパンボンベなどで
火災が発生 焼けてしまった学校です
今は目隠しがされています

裏側に回ると 悲惨な姿が現れます

一泊二日の強行軍でした
未だに行方不明のお母さんがいる後輩にも会え
多くの方々からもお話を聞けました
あれから5年が過ぎましたが
町の復興はほとんど進んでいません
心のケアも出来ているとは思えません

帰りの高速道路 7時間かかります
アクセルを踏む足が重くて重くて・・
何か出来ることは無いのだろうか・・・
合掌




 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする