「本能寺将星録紀行」第5回、旅は安土山の上へと。
さて、大階段から登山して安土城の中心部へと入ります。
虎口を抜けていざ、天主へ。
・・・思ったより狭いな、というのが正直な感想。
この安土城は他の城と違って、信長が日々の暮らしの場所にしていたとのこと。
安土全体にいえることですが、知名度の割に史料がない。
現在、流布している天主のイメージも『信長公記』に拠るところが大きいかと。
ちなみに、所謂「吹き抜け」は『本能寺将星録』では存在したということにしています。
安土城は本能寺の変後、放火によって焼失しています。
犯人?は織田信雄、明智秀満、乱入した掠奪者と諸説あります。
本作では、さて・・・
次に伝二の丸跡の信長公廟へ。
織田信長という存在は、今作の主人公である細川忠興のカリスマとして設定しています。
前作、『関ヶ原群雄伝』は「豊臣の子」がテーマのひとつでしたが、
差し詰め忠興や蒲生氏郷は「信長チルドレン」とも言うべき存在。
氏郷は早死にしましたが、忠興は生涯、その想いはあったのかな・・・と。
仮に氏郷が死なず、関ヶ原で忠興と共同戦線を取っていたら・・・とか考えますね。
さて、次は総見寺へと下山。途中の写真を。
何か、向こうから誰か現れそうな錯覚を覚えます。
西の湖が見えますね。安土城の時代には琵琶湖と直結していたとのこと。
天気が悪かったのが少し残念(梅雨時だから、仕方ないか)
そして、総見寺へと到着。
安土城築城に伴って開山。廃城後も存続して江戸時代を通じて活動したものの、
嘉永7年(1874)に伽藍の大半が焼失、現在残っているのは三重塔と二王門のみとなっております。
そして、下山。ちなみに、この先は大階段のところへつながっていました。
とにかく、「山の中」という印象。神秘性すら感じますが、逆に往時の想像がし難い面も。
「安土編」はこれにて終了。
本年の「本能寺将星録紀行」の更新もこれで終了です(当たり前か)
さあ~京都帰ろう。
参考文献
『安土城1999』安土城考古博物館 1999年
『安土 信長の城と城下町』滋賀県教育委員会 2009年