変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




基本的に動物は、エネルギーを得るために捕食する。厳密で冷酷な生態系に
全ての生物が属しており、より上位の捕食者に抗うことはできない。
鼠と蛇。
人類というか人というか、人間は元からかなり高位の存在だったはずだ。
そして、自らの力で頂点に上り詰めた唯一の生き物である。
この唯一性は「進歩」によって磐石となり、かつて、人類以上にこの星の支配
を徹底した者はいない。
おいらは先達の恩恵を受けているだけだが。

ダーウィンによると、動物は海から順に「進化」したのだという。微生物から
人まで。
魚レベルの捕食は無節操だ。
あるものを食う。そいつが食えるものなら取捨選択等の判断は入らない。
さて、動物は陸に上がって何か変わったか。
爬虫類の一部から変化が見られる。
毒を使うヤカラの出現。
「エサ」の抵抗によって自らがダメージを受けるのを防ぐためだろう。食う前に
殺したり気絶させたりするのである。この行為は劇的な変化だ。生きながら
にして食われるという残酷性を若干にしても軽減させている。結果論にせよ。
そして、地球はついに哺乳類を育むに至り、この理論を強化する。
肉食の哺乳類は、基本的に相手に止めを刺してから食う。急所を突く、という
術を学んだのだ。
ところが、別の残酷性を発揮させる結果にもなってしまった。抵抗されることを
嫌う余り、なるべく「弱い」相手を選ぶという判断が入ったのだ。弱い相手と
いうのは、食われる側にしてみれば最も大切な存在なのだ。卵、子供、メス。。
こういうことは、「しょうがない」と片付けるしかない。地球が構築したシステム
の運用ルールなのであり、生きるために「必要」な行為なのだ。
地球上の生命は、他の犠牲の上に成り立つ宿命を持つ。しかし、それらは
生きるために「必要な量」という制限を伴っている。
ここが人間だけ違う。
過食する。
食料が不足していることが概ねの動物の前提である。よって、人間の過食も
不足前提の本能の延長線上にいるとすれば理解できる。
興味深いのは、生態系の上位に行くにつれて、残酷性が減少して来たはず
なのに、人間に至ってそれが復活した点である。
活け作り、踊り食い、踊り焼き、丸焼き、etc...
食に関する人類の唯一性は、残酷性への回帰という側面をも併せ持つ。

なぜだろう?


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