空のkiroku 雑記帳@goo

by 日蝕貧乏知恵者猫
この前、空を見上げたのはいつですか?☆彡
すぐ目の前にも美しさと不思議が溢れています!

お散歩の途中で

2006-03-31 18:18:58 | (旧)雑記帳/レンズの向こう側


 青空!

 最高気温は12℃を少し越えるくらいで決して高くはなかったのに、日差しはすっかり春。
 少し動くと上着も要らないほど。
 気持ち良い~っ!



 水仙とスノウドロップ



 傍らには真っ白な変わった形の水仙



 カラスノエンドウ



 イソトマ?



 梅の一種だと思いますが、紫味のピンクの濃淡が綺麗でした。



 フンワリと風にそよいで…



 え~と、どちら様でしたっけ?(^^ゞ



 公園では、女の子達が賑やかに遊んでいました。
 気になったのは、中にお母さんが一人ご一緒だったこと。
 そのうち習い事に行く時間になったのか、他のお母さんが車で公園までやってきて、「お世話様でした」などと声をかけて帰って行きます。
 最近は物騒な事件が多いので、子どもだけで遊ばせるのも気が気ではないのかも知れません。
 お仕事をお持ちのお母さんも多いでしょうし、そんなことが無用な世の中ならば良いけれど、シルバー・マンパワーの活用も有効なのかも知れません。

 こうしてデジカメ片手に撮り歩いている私は、傍目には怪しいヤツに映っているのかも?(^_^;)

 さてさて、この公園には桜見物にやってきたのでした!(^^;;)

続く…。


【3月23日のお散歩】
弥生の空
桜さくら…

【3月31日のお散歩】
お散歩の途中で
小学校の桜
住宅地の小さな公園の桜
橙色の日没と二日月
月齢2 地球照と夜桜
夜桜
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NIFTY-Serve ワープロ・パソコン通信終了

2006-03-30 16:54:05 | (旧)雑記帳/ニュース
ワープロ・パソコン通信サービスの終了について
 ニフティ株式会社は、1987年4月から運営してきた「ワープロ・パソコン通信」サービスを順次縮小し、2006年3月31日(金)をもって終了します。
 「ワープロ・パソコン通信サービス」は、現在提供中のインターネットサービス"@nifty"を1999年に開始した後も継続利用者が多く、運営を続けてきました。しかし、インターネットの普及とともに利用者数が減少している事実を受け、終了させていただくことになりました。


 私がNIFTY-Serve、そしてFSPACEに入会したのは、1988年11月23日のこと。(※NIFTY-Serve内に残っていた自分のPROFを確認したら、3日ではなく23日だと判明。)
 今や@niftyと名前を変えたシステムから、昨秋『入会18年目』を告げるメッセージが届いていましたが、これが頂けなくなる訳ではないですよね?(^^;;) Nifが無くなる訳ではないのだから、これからもお待ちしております。


 1988年3月18日。
 そう、昨日の皆既日蝕の1サロス前…小笠原沖日蝕に赴いた『にっぽん丸』の船舶電話からパソコン通信を試みているO氏を見つけ、それがNIFTY-Serveとの衝撃的出会いでした。
 その秋には、同じく船内で知り合った国立天文台(当時)のF氏に誘われて、O氏などと共に乗鞍コロナ観測所を訪問。無線電話を使ってパソコン通信を体験。(見ていただけですが。)
 船舶や人里離れた山頂からのアクセスという、当時としては究極の場所からのパソ通を目の当たりにしてしまい、その後もY氏によって会議室やRT(リアルタイム=チャット)での交流を提示されるにつけ、まんまと洗脳…いや、魅せられました。

 O氏(これが上記の船舶電話でパソ通していたつわもの!?で、その時点ではまだ知らない人だった!^^;;)からイントロパックが同梱されたモデムが宅配便で送られてきたかと思えば、Y氏が手元で余っているパソコンを貸し出して下さるとおっしゃる。
 これらの行為にどのような思惑があったのかは今となっては定かではありませんが(^_^;)、既に加入していた日蝕貧乏組メンバのY氏とS氏(この時点では、S氏はパソ通非会員)が拙宅まで設置にいらして下さり、こうして私のパソ通人生は幕を開けたのでありました。

 目指すはFSPACE(スペース・フォーラム)…天文同好会のような所。
 87年沖縄金環日蝕、続く88年小笠原沖皆既日蝕で、数年間遠のいていた私の天文世界への興味が堰を切ったように…それ以上に人との出会いが余りにも楽しくて、私、弾けておりました。(^^ゞ

 Oさんと、RTで良くお話して下さったAさんとに勧められるがままに、(彼らは遠路で参加しないのに)横浜で行われた忘年会オフに急遽参加することとなり…Y氏は所用で不参加で、参加者の中で唯一存じ上げているのはSYSOPのD嬢のみ。(ここでは詳細は省きますが、NIFTY-Serve入会前から彼女のことを存じ上げていました。)…にも関わらず、集合場所で落ち合うことが出来ず、いきなり会場の高級中華料理店で探すことになってしまったのです。
 受付で「FSPACE…スペース・フォーラムの忘年会なのですが…」と告げても「何ですか、スペー??フォーム?」などと要領を得ず、「忘年会が沢山入っているので良く分かりません。一つ一つ会場を覗いてみて。」と言われ、いくつもある会場を回ることに…恥ずかしい!(*_*;)

 エイヤ~ッ!!
 最初に扉を開けた広間には、男性陣ばかり。
 キョロキョロ……。
 一人だけ女性がいらっしゃる。
 あっ!
 「うわぁ~、Dさぁ~んだぁ!!!」
 「知恵者猫さん?!」
 ヒシッ!!!!!(T_T)
 感動の再会?!
 周りの殿方達はあっけに取られていたようでしたが、運良く最初の会場でビンゴ!でありました。(^^)

 なにやら異常にテンションが高かった私ですが、今にして思えば、全て日蝕からの勢いだったのです。
 このノリのまま、RTや会議室を荒らしておりました。(^_^;)

 その後はオリジナル・ウェアを作る楽しみなども覚えてしまったり、オーロラ・ツアーも企画・催行、沢山OFFも企画したし、記念誌の作成にも加わらせて頂きました。
 沢山の刺激を受け、多くの素敵な出会いにも恵まれました。
 会員の皆様には多大なるご迷惑をおかけしたことと思いつつも、大変楽しい時代を過ごさせて頂きました。m(__)m
 私の人生のピークは、もしかしたらFSPACEと共にあったように思う次第です。(これからもうひと花咲かせるには、余りにもボロボロですなぁ…何とかせにゃ。@_@;)
 どうもありがとう!

 現在は高速通信が当たり前ですが、当時は1200bpsとか…300bpsなんていうこともありました。
(あれ?ボーレートってどう表記するんだっけ…で、検索しました。^_^;)
 チャットで300bpsだと、タイプライターで画面上に文字を出すような感じで、とても遅かったですよね。(アニメ『ルパン3世』のオープニングで、タイトルが出る画面のような感じ。)
 繋がればまだ良かった。
 アクセス・ポイントが満杯で、何度も何度もリトライし続けて、入るのにも必死なことも多々あったものです。
 RTでは二重ログインされちゃったり、幽霊さんが作られたり、RT最中に熟睡してしまった事件とか、ミカカで破産しそうになるとか…珍事も耳にしましたっけ。

 はぁ…今や昔。(^_^;)

 パソ通を始めて19年目とは。
 インターネットに取って代わられても、もはやこれがない生活は考えられません。すっかり洗脳されているというべきなのかしらん?
 携帯電話は、未だにカメラもiモードも付いていない骨董品だってのに。
(山篭もりするために予備の電池を買ったら持ちが良くて…ようやく全ての電池がヘタってきたので、機種変したぁ~い!^^;;)

 そのFSPACEも、とっくの昔にインターネットへと移行したし、以前は使ったFAX送信サーヴィスも自前でFAX電話機を持つようになってからは使っていないし、メイルもウェブメイルになっているし…。
 パティオもほとんど休眠状態だったとは言え、みんなにアナウンスするのをうっかり忘れたまま閉鎖されちゃったのでした。ゴメンナサイ。m(__)m

 そもそも、まだTTYが使える環境が我が家に残っているのだろうか?
 今回これらのサーヴィスが終了するにあたって、何が変わるのか、どこをどうしておくべきなのか…サッパリ分かっていません。一応、@niftyのお知らせページは読んだつもりなのですが。

 @niftyでは、今や無料でIDが作れるというではありませんか?!(サーヴィス内容が違うらしいけれど…。)
 私、まだ毎月最低料金(なんと従量制!)を支払っているんですけれど…。(^_^;)
 海外からのローミング・サーヴィスは使っているんです。
 compu-serve使うために、NIFTYのID残した人もいるくらいで…。
 
 今回のことで、何がどうなるのか、私の場合の影響など、どなたか私に詳しくご教授下さいませ~。m(__)m
 @niftyは、私には非常に使いづらくなってしまったので、ちょっと足が遠のいてしまったというのが事実かなぁ。フォーラムに入るのにパスワードを入れているのに、メイルを読みに行けばまた承認が必要だったり、沢山の窓が開いて煩わしくて…。(*_*;)



 『さよならパソ通』イヴェントということで、『FSPACE復刻Tシャツ』でも作成しましょうか?(^_^;)

 探し始めたら、NIFTY-Serveグッズが結構手元にある模様。
 スキャンしやすいということで、ステッカーを何枚かご紹介。
 お宝グッズをお持ちの方、ご紹介お待ちしています。(^^)


▽関連イヴェント
 【特設】さよなら、パソコン通信 会議室
 2006年3月31日で、最後の大手商業パソコン通信である NIFTY SERVE が終了します。
 すばらしき、我らが老兵へメッセージを残しませんか?

 『さよならパソコン通信』 オフライン・ミーティング
 酔うぞさんの『酔うぞの遠めがね』の記事より
 さよならオフのお知らせ1
 さよならオフのお知らせ2

 らじろぐ 「さよなら、パソコン通信」
 「さよなら、パソコン通信」の開催時間中、出来る限りの長い時間、会場よりの放送を行います。
 距離や時間の壁で参加出来ない皆さんも、この放送をお聞きいただき、「さよなら、パソコン通信」の雰囲気をお楽しみいただければと思います。
 放送時間:20:00~23:00頃まで

 トラックバック・ピープル さよなら、パソコン通信


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本日の皆既日蝕ライヴ中継

2006-03-29 15:52:45 | (旧)雑記帳/空
 1988年3月18日の小笠原沖日蝕から1サロス。
 今日29日が『真っ暗な晴れの日』になりますように!!

 今回の日蝕(日食)のライヴ中継を予定しているサイト。
 やっぱりブラジルからもあったのネ…。

【リビア・エジプト・トルコ】

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4900785385&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=acccf5&bg1=acccf5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe>◆LIVE!ECLIPSE 2006

 中継場所
 リビア:ワウアナムス(Wau an Namus)
 エジプト:サルーム(Saloum)
 トルコ:アンタルヤ(An talya)郊外
 
 中継時間(日本時間)
 2006年3月29日(水)
 18:00 中継開始
 19:13 リビア皆既開始
 19:38 エジプト皆既開始
 19:53 トルコ皆既開始
 20:30 中継終了 


【トルコ・シデ】

NASA TV

NASA Sees Eclipse in a Different Light

Exploratorium Webcast Schedule
 え~と、アメリカ東部時間→日本時間にするには、-14時間でしたっけ?(^_^;)


 あとは回線の太さ不明…。

【ブラジル】

http://www.manualdigital.com.br/index1.asp
 ポルトガル語
 ブラジル・タバティンガ(Tabatinga)からの中継

http://astrosurf.com/ceu/eclipsetotal2006.html
 ポルトガル語
 23o 9' 6'' N e 16o 44' 54'' E…が、今回のGreat Pointで、そこはこんな風景だという画像が載ってます。(リビア・チャド国境地帯)
 

【ガーナ】

Solar Eclipse Webcast from Africa - March 29, 2006

 ガーナからで、リプレイもあり。
 しかし、私のところでは映像が開けません。(;_;)


【エジプト・サルーム】

Total Eclipse of the Sun Live webcast March 29 2006
 日蝕中継ではおなじみになっているklipseさんのサイト。
 多くの日本人も遠征している、エジプト・サルームから。
 ロンメル将軍のエル・アラメインの砂漠だぁ! 
 

スペイン・バルセロナ大学 観測隊
 エジプト・サルームから。
 気温などのリアルタイム報告も…。


【トルコ】

Ciel des Hommes
 トルコ・シデから。
 http://www.cidehom.com/eclipse_direct.php
 klipseさんの所のミラーサイトのよう?
 
http://www.tug.tubitak.gov.tr/tutulma/english/main.html
 トルコ・アンタルヤから。
 トルコ語が入っていないと開けない?(;_;)

Total Solar Eclipse Life from Turley
 トルコ・シデ、アンタルヤから。
 10:00?11:15 UT
 日本時間だと、19:00-20:15かな。

ノースダコタ大学 観測隊
 トルコ・アンタルヤから


 後半の細かいサイトは大慌てでピックアップしたので、規則性もなにも無視でハチャメチャ…。(^^;;)

 強風が吹かないといいなぁ。
 リビア、エジプトは大丈夫そうですが、トルコもお天気にも恵まれますように!

 『にっぽん丸』から18年10日と数時間…。
 あの黒い太陽に再会です。
 そして、1サロス前 小笠原洋上
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そして、1サロス前 小笠原洋上

2006-03-29 03:27:00 | (旧)雑記帳/空
 2006年3月29日。
 ブラジルの端をかすめ、大西洋を渡りチャドに上陸、リビア~エジプトを駆け抜けてトルコ、そしてモンゴルで地球を離れる月の影。

◆アストロアーツ
 2006年3月29日 皆既日食
 ~アフリカから中央アジアにかけて、最長4分~



 1サロス前…1988年3月18日。
 私は小笠原沖『にっぽん丸』船上に居ました。
 東京に帰るよりもグアム、サイパンの方が近かった洋上。
 『にっぽん丸』航跡図黒い太陽にロマンを求めてby 佐山敬悦さん

 

 観測はインマルサットや気象FAX、経験と知識を駆使して晴天域を求めて移動。途中で遭遇した他の観測船(『ゆうとぴあ』だったかと…)が本船の後を追いかけてきたり、雲を避けてクルリンと回ったりしましたが、無事黒い太陽に逢うことが叶いましたっ。♪
 W船長さん他クルーやスタッフの皆様、どうもありがとうございました!!



 撮影機材が少なかったなぁ…。
 洋上だからと諦めていたのもあるけれど、アルミのカメラ・バック1つと三脚だけ。
 同行の『日蝕貧乏5人組』の仲間達の準備風景ですが、1人は学会出席のためお休み。
 一番右に写っている彼は、現在エジプト・サルームに居ます。



 『日蝕貧乏5人組』のTシャツ。(背面)
 日蝕前に船室内で撮影。
 胸にも大きく日蝕ドラゴンが描かれていますが、本サイトのいくつかのページの背景画像に使っています。



 後日『皆既日蝕観測@にっぽん丸・思い出会』なるものが開催されたのですが、それに合わせて『日蝕ドラゴン』と『航跡図』とをあしらった記念Tシャツを作成。好評を頂き、多くの方にご購入頂きました。(^^)/



 日蝕観測後の甲板の様子。写っているのは国立天文台(当時)の観測隊や、読売新聞五島プラネタリウムのツアー参加者の方々など…。

 あれから18年10日と8時間…。
 あの黒い太陽に再会です。


今回の皆既日蝕中継サイト
 一覧にしてみました。
 リプレイ映像の配信をするサイトもあるので、日蝕後もチェックしてみて下さい。

サロス周期 by wikipedia

日食とサロスの周期
 by 日食図・日食計算オンライン・データベース

サロス周期 by LIVE!ECLIPSE日食講座



 『にっぽん丸』での船旅は、時化がひどかったにも関わらず、船のスタビライザが故障したために随分と揺れ、乗客の多くは船酔いで大変な思いをされていました。
 ローリングとピッチが容赦なく襲ってきて、船室で寝ていると波に乗り上げた船が海面に叩き付けられるド~ン!ド~ン!という鈍い音が響いてきて、同室の友人達も次々と船酔いでダウンしてしまいました。

 日が経つにつれて、ダイニングに現れる人が徐々に減っていくという状況で、寂しい雰囲気の中で食事をしたり、船室で臥せっている友人のために食べられそうなものを見繕って持ち帰ったりしましたが、友人はスープやアイスクリームを口にするのがやっとという有様。
 揺れがひどい時には誰も居ないダイニングの椅子とテーブルが片舷にザザザ~ッと滑って、まるで映画タイタニック号の1シーンのような光景を目の当たりにしたこともありましたし、船内を歩いていても、度々よろけてしまいました。
 分度器と糸を通した5円玉で作った簡易揺れ測定器(?)では、30°くらいの揺れだったようです。


 今にもスープがこぼれそうな揺れ。
 最大時はもっと酷かった…。(*_*;)

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4769809042&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=acccf5&bg1=acccf5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe> みんなには申し訳ないと思いつつ、私は船酔い知らずで快適に船旅を楽しむことが出来、毎日セミナーに出たり、甲板でのんびり手紙を書いたり写真を撮ったり、夜な夜なあちこちで行われる酒盛りをハシゴして、沢山のお友達を作ることも出来ました。

 そんな状況ではありましたが、日蝕当日は、友人達も朝から元気百倍。
 観測成功の高揚した気分で、夜には部屋で祝杯を揚げたり、船内のディスコで踊ったり…でも、元気だったのは日蝕当日と翌日の小笠原上陸の時だけでした。
 船酔いした友人達は、未だに「二度と船旅はしない!」と言うくらいでこりごりの様子ですが、私は船旅ほど楽なものはないと思った次第。
 船酔いは、それほど辛かったのでしょうね。

 日蝕観測が成功に終わった日の午後には、船長さんにプールに海水を張って頂くというおねだりをしました。
 「言い出しっぺがまず最初に泳ぐべし!」と言われたまでは良かったのですが、水を張った時間が遅かったので海水が温まる暇がなく、震え上がって一泳ぎするのがやっと。それでもいくらかの方が泳がれたようです。
 今にして思えば、プールを満たすのにも手間や費用はかかった筈で、わがまま言って申し訳ありませんでした。m(__)m

 さよならパーティの際だったか、船長さんに「今回、船の中で一番元気だったのはアナタでしたね」と言われ、私の船旅は楽しい思い出を目一杯詰め込んで終わりました。
 W船長さんは既に退職され、現在は名誉船長として広報普及活動などをされています。(未だに年賀状などの行き来があるほど、私にはとても素晴らしい旅でした。)
 私にとって、むしろ辛かったのは船酔いではなく、下船して2日ほど続いた丘酔いだったかも知れません。(^^ゞ


 小笠原・父島にて

 今は昔…元気だった私。
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4代目南極観測船の模型完成

2006-03-28 04:21:54 | (旧)雑記帳/写真展・講演会・イヴェント
4代目南極観測船の模型完成
 東京・上野で展示へ

 朝日新聞 2006年3月24日付け

 老朽化した南極観測船「しらせ」の後を継ぐ4代目の船の模型が完成した。観測50周年を記念して、7月から東京・上野の国立科学博物館で開かれる『ふしぎ大陸南極展2006』(朝日新聞社など主催)で展示される。

★☆★

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4022598735&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=acccf5&bg1=acccf5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe>◆日本南極観測50周年記念
 『ふしぎ大陸南極展2006』

 2006年7月15日(土)~9月3日(日)
 9:00~17:00
 金曜日は~20:00(入場は19:30まで)
 会期中無休
 国立博物館(東京・上野)にて

見どころよりご紹介

▼"通信衛星を利用して会場と南極・昭和基地をテレビ会議システムでつなぎ、越冬隊員らと話ができます"
 色々な方と話せるというのは隊員達には良い刺激であると共に、ご負担にはならないのだろうか?とちょっと心配…って、いつでもOKという訳ではないですよね?(^^;;)

▼"約34万年前に遡る氷の試料"
 南極から見る地球環境!

▼"50年前の第一次観測隊が建築し利用した日本初のパネル組立式の建物を公開"
 記憶を辿ってミサワホームだと思ったのですが、南極観測とミサワホームを読んだら、第一次はまだ担当していなかったようです。
 …で、私が聞いた話では、世界最低気温を記録したこともある南極ですから極寒への対応はもちろんのこと(昭和基地ではなく、ロシアのボストーク基地ですが…。ちなみに1983年7月、-89.2℃!!)、風や雪への対策に苦労された模様。
 年中吹く強風への対策として風がうまく通り抜けるような設計になっていたり、建物は徐々に雪の吹き溜まりに埋まってしまうために、最近の物は何mかジャッキ・アップできるような工夫が施されているとか。(埋まっては持ち上げ…さすがに限度があるものの、このタイプの建物は、永久凍土上に建てられるアラスカの家にも見られます。)
 50年前はどうだったのでしょう? 

▼"日本が誇る世界最大約1万4千個の南極で採取された隕石コレクションから火星や月が起源とされる貴重な隕石を公開"
▼"南極で発見された1億9千万年前の恐竜「クリオロフォサウルス」の骨格や植物化石を公開"
▼"大画面でオーロラやペンギンの映像が見られる"
▼"氷山の氷に触れる"
▼"低温室で南極の寒さを体験"

 日本はペンギン大国だけではなく、隕石大国でもあったのか!
 今では許されていないかも知れないけれど、かつて南氷洋の捕鯨船がペンギンを連れ帰り、世界一の飼育数だそうで…。
 大和平原は地形上の要因だったかで、自然と隕石が押し出されて集まってくるのだったのではないかしらん?それで、労せずに収集可能だったかと…。

 ワクワク!!!
 会期は夏ですね。
 低温室は、涼むにはちょっと寒すぎるかも…。
 余り長い時間我慢していると、出てきた時にダルいかな。(^^;;)

★☆★

 文頭の新聞記事は、模型が完成したことを報じたものですが…老朽化している『しらせ』について、資金難のために修繕しながら使い続けるしかないというニュースしか知らず、何とかならないものかと思っていましたので、後継船が建造されることを知って嬉しかったです。(^^)

次期南極観測船建造へ
 ユニバーサル造船舞鶴事業所

 京都新聞 2006年2月17日付け

 ユニバーサル造船って聞いたことないなぁ…と思ったら、2002年に日本鋼管と日立造船の造船部門が統合して誕生した会社だったのですね。
 
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4425947118&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=acccf5&bg1=acccf5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="left"></iframe> 新造船は2009年に完成予定で、『しらせ』よりも若干大きいとのこと。
 最大の特徴は、へさきが丸いこと。
 収容人員が60名から80名に増え、大型コンテナが収納できるなど輸送能力もアップするそうです。

 『しらせ』が2007年に退役、新造船投入は2009年5月。2008年は??

 『宗谷』→『ふじ』→『しらせ』と来て、新造船の名前は何になるのでしょうね?
 そのうち、公募が始まるでしょうか?
 『みずほ』…『やまと』………う~ん…。

国立極地研究所
 南極観測のホームページ
 進め!しらせ
 『しらせ』、まだまだ頑張ってますっ!!

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=12&l=st1&mode=books-jp&search=%E5%8D%97%E6%A5%B5&=1&fc1=&lt1=&lc1=&bg1=&f=ifr" marginwidth="0" marginheight="0" width="300" height="250" border="0" frameborder="0" style="border:none;" scrolling="no" align="center"></iframe>
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