今日は趣向を変えて昔話でもいたしましょう。
昭和61(1986)年7月に、私は上田交通を訪れています。上田交通とその個性豊かな車輛たち意識したのは「とれいん」誌100号(1983年4月号)に特集記事が掲載されたときだったかと思います。地方私鉄に興味を持ち始めてはいましたが、上田はなかなか訪れる機会もありませんでした。ところが、昭和61年秋に昇圧のため旧型車が全廃、東急5000形が入線、というニュースを聞き、旧型車が廃止になる前に行ってみなくてはと思い、上田へ向かったというわけです。
既に学校も夏休みに入っておりまして、私は上田までの往復乗車券を手に特急電車に乗り込みました。高校生の頃は「青春18きっぷ」を愛用していましたが、上田までは日帰りで各駅停車で行くには少々遠いこと、また、信越本線の横川~軽井沢間は普通列車の本数が少ないため、特急を使ったのでしょう。
列車が上田駅に着き、上田交通のホームに向かいます。いましたいました、丸窓電車ことモハ5250形が停車しています。早速これに乗って、まずは終点の別所温泉まで乗ってみることにしました。
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さて、今回の記事に掲載している写真ですが、コンパクトカメラで撮ったスナップ的なものばかりで本来なら鑑賞に耐えるものではありません。まともな形式写真の一枚くらい撮っておけよ、と33年前の自分に突っ込みを入れながら、このブログを書いております。形式写真や構図を意識した写真を撮るようになったのは、「とれいん」誌で松本謙一氏の鉄道写真に関する連載記事を読んでからなので、もう少し後のことになります。
さて、本題に戻りまして、丸窓電車の写真を何枚か撮りながら、今度は上田まで戻り、途中、車庫のある上田原で降りてみようと思いました。
ニス塗が美しい車内です。
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上田原で下車して車庫の様子を撮影しました。車庫の方が顔を出してきて「次の電車が来るのは〇〇時〇〇分なので、それまで好きに撮っていいよ」と庫内での撮影を許していただきました。
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前述の「とれいん」誌では見ていましたがなんとも風情のある車庫周辺です。旧型車廃車を惜しむファンがたくさん来ているのかと思いきや、上田原にいたのは私のほか2人くらいだったと思います。車庫の立ち入りについても、事務所で記帳を求められたりすることもなく、なんともおおらかでした。
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元は長野電鉄にいた「川造タイプ」のモハ5270形(左)と複雑な来歴を持つモハ5370形(掲載にあたってトリミングしています)
上田原というと必ず紹介されるのが、木造車体が転じて倉庫となったこれです。
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電気機関車のED25です。
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水田を挟んだ道路の側から、留置されている車輛を撮りました。
長野電鉄の車籍を持つモハ610形
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サハ60形。こちらもルーツが省線電車だったりと、車体はおとなしいですが個性的です。
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持ち込んだカメラが限られていたこともあり、思ったほど撮れた形式も少ないです。一形式一輛が魅力の鉄道でしたので、今ならあれを撮って、これを撮って、となっていたことでしょう。
お昼ご飯もこのあたりで買いました。駅の近くに雑誌なども置いている食品スーパーがあって(今ならコンビニでしょうね)、そこで買ったものを食べた記憶があります。当時は電車に乗る、写真を撮るということに精一杯でしたから、土地の名物を食べるとか、そういうことに目が向かなかったと思います。後年、長野電鉄を撮りに行ったときは、美味しい信州のお蕎麦をいただいております。
そうそう、東急からの貸し出し車輛もいました。
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電気容量の関係で上田⇔中塩田の区間運用となっていました。隣の自動車も80年代しています。
後方にはガソリンスタンドとセブンイレブンの看板が見えます。あの時代、東京23区内では個人商店がまだ強く、コンビニは少数派でしたが、地方ではコンビニが進出していたのですね。
しばらくは上田原周辺で写真を撮りました。
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後ろにコンクリ造りの集合住宅が見えます。旧型電車にコンクリの建物という組み合わせは決して背景にしないような構図ですが、この時代の空気を感じ取っていただきたく、掲載しました(トリミングしています)。
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上田交通の車輛ですが、地方私鉄ということでもっと薄汚れたりしているものかと思いましたが、留置されて使用されていない車輛はともかく、現役の車輛達はとてもきれいに手入れされていたのが印象的でした。車体の濃紺も光線によって色合いが違って見え、それもまた魅力的でした。
陽も傾いてきましたので、帰ることにしました。新型車投入の告知が貼りだされておりました。
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おそらく途中まで特急を使い、高崎あたりから普通列車で上野まで帰ってきたころには、すっかり暗くなっていました。
この上田行ですが、私にとって地方私鉄が趣味の対象となる決定打となりました。その後も旧型車が残る各地に足を運び、自分なりの風景や車輛を構築できないかとグリーンマックスのキットを切り継いだりしながら、架空の地方私鉄車輛を作っていくことになります。
そして、あれから時が流れ、Nゲージでは完成品なんか出ないだろう、と思った上田交通の車輛も、鉄道コレクションでプラ製品が入手できる時代になりました。あとはそれを走らせる舞台を用意しなくてはいけませんね。
T-SQUAREの「Autumn of '75」という美しいバラードを聴きながら、あの夏の日を思い出していました(曲名は秋ですけどね)。とても暑く感じられた日でしたが、記録を見ると30度に達していなかったようです。この年は上田だけでなく、春には友人たちと青春18きっぷで本州を半周するような大旅行をしています。また、飛行機の趣味でも初めて浜松基地に足を運ぶなど、行動範囲が広がった一年でした。そして、次の年の春に、国鉄が民営化されることになります。
今回はカラーネガをデジタル化したものを掲載しました。プリントの方はまだ劣化していないのですが、ネガはだいぶ劣化が進んでおり、空の色などが抜けてしまっていました。飛行機の写真もデジタル化したものがありますので、いずれまたご紹介しましょう。
昭和61(1986)年7月に、私は上田交通を訪れています。上田交通とその個性豊かな車輛たち意識したのは「とれいん」誌100号(1983年4月号)に特集記事が掲載されたときだったかと思います。地方私鉄に興味を持ち始めてはいましたが、上田はなかなか訪れる機会もありませんでした。ところが、昭和61年秋に昇圧のため旧型車が全廃、東急5000形が入線、というニュースを聞き、旧型車が廃止になる前に行ってみなくてはと思い、上田へ向かったというわけです。
既に学校も夏休みに入っておりまして、私は上田までの往復乗車券を手に特急電車に乗り込みました。高校生の頃は「青春18きっぷ」を愛用していましたが、上田までは日帰りで各駅停車で行くには少々遠いこと、また、信越本線の横川~軽井沢間は普通列車の本数が少ないため、特急を使ったのでしょう。
列車が上田駅に着き、上田交通のホームに向かいます。いましたいました、丸窓電車ことモハ5250形が停車しています。早速これに乗って、まずは終点の別所温泉まで乗ってみることにしました。
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さて、今回の記事に掲載している写真ですが、コンパクトカメラで撮ったスナップ的なものばかりで本来なら鑑賞に耐えるものではありません。まともな形式写真の一枚くらい撮っておけよ、と33年前の自分に突っ込みを入れながら、このブログを書いております。形式写真や構図を意識した写真を撮るようになったのは、「とれいん」誌で松本謙一氏の鉄道写真に関する連載記事を読んでからなので、もう少し後のことになります。
さて、本題に戻りまして、丸窓電車の写真を何枚か撮りながら、今度は上田まで戻り、途中、車庫のある上田原で降りてみようと思いました。
ニス塗が美しい車内です。
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上田原で下車して車庫の様子を撮影しました。車庫の方が顔を出してきて「次の電車が来るのは〇〇時〇〇分なので、それまで好きに撮っていいよ」と庫内での撮影を許していただきました。
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前述の「とれいん」誌では見ていましたがなんとも風情のある車庫周辺です。旧型車廃車を惜しむファンがたくさん来ているのかと思いきや、上田原にいたのは私のほか2人くらいだったと思います。車庫の立ち入りについても、事務所で記帳を求められたりすることもなく、なんともおおらかでした。
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元は長野電鉄にいた「川造タイプ」のモハ5270形(左)と複雑な来歴を持つモハ5370形(掲載にあたってトリミングしています)
上田原というと必ず紹介されるのが、木造車体が転じて倉庫となったこれです。
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電気機関車のED25です。
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水田を挟んだ道路の側から、留置されている車輛を撮りました。
長野電鉄の車籍を持つモハ610形
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サハ60形。こちらもルーツが省線電車だったりと、車体はおとなしいですが個性的です。
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持ち込んだカメラが限られていたこともあり、思ったほど撮れた形式も少ないです。一形式一輛が魅力の鉄道でしたので、今ならあれを撮って、これを撮って、となっていたことでしょう。
お昼ご飯もこのあたりで買いました。駅の近くに雑誌なども置いている食品スーパーがあって(今ならコンビニでしょうね)、そこで買ったものを食べた記憶があります。当時は電車に乗る、写真を撮るということに精一杯でしたから、土地の名物を食べるとか、そういうことに目が向かなかったと思います。後年、長野電鉄を撮りに行ったときは、美味しい信州のお蕎麦をいただいております。
そうそう、東急からの貸し出し車輛もいました。
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電気容量の関係で上田⇔中塩田の区間運用となっていました。隣の自動車も80年代しています。
後方にはガソリンスタンドとセブンイレブンの看板が見えます。あの時代、東京23区内では個人商店がまだ強く、コンビニは少数派でしたが、地方ではコンビニが進出していたのですね。
しばらくは上田原周辺で写真を撮りました。
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後ろにコンクリ造りの集合住宅が見えます。旧型電車にコンクリの建物という組み合わせは決して背景にしないような構図ですが、この時代の空気を感じ取っていただきたく、掲載しました(トリミングしています)。
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上田交通の車輛ですが、地方私鉄ということでもっと薄汚れたりしているものかと思いましたが、留置されて使用されていない車輛はともかく、現役の車輛達はとてもきれいに手入れされていたのが印象的でした。車体の濃紺も光線によって色合いが違って見え、それもまた魅力的でした。
陽も傾いてきましたので、帰ることにしました。新型車投入の告知が貼りだされておりました。
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おそらく途中まで特急を使い、高崎あたりから普通列車で上野まで帰ってきたころには、すっかり暗くなっていました。
この上田行ですが、私にとって地方私鉄が趣味の対象となる決定打となりました。その後も旧型車が残る各地に足を運び、自分なりの風景や車輛を構築できないかとグリーンマックスのキットを切り継いだりしながら、架空の地方私鉄車輛を作っていくことになります。
そして、あれから時が流れ、Nゲージでは完成品なんか出ないだろう、と思った上田交通の車輛も、鉄道コレクションでプラ製品が入手できる時代になりました。あとはそれを走らせる舞台を用意しなくてはいけませんね。
T-SQUAREの「Autumn of '75」という美しいバラードを聴きながら、あの夏の日を思い出していました(曲名は秋ですけどね)。とても暑く感じられた日でしたが、記録を見ると30度に達していなかったようです。この年は上田だけでなく、春には友人たちと青春18きっぷで本州を半周するような大旅行をしています。また、飛行機の趣味でも初めて浜松基地に足を運ぶなど、行動範囲が広がった一年でした。そして、次の年の春に、国鉄が民営化されることになります。
今回はカラーネガをデジタル化したものを掲載しました。プリントの方はまだ劣化していないのですが、ネガはだいぶ劣化が進んでおり、空の色などが抜けてしまっていました。飛行機の写真もデジタル化したものがありますので、いずれまたご紹介しましょう。