春一番が吹いたかと思ったら、雪がちらつく寒い朝でした。
行きつ戻りつやって来るだろう春は、まだまだ遠そうです。
さて、本日西の東照宮のお話です。
東照宮と言えば日光ではありますが、この比叡山の東麓にある日吉東照宮が
その原型となったと伝えられていると聞き立ち寄ってみました。
東照宮とは徳川家康をまつった神社です。
明治維新以前はなんと500を超える東照宮があったのだとか。
現存するものでも100以上あるらしいのです。
多くの大名によって造営されたのですが、徳川家への忠誠を表すためだったのでしょうか。
豪華な社殿を作ラせることによって資産を減らさせるのが目的だったのでしょうか。
歴史に詳しい方なら何をいまさらと仰ることでしょうが・・・苦笑・・・
週末のみ公開されているらしく、この日は中に入れませんでしたが
表から覗いてみるだけでも絢爛豪華だったであろう様子は伺い知ることが出来ました。
こじんまりとしてはいますが、国の重要文化財にも指定されているだけのことはあります。
美しい透塀の細工は繊細で、紙でできているのかと思うほどでした。
極彩色で飾られた門にも凝った細工が施されています。
急な参道の向こうに坂本の町と琵琶湖が見えます。
元は延暦寺の末寺だったそうですが、明治の神仏分離令以後は日吉大社の末社となっています。
その際に日吉大神も祀られたのだとは思いますが
豊臣秀吉も祀られているのだそうです。
日吉大社は猿が神の使いとされている神社で
秀吉の幼名の日吉丸の由来となった清洲の日吉神社の総本宮だからでしょうか。
日本を二分して戦った二人が同じところに祀られているのはなんだか不思議な気がしますよね。
ところが、日光東照宮にも豊臣秀吉が祀られているのだそうです。
また、この日吉東照宮造営にあたった天台宗の僧侶 天海上人が実は明智光秀だったとか
はたまたその息子だったとか・・・
この日吉東照宮がある坂本という地は明智光秀の城があったからでしょうか。
そして、坂本龍馬が明智光秀の子孫という説もあるのだとか。
坂本城の城主だった明智家の末裔が四国に渡り
坂本という名を名乗り酒屋を始め、明智家の桔梗の紋に似た
酒枡に桔梗の紋を使ったのではないかというのです。
話がちょっとそれてしまいましたが、知れば知るほど
謎が謎を呼びます。
さて、その次に本社である日吉大社にお詣りしました。
明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしている山王鳥居。
仏教 の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされます。
神仏分離令後もこの鳥居は取り壊されることが無かったのですね。
春日岡とは春日局が座ったとされる石なのだとか。
猿が神の使いとされている日吉大社は、本物の猿から建物の装飾に
大きな石に絵馬に
いたるところで猿の姿を見ることが出来ます。
猿と呼ばれた秀吉が気に入っていたのは当然のことですよね。
ここで申年の母のお土産におみくじを買いました。
この可愛らしい小さな陶器の猿の中に折りたたまれたおみくじが入っています。
帰ってから封を切り開いてみると
なんと 「大吉!!」
病 気長に養生すれば回復する
とありました。
生まれてこの方一度もおみくじを引いたことが無かったという母は
大喜びでした。(笑)
痛い足が早くよくなってくれますように。