旧新橋停車場鉄道歴史展示室で開催中の「流線型の鉄道」展に行ってきました。
1930年代、鉄道の世界では「流線型」が一大ブームとなり、これらの現象が鉄道だけではなく、他の乗り物、さらには生活用品などの世界にも波及しました。蒸気機関車は曲線で構成された平滑なカバーで覆われ、旅客車もウインドシル・ヘッダーがなく、曲面で構成された車体となった、あの時代のことです。
本展覧会では、主に蒸気機関車にスポットをあてながら、この流線型時代について写真、ポスター、Oゲージなどの大型の鉄道模型も交えて紹介しています。
速度への挑戦が華やかだったこの時代、英独は蒸気機関車の速度記録を競い、アメリカでは各鉄道会社が蒸気機関車だけでなく、伸長しつつあった内燃機関の車輛も速度を競い、さらには車体の素材として使われるようになったステンレスがそれに拍車をかけておりました。
日本でもC53の1両とC55の21両を流線型としてデビューさせています。これらの車輛には、後の新幹線にも関わることになる鉄道技術者の島秀雄が関与しています。C53、C55とも流線型にすることで速度の向上に特段寄与するものではなかったと言いますが、蒸気機関車ならではの排煙の流れなどを考慮して設計したというあたり、デザインと実用の両方を考慮したものだったのでしょう。個人的なことになりますが、日本の流線型機関車については子供の頃に写真で見た折に、デザインとしては受け入れることが難しく、良さを見出すことができたのは大人になってからでした。
日本の車輛については他にもEF55や日本製、ということでは忘れてはいけない南満州鉄道のパシナと「あじあ号」も紹介されています。満鉄については、模型等の展示はありませんがパシハやダブサといった機関車も欧米の機関車と遜色ないスタイルをしています。
流線型と蒸気機関車というのは、決して相性の合うものではありませんでした。動輪を中心に走り装置など、保守点検を容易にするためには車体全体をカバーで覆うのは実用的ではありません。ドイツでは動輪にあたるところはシャッターをつけています。アメリカではとうとう走り装置をむき出しにし、動輪やロッド類もデザインの一部として取り込むことでデザインと実用を両立するようになりました。
本展覧会では蒸気機関車にスポットを当てていますので、ディーゼルカー、電車についての紹介は少なめです。これらを含めるとこの展示室で開催するよりも大宮の鉄道博物館で開催する規模になりますので、致し方ないところでしょう。それよりも大型の鉄道模型をこれだけ展示したというのも珍しく、中には実物の車輛が現役の時に作られたものもあると思われますので、これらの模型だけでも見る価値があると言えるでしょう。
この展覧会にはありませんが、電車についても流線型時代には鉄道省がモハ52をデビューさせています。こちらは実車が「リニア鉄道館」にありますね。諸外国でもイタリアのように電化が進んだ国では、楔型とも言うような独特の先頭形状のETR200形がデビューしています。また、内燃機関の車輛でも本展覧会で紹介されているドイツのフリーゲンター・ハンブルガーが有名ですし、日本でもキハ43000、東横キハ1など流線型を車体デザインに取り入れた車輛が生まれています。他にも前頭部を少し傾けたり、少し丸めたりと言ったものもありましたが、極めつけは九州は朝倉軌道の木造ガソリンカーで、名もない職人さんたちが作ったであろう木製車体は、一度見たら忘れない、でも誰が見ても流線型、と言える強烈なスタイルをしています。あれはきっと、都会で流行っている「流線型」を再現してみたかったのでしょう。
本ブログは乗り物をネタにしていますので、他の乗り物とこの時代のことも書きましょうか。この時代、もともと空気抵抗を考慮しなくてはならない航空機はもちろんのこと、船舶も艦橋や煙突が丸みを帯びたデザインとなったり、流線型はあちこちに波及していきます。自動車でも無骨なスタイルから徐々にスマートなスタイルが主流を占めるようになり、フォルクスワーゲン・ビートルもあの時代が生んだデザインと言う感がありますし、日本の「くろがね四起」も軍用自動車ではありますがデザイン的にはあの時代を感じさせるものがあります。
本展覧会でも言及されているところではありますが、デザインとしての流線型は、過度な装飾を廃し、シンプルな直線や曲線で構成されたアール・デコとも結びついて生活の中に入っていくようになりました。考えてみるとEF55の車体の飾り帯なども、アール・デコ様式の影響を感じさせますね。
流線型時代は戦後生まれの私にとっては遠い昔の話ではあるのですが、この時代の車輛には好きなものもあり、日本型、外国型問わず模型でも持っています。機能だけではない、デザインの美しさに魅かれてのことなのでしょうか。それから、EF55が「復活」して旧型客車を牽引した列車に一度乗車したことがあります。私の中では蒸気機関車と同様、いやそれ以上に「伝説」の存在であり、ことのほか印象に残る旅となりました。
1930年代、鉄道の世界では「流線型」が一大ブームとなり、これらの現象が鉄道だけではなく、他の乗り物、さらには生活用品などの世界にも波及しました。蒸気機関車は曲線で構成された平滑なカバーで覆われ、旅客車もウインドシル・ヘッダーがなく、曲面で構成された車体となった、あの時代のことです。
本展覧会では、主に蒸気機関車にスポットをあてながら、この流線型時代について写真、ポスター、Oゲージなどの大型の鉄道模型も交えて紹介しています。
速度への挑戦が華やかだったこの時代、英独は蒸気機関車の速度記録を競い、アメリカでは各鉄道会社が蒸気機関車だけでなく、伸長しつつあった内燃機関の車輛も速度を競い、さらには車体の素材として使われるようになったステンレスがそれに拍車をかけておりました。
日本でもC53の1両とC55の21両を流線型としてデビューさせています。これらの車輛には、後の新幹線にも関わることになる鉄道技術者の島秀雄が関与しています。C53、C55とも流線型にすることで速度の向上に特段寄与するものではなかったと言いますが、蒸気機関車ならではの排煙の流れなどを考慮して設計したというあたり、デザインと実用の両方を考慮したものだったのでしょう。個人的なことになりますが、日本の流線型機関車については子供の頃に写真で見た折に、デザインとしては受け入れることが難しく、良さを見出すことができたのは大人になってからでした。
日本の車輛については他にもEF55や日本製、ということでは忘れてはいけない南満州鉄道のパシナと「あじあ号」も紹介されています。満鉄については、模型等の展示はありませんがパシハやダブサといった機関車も欧米の機関車と遜色ないスタイルをしています。
流線型と蒸気機関車というのは、決して相性の合うものではありませんでした。動輪を中心に走り装置など、保守点検を容易にするためには車体全体をカバーで覆うのは実用的ではありません。ドイツでは動輪にあたるところはシャッターをつけています。アメリカではとうとう走り装置をむき出しにし、動輪やロッド類もデザインの一部として取り込むことでデザインと実用を両立するようになりました。
本展覧会では蒸気機関車にスポットを当てていますので、ディーゼルカー、電車についての紹介は少なめです。これらを含めるとこの展示室で開催するよりも大宮の鉄道博物館で開催する規模になりますので、致し方ないところでしょう。それよりも大型の鉄道模型をこれだけ展示したというのも珍しく、中には実物の車輛が現役の時に作られたものもあると思われますので、これらの模型だけでも見る価値があると言えるでしょう。
この展覧会にはありませんが、電車についても流線型時代には鉄道省がモハ52をデビューさせています。こちらは実車が「リニア鉄道館」にありますね。諸外国でもイタリアのように電化が進んだ国では、楔型とも言うような独特の先頭形状のETR200形がデビューしています。また、内燃機関の車輛でも本展覧会で紹介されているドイツのフリーゲンター・ハンブルガーが有名ですし、日本でもキハ43000、東横キハ1など流線型を車体デザインに取り入れた車輛が生まれています。他にも前頭部を少し傾けたり、少し丸めたりと言ったものもありましたが、極めつけは九州は朝倉軌道の木造ガソリンカーで、名もない職人さんたちが作ったであろう木製車体は、一度見たら忘れない、でも誰が見ても流線型、と言える強烈なスタイルをしています。あれはきっと、都会で流行っている「流線型」を再現してみたかったのでしょう。
本ブログは乗り物をネタにしていますので、他の乗り物とこの時代のことも書きましょうか。この時代、もともと空気抵抗を考慮しなくてはならない航空機はもちろんのこと、船舶も艦橋や煙突が丸みを帯びたデザインとなったり、流線型はあちこちに波及していきます。自動車でも無骨なスタイルから徐々にスマートなスタイルが主流を占めるようになり、フォルクスワーゲン・ビートルもあの時代が生んだデザインと言う感がありますし、日本の「くろがね四起」も軍用自動車ではありますがデザイン的にはあの時代を感じさせるものがあります。
本展覧会でも言及されているところではありますが、デザインとしての流線型は、過度な装飾を廃し、シンプルな直線や曲線で構成されたアール・デコとも結びついて生活の中に入っていくようになりました。考えてみるとEF55の車体の飾り帯なども、アール・デコ様式の影響を感じさせますね。
流線型時代は戦後生まれの私にとっては遠い昔の話ではあるのですが、この時代の車輛には好きなものもあり、日本型、外国型問わず模型でも持っています。機能だけではない、デザインの美しさに魅かれてのことなのでしょうか。それから、EF55が「復活」して旧型客車を牽引した列車に一度乗車したことがあります。私の中では蒸気機関車と同様、いやそれ以上に「伝説」の存在であり、ことのほか印象に残る旅となりました。