随分前に亡くなった私の父から「鐘馗作らないのか?」と聞かれたことが何度かありました。旧日本軍機については作ったものは海軍機が多く、陸軍機と言えば飛燕か97式戦闘機、100式司偵くらいでした。鐘馗については軍歌などでも歌われていたこともあったそうなので、父にとってもなじみがあったのでしょう。以来、鐘馗のことはすっかり忘れ、軍用機だけでなく、いろいろなジャンルの模型に道草ばかりしていたある日、模型屋さんの棚の鐘馗の箱が目に飛び込んできました。父があれだけ言っていた機種だし、何かの折に作ってみるか、ということで購入し、例によって棚の肥やしとなっておりました。昨年はほとんど飛行機を作っておらず、リハビリも兼ねて手軽に作れる1/72の大戦機でも、ということで引っ張り出してみました、というわけです。

このキット、初版が1973(昭和48)年だそうですから、50年の歴史があります。すごいですね。70年代のハセガワ1/72の大戦機は、零戦のシリーズを除くと繊細な凹線のスジボリが入っています。
組み立てもそれほど難しくなく進みました。主翼と胴体の接合がやや角度を出しにくい感がありましたが、接着時にきちんと固定すればよいかと思います。コクピットは昔懐かしい「バスタブ」でパイロットを座らせると「湯加減いかがです?」な感じです。しかし、鐘馗の場合操縦席の開口部が小さく、また風防も小さいですから、パイロットを乗せてしまえば気にならなくなります。ちなみに立ち姿のパイロットも入っていて、これは「飛燕」と同じです。

(座り姿のパイロット。お腹にピンホールがあるので埋めました)
現行の「定番商品」となっている鐘馗については、中国大陸の機体と、軽加工で飛行第47戦隊「震天制空隊」の機体が再現できるマーキングが入っています。飛行第47戦隊は成増(現在の光が丘)の飛行場に展開していた時期があり、キットの「震天制空隊」もまさにその頃の機体です。この「震天制空隊」ですが、空対空の特攻を行うことを目的としていました。空襲でやってきたB29に接近して体当たりを敢行、パイロットは脱出するなどして生還することも考慮していたところが、海軍の特攻との違いではありますが、当然命を危険にさらすことには変わりません。実際に生還したパイロットもいましたが、B29も体当たりくらいでは撃墜されなかった機体もあったようです。
私自身「成増」の飛行場の名前を聞き、心を動かされた一人ではありました。大戦末期に有名な244戦隊(飛燕)は調布に展開していましたが、成増の方が私の今の寓居からも近く、その昔あの空の上で奮闘していた多くの方たちのことも想いながら、47戦隊の機体にしたわけです。


銀塗装は以前も紹介した「荒野のコトブキ飛行隊カラー」のパーカッションジュラルミンという、輝きの強い銀色です。少々輝きが強すぎたのでデカールを貼った後で半艶消しのクリヤーでオーバーコートしました。このあたりは個人の好みではありますが、日本陸軍機の銀色は鈍い輝きの方が似合うように思います。
47戦隊では特攻用ではなく通常の仕様の機体もありましたので、特徴ある尾翼のマークと共に再現してみたく、かなり昔にリリースされていた「震天制空隊」仕様のキットも入手しまして、尾翼の赤いマークだけ拝借して、特定のパイロット、番号等ではない機体を仕上げてみました。
この部隊の機体にこだわったのは「世界の傑作機 スペシャルエディション」として、飛行第47戦隊の写真史が発売されており、さまざまな塗装の機体を確認できたから、というのもあります。

こちらはMr.カラー159番、スーパーシルバーにしました。Mr.カラーの銀色はさまざまな色味のものが発売されていて、スーパーシルバーは後発の銀色系の色の中では歴史があるほうですが、あまりぎらつきもないので使ってみました。こちらは動翼部を同じく128番灰緑色と少量の銀を混ぜたもので塗っています。動翼部の色が明らかに違う機体は当時の写真でも確認できるものがあるのですが、あまり暗い色にも見えず、明るめの128番を選びました。コクピット後ろの防眩塗装の黒色ですが、胴体の白帯に一部またがっているものも見受けられます。考証にこだわりたいという方は気をつけてください。動翼部などにファレホのライトグレー系の色で墨入れをしています。


人形とプレートというあの時代のハセガワのキットを象徴するパーツも入っています。

鐘馗については基礎知識もあまりない中で作りはじめましたが、戦後の米軍の評価でも「インターセプターとしては好適」と好意的だったようです。改めて実機のことが勉強できるというのも、模型工作の良いところではあります。
「鐘馗作れよ」と言っていた父の命日に合わせるように、鐘馗が完成しました。1/72の大戦機ということで手軽に作れますが、銀塗装ということもあり、下地の傷などが目立ってしまったり、いろいろ反省点がございます。拙い作例ではありますが、ご覧いただきありがとうございます。1/72の日本機、他にも仕掛中のものがあり、こちらも近日完成予定です。

このキット、初版が1973(昭和48)年だそうですから、50年の歴史があります。すごいですね。70年代のハセガワ1/72の大戦機は、零戦のシリーズを除くと繊細な凹線のスジボリが入っています。
組み立てもそれほど難しくなく進みました。主翼と胴体の接合がやや角度を出しにくい感がありましたが、接着時にきちんと固定すればよいかと思います。コクピットは昔懐かしい「バスタブ」でパイロットを座らせると「湯加減いかがです?」な感じです。しかし、鐘馗の場合操縦席の開口部が小さく、また風防も小さいですから、パイロットを乗せてしまえば気にならなくなります。ちなみに立ち姿のパイロットも入っていて、これは「飛燕」と同じです。

(座り姿のパイロット。お腹にピンホールがあるので埋めました)
現行の「定番商品」となっている鐘馗については、中国大陸の機体と、軽加工で飛行第47戦隊「震天制空隊」の機体が再現できるマーキングが入っています。飛行第47戦隊は成増(現在の光が丘)の飛行場に展開していた時期があり、キットの「震天制空隊」もまさにその頃の機体です。この「震天制空隊」ですが、空対空の特攻を行うことを目的としていました。空襲でやってきたB29に接近して体当たりを敢行、パイロットは脱出するなどして生還することも考慮していたところが、海軍の特攻との違いではありますが、当然命を危険にさらすことには変わりません。実際に生還したパイロットもいましたが、B29も体当たりくらいでは撃墜されなかった機体もあったようです。
私自身「成増」の飛行場の名前を聞き、心を動かされた一人ではありました。大戦末期に有名な244戦隊(飛燕)は調布に展開していましたが、成増の方が私の今の寓居からも近く、その昔あの空の上で奮闘していた多くの方たちのことも想いながら、47戦隊の機体にしたわけです。


銀塗装は以前も紹介した「荒野のコトブキ飛行隊カラー」のパーカッションジュラルミンという、輝きの強い銀色です。少々輝きが強すぎたのでデカールを貼った後で半艶消しのクリヤーでオーバーコートしました。このあたりは個人の好みではありますが、日本陸軍機の銀色は鈍い輝きの方が似合うように思います。
47戦隊では特攻用ではなく通常の仕様の機体もありましたので、特徴ある尾翼のマークと共に再現してみたく、かなり昔にリリースされていた「震天制空隊」仕様のキットも入手しまして、尾翼の赤いマークだけ拝借して、特定のパイロット、番号等ではない機体を仕上げてみました。
この部隊の機体にこだわったのは「世界の傑作機 スペシャルエディション」として、飛行第47戦隊の写真史が発売されており、さまざまな塗装の機体を確認できたから、というのもあります。

こちらはMr.カラー159番、スーパーシルバーにしました。Mr.カラーの銀色はさまざまな色味のものが発売されていて、スーパーシルバーは後発の銀色系の色の中では歴史があるほうですが、あまりぎらつきもないので使ってみました。こちらは動翼部を同じく128番灰緑色と少量の銀を混ぜたもので塗っています。動翼部の色が明らかに違う機体は当時の写真でも確認できるものがあるのですが、あまり暗い色にも見えず、明るめの128番を選びました。コクピット後ろの防眩塗装の黒色ですが、胴体の白帯に一部またがっているものも見受けられます。考証にこだわりたいという方は気をつけてください。動翼部などにファレホのライトグレー系の色で墨入れをしています。


人形とプレートというあの時代のハセガワのキットを象徴するパーツも入っています。

鐘馗については基礎知識もあまりない中で作りはじめましたが、戦後の米軍の評価でも「インターセプターとしては好適」と好意的だったようです。改めて実機のことが勉強できるというのも、模型工作の良いところではあります。
「鐘馗作れよ」と言っていた父の命日に合わせるように、鐘馗が完成しました。1/72の大戦機ということで手軽に作れますが、銀塗装ということもあり、下地の傷などが目立ってしまったり、いろいろ反省点がございます。拙い作例ではありますが、ご覧いただきありがとうございます。1/72の日本機、他にも仕掛中のものがあり、こちらも近日完成予定です。