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ライアー(竪琴)奏者の三野友子です。ライア-や日常生活のこと、あれこれを気ままに綴ってます♪

ライアーはどんなふうに日本に広まっていったの? その1

2020年04月26日 | ライア-日記
ライアーはまだまだ認知度の少ない楽器です。
私自身ライアーをこよなく愛する一人として、
この楽器がどんなふうに日本に紹介されて、広がっていき、
そして今に至ったのかな~ということをコロナ自粛中に(汗)調べたり、考えてみたりしました。

「ライアー」というのは、
ドイツ語表記でLeier 英語表記ではlyre で「竪琴」を意味します。
メソポタミアや、古代ギリシャ、古代エジプトや、ヨーロッパ各地には古代から楽器として「竪琴」は存在していました。
この辺のことは、またいつか別の機会に写真などを交えて見てみたいと思います。

今、ここで私が「ライアー」という表記を使い指し示すのは、
古代から受け継いできている「竪琴」ではなく、
1926年10月6日にスイスのドルナッハで誕生した「新しいライアー」です。

今日の写真は最初のライアの写真です。
ちなみに、1926年は昭和元年です!

20世紀の新しい楽器「新しいライアー」の誕生のルーツは、
思想家のルドルフ・シュタイナーに(1861年2月27日 - 1925年3月30日 64歳没)までさかのぼる必要があります。
シュタイナーは「人智学」という思想を発展させ、大きな影響力を与えた人です。
ライアーがスイスで誕生したのは、シュタイナーがなくなってから1年後だったので、
残念ながらシュタイナーはライアーを見ることも、その音色を聞くこともできませんでした。

ライアーがスイスで誕生して、ドイツで発展していった過程は
また長~い物語になるので、これまた別の機会にぜひ書いてみたいと思います。

今日ここで書き留めておきたいなと思っているのは、
日本でこのライアーがどんな風に広がっていったかです。
これに関しては、島崎篤子さんの
「日本におけるライアーの導入と広がり」岩手大学教育学部研究年報2004. 2 
を読んで本当にいろいろ勉強になりました。
ダウンロード可能です。
https://irdb.nii.ac.jp/01335/0002135727

最初に心に留めておかなければいけないことは、
私たちが楽しんで弾いている「ライアー」という楽器のルーツは
人智学の思想から出発し、そしてドイツをはじめとする欧米諸国では
人智学に関わる人の中でのみライアーが認知されて、広がっていったということです。
94年たった今でもそれはほとんど変わっていません。

日本へ目を向けてみましょう。
日本にライアーが初めて上陸したのも、シュタイナーの思想からの流れでした。
子安美知子さんがご自身の娘さんをドイツのシュタイナー学校に通わせた経験をつづった「ミュンヘンの小学生」という本が1975年に出版されました。
この本は毎日出版文化賞を受賞したとのことなので、
当時「シュタイナー教育」というものが初めて日本に紹介されて、話題になったのでしょう。

シュタイナーの思想を日本に紹介したのは、子安美知子さんだけでなく、
高橋巌さん、高橋弘子さん(当時はご夫妻)がいらして、
精力的に活動をなさっていました。(高橋巌さんはご高齢になった今でも!)

1980年代には、シュタイナー教育(治療教育)関係のドイツ人講師が来日して、
講座やワークショップを開いたりしていたらしいです。
日本人向けの「海外ゼミナール」が毎年のように開催されて、ドイツのシュタイナー関係の施設を訪問、見学したり、講座を開いてもらっていたとのこと。
ドイツへシュタイナー教育(治療教育)視察をするために渡航する方々が多数いたらしいです。

そして、1981年夏に初めて日本へライアーが持ち込まれることになりました!!!



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