#仮刑律的例 #10継子殺し処置
【伺い】
とみ(入牢中)は継子を殺害しました。不届き至極につき入牢を申し付け、大罪であるため、当春の大赦にもかかわらず、出牢させておりません。
旧幕府の刑律では死刑に処すべきとあります。よって、死刑でよろしいでしょうか。誤一札(本人の謝罪文)の写しを添えてお伺い致します。
【返答】
継子殺しのとみ、短慮の所業でもあるので、死罪から一等を減じての処置とすべきである。
【コメント】
・本件は10番目の伺いです。これまでの9例は全てどの藩からの伺いであったかが記されていたのですが、本件は伺いの主体が明らかにされていません。また、犯行の日時も明らかではありません。
・継子殺しとあるだけで、犯行の詳細も分かりません。「誤一札(本人の謝罪文)の写し」に犯行の詳細が記載されているはずであり、政府側はこの内容を把握しているはずですが、編集段階ではその点は落としています。
・政府は死刑を回避するようにと回答。その理由は〈返答〉では、短慮の所業であることしか触れられていませんが、大赦があることも減刑の要因と読むべきでしょう。
・当春の大赦というのは、明治天皇の元服を理由とする大赦のこと。天皇の父、孝明天皇は慶応2年12月25日崩御し、明治天皇は慶応3年1月9日、満14歳(元服前)で践祚。慶応4年1月15日に元服。この元服を理由として同日参与役所からの大赦の布告が行われています。
・内容は以下のとおり。
「今般朝政御一新となり、この15日に御元服の御大礼が行われた。天皇は、御仁恤(あわれんで情をかけること)の聖慮を以って、この世を天下無罪の域にしたいとの思し召しであり、朝敵を除いて全ての者を大赦とする。各国とも漏れなくこれを実行すべきである。」
(慶応4年1月15日参与役所からの布告)
・本件は継子殺しとはされておりますが、この時代は殺人罪と傷害致死罪の区別がなく、全て「殺し」と括られてしまっています。政府の返答で「短慮である」即ち計画性がないとそれていることからも、現代であれば傷害致死の事案なのかもしれません。現代でも児童虐待事案で児童死亡事案は傷害致死罪が多いです。
・現代であれば、児童虐待ととらえられる事象ですが、この当時はそのような意識はほとんどなかったのでしょう。