歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

本能寺将星録紀行3―セミナリヨ―

2010-12-21 23:31:51 | 本能寺将星録
前回、別アングルと言いながら、何か同じような写真になった忠興、ガラシャ像を追加しました。
さて、何か久々ですが「第3回」は京都から少し離れて、織田政権の本拠地・安土へ。
最大の目的地はもちろん、あの覇王の城な訳ですが、今回はその前に寄り道(というか、道筋的には通り道?)を。
その前に、安土駅前には銅像が。



有名なのは清州でしたか?大分、イメージ違う感じですね。



さて、『本能寺将星録』では安土のセミナリヨが、結構重要な場所になっていたりします。
作中でも記述がありますが天正8年(1580)、織田信長により教会要地として下付。
イエズス会のオルガンティーノ司祭、高山右近によりキリシタンの子弟教育のために建設されたのがセミナリヨです。
建物は3階建てで教会と神学校が併設されていたとされています。
水色の屋根瓦は安土城とこのセミナリヨ以外では使用が禁じられていた禁色。
授業内容は日本文学、キリスト教理、ラテン語、修辞学、音楽など。
その後、本能寺の変で焼失し、2年余りの短い命脈を絶ったのがこのセミナリヨです。



ちょっと、住宅街が映りこんだかな。


もっとも、セミナリヨの正確な場所は分かっておらず、ここは推定地。
内装に関してなど細かい点は不明なので、作中では推測まじりで描いてます。
もう、完全に妄想状態というか(笑)

なお、このセミナリヨ出身者としては本作にも登場するパウロ三木がいます。
摂津(阿波との説も)に生まれセミナリヨ1期生となり、宣教師として活躍しました。
豊臣政権下のバテレン追放令後の慶長元年(1597)に捕縛され、長崎で十字架にかけられて殉職しています。
いわゆる「日本二十六聖人」として、バチカンによって列聖されてもいます。
もっとも、豊臣政権のよる一連のキリシタン弾圧の背景には、南蛮人による日本人奴隷売買が背景にはあるのですが。



奥のものがパウロ三木の碑。


ちなみに、このセミナリヨ跡は本当に安土山の直近。
本当にこの場所にあったとしたならば、信長からの優遇ぶりが窺えますね。



ちょっと左に振ると安土山が。


12月24日の発売日まであと3日。
さて、次回はいよいよ安土山へ。