文政11年8月上旬・色川三中「家事志」
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。
文政11年8月1日(朔)(1828年)
【行商終了】本日、行商先から夕方帰宅。風静かにして、天気佳し。
#色川三中 #家事志
(コメント)
行商は本日で終了し、土浦に帰宅しました。行商の成果について直接の言及はありませんが、「風静かにして、天気佳し」との記載からは十分な成果があったことを窺わせます。
今年の8月1日は旧暦6月15日となります。旧暦6月15日は宮薙。神社の掃除をする行事です。茨城、千葉だけにあるようです。旧暦6月15日が本来の宮薙の日ですが、太陽暦ではスライドして7月15日に、さらに平日を避けて15日周辺の土日に行われているようです。昔ながらのところは7月15日早朝に行っているところもあります。
文政11年8月2日(1828年)晴
蜘蛛病の患者に効くだろうと思い、主治医の日向医師に勧めた処方は、やはり効いた。蜘蛛は便と共に排出されたとのこと。大効無比。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「蜘蛛病」というのは、口から蜘蛛を吐く(!)婦人の奇病のこと。色川三中は薬種商で、医師ではないのですが、どうも自分の処方に自信があるらしく、主治医の日向医師に処方を指導しています。結果、蜘蛛病は治りました。「大効無比」との言葉からは、してやったりとの三中の得意気な顔が想像されます。
文政11年8月3日(1828年)雨
東覚寺の住職と入樋の件で話す。「名主の入江氏とこの件でギクシャクしておりますが、彼に恨みがあってのことではありません。彼とは幼少のころからの竹馬の友です。この件は昔からの例のとおり行われるべきというのが我々の考え方でして、名主にはその点で反対しているのです」と住職に申しあげた。
#色川三中 #家事志
(コメント)
色川三中は後年国学者として名を残すだけあって、自分がこうと考えたことには自信をもってそのまま突き進もうとする傾向があるようです。本日の入樋の件についても、昔からの例によるべきとの考えに至ってからは、全くブレておりません。
文政11年8月4日(1828年)雨
日向医師から蜘蛛病患者の件で話しあり。
私が処方した薬は効いたが、藤田医師(土浦藩御典医)が先に治療していたからで、私の処方は補助的な効果しかなかったという。なぜ、そんなに藩御典医の権威をことさらに持ち出すのか。医師たるもの仁心により人を救うことを考えなければ。
#色川三中 #家事志
(コメント)
蜘蛛病の婦人は三中の考えた処方で治ったのですが(8月2日条)、日向医師は藩御典医の権威を持ち出し、三中の処方に否定的な発言を面と向かってしてしまいました。三中はこれに怒っています。実証的考えの三中にとっては、藩御典医の権威に日和った考え方は許せなかったのでしょう。
文政11年8月5日(1828年)
西門松喜の借金を完済。
間に入ってくれていた熊野屋が借金の証書をもってきてくれた。熊野屋にはお礼に、わり酒一升、三杯漬け一皿を贈った。
夜、熱が出た。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「西門松喜」は土浦町西門地区の松屋喜兵衛さんのこと。昨年6月23日に合意が成立しており、毎月支払いをしていました。
交渉がかなりゴタゴタしたこともあり、この借金の完済は嬉しかったのでしょう。熊野屋さんは交渉のときから間に入っていたので、お礼をしています。
1827年6月23日(文政10年)風雨
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 11, 2022
八つ時、熊野屋と田中清吉同道で入江(名主)へ。松喜(債権者)との件、次のとおり決まる。
借用金10両。本来の利足は3両2分だが、2両とし、元利計12両のうち今月2両。来月より毎月1両の月賦。完済までは田地を質とし、質地証文は完済時に返却。#色川三中 #家事志
文政11年8月6日(1828年)
朝、従業員の利助を江戸に出立させた。
本日、終日体調不快。
#色川三中 #家事志
(コメント)
従業員「利助」を三中は重宝して使用しており、母親が江戸に旅をするに当たっても同行者としています(4月4日条)。今回江戸に出張させていますので、何か重要な用事なのでしょう。
文政11年4月4日(1828年)晴
— 断感ろーれんす (@tk23956) April 3, 2023
母は利助と共に江戸に旅に行っていたが、本日夜に帰宅。#色川三中 #家事志
文政11年8月7日(1828年)曇
本日体調戻り、大いに良し、と思っていたら、夕方から発熱。どうも瘧にかかったらしい。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日の記事「本日、終日体調不快」となっており、心配でしたが、やはり病気だっようです。ぎゃく【瘧】は寒さやふるえや高熱が一定の時間をおいて繰りかえされる病気。おこり、とも。病気の知識のある三中らしく、発熱の波でそれと分かったようです。
文政11年8月8日(1828年)
発熱なし(間日)。
江戸から大枝清兵衛殿が2ヶ月ぶりに来られたが、瘧の症状が続いているので、上がらずに帰ってもらった。
#色川三中 #家事志
(コメント)
昨日発熱し、瘧だと考えた三中。今日は熱発はありません。取引先が来ましたが、瘧にかかっては、会って話すわけには行きません。大枝清兵衛は江戸の薬種問屋。本拠は江戸で、土浦には営業に時々来ます。土浦には2ヶ月ぶり。
文政11年6月3日(1828年)晴
— 断感ろーれんす (@tk23956) June 2, 2023
江戸から大枝清兵衛殿来る。病気のためしばらく土浦にお出でになられていなかった。#色川三中 #家事志
文政11年8月9日(1828年)
発熱。
#色川三中 #家事志
(コメント)
瘧は熱発と発熱がない日を繰り返すのが特徴なようです。三中は「発熱」「間日」(発熱がない日のこと)を簡潔に日記に記載しています。
文政11年8月10日(1828年)晴
発熱なし(間日)。
#色川三中 #家事志
(コメント)
瘧は熱発と発熱がない日を繰り返すのが特徴なようです。三中は「発熱」「間日」(発熱がない日のこと)を簡潔に日記に記載しています。今日は発熱がない日(間日)でした。