#仮刑律的例 #8博奕処置
【超訳】
(明治元年、丹波亀山藩から伺い)
うちの藩内で博奕をやった他藩の者は、うちの藩で処罰して良いですよね?以前からそうやってますし。
〈政府の返答〉いいよ。
(もう少し真面目な要約)
(明治元年十一月、丹波亀山藩からの伺)
当藩の領内で博奕をした他藩の者は、当藩で取調べ、処罰してよろしいでしょうか(従前の方法はこれです)。それとも、その者の支配地頭に引渡した方が良いでしょうか。
〈返答〉従前どおりの方法でよい。他藩の者は、支配地頭にも了解を得たうえで、役場において取調べを行い、刑を科してよい。
以上はかなり要約したものなので、元のテクストに即して、できるだけ詳しく訳してみました。
#仮刑律的例 #8博奕処置
【伺い】
明治元年十一月、松平図書頭(丹波亀山藩)からの伺
当藩の領内で博奕をした者を召し捕りました。その中には他藩の者もおりました。
これまでの仕来りでは、他藩の者は、その支配地頭にも了解を得たうえで、当役場において取調べを行い、領法のとおり刑を科しておりました。
今般の政府のご布告からしますと、他藩の者はその支配地頭に引渡した方がよろしいのでしょうか。そうしますと、当藩には不都合なことも生じてしまいます。
いずれの取計いが妥当かお伺いする次第です。
【返答】従前どおりの方法でよい。他藩の者は、支配地頭にも了解を得たうえで、役場において取調べを行い、刑を科してよい。
【コメント】
・丹波亀山藩からの博奕に関する裁判の伺いです。
・江戸時代、他領の者は裁判できないのが原則でした。例外は博奕の場合。この場合は、犯罪地の領主に裁判権が認められていました(寛政6年=1794年以降)。これは博奕への取締強化、事件の迅速な処理のためです。それだけ、博奕が流行ってしまって何とか禁圧したかったのでしょう。
・丹波亀山藩でもそのような扱いがされていたことがわかります(「他藩の者は、その支配地頭にも了解を得たうえで、当役場において取調べを行い、領法のとおり刑を科しておりました。」)。博奕の場合、犯罪地の領主が他藩の者に裁判権を行使していました。
・この方針を明治政府のもとでも行ってよいのかが問題になりましたが、明治政府は、この扱いを認めています。少なくとも博奕については、他領の者でも処罰できることが明らかになったといえます。
追記
・現代では、どこの者であっても犯罪地で刑事裁判ができます。
刑事訴訟法の規定(2条1項)
裁判所の土地管轄は、犯罪地又は被告人の住所、居所若しくは現在地による。